凍える大陸07

「や、止めろー。服なんて着たくなーい」


 気怠げな、けれども割と本気で嫌そうな声がモモの口から出ていた。

 浮かべている表情も、かなり不愉快さを露わにしている。しかし暴れたり、逃げたりするような素振りはない。纏う雰囲気はすっかり達観したもので、抵抗の意思は殆ど感じられないのが実情。

 モモとしても、諦めているのだ。

 ……服を着させられる事は。


「いいえ、ちゃんと着ましょう! これから人間の社会に加わるんですからね!」


「いや、私人間じゃなくて犬だし。というか私、毛で服を作れるからいらないし」


「えぇー。ファッション楽しみましょーよー文化的にぃー」


 嫌がるモモに、『嫌がらせ』を行っているミドリは満面の笑みを浮かべていた。心からの善意……いや、楽しさか……であるが、モモは受け取るつもりがないらしい。

 事の始まりは落ちていたアザラシ皮を服に加工すると決めた後に話した、誰の服を最初に作るかという話題から。ミドリとしては真っ先にモモを可愛く着飾りたいようだが、モモはご覧の通り断固拒否を示している。

 無理もないなと、遠目に見ている継実は思う。寒がりな犬種を寒冷地で飼うなら話は別だが、基本的に犬に服は不要だ。全身を覆う体毛が十分寒さを防いでいるため、服を着せても良くて無用の長物、悪いと服が放熱を妨げて熱中症のリスクを上げてしまう。

 モモの場合は尚更である。体毛で全身を包み、保温機能は万全だ。例え南極の環境下であろうとも、服なんか着なくても温かいし却って邪魔なぐらい。そしてモモが言うように、体毛を編んで見た目の格好ぐらい簡単に変えられる。ちなみに彼女が好む服装は肩やへそが露出した結構セクシー系が主だが、理由は単純に動きやすいからだ。

 ともあれ、だからモモに服はいらない。

 いらないが、モモを着せかえ人形にしたい意欲は継実にもあった。何しろ継実も七年前まではちょっとお洒落な女の子。服とアクセサリーは嗜みである。


「ま、ファッション言うほど立派なもんじゃないけど……ちゃんとした服を作るのは久しぶりだし、テンション上がるね!」


「なんでテンション上げてんのよ……」


 モモの抗議は一字一句無視。ミドリがこくりと頷いてGOサインを出したところで、継実は早速アザラシ皮を利用した服作りを始めた。

 ――――さて。服を作る前にまずは確認。服を作れる状態かを確かめる。

 第一に周りの安全。服の材料になるのは亡骸から剥いだ毛皮であるが、その毛皮には血肉が付着しているものだ。そのままだと毛皮から新鮮な肉の臭いが漂い、お腹を空かせた肉食獣を引き寄せる。猛獣が来ていたら命の危機であるため、服作りは諦めるしかない。

 幸いにして綺麗に解体された結果出血臭いも少なかったお陰か、はたまたそもそも動物が少ないからか、継実達の傍に近付いてくる猛獣の姿は見られなかった。勿論のんびりちんたらとやっていたら、何時か猛獣達は血の臭いを嗅ぎ付けてくる筈。悠長にはしていられない。

 安全はひとまず問題なし。次に大事なのは材料の状態だ。


「さぁて、コイツはどんなもんかいねー」


 雪の上に転がるアザラシの毛皮を、継実は両手で触る。手触りから服としての品質を探り、能力で効能を予測するのだ。


「(ふむ。皮は厚くて、水を弾く。ブリザードを耐えるには最適ね)」


 元々アザラシの皮は水を弾く性質がある。本来それは海中を泳ぐために役立つものだが、ブリザード対策としても有効……というよりこの性質がなければ使い物にならない。服に付いた雪は体温などで溶けて水になるので、ある程度の撥水性がないと染み込んで身体が濡れてしまうからだ。水が蒸発すると温度を奪うので余計寒くなるし、生地が駄目になってしまう。

 撥水性の高さは降雪が多い地ではとても役立つ性質である。このアザラシ皮で作った服を着れば、此処南極でもかなりエネルギーの消耗を抑えられるだろう。また分厚くて弾力があるため、物理攻撃に対する防御力も得られるというオマケ付き。

 しかし欠点もある。服としては優秀だが、加工する時には頑丈さが仇となる。それも一度だけではなく幾度も。

 例えば革をなめす時。

 動物の皮というのは有機物だ。そのままではすぐに腐るし、腐る前に乾燥しても硬くなってしまう。これでは服として使える期間があまりに短く、持って数日といったところ。貴重な服が数日で駄目になるのはあまりにも勿体ない。

 故に本来ならば、ここで『鞣す』作業が行われる。鞣しとは毛を取り除き、皮に様々な加工を施す事で『革』へと変え、より加工と保存に適したものにする作業だ。例えばお茶に含まれるタンニンに漬けたり、木を焚いて出した煙で燻製にしたり、はたまた噛みまくって加工(口鞣しと呼ぶ)したり……

 ところが此度の皮はミュータントのもの。モモのように能力だけで完璧に身を守っているタイプなら良いが、そうでないと大体インチキ性質が皮自体にある。原理不明の謎シールドに匹敵するような皮膚組織に、タンニンやら煙やらが通じる訳ないだろう。唯一通じるとすればミュータント顎力による口鞣しぐらいだが……あれは時間が掛かる。皮の硬さ次第であるが、一晩二晩は余裕で。出来れば長持ちさせたいとはいえ、強敵と戦えば一瞬で蒸発するようなものにそこまで労力は費やしたくない。

 継実は二つの方法でこの問題に対処する。

 一つは自らの能力。


「(要するに鞣しってのは皮を化学反応で加工して、性質が変わらないようにする事。なら、粒子を操れる私には簡単だ)」


 粒子操作能力を用い、皮の成分を直に加工する。生きたミュータント相手には能力などで抵抗される事も多く、隙を突かれて反撃される事間違いなしであるが、死んだ皮相手なら大した問題はない。

 それでも服に使えるような皮は構造そのものが出鱈目に頑強なので、時間はどうしても掛かるもの。だから二つ目の方法で時間問題には対処する。

 具体的には、『雑』に終わらせる事。

 真面目にやると時間が掛かるのだから、真面目にやらなければ早く終わるのだ。革として最低限の加工を施したらそれで終わり。勿論これは一種の手抜きである訳だから、保存性などが犠牲になる。しかしどの道強敵と戦えば服など吹き飛ぶし、ミュータント細菌はタンニンだろうがなんだろうが分解するのでいずれ腐ってしまう。成果が労力に見合う、ギリギリのラインが雑に見える段階なのだ。


「良し。皮の加工はこんなもんかな?」


 費やした時間は約五分。未だ『革』になっていない皮であるが、投じた労力に見合うのはこんなものだ。継実は長年の経験でその境目をしかと理解している。尤も南極は寒くて腐敗を司る細菌が(少なくとも七年前までは。今でもそうであると期待して此処まで旅してきた訳だが)殆どいないため、もう少しちゃんと加工しても良かったかも知れない。それは今後の生活の中で、新たに経験を積んで学ぶしかないだろう。

 ともあれ鞣し作業を終えたら、いよいよ服への加工だ。そしてここで二つ目の問題が立ち塞がる。

 皮そのものの硬さだ。能力や構造次第であるが、ミュータントの身体は核融合の炎水爆のエネルギーも容易く耐え抜く。ミュータント同士であってもそう簡単には破れないものも少なくない。そんな頑強な皮を切り裂くには多くの力が必要だ。しかし大きな力を加えると切り方のコントロールが難しく、精密な加工は困難となってしまう。

 人間文明なら匙を投げるところだし、モモにも難しい事だろう。されど継実にとってこれはそこまで大きな問題ではない。服加工が困難な理由は、力尽くで皮を引き裂こうとするからだ。継実はそんな野蛮な方法を用いない。


「……ていっ」


 皮をどう切るか。そのイメージを膨らませた継実は、指先を皮へと向けた。次いでその先端から粒子ビームを撃つ。

 この粒子ビームで皮を切断するのだ。これなら当てたところが切れるだけなので、大きな力を使ってもコントロールは容易い。そもそも大きな威力を出すにはビームの口径を小さくするのが効果的だから、力を込めるほど細く切れる。粒子ビームは皮加工にうってつけなのだ。欠点としては少々時間が掛かる点だが、精々十数分といったところ。これぐらいは許容範囲内だ。

 ちなみに今はモモの服を作る作業中だが、採寸は行っていない。長い付き合いの中で彼女のスリーサイズぐらい把握済みだ。それに……そもそも必要ないだろう。

 さて、切り分け作業が終わったら次は裁縫である。カニクイアザラシの皮は体長七メートルと巨大だが、これをぐるりと巻くだけでは芸がないし、殆ど簀巻きのようなスタイルでは動き難い。皮を服へと変えるには切り分けたものを繋ぎ合わせる、縫うという作業が必要だ。


「んー、この感じだと針は……このぐらいの硬さかな」


 まず用意するのは縫い針。無論継実達は裁縫道具など持っていないし、持っていたところで人類文明が作り出した金属製では役に立たない。針はその場で用意する。

 今回はアザラシの骨があるので、これを用いる。能力で骨を削っていき、鋭い針を作り出すのだ。ミュータントの種類によっては皮が硬くて骨が柔い場合もあり、その時は継実が自分の指の骨を加工して針を作る。再生可能なので指一本自分で削ぎ落とすぐらい怖くもなんともないが、痛い事は変わらないので、やらずに済むならその方が良い。

 針は調達した。あと必要なのは糸である。


「モモー。毛一本ちょうだい」


「……ほれ」


 そこで普段使っているのがモモの毛だ。彼女の体毛は非常に頑強かつ高性能。ミュータントの皮を縫うならこの糸しかあるまい。

 なお、今回はモモにすごーく嫌そうな顔をされたが、別に普段から毛を要求するとこんな顔をされている訳ではない。単純に、モモは自分のいらないモノのために自分の毛を渡すのが嫌なだけである。

 モモの気持ちは継実にも分かる。分かった上で、継実は黙々と裁縫を始めた。

 ――――お裁縫の得意な女の子、というのに幼少期の継実は憧れていた。なんとなくだが、凄く『女の子っぽい』からというのがその理由だ。十歳の時の継実は、ド直球の女の子だったのである。

 が、今は特に憧れもない。むしろ心底面倒臭いと思っていた。


「(こればっかりは純粋な技術だからなー……)」


 粒子操作能力を応用すれば、原子単位で針を通す場所を見極められる。腕や指の関節だって素粒子単位の長さで稼働可能だ。継実の指先は精密さだけなら人類文明が作り上げたあらゆる機械、そして人類史に存在する全ての職人を圧倒的に上回っていた。

 しかしセンスは、人間の頃とあまり変わらない。どんなに細かな動きが出来ようとも、センスがなければ完成するのは獣の皮の継ぎ接ぎである。服にはならない。

 ついでに言うと技術力もミュータント化前と大して変わらない。確かに素粒子単位の細かさで指を動かせるが、それだけでは細かな座標を指定出来るというだけである。例えるならドット打ちでちゃんとした美少女を描ける人間がどれだけいるのか? というのと同じ問題だろう。魅惑的な絵を書くにはドットは細ければ細かいほど良いだろうが、そもそもどうドットを配置すれば『美少女』になるのかを知らねば、出来上がるのはただの二頭身モンスターである。ついでに細ければ細かいほど必要な工数が増えるので、根気も必要だ。

 継実の身体に宿る力は、人類文明の全てを超越するスペックなのは間違いない。だから裁縫が好きならば、望むがままにその腕前は上達し、人類未踏の領域の遥か彼方まで突き進むだろう。しかし継実は七年間の生活の中で気付いてしまった。

 あ、自分大して裁縫好きじゃないな――――と。


「はい、服出来たよー」


「雑! 雑です継実さん!」


 なので出来上がったのは、単なる皮の継ぎ接ぎだった。七年間の野生生活の中で「腕と身体を通す穴があれば良いじゃん」という結論に達した継実お手製の服は、高度な異性文明人に扱き下ろされる。

 とはいえこの雑な服をミドリの前で作るのは、決して初めての事ではない。いきなり低評価を出されて、継実としては面倒臭さと同時に困惑を覚えた。


「えー……何が嫌なのさ。ミドリだって今まで葉っぱの服で良いって感じだったじゃん」


「アレは継実さん達しかいなかったからです。この星に来たてで余裕もなかったですし。でも今回はそうはいきません! 文明人に会うのですから正装しなければ!」


「私らをナチュラルに野蛮人扱いすんな」


 実際野蛮人だけど。ミドリの意見に心の中では同意しつつ、継実は自称文明人さんに苦い顔を向けた。尤もこんなのはただのじゃれ合いで、真面目に拒否してる訳ではないだろうが。


「ほい、これミドリの服ね」


 継実は問答無用で、嫌がるモモの前で作った服をミドリに渡す。

 元より継実には、モモに服を着せるつもりなどなかった。いくら大きめの皮とはいえ、二人分も作ればほぼ使い切るという目算だったので。もっと大きい皮なら遊ぶ余裕もあっただろうが、余りが出ない中でふざける余裕なんてない。

 結局はポーズだけの遊びだ。モモとミドリもそれぐらいは分かっていて、勝手に前言を翻した継実にこれといって質問も何もない。


「はい、ありがとうございます……うーん、実に原始的です」


 ミドリは躊躇いなくアザラシ皮の服を着込む。袖も何もない、殆ど皮を巻いただけのような見た目の服装。されど今まで直撃していた寒さを凌ぎ、身体が濡れるのを防ぐ。見た目よりもずっと暖かで、体力の消耗を抑えてくれるありがたい道具だ。心なしかミドリの顔がリラックスしたように和らぐ。

 継実も残った皮で自分の服を作る。ミドリ曰く原始的な服は掛かる工数も少なめ。あっという間に自分の服を作り、それを頭から被るように着る。

 思った通り、溶けた雪を弾いてくれる皮。吹き付けてくるブリザードは相変わらず激しいが、今までよりもずっと過ごしやすくなった。体温維持のため大きく消費していた基礎代謝が減り、より長い間飲まず食わずで動けるだろう。

 体力的な余裕は勿論、精神的な余力も出来た。これなら今まで以上に人間探しに注力出来る。


「さて、そんじゃあモモさん。人間の臭いを辿ってくださいな」


「よーやく私の出番ね。任せなさい」


 尤も、今更そこまで真面目に探す必要はないと継実は考えていた。何故ならモモの鋭い嗅覚があるからだ。

 継実とミドリのお遊びに渋々付き合ったモモは、元気よく跳び上がる。早速とばかりに辺りの臭いを嗅ぎ、此処にあった人間の痕跡を探ろうとした。

 その傍で継実は、昂ぶる自分の気持ちを発散させるように、自らの手のひらに拳を叩き付ける。

 満腹感と一遊びで少し気持ちは落ち着いた。そこに人間に会えるという期待感が加わり、身体を程よく火照らせる。何時人間に会えるか分からないがその時は近い筈。何が起きるか分からないが、これなら『何か』が起きても問題なく対処出来るだろう――――


「……ん?」


 そのような自己分析中に、モモの動きが止まった。

 止まったモモはじっと、一点を見つめる。風上の方角で、吹き付けてくる雪が身体の前面に積もり始めたが、それでもモモは動かない。


「どうしたの?」


「……何か来るわね」


 尋ねれば、返ってきたのはその一言。

 何か。あまりにも具体性のない表現であり、これだけでは何が起きるか分からない。が、モモの表情と身体の状態を見れば彼女がその気配をどう感じているかは分かる。

 どうやら友好的でなく、そして油断しても良いような存在ではないらしい。

 即座に、継実は身体に力を滾らせる。傍のモモと同じく、何時でもトラブルに対処出来るように。ミドリも継実達の反応を見て、身体を縮こまらせて防御態勢に移行する。

 三人全員が準備を終えた。そしてその時は、瞬き一回分の時間を置いてやってきた。

 風上から吹雪と共に、巨大な獣が突撃してくるという形で――――

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