文化的な野生人生活02

「それで遅刻か。少し気が緩み過ぎなんじゃないか」


 鋭い眼差しを向けてくる『青年』。苛立ちや敵意など様々な負の感情が混ぜこぜになったものを向けられ、継実は申し訳なさから頭を下げるしかなかった。モモは自分が怒られた訳ではないので平然としていたが、視線を発する目を見たミドリはビビってモモの後ろに隠れてしまう。

 ミリオンからのお説教が終わり、継実達が最初に案内されたのは村の外側。外側と言っても村の中心を形作る五件の家の『向こう側』なので、徒歩一分も掛からない場所である。そこでは屋外に置かれた大きな石をテーブルとし、青年が……椅子などないので雪の上に直で……座っていた。

 青年と継実はこれが初めての顔合わせ。いきなり敵対的な感情を向けられたなら、気分の一つぐらい損ねてしまうものだろう。しかし此度の継実は青年に対して、そこまで嫌悪感や恐怖心を抱かなかった。

 理由を挙げるなら二つ。

 一つは全面的に自分が悪いと思っているから。「朝になったら村の中心に行く」という簡単な約束すら破った事は事実である。自分のやらかしを責められて、それにキレるほど継実は未熟ではない。

 そしてもう一つの理由は、青年の容姿が一言でいえば美形だったから。

 目付きが鋭く獣のような猛々しさは感じられたが、七年前ならアイドルとしてデビュー出来たであろう端正な顔立ちをしている。アザラシの毛皮で作られた服 ― 継実達が着ているものよりずっとちゃんとしたデザインのものだ ― を着ている身体はやや細身だが、服から見える腕や足は非常に筋肉質で実に男らしい。

 強いて『男らしくない』部分を挙げるなら、身長が百六十センチあるかないかという小柄気味なところか。しかしそれを差し引いても男性として十分魅力的だし、背が低い方が好みという者もいるだろう。七年前なら、たくさんの女性から好意を寄せられたに違いない。いや、野生の本能に支配された今の世界ならもっとモテる筈だ。継実も恋愛感情までは抱いていないが、正直第一印象は悪くない。

 人は見た目じゃない。そのような戒めがあるという事は、人は見た目で判断する生き物だという事だ。容姿に好感を抱けば、些末な事は許せてしまうものである。


「んぁ? そーいえばなんで私達此処にいるんでしたっけ? というか私もう花中さんのところに帰って良いですか?」


 青年の傍にはもう一人の人物がいた。金髪碧眼の美少女……彼女は継実達もよく知る人物、フィアである。

 フィアは継実が遅刻したどころか、この集まりそのものに興味がないらしい。青年に根本的な問いを投げ掛けていた。青年は答えるのも面倒だと言わんばかりに顔を顰め、一言も答える事なくそっぽを向く。無視されたフィアは首を傾げていて、つんつんつんつん、青年の肩を突いていた。

 それでも答えない青年に代わり、継実達をこの場所まで案内したミリオンが教える。


「もう、さかなちゃんったら。此処にいるアリスちゃん達に、この村での暮らし方をレクチャーする。そういう話を昨日したでしょ」


「あーなんかそんな事言ってましたね。面倒臭いから帰って良いですか?」


「相変わらず興味がないと、はなちゃんに頼まれても半日記憶が持たないし、はなちゃん以外からのお願いは全然聞かないわねぇ……」


 何も覚えていないフィアに、ミリオンと青年は呆れ顔。やれやれと言わんばかり両者は肩を竦めた。

 昨日のうちに今朝の予定を聞かされていた継実達は、勿論これがなんのための集まりかしっかり覚えている。

 この集まりの目的は、継実との顔合わせだ。継実達は昨日村に到着して簡単な説明を受けた後、建てられていた空き家に案内され、そのまま疲れからすぐに寝てしまった。そのため村の住人とはざっと顔合わせはしたが、名前などの詳しい話はしていない。

 社会性生物は余所者をいきなり歓迎したりしない。相手の事を知り、信頼関係を築いて、そうして仲間だと認め合う。人間も同じであり、名前も知らないような奴と仲良くなるのは困難だ。文明が崩壊したところでそこは変わらないし、社会を守るためには変えられない部分でもある。

 なのでまずは村人全員に自己紹介をしよう。名前を知り、性格を知り、趣味を知り……それだけですぐに仲良しこよしは無理だとしても、一緒に暮らせるかどうかは判断出来る。そうして少しずつ慣れていき、社会の一員となるのだ――――という話になっていた。

 結果的に継実の大寝坊により、その自己紹介作戦はおじゃんになった訳だが。


「一応言っとくけど、この村の住人は彼だけじゃないわよ。他のメンバーは仕事があるから、もう自分の作業に戻ってもらってるわ。挨拶は個別にしといてね」


「はい……申し訳ありません……」


「今日の継実、謝ってばかりね。寝坊ぐらい別に良くない?」


 ぺこぺこ謝る継実に、犬であるモモが彼女なりの意見を述べる。

 犬からすれば遅刻などどうでも良い話だろう。だが人間的にはそうもいかない。いくら七年前の『現代社会』ほどキビキビとしたスケジュールはないとしても、数時間の待ちぼうけを喰らえば多少なりと怒りもするだろう。何故なら人間は予定を立てる動物であり、遅刻はその予定を滅茶苦茶にしてしまう行いだからだ。

 青年が睨んでくるのは仕方ないし、ミリオンにくどくど叱られるのも仕方ない。継実自身がそれで納得しているので、弁明などする気もなかった。


「……まぁ、さかなちゃんはいてもいなくても同じだし、好きにすればいいわ。まずは自己紹介。ほらヤマくん、ご挨拶」


「……ヤマトだ。名前から分かるだろうけど、一応日本人」


 ミリオンに促されて、青年ことヤマトはそう答える。

 自己紹介をしてもらったら、次は自分の番だ。継実はすぐに背筋を伸ばし、青年と向き合って己の自己紹介を始める。


「あ、あの、私は有栖川継実です。よろしく」


 継実は手を伸ばして握手を求める。ヤマトは僅かな間身動きを取らなかったが、継実が手を引っ込めずにいるとゆっくりとその手を握ってくれた。

 渋々といった様子だが、初対面の印象の悪さを思えば握手してくれただけでもマシだろう。第一印象を後まで引きずらない大人の対応に、継実は恥ずかしさを覚えて赤面する。

 大人といえば、彼は何歳なのだろうか? 顔立ちを考察材料にすれば、自分と同じぐらいか年上だろうかと継実は判断する。筋肉の発達具合も子供ではなく大人のそれであり、彼が立派な成人男性だと窺えた。


「あたしはミドリと言います。今日は遅くなってすみません。これから、よろしくお願いします!」


「ぅ……うん」


 されどすぐに考えは改めざるを得なくなる。ミドリが挨拶のため身体を少し屈めた時、ぷるんと揺れた胸部脂肪をヤマトが凝視していたので。返事もまるで子供のような、或いは何処か上の空。内股になってもじもじする辺り、この手のシチュエーションに免疫がない(それでいて目ン玉をひん剥いて見ているので興味津々)のようだ。

 あれは絶対高校生以上の男の反応じゃない。それでいて女子と遊ばないのがカッコいい男と考える小学生ほど粋がってもいない。目覚めたばかりの情動に正直で、だけどコントロール出来るほど慣れてもいない、男子が一番類人猿に近くなるお年頃。


「あの子、あれでまだ十四歳ぐらいだからね。胸だけで大興奮。初々しいわよねー」


 継実の予想を裏付けるように、耳許に顔を近づけてきたミリオンからそんな告げ口があった。

 成程、あの見た目で中学生か。顔立ちだけで見れば意外だが、身長で考えればむしろ納得出来る。これは弄り甲斐がありそうだ――――遅刻した事への反省は何処にやら。十歳女子のいたずら心が、十七歳になった継実の胸のうちに湧いてきていた。ちなみにヤマトはモモにもちょっと照れた様子を見せている。モモの胸は決して大きくないが、彼女は(家族である継実が思うに)大変可愛らしい美少女。顔だけで中学生の性欲が刺激されるのは無理ないだろう。

 ……自分にだけ当たりが強い事に、継実としても思う事がなくはないが。遅刻によって第一印象が悪いからか、単純に好みじゃないのか。遅刻してしまった今では分かりようもない。


「……さかなちゃんへの挨拶は、やらなくて良さそうね」


 次はフィアの番、と思いきや、フィアはぼんやりと空を眺めていた。継実達への関心を完全に失っている。ミリオンから「いてもいなくても良い」と言われ、もうこの集まりへの興味を失ったようだ。こちらが呼び掛けても平然と無視しそうな、底なしの自由さが感じられた。

 幸いフィアと継実達はそれなりの付き合い。フィアは完全に忘れているが、継実達はちゃんと覚えている。なんとか互いに名乗りあったところで、明日どころか数時間後には忘れていそうだ。なら、苦労して自己紹介をする必要はないだろう。

 かくして新入りの紹介が終わったところで、ミリオンはぱんっと手を鳴らす。私に注目と言わんばかりの仕草は、フィア以外の視線を集めた。


「はい、それじゃあ早速だけど、アリスちゃん達にはこれから職業体験をしてもらいます」


 そして楽しげな言い回しで、そう提案してくる。

 当初の予定になかった提案らしく、ヤマトが眉を顰めていた。


「……職業体験? そんな話聞いてないぞ」


「そりゃ言ってないもの、今決めたんだから。本当はみんなと自己紹介した後、向いてる仕事に参加させようと思ってたんだけど……今はヤマくんしかいないし」


「……つまりなんだ? これから俺達の仕事に連れて行け、と?」


「ごめいとー♪」


 褒めてあげると言いながら、ミリオンはヤマトの頭をわしゃわしゃと撫でる。半ばペットのような扱いだが、ヤマトはちょっと頬を赤らめるだけで反抗はしなかった。なお視線はミリオンの、意外と豊かな胸に固定されている。イケメン顔でも頭は男子中学生そのものだった。

 年齢的に女子高生である継実は、ミリオンの胸に興味などない。だからミリオンの胸を凝視する事もなく、彼女の言葉の意図に思考を巡らせられる。

 恐らく、ミリオンは継実達に色々な仕事をさせたいのだろう。それは継実達がこの村社会により早く馴染むための計らいでもあるだろうが……何より継実達がどんな能力の持ち主か知るための『試験』でもある筈だ。ミリオンからすれば継実達の実力は未知数。どの程度の仕事なら任せられるか、信じて良いか、或いは村にとって脅威となるか――――継実がミリオン村長の立場なら、様々な情報を得たいのだから。

 そうした情報を知るのに一番良い仕事は何か?


「さて。アリスちゃん達にはこれからヤマくんとさかなちゃんと共に、狩りの仕事をしてもらいます。大丈夫かしら?」


 動物と戦って食べ物を得る、狩りだろう。

 どうやらヤマト(とフィア)は村の食料採取を担っていメンバーらしい。継実達はその手伝いをする訳だ。

 継実はモモとミドリの顔を見る。ミドリは少しおどおどしていたが、モモの方はやる気満々な様子。どちらも普段の調子であり、これなら何時も通りの狩りが出来るだろう。

 継実も体調は万全。狩りを行うのに支障はない。


「ええ、私達は大丈夫だよ! ところで何を狩りに行くの?」


 継実は力強く答え、仕事へのやる気を見せておく。

 ミリオンは満足げに微笑みながら頷いた。ヤマトの方はあまり信用してなさそうな視線を送るが、これといって反論はしない。

 やがてヤマトは継実達を見つめ(ながらチラチラとミドリを横目に)つつ、少し辿々しい言葉遣いで語り出した。


「まず、俺達がこの南極で仕留めている獲物は主に二種類いる。アザラシとペンギンだ」


「アザラシとペンギンね。その二種類は此処に来た時見たし、戦いもしたよ……コウテイペンギンとヒョウアザラシだと思う。私らだけじゃ勝てなかったけど」


「……その二種類は相手にしない。というかアイツらと戦って無事だったのか。思ったよりもやるな」


 心底驚いた、という様子のヤマト。実際のところコウテイペンギンには三人で挑んでボロ負けし、ヒョウアザラシは……今思うと恐竜の気配を察知していたのだろう……途中で引き返してくれたお陰で助かっただけ。戦って無事だったとは言い難い。

 しかし相手が自分をちょっと見直してくれるのなら、それで良いと思って継実は特に訂正しなかった。嘘は吐いていないし、中学生に舐められっぱなしというのは高校生としてちょいと恥ずかしいのもある。

 尤もこんなのはくだらない意地の張り合いだ。どちらが上だの下だのという如何にも社会性動物っぽい無駄思考は一旦脇へ。今度こそ真面目に、狩りの話をしようとする。ヤマトもそのつもりのようで、すぐに話を本題に戻す。


「今日狙うのはカニクイアザラシってアザラシだ。コイツらは体長二メートルとそこそこ大きいが、能力が水中生活特化だから陸上ではあまり強くない。それに数が多くて見付けるのも簡単だ」


「獲物として魅力的な生き物って事ね。数はどれだけ仕留めるの? 寒いしみんなミュータントなら大食いだろうから、一匹じゃ足りなくない?」


「ああ、大体三匹は必要だ。つってもそこは気負わなくて良い。保存食もあるから、足りなくてもしばらくは問題ない」


 毎回そんなんじゃ困るけどな、と呟いてプレッシャーを掛けてくるヤマト。しかしそのプレッシャーは正論だ。誰かと助け合いを行えるのが社会の利点だが、自分の食い扶持ぐらいは自分で稼いだ方が良いに決まっている。

 目標三匹。家族とだけ暮らしていた時も『ノルマ』はあったが、社会生活を営むとなればこれは今まで以上に下回れない。数を勘違いなどしないよう、三匹三匹三匹と継実は言葉を繰り返す。


「うん、三匹ね。覚えた」


「良し。後の細かい事は実際にやりながら教える。準備が良ければ今すぐ出発……ん?」


 事前説明を終えて動き出そうとするヤマト。ところが彼はふと、キョロキョロと辺りを見渡す。

 彼が何を探しているのか? 答えはすぐに分かった。

 フィアだ。今までそこにいた筈の彼女の姿が何処にもない。集落とはいえ建物なんて掘っ立てテントしかなく、見晴らしの良いこの場所で姿を消したからには……何処か遠くに行っているのではないか。


「あの子、話に飽きて一人で狩りに行ったわよ」


 継実の予感は見事的中した。

 あまりにも奔放なフィアの行動。計算なんてない、本能のままの行動だろうが……自由過ぎる。

 けれどもあの自由さに比べれば、きっと多くの人間の性格はまだ『マシ』な筈。そんなフィアが、花中と一緒とはいえこの村で暮らしているのだ。此処の人達は、きっと心が広いに違いない。

 目の当たりにした野生動物の自由ぶりに大した苛立ちを覚えなかった継実は、対人関係への不安が消し飛んでくすくすと笑うのだった。

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