凍える大陸14

 そんな馬鹿なと、あり得ないと、継実は頭の中で何度も繰り返し叫んだ。

 しかし人間が心の中で叫んだところで、世界は何一つ変わらない。野生は存在し続け、認知の歪みを踏み潰す……怪物の存在を知りながら星の支配者の地位にしがみつき、結局一夜で叩き潰された何処ぞの文明のように。

 虚空から現れた新たな恐竜もまた同じ。人間である継実の認知を、虫けらのように踏み潰すかの如く、その存在を露わにした。


「う、嘘、嘘です、こんな……!」


「いやー、これはマジで駄目だわ……」


 ミドリが悲鳴染みた声を漏らし、モモが達観気味の言葉を独りごちる。一撃もらって肺の空気がなくなった継実は咳き込むばかり。

 七年前の継実なら現実逃避で気絶しているところだが、今はそこまで軟ではない。尤も、いっそ気絶出来たら楽なのにとは思ってしまうほど、新たに現れた恐竜の存在は継実の心に重く伸し掛かる。

 新たに現れた恐竜は、雪の大地に寝そべっていた。恐らく、継実達が恐竜と戦っていた間もずっといたのだろう……根拠はないが、悠然とした姿からそれが窺い知れる。

 全体的なフォルムはこれまで戦っていた恐竜と瓜二つだが、こちらの方が肩幅が広くガッチリしており、足や腕、尻尾などの全身のあらゆる場所の筋肉がより発達していた。その全長は目測で十五メートルを超えており、今まで戦っていた個体の倍近い。単純な体積で考えれば八倍差、より屈強な体躯である事を考慮すれば先の恐竜と比べて体重は十倍ぐらい大きいだろう。

 八メートル級の個体すら怯ませるのが精いっぱいだったのに、十五メートル級の個体などどうすれば良いのか。その大きさだけでも絶望に打ちひしがれるに十分。しかし何より恐ろしいのは、それだけ巨大で、姿を見せていながら……だろう。継実達の足を止めた事でもう力を発する必要はないと判断したのか、出現前まで放っていた強大なパワーはもう感じられない。それだけで気配が、存在が分からなくなる。足音を漏らしていた八メートル級の個体とは、明らかに能力の質が違う。

 身体付きだけでなく、能力も完成している。単に身体が大きいだけでなく、積み重ねてきた経験が別格だ。これだけ分かれば、新たに現れた恐竜の正体は明白であろう。


「コイツ……今まで戦ってた奴の親か……!」


 その瞬間、これまでの戦いの全てが継実には見えた。

 恐らくこの戦いは、狩りの練習だったのだ。肉食獣において幼体に練習をさせるというのは、決して珍しい行いではない。例えばシャチは捕まえたアザラシを適度に甚振り、弱らせた状態で子供達に追わせるという。そうして獲物の殺し方を子供に覚えさせるのだ。また肉食獣の子供も初めての狩りとなると、生きた獲物にびっくりして、追いはするものの中々止めを刺せないらしい。

 最初継実達が背中を小突かれて転んだり躓いたりしたのは、今まで戦っていた恐竜……子恐竜が狩りの練習をしていたのだろう。「え。これどうしたら良いの?」と試行錯誤していたに違いない。逃げる継実達を追い駆けたが、やはり未熟な子恐竜では詰めきれず、逃しそうになった。

 そこで巨大な個体こと親恐竜が手を貸した。完璧な隠伏状態を維持出来る親が、継実の腕を噛み千切る事で。

 血の臭いによりようやく子恐竜は本能を目覚めさせ、獲物に襲い掛かった。が、やはり初めての狩りが上手くいく筈もない。圧倒的格下相手に有利な能力を持ち、追い詰めながらもまたしても継実達を逃しそうになった。

 そこでもう見ていられなくなって、親恐竜様のお出ましという訳だ。

 親恐竜はきっと散々思っただろう。大丈夫かしらこの子、こんなものに苦戦なんてしちゃって、一人でちゃんと生きていけるか不安だわ……今回はお手本を見せてあげるからちゃんと覚えなさいよ。

 野生動物ドキュメンタリーならなんと微笑ましい展開か。だが襲われる側からすれば、絶対に逃れられない絶望を突き付けられたようなものである。


「ああ、クソッ……ガキ相手にあんだけ苦戦してたのに、親登場とかどうすりゃ良いんだよこれ」


 単なるデカ物だったなら、継実はここまで絶望していない。パワーが十倍になろうがスピードが十倍になろうが、未熟で無知な子供であればやりようは幾らでもある。

 だが、大人は違う。何十何百と獲物を殺してきた経験、何千という敵に付けられた傷跡、積み重ねてきた知識、完璧に制御された肉体――――その全てがあらゆる小細工を打ち砕く。

 どう足掻こうとも、勝ち目などない。

 それでも諦める気が起きないぐらい、ミュータントは生への執着心が強いのだが。


「っ!」


 継実は大きく足を上げた。地面を蹴り付けて雪の煙幕を起こすために。子恐竜相手に何度も使った手なので何処まで有効かは不明だが、一瞬逃げる程度の時間は稼げる筈。

 その考えすらも、甘い。

 真の強者である親恐竜は、継実の足が地面に付く前に尻尾を振っていた。寝そべったままの体勢でなんの予兆も感じさせず、空気を切り裂く音も出さず、接触する間際まで何一つ感じさせずに。


「ごぼぁ!?」


 継実の足が地面に付く事はない。叩き付けられた尻尾の一撃で、継実の身体は宙に浮かび上がった。

 それだけで済めばまだ良かったのだが、相手の体格差を思えばそれは無駄な願望。単純計算で、継実の四百倍ものパワーだ。最早耐えるだの防ぐだのなんて規模ではない。

 筋繊維を容易く破り、尻尾の一撃は継実の身体を腰の辺りで真っ二つに分断した。


「つ、継実さ」


「嘗めんなァァッ!」


 目撃したミドリが悲鳴を上げる中、継実はダメージなどお構いなしに粒子ビームを撃とうとした。親恐竜が如何に強大な力を持とうと目玉は比較的脆い筈。粒子ビームを直撃させれば、失明には至らずとも、目眩ましぐらいにはなるのではないかと考えての行動だ。

 だが、親恐竜は気にも留めない。

 粒子ビームなど存在しないかのように、前足を継実目掛け振り下ろす!

 この攻撃も、継実は実際に受けるまでその『存在』すら気付けず。真っ二つになった継実の身体のうち、上半身の更に半分を二本の指が直撃した。打撃は継実の背骨・内臓・筋肉・左腕を砕き、ぐしゃぐしゃに潰されてしまう。右腕も一本の指が直撃した事で千切られ、両腕を失った。今の継実がまともに動かせるのは首から上だけ。


「ガアァッ!」


 継実が戦闘不能になった事に激昂し、モモがミドリを投げ捨て、親恐竜の顔面へと突撃。感情こそ昂ぶっているが、子恐竜と違ってその動きは正確だ。数億ボルトの電圧を纏った拳を、親恐竜の眼球目掛け叩き込む!

 だがその鉄拳は、素早く閉じられた瞼で簡単に防がれた。衝撃波が辺りに広がり、その打撃の威力が決して生半可なものではないと物語っているのに。

 そして渾身の力を叩き込んだモモは、自らの攻撃の衝撃で一瞬身体が硬直。状況の不味さにモモ自身気付いたようだが、「しまっ」と声を漏らすのが精いっぱい。

 親恐竜は再び尻尾をぶん回し、モモに一撃を喰らわせた。

 物理的攻撃には滅法強い体毛に覆われているモモは、尻尾の一撃を受けてもその身体が真っ二つになる事はなかった。だが、継実の四百倍のパワーを受け止めるなど土台無理。尻尾の動きを減速させる事すら叶わない。

 モモの身体は超音速に加速され、流星のように雪の上に叩き付けられた。その衝撃で周りの雪が吹き飛び、核爆発さながらに雪と水蒸気 ― 物理的衝撃の一部が熱に変化した結果蒸発したのだ ― が白煙となって舞い上がる。地震も引き起こされ、衝撃で浮かび上がった地下の氷が数百メートルと隆起した。拡散する音波の衝撃で大空を覆っていた雨雲が全て吹き飛び、満点の星空が広がる。

 健在であれば、白煙の中からモモは即座に跳び出してきた筈だ。だが、何時まで待ってもモモは出てこない。体毛による守りがあっても、尻尾攻撃の衝撃を止めきれなかったのだろう。

 継実は動かせる身体がない。モモは戦闘続行不能。残すはミドリだけ。


「ひっ……た、たす」


 支援特化型の彼女には、何かをする暇すらない。親恐竜はほんの少しの身動ぎで、継実ですら見えない速さでミドリに接近。小さく開いた顎で咥えるや、ミドリが反応するよりも前に身体の右半分を噛み砕いた。

 食べはせず、本当に噛み砕いただけ。ぐちゃぐちゃに右半身を潰されたミドリは、その場にへたり込む。頭は無事とはいえ、肺も内臓も潰れながら生きているとは流石ミュータントだ。しかし半身が機能不全に陥った今、ミドリはろくに歩けやしない。

 ――――時間にして、果たして〇・一秒もあっただろうか。

 その僅かな時間で継実のみならず、モモとミドリも戦えなくなった。これが真の格上との戦い。圧倒的な力の前では抵抗する暇すら与えてもらえない。さながら寝ている人間がアリを潰すのに起き上がる必要がないように、親恐竜にとって継実達は寝そべったまま潰せる存在に過ぎないのだ。


「(肺が潰れて声が出ない。心臓もないから血流が止まってる……こりゃ、流石にどうしようもないか)」


 継実は自分の傷を分析。『致命傷』だと判断した。

 単純に生命活動を維持するだけなら、なんとか出来るだろう。傷口を塞ぎ、新しい心臓を作り、肺を再生させれば良い。しかしそのためには大量のエネルギーを使うし、何より身体の密度が極めて薄くなる。重みのない体重では力が入らず、エネルギーの補給など出来ない。

 生命活動を保ったところで、やがてエネルギーが足りなくなって餓死する。ミドリも傷の規模から考えるに同じ状態と思われる。モモは……分からない。相当遠くに吹っ飛ばされたようで、居場所すら不明だ。彼女ならしぶとく生きていそうだが、出てこない以上無事とは言い難いのだろう。

 そして恐竜達は、自分達をこのまま放ったらかしになどしない。


「コロロロロ……」


「グゴロロロロロロ」


 子恐竜は親恐竜の下に駆け寄ると、その身を寄せて頬擦り。甘えた声を出す。親恐竜も優しい声を出しながら、子恐竜に頬を擦り返していた。

 彼女達(性別なんて不明だが、一般的に動物の雄は子育てをしないので恐らく親は雌だろう)は実に仲睦まじい親子だ。彼女達からすればこれは狩りの練習であり、脅威でもなんでもないもの。失敗したら親を手を貸して、獲物をもっと弱らせるだけ。

 どちらに転ぼうが、奴等に狙われた時点で生き残る事は無理だったのだ。本気の人間に狙われたアリが、決して逃れられないのと同じように。


「(呆気ないなぁ……)」


 冷たくなる身体を感じながら、継実はぼんやりと思う。

 何時か、何かに襲われて死ぬとは考えていた。

 自然界とは過酷だ。適者生存とはいうが、その生き残り要素には運も大きく絡む。『並』の相手ならば多少の変異が有利に働けども、圧倒的存在の前ではちょっとやそっとの形質の差など無意味。通常のハエと比べて三倍の知能を持ったエリートハエだろうが、人間がハエ叩きを使えばなんの苦労もなく潰せるのだから。

 自分はこのまま食べられて死ぬ。今度ばかりはどうにもならない。それを理解しながら、継実は特に恐怖など覚えなかった。人間だろうが宇宙人だろうが知的生命体だろうが、超能力者だろうが新人類だろうがなんだろうが、そんなものは今の世界には関係ない。相性が悪ければあっさり殺される。ただそれだけの話であり……自分達にもその時が訪れただけ。


「コロロ。コロロロロ」


 親恐竜が指示するように鳴くと、子恐竜は動き出す。その目が見ているのは継実。最初の獲物として狙いを定めたらしい。足音一つ鳴らさず、こちらに向かって歩いてくる。

 これはチャンスだ。今でも頭は自由に動くから、口から粒子ビームを一発お見舞い出来る。この未熟なガキンチョならきっと油断していて、直撃させられるだろう。死にはしないとしても、びっくりしてひっくり返るかも知れない。僅かだが時間稼ぎをすれば、ミドリが回復したり、モモの目が覚める可能性が上がる。その僅かな変化が、結末を変えてくれる可能性がある。

 自分が殺される事は受け入れた。しかし大人しくするつもりはない。最後の一発を決めてやるべく継実は全身のエネルギーを掻き集め、口の中に粒子ビームの力を溜めていき――――


「……ゴロロロロロロ」


 親恐竜が鳴いた。

 途端、子恐竜が歩みを止める。親には気付かれたか? だとしても警告するなんて、ちょっと過保護じゃないかい……目論見が失敗した継実は悪態を吐きたくなった。しかしすぐに違和感を覚える。

 親恐竜は継実を見ていない。それどころかミドリもモモも見ていなかった。代わりに視線を向けるのは、遥か南の方角。

 継実が見た限り、その視線の先には何もない。地平線の彼方まで雪が積もっているだけ。

 だが、感じる。

 肌が焼け付くように錯覚するほどの、強烈な存在感。親恐竜に匹敵する強大なパワーでありながら、されどその気配を一切隠そうとしていない。能天気で傍若無人。奔放にして無理性というこれでもかというほど大自然を体現した、インチキ染みた存在感だ。勝とうと考える事どころか、対峙する事自体が愚かしい。

 しかしその気配に何処か懐かしさを感じる……継実がそう思った、直後の事だった。

 極夜の南極大陸に、黄金の閃光が走ったのは。

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