文化的な野生人生活05
「あはははは! よく無事に逃げてこられたねー。ビックリだよー」
継実達の初仕事について聞いた『彼女』は、けらけらと笑いながらそう感想を述べた。
くるんと先の丸まった、可愛らしくもボリュームのある黒髪。自称二十五歳でありながら子供っぽさを感じるほど笑みが眩しく、けれどもそれが嫌味や未熟さに感じられない。
それでいて毛皮で作った服を纏う身体は、大人の魅力に満ち満ちている。ミドリほどではないが胸は大きいし、腰のくびれやしなやかな足などは、妙にエロティックで同性すらもちょっと息を飲んでしまう。肌も質感が妙に艶めかしく、なんだかいい匂いがしそうな雰囲気だ。
雰囲気としては大型犬っぽいのだが、強い色香も漂わせる大人の女性――――それが彼女・小田加奈子という人間だった。ちなみに彼女は、どうやら花中とは七年来の友達らしい。
村の中心部にて加奈子と顔を合わせている継実は乾いた笑みを浮かべる。傍にいるモモとミドリは朗らかな笑みを浮かべ、ヤマトはチラチラとぽよよんとした加奈子の胸元を見ているのに。
ただしそれは継実が加奈子を苦手に思っているからではなく、ヒョウアザラシに齧られた結果頭から血がだらだら流れていて、再生中故に疲れているのが原因なのだが。
「ええ、まぁ……なんとかお肉は守りきりましたけどね。村の近くまで来たらヒョウアザラシの奴が、すたこらさっさと逃げていったお陰で」
「でしょー。みんなミリきちを怖がって近付かないんだ。私は南極に来るまでミリきちと一緒だったから、全然生き物に襲われなくて楽なもんだったよー」
「まぁ、たまーにヤバいのがいたけどね。ムスペルとか相性悪いし」
加奈子の言葉に同意とも反論とも取れる返事をしたのは、村長ことミリオン。継実達の狩りの結果を見に来たのだ。
ニコニコと楽しげに笑い、人間と談笑を交わすミリオン。
一見して優しくて友好的であるし、実際そうなのだろう。フィアやミィと違い、平和と秩序を愛する心は極めて人間的だ。しかしだから戦いに向かないとは限らない。
ミリオンの身体から常に感じられる、圧倒的な『戦闘能力』はハッキリいって桁違いだ。これまで継実は様々なミュータントと出会ったが、正直に言えば友好的でないなら絶対に近付きたくもない。抗うだの作戦だのが通じる次元ではなく、さながら向こうは虫を踏むかのように、この村を踏み潰せるだろう。ミュータントが近付こうとすらしないのも頷ける。
だからこそ、狩りはド下手くそなのも予想出来たが。強過ぎて誰もが尻尾を巻いて逃げる生物の前に、獲物は決して現れないのだ。ミリオンに狩りに出てもらっても、食糧を得るのは難しいだろう。
ミュータントから見ても正に化け物。そんな化け物相手に、よくも『ミリきち』なんて相性で呼べるものだと、継実は少し感嘆した。
加奈子は、ただの人間なのに。
「しっかし加奈子って南極とはいえ、よく生きてられるわね。アンタ、ミュータントじゃない人間なんでしょ?」
「そだよー。だから普通なら息するだけで病気になって死んじゃうけど、ミリきちが守ってくれてるから平気なの」
「ま、私の手に掛かれば人間一人の体内で免疫細胞代わりに仕事するぐらい余裕よ」
ふふん、と自慢げな鼻息と共に胸を張るミリオン。正体がインフルエンザウイルスらしいので、恐らくこの美女の姿はウイルスの集合体だ。実際継実がちょっと注視すれば、正体である直径約
人の免疫細胞で最大の個数を有す白血球の一種好中球の大きさが十二〜十五マイクロメートルなので、インフルエンザウイルスはその百分の一未満の大きさである。体内に入れば血液と共に循環可能であるし、如何に小さくともただの人間の免疫細胞に駆逐されるミュータントではない。免疫細胞の代わりが出来るのも頷ける。
……逆に言えば、ミュータントによる『加護』がなければ、今の地球で普通の生物は生きてもいけない証明であるが。
「はい、雑談はこんなものにしましょ。それより小田ちゃん、お仕事よ」
「ほーい。ふふふ、この七年間で大桐さんから料理習ったからね! 私がみんなの分のご飯作るよー!」
自信満々に胸を張る加奈子。子供っぽい仕草に、あどけない顔立ちも合わさって、正直継実はちょっと不安が過る。
しかしそれ以上に、ワクワクした気持ちにもなってきた。何しろ誰かの料理を食べるなんて経験は、それこそ七年ぶりだ。これでどうして胸が弾まずにいられるのか。
それを口に出すのは、なんとなく子供っぽいので黙っていたが……ひょっとすると顔に出ていたのか。「すぐに作るからね!」と加奈子は継実を見ながら言ってきたので、継実は顔を赤くしながらこくりと頷く。
加奈子は継実達が持ってきた肉を抱え……きれなかったので残りを継実達に手伝わせつつ、とある場所へと向かう。
そこは村の外側に位置する場所。何やら大きな、直径二十センチほどの薄くて円形の石が二つ置かれている。
加奈子は片方の石の傍に座ると、抱えていた肉を一旦脇に置く。次いで目の前にある石を両手で持ち上げると、ミリオンに投げるように手渡した。七年前なら鈍器として使えそうなサイズの石。投げれば危険な物体だが、ミュータントであるミリオンはそれを難なく片手でキャッチする。すると石は一瞬にして赤く光り始めたではないか。
ミリオンは石を加奈子の前に戻す。そして加奈子はその石の上に、継実達が持ってきた肉を置いた。じゅうじゅうと音を立てて肉が焼ける……
いや、焼けてない。
ミュータントアザラシの肉は、ちょっと火に掛けたぐらいでは焼けないようだ。じゅうじゅう音を立てているのは表面に滴る血液。肉自体は焦げ目も付いていない。
つまるところ生肉なのだが、血が完全に焼けて音がしなくなると、加奈子は肉を二本の棒で挟み……別の石の上にポイ。
「はい、焼けたよー」
「待って待って待って待って」
それで料理が終わったなんて言うものだから、継実は思わずツッコミを入れてしまう。
しかし加奈子は継実のツッコミにこれといって反応なし。それどころか首まで傾げる始末。
「んー? なんじゃい?」
「いや、なんじゃいじゃありませんよ。これ、料理って呼びます普通?」
「料理じゃん。火を通してるし」
堪らず疑問をぶつければ、加奈子は堂々と答える。火を通してると言っているが、実際には通ってない。相変わらずの生肉である。
確かにお刺身などは生で食べるものだが、今回のものは毛色が違う。料理にしようとしたけど出来なくて、放置した出来損ないである。これを人類の叡智の一つである料理と認める訳にはいかない。
「おかしいでしょ!? 料理じゃないでしょこれ! ねぇ!?」
ついに耐えきれず、継実は周りに意見を求める。
「え!? そうなの!?」
「えっ、そうなのですか?」
「えっ。そうなのか?」
周りのモモ・ミドリ・ヤマトの畜生三匹は、キョトンとしながら調理済みのアザラシ肉を食べていたが。
成程、野生動物達にとっては生焼け(てすらもいない)肉でも十分料理らしい。多数決に一瞬で敗北した継実はもう、乾いた笑みしか浮かばなかった。
しかし諦めはしない。多数決をひっくり返す事は出来ないが、賛同者は一人ぐらい欲しいものだ。
答えを保留しているミリオンならば、或いは――――
「んー。私的には愛情がこもっていれば料理派なので、これは料理ね」
そんな期待はあっさり打ち砕かれて、継実は雪の上に突っ伏す。
……駄々をこねてしまったが、素材がミュータント由来となれば加工するにも莫大なエネルギーが必要だ。カニクイアザラシ肉がどの程度丈夫かにもよるが、もしかすると原子炉をフル稼働させても足りないような熱が必要かも知れない。それを思えば、血を焼いて香り付けするだけでも十分だと言えよう。
ワガママを言っても仕方ない。むしろ香りの付いた料理を堪能すれば良いのだ。そもそも今までの自分達は生肉どころか腐肉すら食べてきたのに、今になって何故ちゃんとした料理に拘るのか。
「(社会の仲間入りをしたからって、ないものねだりはするもんじゃないよね)」
気持ちを切り替えて、継実は加奈子が焼いてくれた肉を口に入れる。
噛めばたっぷりと血と肉の味がして、表面の血が焼けた事で香ばしさがある。端的にいって、普段食べているものよりずっと美味しい肉だった。
「うん。美味しい……凄く美味しいです」
「えへへ、そりゃ良かった」
感想を述べると、加奈子は先程までのやり取りなんて何も覚えてないかのように、心底嬉しそうに微笑んだ。
「そしたら次の仕事はねー、このお肉と皮を村の人達に運んでくれない?」
ただしそれはそれとして、新たな仕事を渡してきたが。
とはいえ継実達は今、仕事を覚えながら村の人々に自分達の紹介をするのが目的だ。新しい仕事、そして他の人と出会える機会をもらえるのは望むところ。
「うん、分かりました。で? 何処に持っていけば良いんですか?」
次の仕事の意欲を滾らせながら、継実は加奈子に意気揚々と尋ねる。
加奈子はその問いに対し、村に建てられた獣皮のテントの一つを指差すのだった。
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