凍える大陸16
「生きてるーっ!」
「いきふぇふー!」
「生きてるぅー!」
ミドリとモモ、そして継実の元気な声が、南極の大地に響く。
三人全員が満面の笑みを浮かべ、己の身体から溢れる活力を示す。モモは生肉を口いっぱいに頬張っていて、食欲も同じく湧き出している事を露わにしていた。足取りは力強く、三人全員が自らの足で前に進む。
七年前の人間達が見たなら、きっと驚愕するだろう。ほんの数時間前まで三人とも、人類の医療技術では手の施しようがない重体だったのだから。継実に至っては肺や心臓、更に下半身そのものを失った状況だった。
しかし今の継実は、肺も心臓も下半身も揃っている。ミドリはぐちゃぐちゃに潰された右半身が元通りになっているし、モモも(継実も気付いていなかったが)骨折と内臓破裂からすっかり回復していた。
「ふふっ……皆さん、元気になって良かったです」
「そうですか。私的にはどうでも良いですが花中さんが嬉しそうなら何よりです」
これも全ては、継実達を治療してくれた花中と、恐竜を追い払ってくれたフィアのお陰だ。
花中の施した治療は、文明人が思い描く『治療』とはかなり異なる。モモに対しては粒子操作能力を使い、元素レベルで体組織を再建した。骨折した骨を修復し、破裂した内臓を復元し、神経を繋ぎ直したのである。継実とミドリに関しては、人間のミュータントは再生力に優れているので花中が自身の身体の栄養素を二人に注入。細胞増殖を促す事で身体を再生させた。
もしも花中とフィアが助けてくれなければ、継実達全員が死んでいただろう。最後の最後で助けてもらったのは、ちょっとばかり恥ずかしくもあるが……結果良ければ全て良しが自然界。命があるのだから問題なしだ。
何より、ようやく人間の社会と出会える。
「いやー、やっと人間と出会えるわねー」
「楽しみだねー」
モモと継実はそんな会話を交わし、継実に至っては湧き上がる嬉しさで思わずスキップをしてしまう。ミドリもニコニコと、満面の笑みを浮かべていた。
継実達三人はそんなにも楽しい気持ちでいたのだが……ところがどうした事だろうか。
何故か、花中が暗い顔をしている。
「? どしたの?」
「……皆さんに、話さないといけない事が、あります」
「話さないといけない事? 何か、人間に会う前にやんなきゃいけない事でもあんの?」
モモが首を傾げながら尋ねる。花中の反応は、未だ暗い。
何故そんな暗い顔をしているのか? フィアが何か知っているのかと思い継実は横目で窺ってみたが、フィアはなんにも考えてなさそうな間抜け面をしている。どうやら当てにならないようだ。
仕方ないので、大人しく花中の言葉を待つ。花中は躊躇うように何度も口を開けたり噤んだりしていたが……やがて息を大きく吸い込むと、喉奥に引っ掛かっていた言葉を吐き出す。
「まず、此処南極に……定住を試みた『人間』は、全員死んでいます。わたしとフィアちゃんが辿り着いた、一ヶ月半前には」
旅の目的を、根底からひっくり返す言葉を。
継実達の笑顔が凍り付く。段々と笑みが消えて、乾いた表情へと変わった。声も出なくなり、淡々と、花中達と共に歩くだけとなる。
それでも、ちゃんと聞かなければならない。継実は心の奥底で囁く理性に従う。
「……それは、感染症でみんな死んでいたって事?」
「はい。わたしが出会った、人達以外にも、相当数が暮らしていた、みたいです。大きな施設が、残っていました……殆ど残骸で、遺体は、残っていませんでしたけど」
「ああ、みんな腐って分解されたって訳か。施設が残っていたのは、食べられないものだったからかな。生き物が少ないなら、戦いの巻き添えで吹き飛ぶ事もないだろうし」
納得したように継実が語れば、花中はこくりと無言で頷く。
――――正直に言えば、そうだろうなという想いが継実にはあった。
継実の能力を使えば、空気中にどれだけの細菌がいるかは簡単に分かる。確かに熱帯や草原、海上などと比べて南極は大気中の細菌数が格段に少なかった。少なかったが……完全なゼロではない。
ミュータントの力は絶大だ。人間サイズの生き物が一つの島を滅ぼし、十メートルを超えれば大陸に傷跡を残す。細菌達の強さも同様であり、ただ一匹でも入れば『普通の人間』は簡単に死に絶える。
やっぱり、この星に普通の人間が暮らしていける場所なんて、もう残っていなかったのだ。とっくの昔に分かっていた事を、今になって思い知らされただけ。
「(……思ったより、ショックは大きいなぁ)」
尤もそれで平静を装えるほど人間のメンタルは強くない。継実は片手を顔に当て、小さくないため息を吐いた。
……それでも、この旅が無駄なものだったとは思わない。世界を見て回り、様々な生き物と(友好の有無は兎も角)触れ合った思い出は、心の糧になるものばかり。何度も死にかけていながらこう言うのは少々常軌を逸しているようにも思うが、どれも『楽しい』思い出だ。
「(それに、まぁ、花中と一緒に暮らせば良いかな)」
旅が終わった後、花中達がどうするつもりかは分からない。しかし花中達にとっても南極は旅の終点だ。もしも此処に定住するのなら、一緒に暮らした方が色々便利だろう。
或いはまた旅をするかも知れない。元々花中は昔一緒に暮らしていた友達と合流するため、迷わず行ける目的地として南極を利用していた。こう言うのも難だが、人間探しは『ついで』である。もしも花中がまだ友達と合流出来ていないなら、今度はその友達を探しに出るかも知れない。フィアは嫌がるだろうが、また同行を申し出るのも悪くないだろう。
前向きに考えてみれば、自力で少しずつ笑みを取り戻せる。ミドリやモモの顔にも自然な笑みが戻り始めた。歩みも力を取り戻し、どんどん南極の奥地へと進んでいける――――
「(ん? そういや私ら、何処に向かってるんだ?)」
人間が南極にいないなら、集落なんてない筈だ。施設は残骸が残っていたと言っていたので、そこに向かっているのだろうか?
ふと抱いた疑問。そこに考えを巡らせていると、不意に花中が駆け出した。とはいえ速い訳ではなく、早歩きと大差ないスピードで。
ほんのちょっとだけ継実達よりも先に進んだ花中は、くるっと回るように振り返った。後ろ歩きを始め、継実達の目を見つめながら大きく両腕を広げる。
「……さぁ、見てください。この先を」
「この先?」
何があるのか? 疑問を抱いた事もあって、継実は素直に従う。すると地平線の彼方にぽつぽつと、無数の影が見えてきた。
遠くて正体は不鮮明。肉眼での確認は困難である。
ならば目の機能を少し変えてしまえばよいのだ。早速継実は能力を用いて眼球内のレンズ構造を変化させ、花中の背後に存在する何かを凝視し――――
それが見えた瞬間、継実の足が止まった。
突然立ち止まった継実を怪訝に思って、モモとミドリも立ち止まり、継実の方を見てくる。けれども今の継実は、そんな視線にすら気付けない。気付かないほどに、目に映った光景に継実の心は奪われていた。
「……え。いや、待って……だって、今……」
「ええ、そうです。わたしが到着した、一ヶ月半前よりも、ずっと前に、南極に定住しようとしていた人達は、亡くなっていました」
唖然とし、文章になっていないような言葉を漏らすばかりの継実。しかし花中は継実が何を言おうとしているか察し、その疑問に答える……優しい笑みを浮かべながら。
「でも、わたしが此処に辿り着いた後に、やってきた人達が、此処にはいます」
そして花中がそう言った瞬間、継実は走り出していた。
地平線までの距離は約五キロ。継実の全力疾走であれば二秒で辿り着ける。だが今の継実の心にとって、二秒という時間すらあまりに煩わしい。もっと早く、もっともっと早くと念じ、四肢が千切れんばかりに振るって限界以上の速さを出そうと力を振り絞る。
やがて継実は地平線の傍まで辿り着き、今まで自分が見ていたものの正体を視認した。
ずらりと並んだ、人間達の姿を。
二十代ぐらいの女性が二人、十代ぐらいの男が一人、三十代ぐらいの男と彼が抱えている赤ん坊が一人ずつ……年齢も性別も容姿もみんなバラバラ。なんの共通点も見られない。浮かべている表情も様々なので共通された認識を持つ『組織』でもないだろう。
千差万別な人々が、そこには立っていた。
「人、人が……!」
「総人口わたし含めて六人。どうやらわたしの友達が、あちこちに、言い触らしていたようで。変に期待させないでって言っておいたのに……お陰でわたしが此処に来た後、こんなにもたくさん、集まって、しまいましたよ」
唖然とする継実に花中はそう説明する。確かに花中は、「わたしが来る前」までに定着していた人間が死滅した、としか言っていない。花中が来た後については一切触れていなかった。初めて出会った時もちょっと思ったが、意外とこの人意地悪だ。しかしそんなのはもうどうでも良い事である。
たった六人。継実を入れても七人。
村として見てもあまりに少ない人数。たったこれだけでは社会どころか、生物種として存続するのも大変だろう。だが、数は問題ではない。そこに人間がいるという事実さえ変わらなければ。
もう、何処も目指す必要はない。
継実達の旅は、ここで終わりとなるのだった。
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