凍える大陸15

 黄金の閃光、と称したが、正確にはそれは光などではなかった。

 揺らめく金色の『髪』だ。体長、いや、『身長』と同じぐらい長く伸びたそれが、超高速で飛んできた際の軌跡がそう見えたのである。軌跡は真っ直ぐ、なんの迷いもなく直進し……親恐竜へと突っ込んでいく!

 親恐竜はすかさず尻尾を振った。正しくは振っていた、と言うべきか。継実にはその動きを目で追う事など出来ないし、ましてや気配を察知する事も出来ていない。

 だが、黄金の閃光……は、その尻尾を殴り付けていた!


「ゴロッ……!」


 殴られた衝撃で親恐竜の尻尾は弾き返された。呻きも漏らし、爬虫類顔を苛立ったように僅かながら歪ませる。

 対して人影は、殴った際の反動で止まったらしい。くるくるとバク転するように回りながら落ち、軽やかに雪の上に着地。威風堂々とした立ち姿で、その容姿を継実達に披露した。

 そして『彼女』の姿を見た継実は、驚きから固まってしまう。

 黄金に輝く長髪。宝石のように青く、澄み切った瞳。美少女以外の表現が見当たらない、人形のように整った顔立ち。不遜にして可愛らしい微笑み……二ヶ月前に出会った時となんら変わらない姿だ。継実の記憶違いもあり得ない。彼女達との出会いが、この極地を訪れる事になったきっかけなのだから。

 或いは幻覚ではないか? 死に瀕した自分の脳が、苦痛と恐怖を和らげるために脳内麻薬を狂ったように吐き出し、シナプスの情報伝達に異常が生じたのではないか……

 あまりの想定外にそう考えたのも束の間、これが『現実』であると即座に理解する。


「ふっははははははは! 久しいですねぇ大トカゲ! まだ生きていましたか! 子供も随分大きくなったようで!」


 全身がびりびりと痺れるような、自信に満ち過ぎて溢れ返るような大声をその少女は発したからだ。

 確信する。此処に居るのは彼女だ。彼女が来てくれた。考えてみれば当たり前であろう……自分達が二ヶ月で辿り着けた旅路なら、彼女達であればもっと早く終わらせ、とっくの昔に南極を調べ尽くして定住しているに違いない。

 だから継実は、再生させたばかりの肺と喉でその名を呼ぶ。


「ふぃ……フィア!?」


 二ヶ月前に出会った、出鱈目ミュータントの名を。

 名前を呼ばれた金髪碧眼の美少女――――フィアはくるりと継実の方を振り返る。久しぶりの再会に継実は笑みを浮かべた、が、フィアはこてんと首を傾げる。


「あん? あなた誰です?」


「え?」


 冗談抜きに知らないと言いたげな顔で尋ねてくるフィアに、継実もまたキョトンとしてしまう。

 たった二ヶ月前に数日間寝食を共にしただけでなく、試験と称して激しい戦いもしたのに、それを完全に忘れたのか? 悪い意味でとんでもない記憶力に混乱してしまう継実だったが、されどすぐに思い出す。

 そういえばこの魚類、自分の『親友』以外殆ど興味すらなかったな、と。


「おおっと今はあなたなんてどうでも良いですね。頼まれた事をやりませんと」


 それは今も変わっていないらしい。自分の事を知っている存在を「どうでも良い」の一言で切り捨てるや、再び親恐竜と向き合う。

 フィアと親恐竜の間には、なんらかの因縁があるのだろうか。親恐竜は継実達を相手した時とは違い、全身から途方もない力を放っている。つまり能力によって気配を隠すのを止めたのだ。

 どんな能力にもエネルギーは使う。気配を消すために使っていたエネルギーがどれほどのものかは分からないが、その分の力を身体能力に回せば大きな力となるだろう。獲物相手なら逃してしまう危険が生じる諸刃の剣だが……強敵相手ならば、一切のデメリットがない。

 子恐竜は親恐竜から離れる。子供も知っているらしい。これから始まる戦いが、どれほど苛烈なものであるかを。

 そこでふと、継実は思う。

 フィアは、今にも死にそうなぐらい傷付いた自分達の事を気遣って戦うだろうか?


「(いやー、駄目だろうなこりゃ)」


 一片の期待も抱かず、継実は諦めた。やっぱここで死ぬらしい、と。

 予想通りフィアは継実達の安全など気にしていないらしい。身動き出来ない継実やミドリなど気にも留めないまま、傾けた身体を前へと進ませた

 直後、継実の身体に衝撃が走る。

 ただしその衝撃は柔らかなもの。抱きかかえるようにそっと身体に巻き付き、けれども慌てて運び出すように力強い。両手両足を失った継実に抗う力などないが、そもそも抗おうという気持ちにもならない……優しさを感じる感触だ。

 そして気付けば景色が変わっていた。

 遥か数百メートル先に、今まで数メートル先にいた親恐竜の姿があり……その親恐竜の顔面を真っ正面から殴る、フィアの勇姿が見えた。普通の人間の目では輪郭ぐらいしか見えないだろうが、能力で光の解析を行える継実であれば何百メートル離れていようと視認は簡単だ。無論、その後の顛末も含めて。

 フィアの打撃によるものであろう衝撃波白い靄が親恐竜の背後数キロに渡って広がるも、親恐竜は即座に反撃として爪を立てた拳をフィアに打ち込む。如何に非常識なフィアでも空中で静止する事は出来ず、核爆発と呼ぶのも生温い轟音と衝撃波を撒き散らして彼女は地面に墜落した。尤もこの程度で致命傷になるミュータントではない。きのこ雲染みた雪と水蒸気が舞い上がる中、巨大な水の触手が伸び、親恐竜の脳天を殴り付ける。打撃の衝撃は、とりあえずきのこ雲が出来上がるほどだった。

 しかしやはり親恐竜もただではやられない。反撃とばかりに尻尾でフィアを叩こうとした、が、フィアはこれを跳躍して回避する。目標を外した尻尾は南極大陸に打ち込まれ、地を埋め尽くす氷床を何キロにも渡って粉砕。割れた氷が何十、何百メートルと浮かび上がり、地形を大きく変えてしまう。

 世界の終わりをも予感させる、破滅的な戦い。ミュータントとなった継実でも一秒といられる自信がない、出鱈目な戦いが繰り広げられている。本能が此処から逃げ出せと警告を鳴らしていた。

 しかしそれよりも、継実の理性には優先する事がある。

 自分を助けてくれた者に、感謝と――――再会の挨拶をする事だ。


「か、なか……!」


 フィアと同じく二ヶ月ぐらい前に出会った人間・大桐花中。小学生のように小さな身体の彼女が、身体の半分も残っていないような継実を優しく抱きかかえていた。

 彼女の着ているふわふわもこもこの白いダウン(実に文明的な服装だ。能力で作り出した代物だろうか)が、肌に触れると柔らかでとても気持ちいい。しかしそんな感覚とは別に、暖かな気持ちが胸から湧き出す。その想いが喉を詰まらせ、声が出せない。

 彼女の名前以外の言葉が出てこない継実に、花中は優しく微笑んでくれた。


「有栖川さん。お久しぶり、です。よく、ここまで、辿り着けましたね」


「あはは……いやぁ、どうかな。二人が来てなかったら、ここで死んでただろうし」


「運も、実力のうちです。あ、それと他のお二方も、救助済み、ですよ。有栖川さんが一番、元気だったので、最後にしてしまって……」


 花中が視線を向けた先には、ミドリとモモの姿がある。どちらも目を閉じ、気絶している様子だ。確かに二人と比べれば、口から粒子ビームを撃ってやると息巻いていた自分が一番元気だと継実は納得する。

 無論、あくまでも今は危険な場所から離れただけ。二人の身体にどれだけのダメージがあるかは不明だが、早く治療をしなければ危険かも知れない。とはいえ治療をするには多少なりと安全に作業出来る環境が不可欠。


「あとは、フィアちゃんが戦い終われば……」


 それが何時になるかは、フィアの活躍次第だ。


「ふんっ!」


 遥か数百メートル離れていようとも届く、気合いのこもった掛け声。それと共に繰り出された巨大な水の触手が、親恐竜の胴体を殴り付ける。

 あの触手一本で、一体どれだけの質量があるのだろうか。継実の粒子ビームもモモの超電磁キックも通じなかった親恐竜が、触手に殴られただけで突き飛ばされた。巨体が雪原に叩き付けられ、衝撃で白煙が舞い上がって辺りを飲み込む。


「ゴロガアァッ!」


 されど白煙が存在していたのは僅かな時間だけ。親恐竜が力強く咆哮を上げたのと同時に、周りに衝撃波が広がる。降り積もったばかりの若い雪は吹き飛び、地下に積み重なった氷が割れて捲れ上がった。

 この大声でフィアの動きが僅かに鈍る。無論放たれるパワーに圧倒されたのではなく、咆哮により生じた衝撃が彼女の動きを阻んだのだ。その隙を付いて親恐竜は、長く伸びた尻尾をフィアに向けて叩き付ける。

 尻尾の一撃は凄まじく、叩き付けるための動きだけで空気が刃のように放たれた。雪と氷を切り裂き、数十キロにも渡って大地に傷跡を刻む。それほどの破壊力を持ちながら、しかし親恐竜にとっては手数を優先した技らしい。目にも留まらぬ速さで何十何百何千と繰り出されていく。

 しかし何より特筆すべきは、それだけの力を発揮しながら、未だ継実には『気配』が感じ取れない事だろう。能力によって消されているのだ。予備動作で攻撃のタイミングや軌道を予測する事は出来ず、それでいて格上のパワーから生じる神速は生半可な動体視力では捉える事すら許さない。もしも継実がこの攻撃を前にしたら、恐らく回避も防御も取れず尻尾に叩き潰されてしまうだろう。

 だが。


「小賢しいッ!」


 フィアはこの技に反応する。

 迫りくる尻尾の一撃を、フィアは拳で殴り付けて止める。殴り返された尾は即座に次の攻撃を行うが、やはりフィアはこれに反応。継実では認識すら出来ない、認識しても反応出来ない攻撃を次々と捌いていく。

 フィアには親恐竜の攻撃が見えているのか? 本気を出していない時でさえ、親恐竜の攻撃は継実どころかモモさえも反応が間に合わない速さだったが……フィアのインチキ戦闘力を思えば、それが出来ても不思議ではないように思える。むしろそれこそが自然だ。気配のない攻撃に対処する唯一の『正攻法』は、動体視力と反応速度で見切る事だけなのだから。

 等という継実の論理的な考えは、すぐに改めざるを得なくなったが。

 フィアは確かに攻撃を捌いている。しかし完璧という訳ではない。時折、大体十回に三回ぐらいの頻度で放った拳が宙を切り、尻尾の直撃を受けている。継実では一発も耐えられなかった攻撃を平然と耐えているのもインチキ染みているが、注目すべきはそこではない。

 外れた際の拳の向きである。

 時々、全然関係ない方向に向けて放っている時があるのだ。しかも攻撃が頓珍漢な空振りをしても、フィアが驚いたり動揺したりする素振りはない。むしろ拳と尻尾が上手く当たった時の方が、ちょっと驚いているように見えた。

 つまりフィアとしては、必ず拳が当たるとは思っていない。

 これはどういう事なのか? 真剣に考えれば、答えには中々辿り着けないだろう。しかしシンプルに考えれば、馬鹿らしいほど単純に考えれば真相に辿り着く。理性はそんな馬鹿なと叫んでいるが、人間の理性が世界を映す鏡だなんて誰が決めたのか。本能のまま信じれば答えは掴める。

 フィアは拳を繰り出し、尻尾の攻撃を防いでいるのだ。


「(って、要するになんとなーくで攻撃の七割を見切ってんの!? 相変わらずなんてインチキ……!)」


 味方なのに思わず罵倒したくなる。それほどまでの理不尽に継実の口許が引き攣った。

 継実の驚きなど微塵も気にせず、フィアは容赦ない打撃を繰り返す。三割の攻撃はその身で受けているが、彼女の身体は水で出来た偽物である。粉々に砕けない限り、どれだけ殴られようが大した問題ではない。

 対して親恐竜の方はといえば、尻尾とはいえ生身での攻撃だ。どれだけの強さで攻撃しているかにもよるが、それなりに自分の身体も傷付く。再生力次第では傷など瞬く間に消えるだろう。しかし回復した分だけエネルギーを消費し、疲労は積み重なっていく。

 この攻防は親恐竜有利に見えて、実はフィアが一方的に傷付けているだけ。親恐竜の方もそれを察しているのか、鱗に覆われた顔を苦々しく歪めた。


「ゴロロアァッ!」


 そして状況打破のためか、尻尾による攻撃を止め、代わりに巨大な腕を振るう!

 尻尾にはない鋭い爪を携えた一撃。加えて尻尾の時と同じく攻撃時の気配を消していて、正確な軌道を読めない。

 フィアもこれは直感で殴り返せないと判断したらしく、両腕を頭の腕で構えて受け止める。親恐竜が繰り出した一撃は、南極大陸全体を震わせ、継実達がいる数百メートル地点のみならず数十キロもの範囲を砕きながら隆起させた。


「ぬぅがあぁァアアアアアアアッ!」


 だがこれほどのパワーを用いても、僅かにフィアの膝を曲げただけ。フィアは咆哮と共に構えていた腕を振り上げた。

 それだけで親恐竜は大きく吹き飛ばされ、大地を転がる。されどフィアはこれだけで終わらせない。即座に氷の大地に手を付け、何十もの数の水触手を地面から生やした。生まれた水触手は親恐竜に向けて突撃していく。

 水触手が大地を進むとそれだけで地鳴りが起きる。振動で大陸を覆う氷にひびが入り、噴火が如く勢いで白い粉塵が噴き出した。まるで何百万体もの巨大な獣が突進しているかのような光景である。

 そしてある程度親恐竜に近付いた瞬間、水触手は先端を鋭く尖らせ、親恐竜目掛け伸びていく!

 親恐竜を串刺しにするつもりだ。しかし親恐竜は素早く転がってその場から跳躍。強靭な筋力により一瞬で五百メートル以上フィアから離れ、更に体勢も立て直す。水触手はそこまでスピードはないのか、親恐竜の動きには付いていけず、伸びた水触手が貫いたのは南極大陸を覆う氷だけ。

 だが一度外しただけでフィアも諦めはしない。水触手は変形する事で地面から抜けると、再び親恐竜目掛けて進む。


「ゴロァッ!」


 が、今度は親恐竜の手番。

 尻尾攻撃だ。ただし今度のものは今までのとは違い、全身に力を滾らせ、気配を消す事もなく放った……全身全霊の一撃。

 尻尾と水触手までの距離はざっと百メートルは離れていた。だが親恐竜の本気の一撃は圧縮した空気の刃を生み、水触手の下まで飛ばす。しかもその刃を形作る空気はプラズマ化するほど圧縮され、稲妻と青白い輝きを放っていた。

 名付けるならば、プラズマカッターか。

 衝撃波と呼ぶにはあまりにもパワフルな力は、数十の水触手を纏めて切断する。フィアは大きく身体を仰け反らせて回避し、プラズマカッターは遥か彼方へと飛んでいき――――遥か彼方の山脈に激突。

 山脈という大質量の物体を、プラズマカッターはなんの抵抗もなく切断した! 切られた面は赤熱し、極夜の南極で眩いぐらいの光を放つ。冷たい空気に触れても溶解部分は狭まるどころかむしろ広がり、ついに切断した山の数割がマグマへと変貌。熱による膨張が起きたのか、クラッカーのように山そのものが弾け飛んだ。

 あまりにも凄惨な破壊。だがフィアは自分の背後の光景など興味もないらしい。じっと見据えるのは、真っ直ぐフィアを睨み付けている親恐竜だけだ。


「(これが……フィアの本気……!)」


 二ヶ月前に試験として戦った時、フィアが手加減をしているのは継実にも分かっていた。だがまさかここまで力の差があるとは、予想もしていなかった。

 予想出来る事があるとすれば、このまま二匹が戦い続けたらいずれ南極が崩壊するという未来ぐらいか。

 ここまでの戦いで繰り広げられた、ド派手な戦いの光景。それはフィア達の力がインチキ染みているのもあるが、一番の理由は南極にミュータント生物が殆どいないからだろう。ミュータントが日夜暴れても未だ地球が壊れないのは、ミュータント植物や細菌があらゆる場所に満ち、ミュータントの攻撃を地球の代わりに受けているからだ。すぐ傍で大蛇と巨人が戦ったにも拘らず、辛うじて島としての体裁を保ったニューギニア島が好例だろう。しかし南極では、地球の代わりに攻撃を受けてくれる植物も細菌もいない。ミュータントの力は余す事なく、に叩き込まれる。その結果が、これまでの戦いで起きた地形破壊の数々なのだ。

 流石に、フィアと親恐竜のパワーでは地球が壊れるまではいかないだろう。が、この南極大陸ぐらいならば砕いてしまいかねないと思わせた。だからといって継実の力では、二匹の戦いを見守る事しか出来ない。せめて早く終わってくれと、祈るだけ。


「フィアちゃーん。もう用は済んだから、程々で良いよー」


 そんな継実の横で、花中がフィアに呼び掛けた。

 程々、という言い回しをどう思ったのだろうか。今まで纏っていたフィアの覇気が一瞬薄れた

 その時を狙っていたように、親恐竜がくるりと踵を返す。

 よく見れば、親恐竜は口に子恐竜を咥えていた。子供と言っても親の半分ほどの体長はあるのだが、ミュータントのパワーならば簡単に持ち上げられる。一度しっかりと咥え直すと親恐竜は猛烈な速さで、フィアに背を向けて走り去っていく。相変わらず気配を消したままで。

 ……あまりにもスムーズに動くものだから何が起きたか継実は一瞬分からなかったが、遥か遠くまで親恐竜が離れたところでようやく気付く。

 恐竜達は逃げたのだ。

 よく考えれば当然だろう。フィアのような強敵を倒したところで、得られるのは小さな肉だけ。おまけに子供を危険に晒している。だから意地など張らず、さっさと退却するのが正解なのだ。恐竜達は別に人間を皆殺しにしたい訳でも、小さいモノが自分と互角に戦った事でプライドが傷付いたりもしていないのだから。

 フィアもすぐには反応出来なかったようで、恐竜達が遠くに逃げてから僅かに身体が動いた。しかし彼女も積極的に追おうとはせず。ぽりぽりと頭を掻いた後、猛スピードで継実の……いや、継実を抱えている花中の下にやってくる。


「花中さーん。アイツ逃げましたけど良いんですか? 色々面倒ですしここで種族丸ごと皆殺しにしません?」


「もう、フィアちゃんったら。そーいうのはダメだよ。生態系は、みんなで支え合って、出来てるんだから」


「私は虫とか甲殻類がいればそれで十分だと思うんですけどねぇ」


 帰ってくるなり物騒な事を語るフィアを、花中が優しく窘める。フィアは首を傾げながらも、我を通すつもりはないらしい。


「それとそいつらはどうするんです? なんかもうすぐ死にそうですけど」


 或いは単純に、継実達の方に興味が移ったのだろうか。

 フィアに尋ねられた花中は、しかしその問いには答えない。やや慌てたように見える動きで継実の方へと振り返り、潰れた身体を大地に置いてから話し掛ける。


「すみません。積もる話はあります、けど、まずは治療を、しましょう。わたしの力で、皆さんの身体を修復、します。有栖川さんは一番、元気なので、最後にしますが……苦しかったら、呼んでください。痛み止めぐらいは、やります」


「ううん、気にしないで。私もミュータントだし、死なないように耐えるだけなら、まだ全然平気だから」


「はいっ。じゃあ、皆さんを早く治療……の前に、一言お伝えしませんと」


 花中はそういうと、継実の傍で正座。恐竜が去ったので一刻を争うというほど切羽詰まってはいないかも知れないが、この状況下で何を伝えたいのだろうか。

 疑問に思いつつも耳を傾けたところで、花中は口を再度開く。


「ようこそ、南極へ」


 語られたのはそんな一言だった。

 大きな声でもなく、難しくもない言葉。なのに継実は、その言葉をすぐには飲み込めなかった。頭の中で何度も反芻し、他の意味がないか、或いはちゃんと聞き取れたか、無駄に詳細な検証を行う。

 そうして伝えられた言葉を完全に、心から理解した時。

 継実の目から、貴重な水分が零れ落ちるのだった。

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