凍える大陸11

「で? どうするつもり?」


 雪の中からゆっくりと起き上がった継実に、モモが質問を投げ掛けてくる。

 どうするとは、つまり『何か』にどんな対応を取るのか、という事だ。とりあえず継実の脳裏に浮かぶものとしては、主に三つの選択肢がある。

 一つは無視。今のところ転ばされるだけで実害も何もないのだから、こんな奴に構うだけ無駄だ。だから気にせず無視すれば良い。

 もう一つは戦闘。何かがいるのは確かだから倒してしまう、或いは相手が逃げ出すまでタコ殴りにするのだ。そうすれば後は邪魔が入らず、ゆっくり丹念に人間の痕跡を追える。

 最後の一つは逃走。相手の正体がなんなのか、目的がなんであるかすら分からないが、逃げきってしまえばどうでも良い。全速力で此処から立ち去ってしまうのだ。

 パッと浮かんだ三つの案を継実は即座に検討する。尤も答えは殆ど迷わないで決まった。


「逃げるよ」


「りょーかい!」


 継実が躊躇いなく告げた言葉を、モモは躊躇いなく実行。継実もミドリを抱えて即座に走り出した。

 三つ浮かんだ選択肢のうち、無視と戦闘の二つは論外だ。相手の目的も分からないのに無視するなど、自然界においては自殺行為でしかない。何か大きな事を仕込まれているのに野放しにして手遅れになろうものなら、本当にただの間抜けである。だからといって戦い、つまりケンカを吹っ掛けるのも得策ではない。相手の実力も分からないのに邪魔だから戦おうとする輩は、これまたただの間抜けである。この星の自然は何時だって『人智』を超越するもの。相手が自分より強くないとは限らない。

 一番安全で確実なのは、相手から逃げる事。しかしながらただ走れば達成出来るかといえば、そうとも限らない訳で。


「(さぁて、付いてきているか、いないのか)」


 走りながら継実は周辺を索敵する。しかしどれだけ探ろうと、自分達を付け狙う存在は確認出来ず。恐らくかつて出会ったハマダラカのように、気配を消す事に特化した能力の持ち主なのだろう。

 だとすれば相手の戦う力は左程強くない筈。なら逃げるのを止めて撃退する方が確実か、等と考えるのは早計だ。相手が見付からなければその『弱点』は突けない。それどころか一方的に攻撃され、徐々に弱らされる戦術を取られる可能性がある。継実達から戦う力が失われたところで、能力を解除して真の力を開放……なんて事をされたら敵わない。

 やはり逃げに徹するのが正解だ。しかしどこまで逃げれば良いのだろうか。相手が見えない以上、自分達が逃げ切ったという確証を得る術などないのに。

 逆に、相手がまだ傍にいる証であれば特に困らない。


「きゃああああああああああっ!?」


 継実の背後でミドリの悲鳴が木霊する。

 何故ならミドリの服の裾……雑に作った結果スカートのようになっていた部分がぴらりと捲れていたのだから。所謂スカート捲りである。

 七年前の男子小学生(女子でもする奴はいるかもだが)なら先生にこっ酷く怒られる所業だが、文明も文化もない今の世界においては全くの無駄行動である。悲鳴を上げる価値もない。強いて問題点を挙げるなら、裾を掴まれて動けなくなっている事ぐらいだ。

 ちなみにスカート捲りに遭っているミドリは、スカートの裾を両手で押さえている。そんな事をしたところで、何一つ問題は解決しないのだが。


「なーにしてんのさ。服なんか触ってないで、手を振り回して追い払えば?」


「はっ! そうでした。なんか身体が勝手に……」


 ミドリの身体こと、人間の死体にその記憶があるのか。無意識の行動をしていたらしいミドリは我に返るように目を見開いた後、腕をぶんぶん振り回す。

 すると、ぺちんっ、という音と共にミドリの手が弾かれた。

 次いで掴まれていた服の裾が離され、ミドリは自由を取り戻す。その拍子に前のめりにすっ転んでしまったが、取り戻したものと比べれば安い代償だろう。身体を起こし、継実達と共に再び走り出したミドリはぽりぽりと頭を掻くだけだ。


「……なんとか脱出出来ましたけど、なんだったのでしょうか」


「さぁてね。男子のイタズラかも」


「ああ、それならこの方は人間ですね。ヨカッタヨカッタ」


 継実のボケに対して、白けた笑みを浮かべるミドリ。言うまでもないが、人間だとは微塵も思っていないだろう。

 しかし、イタズラ、という点について継実はそこまで出鱈目とも思っていない。


「(食べる訳でもなければ、嬲る訳でもない。イタズラじゃなきゃ、ただの間抜けか)」


 生き物だって遊びを行う。例えばシャチはオタリア(アシカの仲間)をボールのように弄ぶ事があるという。犬猫が虫やトカゲを優しいパンチで嬲り殺す事も、イルカがタコを振り回してオモチャにする事もある。生き物にとって他の生き物の命など、なんの価値もない。興味を持てば遊び、オモチャにして、そのうち壊すだけ。

 相手の正体は不明だが、遊びとして他の命を弄ぶ事はあり得る。人間がその対象になる事も大いにあり得る事だ。

 問題は、何時までも遊んでいる訳ではないという点だろう。


「(今は遊びでも、そのうち飽きて餌と認識するかも知れない。或いは力加減を誤ってうっかり、なんて事もあるかも。今のうちになんとか振り切らないと不味いな)」


 逃げる事は決めたが、相手の位置が分からないとどう逃げるかも決められない。今のようにがむしゃらに走っても体力を消耗するばかりか、回り込んでいた相手の懐に飛び込むだけとなる可能性もある。

 なら、相手の足を止めてしまえば良い。


「今度は、効くかな!」


 継実は足を力強く地面に叩き付ける!

 渾身の力を込めた一撃は地震を引き起こし、同時に降り積もっていた雪を舞い上がらせた。

 ヒョウアザラシの時に使ったのと同じ煙幕作戦だ。展開するのと同時に継実達は一斉に走り出し、相手の視界が塞がっているうちに距離を開けようとする。ヒョウアザラシ相手には通じなかったが、果たして今回はどうか?

 ……気配が感じられなく、姿も見えないとなれば、煙幕の効果も分からない。まだしばらくはひたすら走るしかないのかと、これから続く逃走劇に憂鬱な気持ちになってくる。

 その時、モモがすぐ横にやってきた。

 音速を超える速さで走る継実の耳に、モモは毛を一本伸ばして差し込んでくる。何かを伝えたいらしい。意識を片耳に集中させた。


「継実。ちょっと耳を澄まして……足音がしている気がする」


 体毛を通して聞こえてきた言葉は、より耳に意識を向けろというもの。

 言われるがまま、耳を澄ましてみる。バタバタと走る自分達の足音が五月蝿い。そうした雑音をスーパーコンピュータ以上の演算力を誇る頭脳で取り除き、他の音がないか解析する……

 そうすればモモが言うように、足音が聞こえてきた。微かな、ネズミが歩くような小ささで。


「ちっさ……なんだこれ……?」


 あまりの小ささに、思わずぼやく。

 足音が聞こえる方角を見たが、やはり敵の姿は確認出来ない。また歩いているなら出来るであろう、足跡などの痕跡も見られなかった。

 余程身体が小さいのか、それとも能力により音や痕跡を隠しているのか、そもそも本当に足音なのか――――原因はどうあれ、相手の存在を捉える事には成功した。

 足音というのは些末なものに思えるが、実のところこれ一つで様々な情報を得られる。

 例えば相手との位置関係。

 足音は継実達の背後、凡そ百メートルの位置から鳴っているらしい。そこから猛烈な速さで、走り続ける継実達を追跡している。距離が離れているのは煙幕により一時的に足が止まっていたのだろう。どうやらヒョウアザラシと違い、それなりに目眩ましが有効らしい。

 ただし、その距離は刻々と狭まっている。どうやら走る速さは相手が上らしい……足音が近付いてきている事から、その事実も明らかとなった。今すぐ追い付かれる心配はないが、煙幕一回では振りきれないと分かる。そしてこのままでは、最後尾を走るミドリが真っ先に襲われるだろう。

 更にもう一手必要だ。


「大体、この辺かなッ!」


 そこで継実は、粒子ビームを足音がする場所の目掛けて放った!

 亜光速で飛ぶ粒子の煌めきは、寸分違わず狙い通りの場所に命中。見えないので断言は出来ないが、恐らく追跡している生物には当たっていないだろう。だが、それで問題ない。

 何故なら継実が狙っていたのは、相手の一歩先の足場だから。

 高エネルギーを内包した粒子の直撃を受け、降り積もった雪は瞬時に加熱される。が個体でいられる零度どころか気化する百度も瞬時に超え、爆発的な体積の膨張により爆発現象を引き起こす。これにより煙幕としての機能させるのだ。更に爆風と熱波で対象を攻撃……という効果もなくはない。後者は、ミュータント相手では殆ど意味などないだろうが。

 しかし一番の目的は足下の雪、更にその下にある氷を崩す事。

 南極大陸に積もっている氷の厚さは平均二千メートルを大きく超えている。継実達の足の下にも分厚い氷が広がっていて、比較的海岸に近い場所なので二千メートルはないだろうが、相当分厚い氷が存在している筈だ。

 それが莫大な熱量により溶け、気体へと変化したならどうなるか?

 答えは、そこに巨大な『大穴』が出来上がるだ!


「(……! 転んだ!)」


 耳を澄まし続けていた継実は、背後から今までの足音とは比べ物にならない ― とはいえ継実が普段出してる足音程度の ― 大音を聞き取る。

 姿が見えないので確かな事は言えないが、ネズミ程度の足音しか出さなかった存在が鳴らした『轟音』だ。高確率で、大穴に蹴躓いて転んだのだろう。走る音は上手に消せても、流石に派手に転倒した音までは誤魔化せなかったようだ。

 次いでもぞもぞと、虫が藻掻く程度の微かな音が聞こえる。起き上がるのに苦戦しているのかも知れない。

 その証拠に、しばらくして聞こえてきた足音はかなり遠くなっていた。


「(良し、これなら……!)」


 大きく距離を開けた今のうちに、出来るだけ遠くに逃げる。可能ならば大きく方向転換した『痕跡』を幾つも残して翻弄する。そうすれば振り切れそうだ。

 なんとかなる。距離が離れ過ぎて殆ど音が聞こえなくなった時、継実は笑みを浮かべた。無論油断などすれば瞬く間に追い付かれる。だから一切気を弛めず、全力で継実は走った

 最中に、それは起きた。

 継実の腕がのである。


「……え?」


 その事実を認識するのに、普段なら一ミリ秒も掛からない。大した傷でもないから困惑もあり得ない。

 だが此度、継実は一瞬思考が停止した。足も止まり、受け身も取れずに雪の大地を転がる。

 突然転倒した継実を見て、ミドリとモモも足を止めた。即座に継実の下に駆け寄り、転がったまま立ち上がらない継実の傍にしゃがみ込む。


「つ、継実さん!? 腕が……」


「継実! 何があったの!?」


 意識が戻ってきたのは、腕の切断に気付いたモモとミドリに名前を呼ばれてから。しかしそれでも普段の、冷静に考える力は戻らなかった。

 頭を満たすのは疑問だけ。


「(なんで、噛み千切った……!?)」


 これまでやってきたのは、どれもくだらないイタズラばかり。なのにここにきて突然の『攻撃』だ。遊ぶのに飽きたのか? それとも今までのイタズラは何かの仕込み? 転ばされた腹いせ? 大体足音は遥か後方だったのに何故次の瞬間に腕をやられた? これまでと行動パターンがあまりに違っていて、おまけに起こり得る筈のない事態まで生じ、思考が全く追い付かない。

 そこを畳み掛けるように、新たな異常現象も生じる。

 噛み千切られた継実の腕が、空中に浮かび上がり、粉々になっていくのだ。ぼたぼたと血が滴り、骨が露出し……虚空に消えていく。

 何が起きている? 意味不明な光景に戸惑う事数秒。更なる異変が継実の目の前で起きた。空間がゆらゆらと揺らめき始めたのである。暗闇と吹雪の色で染まっていた景色に、新たに青みがかった色が映り出す。

 そしてそれは、ついに継実の前に現れた。

 体長八メートルほどの、二足歩行する『大トカゲ』が……

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