第十三章 文化的な野生人生活
文化的な野生人生活01
南極の朝は寒い。
言うまでもない事実である。別に朝でなくても普通に寒い(真夏でも大陸全体の平均気温は氷点下だ)し、ましてや今の時期は極夜なので太陽が顔を出す事もないので、暖まる要素などない。
勿論ミュータントとなった継実であればこの程度の寒さで死に至る事はない。普通の人間であれば二度と目を開けられない寒さの中、彼女は自然と眠りから目覚めた。
「…………………………寒い」
口から出てきたのは一切思考を介していない、本能のままの言葉。次いでもぞもぞと動いて睡眠中に凝り固まっていた身体を解し、しばし動きを止め、それから起き上がる。
すると、ぱさりと、継実の身体の上から何かが落ちた。
音に反応して無意識に振り向けば、床に一枚の『布団』が落ちていた。布団といっても文明的な代物ではなく、もふもふとした毛皮を四角形に切り取っただけのもの。しかしどれだけ原始的でも、明らかに人為的な加工を施した物品には違いない。
それによく見れば周りも文明的なものに囲まれていた。動物の皮を何枚も継ぎ接ぎして作られた屋根と壁、それらを支えている長さ二メートルはあるだろう巨大な柱……型に加工された骨、床を覆い尽くすように敷き詰められた獣の毛のカーペット。決して近代的とは言えないし、電気すらないが、明らかに文明的な品の数々が確認出来る。
それはこの七年と数ヶ月、継実が求めていた存在を示すもの。
……しかし今の継実が求めるのは、暖かい場所だった。彼女は寝起きが弱いのである。寒いと特に。
「んにゅ……モモぉ〜……」
暗くてよく見えない(能力を使えば簡単に見通せるが、そこまで頭が働いていない)中を手探りで進み、やがてもふもふとした手触りの物体に触れる。暗闇の中でも使わなかった能力をここで発動。分子レベルで触れた物体を解析し、それが愛する家族・モモの毛である事を確かめた。
ミドリと初めて一緒に寝た時、無意識に甘えた事で恥ずかしい想いをした。だが有栖川継実に二度目の失敗はない。今では本能レベルで触れたものがモモかどうかを確かめ、対象をちゃんと選んだ上で甘えているのだ――――眠気でほぼほぼ機能停止中の継実の頭は、高度な無駄行動に、見事な理屈を並び立てる。
そうしてモモである事を確認してから、継実は寝ているモモの身体に抱き付いた。腕だけでなく脚も絡め、ぎゅうっと強く、そこにある温もりを堪能する。
そして温かいと、また眠くなる。
「おーい、継実ぃー? 今朝はちゃんと起きないと駄目なんじゃないの?」
うとうとし始めたところで、圧迫により目覚めたモモからそんな問いが投げ掛けられた。しかし頭の働きが鈍くなっている継実は、その言葉の意味が分からない。それどころかこうも思う。一体何が駄目だというのか。自分達は野生の獣であり、時間なんかに縛られやしないのに。
自らの正当化は一ナノ秒で完了。反論も(一ミリ秒以内に)なかったので、寝惚けた脳は自分の言説が(口に出してもいないのに)受け入れられたと解釈した。正義の快楽もプラスされて微睡んだ脳に、眠たさに抗うなんて『理性的』な思考が過る筈もなく。
「ぐぅ」
呆気なく、再び眠りに落ちていくのだった。
今日は早起きしないと駄目だよと、モモと同じ事を言う、睡魔に押し潰されていた理性の悲鳴に一切耳を傾けずに……
「ふぅーん、それで寝坊した訳ね」
「はい……ごめんなさい」
かくして二度寝してから数時間後。継実は目の前の『女性』の言葉に深々と頭を下げるしかなかった。
継実の前に立つ女性は、真っ黒なレディーススーツを着ている。中のシャツやらなんやらも全部黒く、デザイン上は間違いなくスーツにも拘らず、まるで喪服を着ているような印象を見る者に与えるだろう。
身長は百七十センチに満たない程度と継実より小さい。しかし顔立ちは大人びており、二十歳前後の年頃に見えた。黒い瞳と髪には一切光沢がなく、青白い顔色もあって生気が感じられない。こういうのはあまりにも失礼だろうが、一言で例えれば……死体が動いている、という表現がこの女性への印象を表すのに最も適しているに違いない。
この女性の名はミリオン。花中の長年の友達の一人であり、フィアと同じく人間ではないらしい。
そして此処、二ヶ月の旅路を経て継実がついに昨日辿り着きいた目的地……南極に作られた人間の集落の『村長』だ。人間じゃない存在が人間達の纏め役をしている事に違和感を覚えなくもないが、花中曰く村の中で一番事務仕事が得意で、更に税制や刑法などの法律関係や科学全般にも詳しいらしい。なんで人間でもないのにそんなに詳しいの? と思わなくはないが、適材適所ならば仕方ない。何より犬と家族生活をしている継実にとって、人間以外のモノが村長をしていてもあまり思う事もなかった。
だからこそその人外に説教されても、それが正当な指摘であれば逆ギレなどしない。
「説明する事が多いから、今日は朝早くから来てねって話したわよね? 確かに時計なんてないし、極夜だから太陽もないから正確な時間が分からないのは仕方ないわ。でもあなた達人間の能力なら星を見れば凡その時刻を計算出来るし、あなたも早起きぐらい出来るって言ったからそうスケジュールを組んだのよ。なのに昼間まで寝てるのはどうかと思わないかしら?」
「はい……どうかと思います……ごめんなさい……」
「……なんてね。厳しい事言ったけど、昨日まで野生人だった身だからある程度は仕方ないわ。それに社会といっても七年前ほどちゃんとしている訳じゃないから、数時間の遅刻とかざらだし、そんな朝からやる仕事もないのよ」
本心から反省してしょぼくれる継実に、ミリオンは優しい言葉を掛けてくれた。それからミリオンは背筋を伸ばすと、辺りを見渡せと促すように視線を継実から逸らす。
無言での促しに継実は大人しく従う。そうすれば、自分の周りにある『集落』が見えた。
継実の背後にある、高さ二メートル程度のテント。それがこの辺りには幾つも建っている。幾つもと言っても数はたったの五件で、村と呼ぶにはあまりにも質素だろう。しかし複数の住居が並ぶ様は村と呼ぶ他なく、何より家を別々に分けている集団……数多の『家族』が同じ空間で暮らしている状況は、社会と呼ぶに相応しい。
此処は(本来ならば朝集合する筈だった)村の中心部。そして継実が今日から生きていく、新しい社会だ。
ミリオンは継実の野生生活を考慮して、仕方ないと言ってくれた。実際近代文明から離れた原始的な社会では、日本人のような分〜秒単位のスケジュール管理が普通となった人間には、どうやって暮らしているか理解出来ないほど色々な部分がルーズだ。仕事の時間も定まっていないし、所有権すら曖昧だったりする。
そういう意味では、確かにこの『原始的』な村では数時間程度の遅刻などざらであろうし、朝からキビキビと働く事もない。しかし社会生活を気持ちよく行うには約束事をちゃんと守る必要がある。無用なトラブルや悪印象を避けるためにも、早起きぐらいはしなければなるまい。
「うん。反省してるなら良いわ。お説教はこれぐらいにしておきましょ」
未だしょぼくれている継実を気遣ってか、ミリオンはそう言って説教を終わらせてくれた。
花中は人外だと言っていた ― 正体はインフルエンザウイルスらしい ― が、話の流れや人間への理解、そして気遣いの仕方は人間以上に人間染みている。ミュータント生物と話している筈なのに、本当の人間と全く区別が付かない。自分の家族であるモモとは大違いだ。
「継実〜、話はもう終わったー? そろそろお腹空いたんだけどー」
「継実さーん。まだですかー?」
……ちなみにその家族であるモモは、怒られている継実の後ろでぐでぐでと座り込んでいた。モモの後ろにはミドリがいて、モモの頭と首元を撫で回している。
この二人にミリオンはお説教をしていない。モモは犬だから時間にルーズなのは仕方ないし、ミドリはこっそり一人で起きて時間通りにミリオンと顔合わせをしていたからだ。だったらその時起こしてよ、とも思ったのだが、ミドリからは予め「あたしは何度も起こしましたからね」と言われてはぐうの音も出ない。怒られるのが自分だけという状況は、致し方ないものだった。
「うふふ。ご家族からも催促されてるし、そろそろ今日の『仕事』を始めましょうか」
「……はい。よろしくお願いします」
ぺこりと、継実は深々とお辞儀。継実の礼を見てミリオンは優しく微笑む。
社会生活の一員となるための条件は、社会や時期によって様々だろう。人種や宗教で制限を行う時もあるし、過酷な状況に置かれたなら年齢や性別で排除する時もある。余裕があれば障害者を受け入れる事もあるし、偏見がなければ同性愛者や異教徒だって受け入れられる。一概にどうこう言えるものではなく、環境や社会規模次第でどれが正しいかは変わるものだ。
それでも一つだけ共通する条件があるとすれば――――集団に利益をもたらす者、というのは確実だ。社会生活を乱す犯罪者は処刑、生産活動をしない無職は穀潰しとして追放される。犯罪者の更正や、無職に対する生活保護や就労支援は、社会にそうした人々の面倒を見る余裕があるから出来る制度。継実が暮らす事となったこの集落の詳細は知らないが、ミュータントが跋扈する世界にそんな余裕があるとは思えない。
ここは役立たずは暮らしていけない社会。自分が社会にとって有益である事を示し続けなければ、追放されてしまうかも知れない。なんとも『非人道的』に思えるが、それは余裕のある文明社会人が上から目線で出す意見だ。原始の生活には、それに適したルールがある。
そして社会にとって利益のある行為を『仕事』と呼ぶ。
今日から継実はこの集落での生き方について、色々な事を学ぶ。全てが上手く出来るとは限らないだろう。或いは失敗ばかりで、ここの住人として認めてもらえないかも知れない。
良くない考えは幾らでも浮かんでくる。それでも継実はワクワクが止められない。
七年ぶりの文明社会にして、生まれてはじめての『大人の仲間入り』なのだ。これで興奮しない訳がない。十七歳になれども、彼女の社会生活は小学校中学年で終わっているのだから。
「……よーし、頑張るぞー!」
溢れ出す感情のまま腕を高く突き上げ、大きな声で気持ちを表す。
それを見ていたミリオンのくすくすという笑い声を聞いて、継実は自分が『社会』にいる事を思い出し赤面するのだった。
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