凍える大陸12

 揺らめく景色の中から、青い色が見えてくる。

 色は徐々に形を作り始め、小さな羽毛となって具現化した。羽毛はどんどん数を増し、広範囲に広がっていく。

 具現化した羽毛は身体のパーツを形作る。まず現れたのは大地を踏み締める巨大な二本足。足と比べれば細いが、継実の身長の倍近い長さを有す発達した腕も見えてきた。その腕の先には剣を彷彿とさせる鋭さの爪を備えた四本指が生えている。継実達三人が並んでようやく超えられそうな長さの尻尾が左右に揺れ動く……そして継実の身体を半分以上丸々と咥えられるであろう、巨大な頭部も姿を現した。尤も頭部を覆うのは羽毛ではなく、硬くて冷たい鱗だったが。

 頭部は爬虫類の顔付きだ。されどワニやトカゲとは違う。現代を生きる爬虫類よりもずっと縦幅が大きく、顎の骨が非常に発達している。並んでいる牙はナイフのように鋭く、肉食獣の特徴を有していた。大きな目玉から感情は感じられないものの、獲物は決して逃さないという強い『意思』は感じられる。

 継実はその生物をなんと呼ぶべきか知っている。ミュータント化した際に流れ込んできた様々な『知識』ではなく、十歳の時から既に。しかしそんな筈はないと理性が否定する。その生物はもう絶滅して、地上から消え去ったのだ――――六千六百万年前に。

 だが、何度否定しても姿は消えない。


「恐、竜……!?」


 継実の前に現れた、全長八メートルもある巨大恐竜は。

 身体のフォルムは典型的な肉食恐竜、具体的にはちょっと細身のアロサウルスのようだ。とはいえ身体は羽毛に覆われていて、鳥の変化系にも見える。

 恐竜が進化して生まれたのが鳥だ。正確には鳥 = 恐竜であり、六千六百万年前に絶滅したのは『非鳥類型恐竜』。恐竜はまだ絶滅していない。

 ミュータント化した生物の進化は早い。ゴミムシが七年で生態系の頂点に君臨するほどに。ならばミュータント鳥にとって、恐竜へ祖先帰りするには七年という時間は十分なものかも知れない。或いは世界の何処かに恐竜が生き延びていたのかと知れないし、はたまた恐竜型の怪物が南極にはいたという可能性もある。いずれにせよ、この恐竜が地球にいる理由はいくらでも思い付く。

 そうだ、現れたものはどれだけ否定しても仕方ない。それよりも問題は――――わざわざ姿を見せたコイツの目的だ。


「(つっても私の腕を喰ったんだ。まさか、それで満足なんてしないでしょ?)」


 心の中で投げ掛けた継実の問い。それに答えるように恐竜は大きな口を開け、滝のように滴る涎を見せる。

 やはりこちらを喰うつもりだと、継実は納得する。姿を現したのは能力を解除したからだろう……十全の力を発揮するために。

 そう簡単に喰われるものかと継実も臨戦態勢を取り。

 気が付けば、恐竜は


「ぐぬぅ!?」


 一瞬の思考後、継実の身体に叩き付けるような衝撃が走った!

 恐竜が振り下ろした腕が、継実の頭上から激突したのである。咄嗟に残っていた片腕を構えて攻撃を受けたが、八メートルもの巨体から繰り出されたパワーは圧倒的。止められなかった余波で全身の骨がひび割れ、内臓の一部が破裂してしまう。

 だがこの程度は問題ない。ちょっと時間とエネルギーを費やせば再生可能だ。それよりも憂慮すべきは他にある。


「(攻撃の予兆が、全く掴めなかった!)」


 どんな生物でも動く前には予兆がある。筋肉、吐息、熱量……されどこの恐竜が殴り掛かってきた時にはそれらを一切感じていない。故に反応が遅れ、もろに攻撃を受けてしまった。

 何故攻撃の予兆がないのか? 可能性は一つ思い浮かんだが、確信に至るほどのものではない。

 ならば試せば良いのだ。ただしそれをするのは継実である必要はない。


「おらァッ!」


 モモという頼れる家族が、恐竜の顔面目掛けて跳び蹴りをお見舞いしようとしていた。

 モモはバチバチと電気の音を轟かせ、突き出した右足から稲妻を放つ。超電磁キックを喰らわせようとしているのだ。

 音と光の派手な一撃。恐竜は容易くその攻撃を認識しただろう。纏うエネルギー量から、まともに当たればそこそこ痛い事も。ならばこれを避けようとするのは必然。

 だからこそ継実とモモは、共に恐竜の動きを注視していた、筈なのだが。

 ――――恐竜が跳び退くように回避するまで、その行動を予期出来なかった。


「ちっ!」


 躱された、と回避された後に認識した継実は追撃の粒子ビームを撃つ。粒子ビームは亜光速で飛ぶエネルギー攻撃。いくらミュータントでもこの攻撃を発射後に躱す事は出来ない。

 恐竜も跳んだ状態での回避は不可能だと判断しただろう。しかしそれは無防備に受けるという意味ではない。長さ四メートル近くにもなる尻尾をぶん回し、粒子ビームを打ち返してきたのだ。尤も粒子ビームは照射するタイプで、一回打ち返しただけでは足りず、後から続いた分は身体を直撃したが……これといって痛がる様子もなく、殆ど効いていないようだ。

 対して継実は返ってきた粒子ビームの直撃を避けるため、大きくその身を仰け反らせる。粒子ビームも止めて回避に専念。直撃を避けた。


「まだま、ごぶッ!?」


 その隙に電撃でも流そうとしていたであろうモモだが、恐竜が再度繰り出した尻尾の一撃を受けてしまう。決して速い振り方ではなかったが、モモは全く回避が出来ず。尻尾の直撃を受けて吹っ飛ばされてしまった。

 物理攻撃には滅法強いモモだが、圧倒的巨躯の一撃は受け止めきれなかったらしい。ごろごろと雪の上を、木の葉のように転がされた。咄嗟に継実が受け止めなければ、果たして何キロ彼方まで飛ばされただろうか。


「モモ! 大丈夫!?」


「げほっ……まだ平気。だけど何発も喰らったらちょいと不味いわ」


 状況認識は正しく隠さず。モモでも辛い一撃の威力を正確に想像し、継実は背筋が凍る想いだ。怯えはしないが、張り詰めた空気を滲ませる。


「……ゴロロロロ」


 相対する恐竜は小さく、まるでネズミが鳴いたと勘違いするような声で野太く鳴いた。継実達をじっと睨むように見つめてきたので、継実とモモも睨み返す。どちらも、一歩も退かない。

 戦いが一旦膠着状態に入ったタイミングでやってきたミドリだけは、継実達の後ろに隠れておどおどしながら恐竜を見ていたが。


「あ、あの、あたし、全然あの生き物の動きが分からないんですけど……というかアレなんですか!? 鳥の化け物ですか!?」


「あー、今の地球しか見てないなら分かんないか。ありゃ恐竜よ。大昔に絶滅した生き物……だと思われていたんだけどねぇ」


「ま、分類的には鳥で良いよ。それより……モモ、私が粒子ビームを撃った時、アイツの動き予想出来た?」


「いいや全然。実際に跳ぶまで分かんなかったわ」


 モモに尋ねたところ、彼女からはそのような答えが返ってくる。継実はこくりと頷いた。自分も、同じく実際に跳ぶまでその動作を予期出来なかったのだから。

 普通跳ぼうとすれば、全身の筋肉を一瞬強張らせ、特に足の筋肉に大きな力を加えなければならない。更に避けようとする攻撃に意識を向け、背筋をしならせ、バランスを取るため尻尾にも力を込めるだろう。ついでに、追い詰めた獲物への名残惜しさを滲ませる筈だ。

 ところが恐竜からそうした気配の揺れ動きは、一切合切感じられなかった。いや、存在感すらなかったと言うべきだろう。お陰で次に何をするのか、全く予想出来ない。

 モモにも出来なかった以上、継実が間抜けだったり、相性が悪かった訳ではないだろう。恐らくこれこそがこの恐竜の『能力』。今までずっと見ていたのだから間違いない。


「気配を消す……それがコイツの能力か……!」


 戦いにおいて、気配の有無は非常に大きな要素だ。

 正確には、素人同士の戦いであればどうでも良いだろう。読めたところで身体が動かなければ、そんなのは読めないのと変わらないからだ。しかし達人同士、相手の動きに対して適切に動ける者同士であれば違う。攻撃が来ると思って守りを固める、隙が出来たと思って攻撃する……戦いでは相手の『気配』によりこちらの動きを臨機応変に変える。動きを見てから攻撃するのでは、遅過ぎるぐらいだろう。

 だから達人は相手の僅かな動きを見逃さないよう注意するし、自分の動きが悟られないよう可能な限り気配を消す。人間如きの達人でもそれが出来たのだ。超越的戦闘を日夜行っているミュータントにとっては基本中の基本であり、継実やモモとて心得ている行いである。

 恐竜はこの気配を消す事に特化した能力を持っているらしい。姿が見えなくなるのも、足音がしなかったのも、その能力によるものだ。それを戦闘時の動きに応用すれば……誰にも攻撃・防御・回避の瞬間が分からない。


「(こりゃあ、ちょっとヤバいな……)」


 この極寒の地で冷や汗が流れ出そうなほど、冷たい絶望感を継実は味わう。

 もしもこの恐竜が体長二メートルほどの、体格的に継実と『互角』の相手ならば勝機はあった。気配を消す事にもエネルギーは使われている筈。消費の大きさは分からないが、使えるエネルギーの一部を能力が占有している事に違いはない。つまり戦闘に使えるエネルギーは、気配を消す力を差し引いた余りでしかない。故に全ての能力エネルギーを戦闘力に注ぎ込める継実達よりも、パワーやスピードでは一段劣る筈だ。結果継実達が肉弾戦で有利を取れ、勝つのはそう難しくなかっただろう。どれだけ完璧に気配を消そうが、肉薄して相打ち覚悟の戦い方をすれば関係ないのだから。

 ところが此度の恐竜は、継実達よりも遥かに大きい。全長(今更だがこれは頭の先から尻尾の先までの長さだ)八メートルといえば古生代に生きていたアロサウルスと同等の大きさで、そこから算出される推定体重は約二トン。体重五十キロの継実よりも四十倍ほど重たい。使えるエネルギー量が体重に比例するとすれば、仮に能力に九割のエネルギーを費やしていたとしても、まだ四倍も継実より強い力を出せる計算だ。実際には、恐らく一割も能力に力は割いていないというのが継実の想像だが。

 仮に想定通り九割以上の力を自由に使えるとすれば、この恐竜は継実の約三十九倍にもなるパワーを継実に叩き込める。自身の三十九倍という力を七年前の普通人で例えれば、重さ六十キロの物体が時速九十キロで激突するようなもの……大体高さ三十メートルの位置から飛び降りた成人男性の下敷きになるような一撃だろう。当たりどころにもよるが、即死してもおかしくない。防御したところでろくに受け止めきれず、叩き潰されるのがオチだ。

 そして何より恐ろしいのは、その攻撃の動作が全く予期出来ない事。まともに喰らえば即死圏内、防御もほぼ不可能なのに、回避が極めて困難なのである。

 恐らくこの恐竜はのスペシャリストなのだ。格上にはまず勝てない。同格相手にも恐らく不利。しかし力量差が大きく劣る相手には、絶対的な有利を発揮する……言葉にするとなんとも情けなく聞こえるが、そんなのは人間の勝手な印象だ。大物を仕留めるか小物を仕留めるか、生き残り戦術の違いでしかない。どちらも等しく『適応的』である。いや、むしろ資源量の多さを思えば小物狩りの方が優秀なぐらいか。

 能力でも、生理学的でもなく、生存戦略的な相性の悪さ。自力でどうにかするよりも作戦勝ちが多い継実達にとって、正に天敵だ。まともに戦って勝てる相手ではない。

 逃げるのが最適解だ。


「……!」


 継実はモモに目配せ。モモはその意図を察して身を翻す。

 そして継実は力強く地面を蹴り、煙幕代わりに足下を雪を舞い上がらせた。次いでモモの後を追うように自分も走る。

 これでまた逃げられれば良いのだが……恐らくそう上手くはいかないだろうという予感もあった。何故なら自分達がもう少しで振り切れそうだった時、あの恐竜はなんらかの方法で継実の腕を噛み千切ったのだ。どんな方法を用いたかは分からないが、兎に角気配の位置とは関係なく攻撃する力がある。今回もそれを使ってこないとは限らない。

 だから覚悟はしていたのだが、それでもやはり、突然の事には驚きを覚えるもので。

 走り出した継実の身体に、殴られたような衝撃が加わってくると思わなかった継実は、目を大きく見開く事しか出来なかった。

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