文化的な野生人生活08
時は流れて、夕飯時。
夕飯時といっても、極夜の中にある南極では空の景色に変化などない。朝からずっと星空が広がり、朝も夜も明るさは変わりなかった。けれどもミュータントの身体は極めて正確だ。例え太陽光がなくとも、大凡の時刻は把握している。そして一人が時刻を把握していれば、把握出来ない者達に教える事で感覚を共有出来る。
だから村の中心に誰もが寝惚けたりする事もなく、夕食に集まる事が出来た。
「はーい。それじゃあアリスちゃん、ワンちゃん、ミドちゃんが村の一員になった事を祝して……かんぱーい!」
「「「「「「「「「かんぱーい!」」」」」」」」」
ミリオンの号令と共に、ガラス(南極付近の海底で採取した砂を原料にして作ったらしい。素人細工なので形はちょっと歪だ)で作られたコップを村の住人総出でぶつけ合う。
継実達の歓迎会がここに開催された。
仲間入りを歓迎していると、行事を通して示してくれる。それが『人間』である継実には心が震えるほど嬉しい。目の前にある、この村の住人全員で囲えるほど大きな平石の上に積まれた、山盛りのアザラシとヨコエビの肉の存在よりもずっと。
「うぉぉぉー! 山盛りの肉だぁー!」
「ぱくぱくもぐもぐもぐぼりぼり」
「肉よー!」
……一部メンバーは歓迎会よりも豪勢な食事を堪能したいようだが。モモは乾杯して一秒と経たずに眼前の肉に噛み付き、フィアに至っては乾杯すらせずに食べ始めている。とはいえ前者二体は野生動物なので、欲望に素直なのは仕方ないだろう……同じタイミングで肉に飛び付く普通人・加奈子はどうかと継実的には思うが。同じくどうかと思った晴海が加奈子の頭を引っ叩く。
なんとも自由な三人であるが、しかしながらそれは三人が素直に楽しんでいる証とも言える。歓迎されたいという気持ちは継実にもあるが、それはそれとして食事を楽しみたいとも思う。なら、三人の無作法ぶりに怒るのは、雰囲気を台なしにするだけ。
喜んでいるようで何よりと思いながら、継実もヨコエビの肉を掴み、齧り付く。フィアが捕まえてきた体長三メートルの巨大甲殻類は、ぷりぷりと弾力よある肉からエビの旨味を染み出させた。濃厚な旨味はまるで舌の上で踊るようであり、思わず目をパチリと見開いてしまうほど。
人間がより良い味を追求するために丁寧な世話や品種改良をした家畜・作物と違い、野生生物というのは基本的に美味しくない。ミュータントに至っては、天敵に食べられないためか『酷い味』の生物も少なくないほどだ。ところがこのヨコエビは珍しく普通に美味しい。天敵の少ない南極で進化した影響なのだろうか。
あまりの美味しさに、一口では物足りなくなる。継実が更にもう一口と食べていくうちに、真っ先に喰らいついた三人以外の住人も食事に手を伸ばし始めた。笑顔と談笑が周りに広がっていく。
「ふふ。仕事終わりの歓迎会になっちゃったけど、楽しんでもらえているかしら?」
そうして食事と雰囲気を楽しむ継実に、最初に話し掛けてきたのはミリオンだった。
口の中のヨコエビ肉はまだまだ味がある。噛めばもうしばらく美味さを堪能出来そうだが、口にものを入れたまま喋るのは文明人としてマナー違反だ。無論答えを返さないのも。
渋々、ごくんと喉を鳴らしてから、継実は笑顔でミリオンの問いに答えた。
「……ええ、とても。まさか今の世界で歓迎会をしてもらえるなんて、夢にも思っていませんでしたから」
「楽しんでもらえているなら、企画したこっちとしても嬉しいわ。ご飯もたくさん食べてね。残しても勿体ないだけだし」
にこりと微笑み、ミリオンは継実の傍に座った。
思えば説教されたぐらいで、ミリオンとはあまりちゃんと話していない気がする。これから同じ村で暮らすのだから、相手の事を知っておいた方が良いと継実は思う。
出来ればモモとミドリも聞くべきだろう。彼女達もこの村の住人となったのだから……と思いはするのだが、周りを見渡した継実はすぐにその考えを捨てた。モモはヤマトとフィアがヨコエビ肉の奪い合いをしている様を見て楽しみ、ミドリは加奈子と晴海と清夏の四人で女子トークをしている。ちなみに花中はアイハムと共に、彼の息子と遊んでいた。
自由な家族二名をわざわざ呼ぶ必要はあるまい。継実はミリオンと、一対一の会話に興じる事とした。
「そういえばミリオンさんと花中って、付き合い長いのですか?」
「ええ、かれこれ十年になるんじゃないかしら。さかなちゃんや小田ちゃん、立花ちゃんも同じぐらいね」
「十年……人類文明の崩壊前ですね」
「そうそう。なんかあっという間に過ぎた気がするわー……まぁ、私も結構歳だし、時間の流れを早く感じるのも仕方ないかもだけど」
「歳って、おいくつなんです? 見た目、花中達より年下なぐらいに見えますけど」
「あら、女性に歳を訊くのは失礼じゃない? ……なんてね。歳を答えて恥ずかしがるような時期はとっくに過ぎたし、堂々と訊いてきた勇気に免じて特別に教えてあげる」
そういうとミリオンは継実の耳許に顔を近付けてきた。なんだか貴重な情報にも思えたので、継実はなんとなく意識を集中。
ミリオンはごにょごにょと自らの『年齢』を伝えた。成程なぁ、と納得したのは一瞬だけ。
すぐに驚きから、思わずミリオンの顔を凝視してしまう。見られたミリオンはといえば、おどけるように身体を捩った。
「あらやだ、そんなに見ても小じわなんてないわよ? お肌の手入れは念入りにしているもの」
「いや、手入れってあなたの肌はただの集合体……」
「女は何時だって綺麗でいたいものよ」
なんの論理性もない、けれども何故か強烈な説得力を持つミリオンの言葉に、継実は返す言葉を失う。
いや、ただの言葉だけならこうも動揺はしなかった筈。
継実の動揺を誘ったのはミリオンの瞳。冗談や茶化すようでもなく、真剣な気持ちで「綺麗でいたい」という言葉を発したのが伝わったのだ。最早人類文明は消え失せ、原始の世界に帰したというのに。
野生の世界になっても、雌ではなく『女』として振る舞う。強さ故の余裕が為せる技かとも思ったが、しかし単順な強さでいえばミリオン以上の存在もこの世界には何体も存在している。ただ強いだけでこの信念を維持出来るものではない。
ある種の狂気。何が彼女をそこまで駆り立てるのか。継実が抱いたそんな疑問に気付いたように、ミリオンは妖艶な笑みを浮かべながら再度継実の耳許に寄る。
「だって、好きな人の傍で変な格好は見せられないでしょう?」
そうして告げてきたのは、まるで少女のように可愛らしい言葉。
ーーーー成程、と思った。
ろくな根拠も提示されていないのに、思えてしまうぐらい真っ直ぐな感情が伝わった。誤魔化されたなんて気持ちは一切沸かない。詳細に問い詰める気もしない。
本当に彼女は、恋をしているのだろう。
七年前まで他人の色恋できゃーきゃー騒いでいた身としては、その気持ちを疑うなんて出来なかった。むしろ本当か嘘かよりも……『誰』なのかが気になる。『恋に恋する乙女』というのはそういうものだ。
「へ、へぇ〜……と、ところでその好きな人って、誰なの?」
「うふふふふ。それはまだ秘密。もっと私と仲良くなったら教えてあげる、かも」
それとなく訊いてみる、が、これはあっさり、そして堂々とはぐらかされた。心底幸せそうな笑みまで浮かべながら。
ミリオンは乙女心のくすぐり方をよく知っている。そして間違いなく彼女は『恋する乙女』だと、継実は確信した。なんだか凄い話を聞かされたような気がしたからか、或いは恋愛話を聞かされて本能が刺激されたのか。継実は頬がかっかしてきた感覚を覚える。核弾頭の直撃を受けても、火傷どころか体温変化すら起こさない肉体だというのに。
どうにもこの熱さは我慢ならない。なんとか身体の火照りを取りたいと思った継実は、そういえばコップの飲み物に手を付けていなかった事に気付く。コップは人数分用意されていて、自分の前に置かれた分は自分の物。とりあえずこれを飲んでしまおうと、継実は手許にあるコップに口を付けた。
直後、ところでこのコップの中身はなんだろうか? という疑問を抱く。
よくよく見れば白濁していて、真水ではないように見える。コップを持ち運んだ時の振動で液体は揺れ動くが、動きを見るに少し粘度があるらしい。いや、そもそも氷点下を大きく下回る南極の外気に晒され、凍結せずに液体の状態を保っているのだ。真水である筈がない。更には少し酸味のある臭いを発していた。
しかし臭いというほど悪臭ではない、むしろ心地よい香りに思う。口に含む事への抵抗感は殆どない。そもそも歓迎会の席で出されたものなのだから、そこまで悪いものではないだろう。
「ん……変な味……なんだこれ?」
なので特段気にせず、ごくりと一口飲んでみた。酸味のある独特な香りが鼻を抜け、甘さと苦さが混在した不可思議な味が舌いっぱいに広がる。端的に言って美味ではあるのだが、このような味わいの飲み物は今まで……野生生活だけでなく、七年前の文明社会生活でも口にした事がない。
一体これはなんなのか。なんとなく気になった継実は能力を用い、成分から正体を見極めようと解析を始めた
瞬間、ぐわんと頭が揺れる。
「……はれ?」
一体これはなんだ? そう考えたのも束の間、身体のバランスが崩れ、石のテーブルに突っ伏してしまう。
身体が重い。
それに取ろうとした全身の火照りが、一層強くなった気がする。熱に浮かされたような感覚だが、しかし風を引いた時とは大分違う。気持ち悪さはなく、むしろふわふわとした浮遊感がなんとも楽しい。身体の奥底から滲み出す火照りも、寒空の中では気持ちいいぐらいだ。
悪くない気分。されどこれは一体なんだ? 疑問を抱くも『考える』という行為自体が閃かない。脳を満たす楽しさに浸り、口は無意味な笑い声を漏らすばかり。
継実の代わりに考えてくれたのはミリオン。じろじろと継実の横顔を見た後、継実の手からコップを没収。その中に入っている液体をじぃっと眺める。
「ちょっとー、アリスちゃんのコップにお酒入れたの誰よー」
それから左程間を置かず、周りに尋ねた。
お酒。その言葉の意味ぐらいは、脳機能がほぼ停止している今の継実にも分かる。
子供は飲んではいけないと言われ、その後文明崩壊により飲めなくなった嗜好品。起源は樹木から落ちた果実が自然発酵したものだとされているが、ミュータント生態系では発酵が起きるほど長い間果実が放置される事なんてない。この七年間、故意でも偶然でもアルコールの摂取はなかった。
しかし此処は村社会。人間の管理が行える環境であり、酒を作る事も可能だろう。だがアルコールはミュータントでない人間でも分解可能な物質だ。ましてや粒子操作能力を用いれば、アルコールの分解など造作もない筈なのに……
「はーい、わたしわたしー」
「って、御酒ちゃんがやったの? あなたのお酒、ミュータントでも酔わせる超強力なやつじゃない。未成年に飲ませちゃ駄目でしょ」
「いやいや。酒蔵の娘として、持て成しの席で酒を出さない訳にはいかないわ! 御酒酒蔵の味、わたしが末代まで受け継ぐんだから!」
「あれ? 御酒ちゃんも酔ってない?」
等と思っていたところ、清夏からそのような自白が。様々な物質も作り出せる彼女ならば、ミュータントさえも酔わせる特殊なアルコールを作れるのも頷ける。
……頷ける、という考えが出来るだけの余裕があれば、の話だが。ミュータントアルコールパワーにより脳みそがアレな事になっている継実には、そんな『難しい話』は一ミリも分からない。
大体現在進行系で意識が遠退いている今、思考なんて面倒臭い事はしたくない。
ゲラゲラとあちこちから聞こえ始めた笑い声を子守唄にしながら、継実は酒の魔力であっさりと酔い潰れるのであった。
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