賑やかな星03

 ネガティブなんて存在しない。

 継実が伝えた『新事実』は、好奇心に満ちていた周りに居た者達の心を一瞬で困惑に塗り潰した。互いに顔を見合い、継実の話した内容を理解出来なかったのが自分だけでない事を確かめ合う。

 そうしてみんなが混乱する……フィアとカミールは興味すらなさそうだが……中で、最初に手を上げて質問してきたのはミドリだった。


「あの……継実さん? それって、どういう事ですか? 存在しないって……」


「そのままの意味。ネガティブなんていないよ……存在してるの定義次第だけど」


「なんですかそれ……だったら、だったらあの空のものは……!」


 段々と強くなる語気。短気な者が聞けばケンカを売られていると取られかねない言葉遣いだが、しかしそれも仕方ないと継実は思う。ミドリにとってネガティブは生まれ故郷を滅ぼした、宇宙の災厄。あれは避けられない災害だったと言われるならまだしも、存在しないなんて言われたら気を悪くもするだろう。

 その上で、ミドリが言いかけた言葉を一度飲み込んで黙ったのは、自分への信頼だと継実は受け取った。考えなしに言った訳ではなく、ちゃんとした理屈があると信じてくれたのだ。

 ミドリの期待は間違っていない。継実は思い付きでそんな事を言い出したのではないのだから。それを証明するべく、継実は自分が見たものについて語る。


「……惑星ネガティブなんだけど、私ら五人分の演算力を費やしても解析が出来なかった。最初はすごい能力で隠れているとか、消滅させる力で反射とかがなくなってるのかと思ったんだけど、それでも説明が付かない」


 エネルギー保存の法則。それがこの宇宙にある限り、物質が消えたとしても観測不能には陥らない。強烈な重力により何もかも内部に取り込むブラックホールさえも、その『過程』でエネルギーを発してしまうのだから。

 そして仮にブラックホールが何も吸い込んでいなくても、(人類文明で作り出されたどんなものよりも優れているという前提は必要だが)精密な機器があれば観測は可能だ。何故ならブラックホールは『蒸発』し、その際にもエネルギーを放出するからである。

 ……ここで少し、話を変える。

 何故ブラックホールは蒸発という形でエネルギーを放射するのか? そこには量子力学の一現象であるが関わる。ブラックホールは重力により物質を内側に引き込み、空間を捻じ曲げる事で光さえも逃さない。しかしその重力が及ぶ、丁度境界線で量子ゆらぎ……無から粒子と反粒子の生成が起きたとしよう。

 量子ゆらぎ ― 端的に言えば無から物質粒子が生まれ、そして消える現象。量子力学で提唱されていた理論だ ― 自体はそこら中の空間で起きている。あらゆる場所で無から粒子が生まれ、けれども同時に生まれた反粒子と対消滅を起こして消えるため観測は出来ない。それが普通の空間で起きている事だ。当然ブラックホールの内外でもこれが起きているのだが……ブラックホールの重力の境界線でこれが起き、更に粒子が重力の影響範囲外、反粒子が影響範囲内に生まれると――――反粒子だけがブラックホールに取り込まれてしまう。そしてブラックホールの粒子と反応して消滅。結果的に外に物質が飛び出すような形となり、ブラックホールは小さくなる蒸発するのだ。これはホーキング放射と呼ばれるもので、あくまでも理論上の話だが、筋の通った『予言』である。

 つまり量子ゆらぎがある限り、物質を取り込むという方法ですらエネルギーは外に出ていく。

 ここで話を戻す。どうすればネガティブはエネルギーを外に出さずに、触れた物質をこの世から消せるのか? 発想を逆転させれば答えは出てくる。


「ネガティブそのものが、であるなら?」


「……! まさか、そんな……!」


 継実の告げた言葉に、花中が立ち上がる。だが反論は出ない。出せない。

 人間達の演算力を束ねた継実が、確認していない訳がないと気付いたのだろう。その通りだ。継実はしかと観測している。五人のミュータントの演算力を束ねた事で、百万キロ彼方の量子ゆらぎを捉える事が可能となったのだから。


「ネガティブと外界の境界線を観測したところ、量子ゆらぎがなかった……少ないとかじゃない。全く、ゆらぎはなかった」


「量子ゆらぎが、全くない。確かに、考え難い、事ですね」


「ふぅん。それは中々興味深いかも」


「そーですかねー? 量子ゆらぎが何かは全然知りませんけど単にあなたが見落としてるだけなんじゃないですか? もしくは偶々とか」


 継実の説明を聞いて、アイハムやミリオンは納得したが、フィアから指摘が入る。量子ゆらぎが何か知らないなら黙れよ、とヤマトや晴海が視線で語り、継実も同じ事を思わなくはなかったが……指摘そのものは悪くない。

 量子ゆらぎは確率的に生じるもの。基本的には空間全体が沸騰しているかの如く無数に起きているが、偏りがない訳ではない。例えば極端な偏りの一例として、宇宙の誕生が挙げられる。ならば逆に無の瞬間が生じる事も、極々稀にはあるだろう。

 しかしその可能性はちゃんと検証した。


「五分以上観測したから、偶々って事はまずあり得ない。また見落としがない事も長時間の観測で確認してるし、ネガティブから一定範囲から離れた場所ではちゃんと量子ゆらぎが確認出来ている。それと何より……」


「何より?」


「惑星ネガティブが通過した後の場所で、量子ゆらぎを観測出来なかった。アイツが通った後は、まるで足跡のようにゆらぎが消えている」


 さながら、量子ゆらぎを喰い尽くしたかのように。

 継実がその事実を告げると、フィアは「ふーん」と間の抜けた返事を返す。恐らく彼女は何も理解していない。話が難しかった、というよりも単純にさして興味もなかったのだろう。モモとその膝の上で遊んでいる二歳児のカミール、それにヤマトやアイハム、清夏と晴海と加奈子もキョトンとしていて、あまりよく分かっていない様子だ。

 だが、花中とミリオン、そしてミドリは違う。彼女達は継実の観測した結果の意味を理解していた。故に誰もが表情を強張らせる……ネガティブの『正体』をも理解したがために。


「……物質を、単純に消滅させてる訳じゃない」


「そうね。単純な消滅じゃ、どうやってもエネルギーが出てきてしまうわ」


「だけど、なんらかの方法で、エネルギーを、吸い取ってる訳でもない。それをしているなら、力の境界線で、ホーキング放射が、観測出来ます」


「そして量子ゆらぎそのものの消滅。ただそこにあるものを消しただけじゃあ、そうはならない。だって量子ゆらぎは確率によって生じるものだから」


 花中とミリオンは次々と『推論』を述べていく。継実が語った話から真実を導くために。

 そう。ただ存在を消すだけでは、吸収するだけでは、エネルギーや量子ゆらぎの消失は起こらない。いや、そもそもネガティブに物質を消滅させる力があると考えたのが間違いなのだ。エネルギー保存の法則がある限り、どんな力を用いようともエネルギーを消す事など出来ない。燃やそうが破壊しようが分解しようが、力を加える以上プラスにはなれどゼロにはならないのだから。

 しかし反粒子のようなマイナスの力をぶつけるのも駄目だ。その方法は所謂対消滅と呼ばれるもので、生じた際には質量全てがエネルギーへと変わり、莫大な力が放出されてしまう。そもそも物質の世界に『マイナス』など存在しないのだ。マイナス云々は人間が理解するために勝手に付けた呼び名。合わせれば、その分全てが加算されるだけである。

 マイナスがない世界で、対象をゼロにするにはどうすれば良いのか? 常識に囚われず、簡単に考えれば答えはすぐに出てくる。プラスをゼロにする方法は一つだけ……

 それこそがネガティブの正体。

 そしてミドリも気付く。どのような結論に至るのかを。


「まさか、存在そのものが……ゼロ? 触れたものをゼロにする存在……!?」


 だから彼女は、結論を言葉に出来た。

 正でもない。負でもない。存在するだけでゼロにするものは、ゼロの力を持ったものだけ。それは物質に溢れたこの世界において、世界そのものを『否定』する事に他ならない。

 世界を否定する力の集合体、或いはそれを生み出すもの……それこそがネガティブの正体なのだ。


「成程ね。全てをゼロに還す存在とは実にSFチック、いや、これはむしろオカルトかしら?」


「……量子ゆらぎの力を引き出し、さながら小さな宇宙を創るように、無尽蔵の力を生み出して使うのが、わたし達ミュータント。それが、進化で得たものなら、宇宙の何処かで、反対の性質を持つ生物が現れても、不自然ではありませんね」


「ネガティブに触れたら消える理由、あたし達ミュータントが触れられる理由も、対になるような存在だからですか……」


 触れた物質が消えるのは、触れたものをゼロに変えてしまうから。正だった筈の存在がゼロまで事で消えてしまった。

 対してミュータントがネガティブに触れるのは、常に量子ゆらぎから力を引き出し、通常ではあり得ない大きさの存在をから。足し算を続ければ何度ゼロを掛けられても、プラスを維持出来るという訳だ。常に能力の支配下にあるフィアの水は量子ゆらぎの力を纏うがためにネガティブを叩き潰せるが、継実達が撃つ粒子ビームは能力から離れるがために普通の物質と変わらず消されてしまう。

 そして量子ゆらぎ。どんな空間も沸騰するように常に粒子を生み出し、消えているものだが……ネガティブの通過によりこれがゼロにされてしまった。起伏のない領域へと変えられてしまったのだ。

 強烈な攻撃を受けたり、ダメージが蓄積したりするとネガティブが霧散して消えるのは、受けた力を打ち消しきれず、ゼロだった存在が有限の値まで傾いてしまったのが原因だろう。仲間と触れ合う事でダメージが癒えたのは、仲間が生み出すゼロの力により、正に傾こうとしている状態をゼロに引き戻せるから。靄のように輪郭がなくて変幻自在なのは、ゼロの存在であって物質もエネルギーもない、存在しない存在であるから。

 ネガティブを『ゼロ』の存在だと考えれば、様々な事柄が説明出来る。


「ま、なんでそんな奴がわざわざ地球に来てるのかは、流石に分からないけどね」


 勿論継実が言うように、残っている謎もあるが……それでもかなり多くの事が分かった。消滅させる力などという誤認もなくなり、正確さも増している。

 そして惑星ネガティブがどんな存在であるかも、しっかり把握した。


「で? そんなゼロの存在をどうするの?」


 把握したがために、継実はミリオンからのこの質問に目を逸らす。

 常にゼロの力を生じさせているネガティブを倒すには、プラスの力であるミュータント能力を纏った一撃……肉弾戦を叩き込んで、存在をプラスに傾けなければならない。粒子ビームなどの遠隔攻撃では駄目だ。

 つまり惑星ネガティブに直接乗り込まねばならない。

 しかしどうやって乗り込めというのか。その気になれば継実自身は宇宙空間まで行けると思うが、ネガティブ側から接近する事を考慮しても遭遇は約十五時間半後。飛び続ければその分疲れるし、十五時間も飲まず食わずではお腹が空いてしまう。そんなへろへろ状態でどうやって戦えというのか。

 現実的な到着時間でいえば一時間以内が理想だが、その時惑星ネガティブは地上九千キロ地点に位置する。秒速十五キロの惑星ネガティブであれば、この距離など十分経たずに通過だ。流石に惑星サイズの敵をその短時間で破壊し尽くすのは無理である。いや、そもそも大きさが桁違いなのだから、まともにやり合って勝てる相手ではない。

 一応、手がない訳ではないが……


「……観測した印象だけど、ネガティブがゼロの力を生み出すのは身体全体みたい。だから普通なら弱点なんてないけど、惑星ネガティブはちょっと違う。あまりに大き過ぎて、生じさせているゼロの力が場所ごとに結構ムラがある感じ。これ、そのままだと形が保てなくて、崩れると思うんだよね。だから何処かで制御している核がある筈で、その場所は中心部が最適。だからそこを壊せば……」


「バランスが保てなくなって自壊する、と。なんだちゃんと対抗策があるじゃない。黙っちゃうから何もないと思っちゃったわ」


 撃退方法を口にすれば、ミリオンはそれで納得したように語る。


「つまり、誰かがネガティブ内部に突入。直接攻撃をお見舞いして、中心部をぐっちゃぐちゃに潰す。そうすればネガティブは自壊してめでたしめでたし。うん、分かりやすくて良いわね」


 そして継実に代わって、撃退作戦を話してしまう。

 場にいた誰もが、どよめいた。されどそのどよめきは悪いものではない。希望を見出し、喜びを滲ませたどよめき。誰もがその作戦に納得する。誰もが期待する。

 ただ一人、作戦を言葉にした継実だけが表情を暗くした。

 ミリオンは継実のそんな顔に気付いただろう。気付いた上で、気にした素振りもない。まるでその心境の全てを理解したように。


「で、その作戦が出来る面子は限られる。まず、宇宙空間で空を飛べる子。この時点で該当者は二人だけ……はなちゃんとアリスちゃんだけね」


「え? 私は? 継実が行くなら私も行きたいんだけど」


「わんちゃんは宇宙空間じゃ息が出来ないでしょ。死ぬだけよ。私はそもそも呼吸してないから宇宙空間でも平気だけど、空気を加熱して推進力にしてるから真空中だと自力じゃ進めない。他はそもそも空を飛べない」


「うーん。でも大桐さん、肉弾戦が苦手なんですよね? ネガティブ相手だと危険なんじゃ……」


 ミドリの意見にミリオンは「そうねぇ」と肯定を返す。消去法でもう一人が削られれば、残るは一人だけ。


「つまり、アリスちゃんだけが頼りになるわね」


 ミリオンはその事実を告げる事に、なんの迷いもない。

 更に場がざわめく。しかし不安がるような様子はなく、皆はしばしざわめきを交わし合うと、その視線を継実に向けてきた。

 やってくれるか、という気持ちがひしひしと伝わってくる。


「……………」


 継実は頷いた。場の空気に流されたのではなく、自分の意志による動きだ。

 返事をすれば、村の全員から応援の声が上がる。誰もが気合いに満ちる。誰もが、この作戦でいこうと納得する。

 ただ一人、継実だけが狼狽えた。

 命を賭ける事は怖くない。旅の中で、日々の暮らしの中で何度も何度も命を賭けてきたし、難ならほぼ死んでいるような状態に自らなる事もあった。死は、怖くない。だからあの時、自分の意志で頷いたのだ。

 だけど――――

 心から湧き出した言葉。それを伝えようと継実は口を開けた


「……よしっ」


 が、その前に、まるで場の空気を断ち切るように花中がぱちんっと手を叩く。

 小さな拍手だったが、全員がその意識を花中に向けた。一斉に見つめられた花中は、ニコニコと微笑んでちょっと楽しげな様子。


「そろそろ、お昼の時間ですし、ご飯にしましょう……盛大に、明日の戦いに備えた、パーティーも兼ねて!」


 そして突然、少し空気を読まない発言をしてくる始末。

 けれどもミュータント達の腹がぐるると鳴き出したものだから、誰の口からも反論は出てこないのだった。

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