文化的な野生人生活10

 南極に朝がやってくる。

 とはいえ今日もまだまだ極夜真っ只中。空を照らすのは満天の星空だけだ。極夜の期間は地域によって異なるが、極点(地軸の南端または北端)に近いほど長くなる。最長で二ヶ月程度であり、海岸から離れた南極大陸の中心部に近いこの村では、そこそこ長く続くだろう。

 つまるところ今日もまた暗く、そして凍えるほどに寒い。例え雲一つない快晴であろうとも、だ。

 それでも継実は頑張って起き、村中心部である広間へと訪れた。例え目覚まし時計がなくとも、明確なスケジュールがなくとも、今日はちゃんと起きている。何しろ昨日は大遅刻をしてしまったのだ。文明社会の一員として、二日連続は流石に不味い。


「モモぉ〜……もっと、ぎゅってしてぇ……」


 ……自力では全く駄目で、モモの髪の毛で口許から足の下までぐるぐる巻にしてもらってようやくだが。自意識が殆どないという意味では、モモに助けられてもやっぱり駄目だったと言えるかも知れない。

 モモの体毛は、外側は隙間なく巻き付けていながら、内側はたくさんの隙間があり空気を蓄えていた。空気は外の冷気を遮断し、更に体毛の微振動で発する熱を保持する役目がある。寝ている時に使っていた布団よりも遥かに高品質の暖かさを提供してくれる、最高の暖房だ。

 これだけしっかり温かい格好でいながら、それでも継実の意識が完全に覚醒する気配はない。何故なら外気に触れている顔は外の寒さを感じていて、肌からの信号で冬だと思っている本能が起床を拒んでいるから。もぞもぞと身を動かすのも、寒さへの微かな抵抗でしかない。

 あまりにも情けない姿に、継実を髪の毛で巻いているモモも呆れ顔。傍に立つミドリは苦笑いを浮かべている。


「……まぁ、外には出てきたから昨日よりは良いのかしら」


「あ、はは……」


 そして正面に立つミリオンと花中も、モモ達と同じ顔を浮かべていた。


「こりゃ、昔のはなちゃんより筋金入りね。というかミュータントは割と睡眠時間少なめで平気なのに」


「うーん。余程、脳への負担が、大きいのでしょうか……」


「単に寝坊助なだけだと思うわよ? なんか昔より今の方が甘え方が激しいし」


「あー。継実さんって、そーいうところありますよね。最近だとあたしにも平気で抱き付いてきますし。あ、そういえばヤマトさんとかはもう仕事ですかね?」


「ヤマくんとさかなちゃんは狩りに行ったわよー。まぁ、二人は別行動だけどね。アイくんは子供と遊んでるんじゃない?」


 寝惚けて反論がないのを良い事に、ミリオンや花中だけでなく、モモやミドリまで好き放題に語り始める。が、四人の言葉を聞いても継実の頭は働かない。誹謗中傷なんてなものに怒りを募らせるよりも、モモの温かさを堪能する方が合理的なのだから。

 あらゆる負の感情を無視して、継実の本能は微睡みを選ぶ。いや、それだけでは終わらない。「遅刻しない」という目的を達成した頭脳は、このまま二度寝しようという本末転倒な結論を導き出す。そしてそこにツッコミや我慢が出来るほど、今の継実の理性は覚醒していない。


「ま、明日はもうちょっと頑張ってもらいましょ。さて、今日は三人に、はなちゃんの仕事を手伝ってもらいたいわ」


「わたしの仕事は、村周辺と、南極全体の観測調査、です。主に、環境変化が、起きていないか、狩猟対象の生物は、減り過ぎていないか……危険な生物がいないか。そうしたものを、調べています」


 継実は無視され、仕事の說明が始まる始末。モモとミドリが話を聞けばとりあえず問題ないとも思われているのだろう。

 花中曰く、今回は西の方に生息しているアデリーペンギンの個体数調査が目的との事。アデリーペンギンは個体数が多く、目的地のコロニーだけで百万羽が生息している。だがアデリーペンギンを主食にする恐竜類や大型獣も近隣には多数ひしめき……等々。継実達を襲ったあの恐竜が本当の恐竜だった事や、他にも多数の恐竜がいるなど新事実がさらさらと語られていたが、眠たい継実の脳は全てを聞き流す。

 ついには、こくりこくりと、継実は船を漕ぎ始めた。花中が出発し、歩き出したモモ達に連れられ、ミリオンに見送られても、まだ眠りから覚めない。やがて花中と共に村の外に出て南極の大平野を歩き始めたが、それでも睡魔には勝てず。モモ達の談笑は徐々に遠くなり、意識は加速度的に薄れていく――――


「おーい花中さーん」


 その意識を呼び止めたのは、新たに現れた第五の声。

 フィアのものだ。ほぼ睡魔に負けていた継実だったが、フィアの大声で僅かに意識が戻る。閉じていた目を開き、声がした方を見ればぶんぶんと手を振りながらやってくるフィアの姿があった。

 フィアがいた方角は継実達の南側。海がある方で、狩りに出向いていたのだと窺える。ところがフィアは手ぶらで、何も持ってきていない。どうやら仕事をほっぽり出して、花中の下に駆け付けたようだ。

 音も立てずに花中の傍までやってきたフィアは、そのまま断りもなく花中に後ろから抱き付く。抱き付かれた花中は抵抗も驚きもなく、その体勢を自然と受け入れながら、頭上にあるフィアの顔に向けて話し掛ける。


「フィアちゃん、どうしたの? エビとか、取れなかった?」


「いえいえそうではありません。実は空にみょーな気配がありまして」


「えっと、昨日話していたやつ?」


「はいそれです。それが昨日の夜よりも随分と近付いてきていましてね。しかもなんか数も増えています。今なら花中さんにも分かるんじゃないですかね?」


 フィアは大した事ではないかのように、自分が感じたものについて伝える。花中は言われるがまま空を見上げ、目を細めた。ミドリも同じく空を見上げ、モモも頭上の気配を窺う。

 そして継実も、半ば無意識に空を見る。

 未だ意識は殆どない。本能的な動きであり、何かしらの確信があった訳ではなかった。いや、或いは本能は確信していたのかも知れない。

 何故なら継実は、空に浮かぶ気配の正体を知っていたから。


「(……あれ。なんかあの気配、覚えがあるような……)」


 眠りに落ちかけていた意識が、蘇ってくる。

 それと同時に、背筋が凍るほどの寒気も。

 今も継実はモモの体毛でぐるぐるに巻かれている。なのにどんどん冷気が強くなっていくような感覚が満ち、眠気は刻々と薄れていった。

 何故、こんなに寒気がする? 何故こんなにも、本能が騒ぎ立てる?


「んー。確かに、何か来てるね。でも、なんだろうアレ……気配がする方を見ても、なんかよく見えないし……」


「空の気配は私も色々察知してきましたがこれは初めての感覚ですね。似たようなものにも覚えがありません。しかもかなりの速さでこちらに接近しています。恐らく小さい方は数分以内に辿り着くかと」


「……え。あ、複数いるの?」


「みたいですねー。あたしにも感知出来ましたよ。でもなんでしょう、アレ?」


 同じく空を見ている花中は何かを感じたようだが、危機感や恐怖心は特に抱いていない様子。継実達家族の中で一番索敵能力に優れるミドリも捉えたようだが、彼女もいまいち正体が掴めていないらしい。

 継実だけが、心がざわめいている。肌を突き刺すような寒気が、ついに意識を完全に覚醒させた。

 もう、眠ろうなんて気にならない。


「……モモ。もう大丈夫」


「ええ、そうみたいね。何か感じるの?」


「分かんない。だけど嫌な予感がする」


 意識を取り戻した事を伝え、ぐるぐる巻から継実は脱出。しっかりと自分の足で雪の上に立つ。

 能力を発動させて体表面の分子運動を制御すれば、南極の凍て付く寒さはもう辛くない。しかしそれでも身体を襲う寒気は消えず、覚醒した意識はどんどん昂ぶってくる。空を見ても星しか見えないのに、予感ばかりが強くなり……


「あれ? これ、宇宙から来て――――」


 ミドリがぽつりとその言葉を呟いた事で、継実は確信に至った。

 だからこそ、継実の身体は一瞬固まってしまう。

 自分達の頭上にいるのは、『奴等』だ。

 『奴等』がまた現れるなんてあり得ない? いいや、あり得ない事ではない。『奴等』は元々複数存在していたのだから。それこそあの時以上の数がやってきたとしても、なんの不思議もありはしない。何故またしても自分達の下へ来たのか、単なる奇跡的な高確率か、はたまた狙っているのか……理由は考えるべきだが、それは後回しで良いだろう。

 継実に続いてミドリも、気配の主が『奴等』だと気付いたらしい。今まで微笑みすら浮かべていた顔が恐怖に染まる。二人の表情から今度はモモが察し、臨戦態勢を整える。

 気付いていないのは、『奴等』と出会った事がない花中とフィアだけ。しかしもう、説明するには遅過ぎる。


「ふむ。あと十五秒で地上に到達しますね――――が此処に来ます」


 さらりとフィアが語ったように、それが地上に来るのは間もなくだったから。

 忘れやしない。星と星の間に広がる宇宙空間と同じ、光沢のない黒色の身体を。

 間違えやしない。全身がビリビリと痺れたような感覚になるほどのプレッシャーは。

 秒速十八キロの速さで宇宙空間から大気圏に突入したそれは、空気抵抗を受けているにも拘らずどんどん加速していく。通過点の空気が消滅し、存在が消えていく。そして空気を消していくほどに、その大きさは少しずつだが増していく。

 やがてそれは、南極の大地に落ちる。

 秒速五十キロ超えの超スピード。『前回』は草原の上だったが、此度はミュータント植物が繁茂していない場所への墜落だ。衝突のエネルギーは大地を揺らし、蒸発した雪と氷により作られた白煙が周囲に広がる。普通の人間がこの白煙こと爆風の直撃を受ければ、跡形もなく消し飛ぶだろう。

 爆風は村を容赦なく包み込んだ。加奈子と晴海の身が心配になるが……村の中にはミリオン達がいる。彼女達に守られて、きっと二人は無事だろう。

 それはそれとして、自分達は自らの身を案じるべきだと継実は思う。

 濛々と立ち込める白煙の中から、黒い人影がゆらり、ゆらりと姿を見せる。最初は影だと思わせて、しかし白煙の中から出てきても未だそいつは黒い。漆黒の身体で、顔も何も見えやしない。

 花中は戸惑い、フィアは興味深そうに眺めるだけ。ミドリは怯え、モモは闘争心を燃やすのに集中している。

 継実だけがそいつに言葉を掛けられる。掛ける必要などないかも知れないが……出来るのだからやっておくのが礼儀だと継実は思う。

 故に彼女は語り掛けた。


「また会うとは思わなかったよ……ネガティブ」


 宇宙の厄災に、臆する事もなく――――

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