文化的な野生人生活09

「…………………………んへぁ?」


 意識が覚醒した時、継実は『布団』の中に居た。

 布団はどうやら加工したアザラシの皮、その中にペンギンの羽根を入れて作ったものらしい。流石に人類文明全盛期の日本で売られていたような肌触りの良いものではないが、保温性に関しては抜群に優れている。とても温かな代物だ。包まれている身体はポカポカしていて、実に心地良い。此処がアザラシ皮で作られたテント内家屋内で、南極の寒空に直接晒されていないのも温かさの一因だろう。

 或いは、単純に布団の中に継実以外の、モモとミドリの姿もあるから温かいのか。

 モモは継実に抱き付いており、ミドリも布団の中で丸くなっている。二人とも、布団に入る前は寒いと思っていたのだろう。継実と密着するようにして眠っていた。そのお陰か身体がポカポカと温かである。

 普段ならここでもう一眠りするところだろう。ところが此度の継実は全くの逆。眠気がすーっと引いていく。

 何故なら。


「……気持ち悪い」


 目が覚めたのと同時に、込み上がる吐き気に見舞われたからだ。ついでに頭蓋骨の内側から締め付けられるような、強烈に重たい頭痛にも見舞われる。

 これは一体なんだというのか。痛む頭を酷使して体内を能力で観測してみると……何やら怪しげな物質を発見した。

 その名はアセトアルデヒド。

 酒類に含まれるアルコールは基本人体にとって有害なため、肝臓で分解されてアセトアルデヒドへと変化。アセトアルデヒドはその後酢酸に分解され、酢酸は水と二酸化炭素になって排泄されるのだが……摂取したアルコール量が多いとアセトアルデヒドが分解しきれず体内に長時間残ってしまう。このアセトアルデヒドにより引き起こされた体調不調が、所謂『二日酔い』だ。

 ただのアルコールなら、ミュータントの解毒能力であれば一秒と経たずに消滅するだろう。しかし清夏が作り出したのはミュータントすら酔わす超アルコール。人間でも簡単には分解出来ず、生じたアセトアルデヒドも同じく難分解性のものだったらしい。これが体内で大量に暴れ回り、体調に悪影響を及ぼしている。

 ――――と、普段の継実ならば気付くところなのだが。


「……なんでアセトアルデヒドが体内に? つか私、何時布団の中に入ったの? 歓迎会どうなった?」


 継実はお酒を飲んだ前後の記憶が、跡形もなく吹っ飛んでいた。どれだけ首を傾げたところで、ニューロンに欠片一つも残っていない記憶は戻らず。

 それでもしばらく継実は考え込んでいたが、やがて思考はぶっつりと途切れた。腹の奥から湧いてくる吐き気が、いよいよ限界に近付いてきたのである。


「(あー、こりゃ駄目だ……考え事とかこんなんじゃ無理だし、下手したら此処で吐きそう……)」


 家族を吐瀉物塗れにするのは気が進まない。家族二人を起こさないよう継実は布団から抜け出し、テントの外へと向かう。

 テントから出てきた継実は極地の寒さで身を震わせつつ、空を見上げた。

 大空に広がる星々。雲一つなく、星空だけが照らす光景は、月並みの表現だが吸い込まれるような美しさがあった。星の位置から大凡の時刻を推測するに、深夜一時か二時ぐらいだろうか。なんとも微妙な時間に目覚めてしまったものだ。

 南極の過酷な寒さに触れて、少し気持ち悪さが薄れた。今から布団に戻ってももう吐く事はないだろう。しかし眠気もすっかり薄れてしまい、二度寝する気が起きない。

 もうしばらく夜風に当たりたい。そう思って継実は夜の村を散歩してみる事にした。


「(静かだなぁ……)」


 村の住人達はすっかり眠りに付いているらしく、これといった物音は聞こえてこなかった。獣の遠吠えや風の音もなく、足下に広がる氷の大地も軋む音一つ鳴らしていない。

 完全な無音と星空のコラボレーションだ。

 ……七年前の普通の人間であれば、そう感じただろうが。


「(ん? なんかあっちから、空気の振動を感じるな……)」


 今の継実の耳はほんの僅かな空気分子の動きさえも捉えてしまう。静寂の世界において、少なくともこの付近では唯一の『音』だ。

 こうなると、その微かな音が気になってくる。

 何もかもが寝静まった世界で音を立てているのは何モノか? どうせ暇だからと、継実はその音の正体を確かめてみる事にした。能力を使えば、音の方角振動の発生源を知るのは容易い。抜き足差し足で、音がする方へと歩む。

 村は小さい。五分も歩けば村の端っこまで行く事が出来る。

 そこには一軒の、他の建物と特段変わりないテントがあった。ほんの少し明かりが漏れていて、誰かがこんな夜中でも活動を続けていると分かる。そして継実が探していた音も、空気の振動から『声』と認識出来るようになった。

 どうやらこのテントの中が、探していた音の発生源らしい。


「(誰が何を話してるんだろう?)」


 果たして声の主の正体は。疑問を解消すべく、継実はそのテントに歩み寄る。


「ミリオンさん。有栖川さん達は、どんな感じでしたか?」


「んー。そうねぇ……」


 ハッキリと言葉を聞き取れるようになった時、声の主が花中とミリオンだと分かった。

 声が誰のものかハッキリしたが、人間というのは好奇心旺盛なものである。正体が分かったら、今度は二人がどんな話をしているか知りたい。どうやら自分の話をしているらしいとなれば尚更だ。

 継実はテントの傍に陣取り、耳を傾ける。尤も、花中やミリオンであれば、自分が近くにいる事に気付いているだろうと継実は思ったが。

 ミリオンは口から「んふふ」と微かな笑い声を漏らした後、花中の問いに答えた。


「まず、三人ともそれなりには使えるわね」


「それなり、ですか」


「ええ、それなりに。狩りは問題なく出来る。着ていた服を見るに裁縫も出来る。それと狩りのやり方からして周辺の観測も出来る。人手が足りないーってなったら、とりあえず相性とか考えずに投入出来るのは強みよね」


「……逆に言うと、専門的な事は、任せられない?」


「ええ。はなちゃんみたいに料理とかの技術があれば別だけど、それもなさそうな感じ」


 ミリオンの率直な意見を聞いて、花中の乾いた笑いが聞こえてくる。

 辛口とも甘口とも取れる評価は、しかし正確なものだろう。継実だって仕事をしている時、自分達の能力がどんなものかぐらいは考えながらやっていた。ミリオンが言うように、どの仕事もそれなりに出来ると思う。花中がやっているという周辺の観測という仕事も、恐らくそれなりには出来る筈だ。

 しかしそれぞれの職に就いていた専門家達ほど、上手く出来るとは思わない。

 勿論ヤマトやアイハム、花中や清夏達はずっと自らの職務をこなしてきた身だ。だから仕事の練度が高いのは当然である。されどその練度を差し引いたとしても、皆ほど上手く出来るとは思わない。継実では身体能力に特化しているというヤマトやアイハムほど身体を精密には動かせないし、物質を自在に作り出す力を持つ清夏のような役目も担えない。花中と同じタイプの能力らしいが、しかし継実の方は身体能力型に近いらしいので、観測能力などは恐らく劣る。

 つまるところ中途半端なのだ。だからこそ何処でも手伝える訳だが、何か一つの仕事を任せるのは向いていない。むしろ下手に一つの事ばかりやらせると、万能だった成績が偏ってしまうかも知れない。それは強みを潰す行いだ。

 仕事を任せるにしても、割り振るにしても、色々気を遣わなければならない。『雇用主』からすると、実に面倒な人員である。


「ま、細かい方針は後々で良いでしょ。しばらくは色んな仕事をローテーションでやらせて、満遍なく育てる感じで良いんじゃない? とりあえず明日は、はなちゃんの仕事をやってもらいましょ」


 継実自身もそう思うぐらいだ。ミリオンの意見に、否定的な想いなど継実は抱かなかった。


「そうですか……うん。将来に期待、ですね」


「そうねぇ。人口がもっと増えた頃により価値が増すかも。ま、増える見込みがびみょーだけど。猫ちゃんが探してくれてるとはいえ、一体何人生き延びているのやら」


「あはは……小田さんが開き直って、村作りを、提案してなかったら、これが最大人数、でしたけどね」


「あの子、私らがアダムとイブになるんだよ! とか絶対思い付きで言ったわよね。悪くない思い付きだったけど。そういやあの時、ヤマトくんは小田ちゃんのおっぱいを毎日見られるってガッツポーズしてたわねぇ」


「うわぁ、それは流石に引きます……あ、でもヤマトさんって、今、立花さんと、結構いい感じらしい、ですよ」


「え。その情報知らないんだけどどゆ事? あのおっぱい魔神が、よりにもよっておっぱいが小さな立花ちゃんと?」


「さらっと酷い事、言ってますね。でも実はこの前……」


 話しているうちに、何故だか話題は雑談兼恋バナへ。仕事の話しなさいよとか、猫ちゃんって誰? とか継実は思ったが、逆説的にミリオンと花中がそこまで継実達の事を心配している訳ではない証拠と言えた。

 自分達は『住人』として役に立っている。

 その評価を理解した時、継実は自分の胸がすっと軽くなる感覚を覚え……そしてその感覚に驚いた。胸が軽くなるという事は、少なくとも自分がそうでない可能性、『役立たず』だと思われていた時の事を不安に思っていたからだ。

 花中の優しさは理解している。加奈子や晴海達とも触れ合って、ちょっと間が抜けてる程度で追い出されるとはこれっぽっちも考えていないつもりだった。しかし人を信じたいという気持ちの奥底では、疑心が渦巻いていたらしい。意外と疑心暗鬼気味な人間なんだなと、思っていたより汚い自分の心に継実は自嘲する。


「(……まぁ、安心出来たから良いか)」


 自己解析は程々に。自分の気持ちへの区切りを頭の中で言葉にした後、継実はすっと立ち上がる。

 花中達は今や恋バナで盛り上がっている。年頃の女子としては参戦したい気持ちもあるが、話題に出来るほど村の人達に詳しい訳ではない。

 何より、そろそろ話が終わりそうだ。大真面目な花中によって。


「って、定例報告する前に、恋バナで盛り上がっちゃ、ダメじゃないですか」


「あら、忘れていたわ」


「もぉー……絶対嘘だ……」


 どうやらこの夜会は、単なる夜更しではなく、ちゃんと村の仕事の一環らしい。

 こんな夜遅くまで仕事をしているとは、ご苦労な事だ。恋バナがしたいなんて些末な理由で邪魔する訳にはいかないだろう。『大人』である継実はそれぐらい分かっている。


「はい、じゃあ報告、です。とりあえず村の周りに、特筆すべき変化は、まだありません。ただ、アザラシの個体数が、減り過ぎかと」


「ふむ。まぁ、いくら繁殖力に優れるミュータントとはいえ、アザラシを一日二頭ずつ捕まえていたら一千頭程度の群れなんて簡単に食い潰すわよね」


「ええ。人数が増えて、食糧需要も増える事を、考えると、そろそろ引っ越し時、かと。次の獲物は、西にいる、アデリーペンギンのコロニーか、暖かい海沿いで、魚を取るか……個人的には、ペンギンの方に、行きたいです」


「魚の方が良くない? 猫ちゃんが大勢人間を連れてきたら、何倍も食糧の需要が増えるわよ。海産物の方が陸上より資源量が豊富だから、養える人口も桁違いになるわ」


「そうですけど、でも海沿いは、人型の怪物とか、巨大海竜がいて、危険性が高いです」


「うーん。海竜はさかなちゃんなら抑えられるけど、怪物の方は無理よねぇ。でもリスクを取らないと、無茶は通らないわよ。そもそも多少の犠牲は許容すべきだと思うけどね、野性的に考えれば」


「そうですけど、でも、人間の心理的に、犠牲者数が多いと、社会の統率が……」


 ついさっきまで恋バナをしていたのが嘘のように、真面目な話を交わす花中とミリオン。村の今後を真剣に議論する声は、正に村長と頭脳のやり取りだ。

 ここまで専門的な話になると、新参者である継実の入り込む余地などない。それに正直に言えば、恋バナほどの興味が沸かなかった。明日こそ早起きしないといけないし、等と心の中で『言い訳』すれば、此処から立ち去る事への躊躇も消える。

 踵を返し、無意味と分かりつつも抜き足差し足で継実はこの場を去ろうとした。


「あと、空が気になります」


 が、退却最中に聞こえたこの一言が、継実の足を止める。

 空、という言葉に反応して、無意識に継実は頭上を見上げた。自分のテントから出た時と大して変わらぬ美しい星空が、今も変わらず広がっている。

 二日しか見てない空ではあるが、継実の目では特段気になるものは確認出来ない。


「空? 何か飛んでたの?」


「いえ、そういう訳では、ないです。ただ、フィアちゃんが何か、妙な気配がすると、言ってました」


「あー、さかなちゃんか。あの子の感覚は信用出来るけど、詳細が分からないからどーにも対応が取れないのよねぇ……」


 後から聞こえてきた話によると、フィアの感覚の話らしい。花中が何か気付いた訳ではないという。

 継実にも何一つ分からない。恐らくここで考えたところで答えなど得られず、時間だけが過ぎるばかりだろう。下手な考え休むに似たり、とは昔の人の言葉だが、実際には考える分だけ脳はエネルギーを使っている。

 なら、素直に休む方がずっとお得だ。


「(……そろそろ寝るか)」


 開き直った継実は、自分のテントの中へと戻る事にした。村には花中やミリオンなどがいて、自分が考えなくてもなんとかしてくれるという安心感もある。

 不安を抱く事もなく、継実は自分のテントへと軽い足取りで戻るのだった。

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