文化的な野生人生活06

 村に建てられた、獣の皮で作られたテント。その中に入ると、そこには革製の服を着た四人の人物がいた。

 二人は年頃の女性。うち一人は栗色の髪を持った大人びた雰囲気をしていて、もう一人は炎のように鮮やかな赤髪をしている。どちらもやや吊り目気味で、顔立ちも端正な美形タイプ。顔の造形そのものは左程似ていないのだが、雰囲気については姉妹と言われたら信じてしまいそうなぐらい似ている。

 もう二人は大人の男と……彼の膝の上に乗っている子供。男の方は身長百八十センチはあろうかという大柄で、肩幅も身長に見合うほど広い。年頃は三十代ぐらいと、見た目だけなら継実が出会った村の住人の中で最年長だ。顔立ちは所謂アラブ系で、ちょっと強面に思えるが、微笑み方はとても優しい。彼の膝の上に乗っている子供は二歳ぐらいの男の子のようで、継実達と目が合うと慌てて男の背中に隠れてしまう。

 彼等がいるテントは高さ三メートル、横幅五メートルほどの広い空間だ。継実・モモ・ミドリの三人がテント内に追加で入っても、特段狭苦しさは感じない。

 室内に入った継実達三人組は、まずは栗色の髪の女子に話し掛けた。自分達が持ってきた焦げ目付きの生肉を渡すために。


「えっと、お肉を運んできましたー。あ、えっと私――――」


「有栖川継実ちゃん、でしょ? 今朝大寝坊していた」


「ふぐっ」


 明るく元気に挨拶しようとしたところ、強烈なカウンターを喰らう羽目に。事実の指摘に呻く継実を見て、モモは首を傾げ、ミドリは笑いを堪える。

 いきなり手痛い一言をもらったが、栗色の顔の女子(及び他大人二名)は笑うだけで、敵意や悪意は感じない。単純に、朝の出来事を引き合いに出しただけか。

 照れたように笑いながら、継実はぺこぺこと頭を下げた。


「今朝は大変申し訳なく……」


「ふふ。まぁ、初日じゃ色々疲れていただろうし、それに安心出来ていたんじゃない? 村の中なら他の生き物に襲われにくいって」


「……そうかも知れません」


 特に自覚はしていなかったが、言われてみればそう思える。

 今までも家族と共に暮らし、共に周囲を警戒していた。背中を預けられる仲間がいるとはいえ、夜にはどちらも寝てしまうから無防備だ。だから完全な熟睡をする訳にはいかなかったし、する気にもなれなかったが……今では村人全員が辺りを警戒し、異変がないかを確かめてくれている。そうした安心が、自分を深い眠りに誘ったかも知れない。

 ……じとーっとした目で見てくるモモは「アンタは別に一人でも寝坊助でしょ」と訴えていたが。しかし人間は印象が第一。悪印象を誤魔化せるならなんでも良いのだと継実は心の中でべろを出す。罪悪感は特にない。本質的に今の継実は人間よりも野生動物に近いので。


「あ、自己紹介がまだだったわね。私は立花たちばな晴海はるみ。大桐さんと同級生で、普通の人間をしてるわ。んで、こっちの子は御酒みき清夏せいかちゃん」


「よろしく。ちなみにわたしはミュータントよ。あと、フィアとかと違って人間扱いしてくれた方が嬉しいタイプだから、そこは間違えないでね」


 栗色の髪の女性……晴海はそう言うと、赤髪の女性である清夏を紹介した。清夏はちょっとばかりつっけんどんな言い方をしていたが、笑みは優しく、こちらを気遣ってるのが窺い知れる。

 どちらも自分の『正体』を明かしてくれたが、二人の言葉はどちらも本当だと継実は本能的に理解した。晴海は話した通り普通の人間、つまりミュータントではない。

 そして晴海がミュータントだらけの世界で生きていけるのは、清夏のお陰だろう。清夏の姿を能力により細かく観察してみれば、ミリオンと同じく小さな生き物の集合体だと分かる。ただし彼女はウイルスではなく、もっと巨大な単細胞生物のようだ。

 清夏の一部が晴海の体内にて巡回する事で、ミュータント細菌の侵入を防いでいるらしい。清夏からはミリオンほどのパワーは感じないのでそこまで鉄壁ではないだろうが、生きていくにはこれで十分だろう。

 付け加えると、まだ自己紹介をしていない男性も間違いなく『人間のミュータント』だと、継実は察している。


「で、こちらがアイハムさん。加奈子達が旅の途中で見付けて、連れてきたらしいわ。あ、ちなみに日本語喋れるからね。ミュータント化の影響で、その知識が入ってきたそうで」


「どうも、アイハム、です。よろ、しく。こちらは、息子の、カミール」


 たどたどしい言葉遣いで、男性ことアイハムは名乗る。それから息子カミールを両手で掴み、継実と向き合わせた。

 カミールは継実と目が合うと、途端にもじもじし、そっぽを向きながら微笑む。子供は野生だろうと社会の中だろうと変わらないのか、なんとも可愛らしいものだ。


「はろー。私はモモ。よろしくねー」


「あたしはミドリって言います。これからよろしくお願いしますね」


 その後モモとミドリも自己紹介。

 顔合わせを済ませたところで、継実達は持ってきた肉、それとアザラシ皮をどしんと床に置く。アイハムとカミールはニコニコ笑っていたが、晴海と清夏の顔は一瞬で引き攣ったものに変わった。


「……相変わらず生焼け未満ねぇ」


「ねー。わたしはミディアムステーキが好きなんだけどなー」


「あ、ははは」


 晴海と清夏の大変正直な意見に、心の奥底で同意していた継実は乾いた笑みを浮かべる。とはいえ二人は本気で嫌がっている訳ではないらしく、生焼け未満肉を手に取り、齧るように食べ始めた。食べる分には人間の顎の力でも可能なようで、晴海は特に苦労もなく食べている。

 アイハムも肉を食べ、息子であるカミールには小さく千切って渡している。美味しそうに、何より夢中で肉を食べる我が子の姿に、アイハムは静かに微笑むばかり。きっとこの親子のやり取りは、二十五万年前の人類誕生初期にも見られた行いだろう。

 ……アイハムがカミールの父親だとして、では母親はどうしたのだろうか? 疑問はある。あるが、『何』があったのかの想像は難しくない。詳細を知ったところで大した意味などないし、間違っていても問題は恐らくない。ならばわざわざ触れる理由などないだろう。そして気にする必要もあるまい。


「ああ、そうだ。此処ではどんな仕事をしているんですか?」


 それでもなんとなく頭の中の『話題』を逸したくて、継実は此処に来た第二の本題に触れた。

 しかし正直に言うと、なんとなく予想は出来ている。何しろ料理した肉だけでなく、アザラシの皮まで持ってきたのだ。この皮を使って何かするのは明らかである。

 そしてこの村の人達の服が、継実が手作りしたものより遥かに立派なのを見れば、『職人』が何処かにいるのは間違いない。


「私達は主に生活雑貨作りをしてるわ。例えばアイハムさんは服を作ってるの」


「私、趣味で裁縫、してましたから。両親からは、女々しいから、止めなさいと、言われてましたが……人生、何が役立つか、分かりません、ね」


「んで、わたし達はその服を作るのに必要な皮の加工担当よ。まぁ、それだけじゃよく分からないだろうから実演してあげる」


 そう言うと清夏達は早速継実達が持ってきた皮を手に取り、『仕事』を始めた。


「わたしの担当は薬液作り。皮を鞣すために必要な薬液は、全てわたしの身体から出ているわ」


 清夏は皮の上に手を翳す。するとその手から赤黒い、粘性の液体が染み出してきた。

 粘性といっても精々とろみがある程度。皮の上に落ちると『山』のように積み上がる事もなく、自らの重みで自然と皮全体に広がっていく。

 継実が能力で観測したところ、その粘性の物質はタンニンの仲間のようだ。とはいえ一般的な化合物ではない。原子に通常ならばあり得ない量のエネルギーと、電子や陽子の配列が見られる。

 恐らくこれが清夏の能力。自由に物質を作り出す能力なのだろう。これは中々強力な力だ。

 勿論強い力だろうがなんだろうが、何事も使い方次第というもの。

 皮の鞣し作業において、古来では植物から得られたタンニンを用いていたという。このタンニンが皮のタンパク質やコラーゲンと結合する事で、時間が経って腐敗したり固くなったりするのを防ぐ。ミュータントの皮となれば死んでも強力であろうから、ただのタンニンではビクともするまい。しかし同じくミュータントから生まれた超物質なら、『格』は同じだ。古来のやり方がこれで通用するようになる。


「よっ、ほっ」


 手袋のようなものを装着した晴海が、清夏が出した液体を皮に馴染ませるように広げていく。満遍なく、全体に行き渡るようにやる動きは実に手慣れたもの。一見簡単そうだが、しかしタンニンの液を均等に伸ばしていくのはかなりの技術だ。数ヶ月かそこらで身に付くものではあるまい。

 ましてや晴海はものの数分でその作業を終わらせてみせた。きっと文明崩壊後の七年間、この手の仕事をずっとしていたのだろう。所謂職人というやつだ。ミュータントとなった継実なら同じ事を、より短時間で行う事が出来るが……エネルギー効率は格段に晴海の方が上。職人技というのは、時としてミュータントを超えるのである。


「ほい、出来ました。あとはお願いします」


「任せて、ください」


 そうして加工した皮……いや、革を晴海はアイハムへと手渡す。

 革を受け取ったアイハムは、傍に置いてあった金属製の小箱を開けた。中から出てきたのは一本の針と長い糸。針は動物の骨で出来ていて、糸は動物の体毛を編んで作られたものだ。

 ちなみに革の鞣し作業を終えた晴海は、清夏の髪をもらい、紙縒りのように束ねて糸を作っている。つまり糸は清夏の身体そのものらしい。

 さて。肝心のアイハムの方だが、こちらは凄まじいの一言に尽きる。

 何しろ彼はミュータントだ。身体能力はただの人間とは比べようもないほど優れている。しかも趣味として裁縫をしてきたというから、技術についても折り紙付き。それこそ継実の目にも留まらぬ速さで服を縫い上げていく。

 かくして本当に、あっという間という以外に表現出来ないほどの速さで、アイハムはアザラシ皮から服を作り上げてしまった。無論素人の継実が作ったものより、遥かにデザイン性に優れた美しい一品。彼もまた『職人』の一人という訳だ。


「おおー、すごい……」


「はは。照れますね……はい、どうぞ。これはあなたの、服です」


 その見事な技に見惚れていたところ、アイハムは出来上がった服を継実に渡そうとしてきた。

 言われて継実は、たっぷり数秒間固まる。そんな考えはまるでなかったものだから、脳の演算を割り振るのに少々時間が掛かった。そして答えを得て、驚きのあまり飛び跳ねてしまう。


「え、ええっ!? え、く、くれるの、ですか……!?」


「はい。そのために、今日は、皮を持ってきて、もらい、ました」


「で、でも、私まだ全然皆さんの役立ってないですし……」


「私らが役に立たなきゃ衣食住も出さない野蛮人に見える? 流石にそれは心外よ」


 傷付いた、と言いたげな晴海の言い分。しかし彼女の顔は笑顔だ。楽しくご機嫌に、継実の逃げ道を塞ごうとしている。


「そーそー。もらえるもんはもらっときなさいよ」


「そうですよ! それに継実さんはちゃんと獲物を捕まえてきていますし!」


 更に家族からも促してくる状況。

 みんなに促されて、それでも断るというのも不躾な話だろう。アイハムから出来上がったばかりの服を受け取る。


「すみませんが、着て、もらえますか? サイズが、合ってるか、確認、したいの、で」


 するとアイハムからは次の要望が。

 継実は目をパチクリさせた後、周りを見遣る。モモとミドリ、そして晴海と清夏が「いってらっしゃい」と視線で語っていた。

 言われるがまま、継実は一旦家の外へと出る。南極の寒空と空気が身体を撫で、此処が『屋外』だぞと否が応にも思い知らされた。


「……周りには、誰もいないね」


 だから、思わず周囲の様子を窺ってしまう。

 普段、外で裸になる事に大した抵抗はない。七年間の野生生活で裸になった回数なんて数えきれないし、この二ヶ月の旅では殆どの期間を裸で過ごしてきた。本能的に考えれば、裸になる事に抵抗などない。裸というのは本来以上の意味などないのだから。

 しかし村の中では、人間の目がある。

 恥ずかしいという感覚は特にないのだが、人間社会にいるというだけでその意識が込み上がってきて、着ている服を脱ぎ捨てようとする手の動きを妨げた。人間社会を生きるのに必要な理性や感性は、七年間の野生生活でとうに失われていたと思っていたが……どうやら本能の下に埋もれていただけのようだ。

 三つ子の魂百までとはよく言ったもの。十年掛けて作り上げた性質は、七年の月日を経ても簡単には失われないらしい。


「(まぁ、結局恥ずかしくはないから、変わったと言えば変わったんだけどね)」


 見ている人がいないのであれば。そんな『合理的思考』にくすりと笑みを零しながら、継実は渡された服へと着替える。

 渡された服は革製の、長袖チュニックと長ズボン。

 四肢の末端というのは血流が少なく、体温が下がりやすい。また人間の場合ふくらはぎに大きな血管があるため、ここが冷えると体温低下が著しくなる(逆に熱中症対策としてはこうした部分を冷やすと効果的だが)。腕と足をしっかり覆うこの服は、アザラシ皮自体の防寒性もあって、寒さに対して極めて優秀な耐性を発揮していた。また心臓など重要臓器がある胸部や腹部の布地は分厚くて鎧のようであり、対して素早い動きを行う手足は薄く軽量化が施されている。これならば戦闘を行うのに支障ないどころか、防具として極めて効果的と言えよう。

 ついでに、デザインが結構可愛い。外側の毛を敢えてもさもさと逆立てる事で、ふわもこ系の洋服に仕立てたようだ。


「(って、デザインが最後かい)」


 七年前なら間違いなくまず可愛いかどうかを考えただろうに。これもまた変化だなと思いながら、継実はモモや晴海達が待つテントの中へと戻る。


「着替えましたー。えっと、どう、ですかね?」


 継実は部屋に戻るや、そこにいた者達に意見を窺う。

 皆、しっかりと継実を観察。興味深げだったり、「ふむ」なんて声を漏らしたり、じろじろと上から下まで眺めたり……見方はそれぞれだ。

 けれども最後は、全員が満足げな笑みを浮かべる。


「おー、なんか一気に文明度が上がった感じ」


「はい! 似合ってます!」


「良いじゃない。ちゃんと可愛いわよ」


「うんうん。あ、もっと違うデザインの服が欲しいとかあったら言ってね。出来る範囲ではあるけど、色々作るから」


 モモ、ミドリ、晴海、清夏……女子四人からは褒め言葉が投げ掛けられる。勿論とても嬉しい。四人の雰囲気からして世辞でもなさそうなので、本当に可愛くて似合ってると言ってくれているのが伝わった。


「良い、ですね。村の、一員になった感じが、すごい、します」


 ただ、アイハムの言葉ほどの衝撃は受けなかったが。

 アイハムに褒められて、継実はかちんっと固まる。最初異変に気付いたのはモモで、首を傾げていた。そして他の誰かが、継実の些細な変化に気付く事もなかった。

 何故なら継実が唐突に、ぼろぼろと泣き始めたからだ。


「ちょ、どうしたの継実!? お腹痛いの!?」


「いやなんで真っ先にそこ疑うの!? え、でもどうして?」


「わ、私、何か、変な事、言いましたか!?」


「あ、ち、違うの。その、なんでだろ」


 次々と心配されて、継実は慌てて涙を拭う。事実悲しかったり怒ったりした訳ではない。アイハムが変な事を言ったのでもない。

 ただ、今になって実感したのだ。

 自分がこの村の一員になったのだという確信が、この服と共に、備わったような感覚を……

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