凍える大陸04

「こ、これは……!」


 その生物を目にした瞬間、モモは驚きの声を漏らした。


「ひっ!? に、人間じゃ、ない……!?」


 ミドリは後退りして、それの正体について言葉で触れる。

 確かに人間ではない。同じく『人影』の正体を目の当たりにした継実は、ミドリと同様の考えを抱く。

 崖下に居た生命体。それはこれまで見てきた、どの生物とも異なる姿をしていた。

 体長百五十センチ。継実と比べて頭一つ分は小さい身体は、しかし肩幅が非常に広く、括れが殆どない寸胴な体系をしている。足は非常に短く、足首から上の長さは恐らく十センチもないだろう。頭部は身体と比べて決して大きくないが、先が鋭く尖った嘴を持つ。あれで突かれたなら、ちょっとばかり痛そうだ。

 寸胴な身体には『腕』があるものの、指は見られない。まるでオール、或いは刃物のように薄く、幅広く変形していた。全身を覆う毛は極めて細く、背中側と頭と腕は黒、腹は白とハッキリ分かれた生え方をしている。また首周りにだけ黄色い毛が生えていた。

 そして、ぎょろりとした感情の薄い目。友好はおろか対話すら成り立たないと、本能的に感じさせる。

 これまで見た事もない姿の生命体を目にしたのだから、ミドリが恐怖するのは仕方ない。が、継実葉大して驚きや恐怖はしなかった。何故ならその正体を知っていたから。なんなら七年以上前には、『水族館』でこの生き物の仲間を生で目にしているぐらいだ。


「……こりゃ、コウテイペンギンだ」


 ぽつりと呟くように、継実は目の前にいる生物の名を呼んだ。


「こ、コウテイペンギン、ですが……? えと、に、肉食獣でしょうか……」


「まぁ、肉食ではあるよね。魚とか甲殻類が主な獲物だけど」


「あ、そういうタイプでしたか……ほっ」


 継実から説明されて、ミドリは心から安堵したように息を吐く。

 とはいえ油断は禁物だ。南極なら細菌型ミュータントはいない、かも知れないという希望を持って訪れた訳だが……このコウテイペンギンは放つ気配からして確実にミュータント。七年前の生態が何処まで当て嵌まるかは不明だ。身体も七年前と比べ一回りほど大きくなっているし、そもそも今の時期コウテイペンギンは本来繁殖期真っ只中(吹雪の中で子育てをする事から世界一過酷な子育てをする生物とも呼ばれていた)であるのにそんな様子が見られない。そうした特徴から外れているので、オーストラリアの肉食コアラよろしく、進化の過程で分岐した新種という可能性が高い。

 ただ、継実達が傍に居て無反応なのだから、動物を積極的に襲うタイプでもないのだろう。周りに仲間の姿は感知出来るが、数メートルの間隔を開けており、また継実達の存在を知らせるような警告音も発していない。どうやら群生はしているものの『群れ』ではなさそうだ。


「……ふむ。獲物に出来るかな」


 なので自然と、その選択肢が継実の頭に浮かぶ。


「あ、良いですね。ぷくぷく太ってますし、美味しそうです」


「実際脂肪は多いよ。寒い場所に棲んでるから保温のため皮下脂肪が厚いし。その脂肪を燃料として使っていた時代もあるぐらいだよ」


「そんだけ脂身が多いなら、一匹仕留めればしばらくは食べなくても良さそうね」


 わいわいと家族三人で狩りの計画を立てながら、継実はちらりとコウテイペンギンの方を見遣る。

 継実達とコウテイペンギンまでの距離は約三メートル。すぐには触れないが、少し駆け出せば射程圏内に収められる距離だ。継実達の声だって届いているだろう。

 だが、コウテイペンギンに反応はない。

 人間の言葉が理解出来ないタイプのミュータントなのだろう。こちらの言葉を『鳴き声』としか認識していないから、狩りだの脂肪を燃料にするだの話しても理解が出来ない。そしてこれだけ接近して逃げようともしない辺り、警戒心も強くないようだ。

 ミュータントペンギンともなれば普通の人間が襲える相手ではない。だから南極に人間が暮らしていたとしても、警戒心を持たないのは当然……と言いたいが、果たしてそうだろうか? ミュータントペンギンが生息しているぐらいなら、それを獲物とする肉食獣がいてもおかしくない。そうした肉食獣に襲われる生活をしていれば、より警戒心の強い個体が繁栄しそうなものだ。

 何かが奇妙だと、違和感を覚える。だが怪しいという理由だけで目の前の『獲物』を見逃すのは、少しばかり躊躇があった。南極には生き物が少ない。ペンギンのような高カロリー高タンパクな栄養源を無視するのは、今後生き残る上で適した選択肢とも思えない。

 考え、悩み、継実は決断する。


「……襲うか」


 コイツを食べよう、と。

 その次の瞬間の事だった。

 今まで不動を貫いていたコウテイペンギンが、凄まじい速さで継実の方へと振り返ったのは!


「ッ!?」


 続いて継実が全身で感じたのは視線、ではなく殺気。反射的に両腕を顔の前で構えながら後退した。

 そうしている間にコウテイペンギンは、オールのように平たいを振り下ろす。さながら、剣で対象をぶった斬るかのように。

 ――――ペンギンの翼こと『フリッパー』の力は凄まじい。

 ぺちぺちと動かす姿は可愛らしく、脅威を感じる人間は殆どいないだろう。だが見た目に騙されてはいけない。尾ビレやくねらせる身体を持たないペンギンは、このフリッパーの力だけで水中を時速数十キロの速さで泳ぐ。また飛ぶために骨を軽量化している他の鳥類と違い、その必要がないペンギンの骨は硬く密になっているのが特徴だ。これらの性質からペンギンの翼の攻撃力は凄まじく、コウテイペンギンのような大型種の一撃は人間の骨を砕くほどだという。

 ミュータントとなった彼等の力が七年前の比である筈がない。継実のそんな予想は見事的中した。

 三メートルに渡って剣のように伸びた、紅蓮の光が事で。


「ごぶっ……!?」


 離れた位置まで届いた一撃に継実は呻く。顔面から腹に掛けて真っ直ぐな切り傷が入り、切断面から大量の血が噴き出した。切断面は内臓にも達しており、消化器官と心臓を両断している。

 そしてガードのために構えていた両腕の前腕が、真ん中から綺麗に切断された。

 しかし継実はまだ死んでいないし、意識も飛ばしていない。心臓などの臓器を切断されたが、即座に血液を能力で操作して止血。また切断面がキッチリ身体の中心を通っているお陰で肺は無傷であり、頭の傷も頭蓋骨粉砕で止まった。思考と生命活動に問題はない。

 故に継実は考える。


「(うっそ、粒子スクリーンが、……!?)」


 継実とて無策で攻撃を受けた訳ではない。両腕と身体の前面に粒子スクリーンを展開して攻撃に備えていた。七年前と比べて大型化したとはいえ、コウテイペンギンの体重は継実と同格か少し上回る程度と予想される。ならば攻撃力も同等であり、全力で防御を固めれば耐えられると踏んでいた。

 が、甘かった。ペンギンが繰り出した光の刃は、粒子スクリーンをまるで素通りするかのように通過したのである。

 不幸中の幸いと言うべきか、その原理が継実の目には見えていた。ペンギンの翼から放出された紅蓮の光は、大量の光子だったのである。光子は素粒子の中でも『粒』と『波』の両方の性質を有している特別な存在。ペンギンはこの光子を高エネルギーかつ波の性質が強い状態で翼から撃ち出したのだ。

 粒子スクリーンも素粒子をぎっちりと並べて作り出した壁だが、『粒』ではなく『波』の性質を持たされた光子は僅かな隙間を(与えられた高エネルギーでゴリ押しする形だったが)突破。継実の肉体に直接ダメージを与えてきたのである。

 名付けるならば侵食光子ブレードか。しかもこのような力を使いながら、コウテイペンギンの能力は光子を生み出す事ではない。侵食光子ブレードは鹿、全てが光子レベルに分解された結果なのだ。コウテイペンギンの正確な能力は、『触れたものを光に変える』だろう。かつて草原で戦った、巨大ミミズのように。

 一応粒子スクリーンの隙間を通る過程で少なからずエネルギーを奪い取るので、完全に素通りされた訳ではないが……それでも身体を切断されるほどのダメージだ。直撃を受けたら耐える暇もなく両断されるだろう。そして一番の問題は、恐らく粒子を用いた方法では殆ど防げない事。

 つまり。


「(私の能力じゃ相性が悪い……!)」


 守りに徹すれば負ける。ならばどうするか?

 相手がこちらを倒すよりも早く、徹底的に攻めるしかあるまい。


「だりゃあァッ!」


 継実の意図を察するように、ペンギンに対して最初に『反撃』したのはモモだった。稲妻を纏ったキックをペンギンの脳天に向けて放つ!

 継実も傷の修復を行いつつ、反撃へと転じた。腕は前腕部分の真ん中辺りでぶった切られたが、能力の使用にはなんら支障ない。大気分子を集め、腕の断面から粒子ビームを撃ち出した。

 二方向からの同時攻撃。だがコウテイペンギンは狼狽えない。


「グァッ!」


 コウテイペンギンは翼をぐるんと、身体の前で弧を描くように動かす。すると光子の集まりが、まるで壁のように展開された。モモの電磁キックと粒子ビームは壁に阻まれ、コウテイペンギンに届かない。

 素粒子で防御壁を作り出すのは、粒子スクリーンと同じ原理だ。だがコウテイペンギンが作り出したものは光子によるもの。波で出来たそれに一切の隙間は存在せず、粒子ビームは殆ど無効化されてしまった。粒子的な攻撃に対し、極めて強い性質がある。


「ぐ、ぬぅりゃあっ!」


 反面物理的防御力には劣るようで、モモが追撃のキックを放てばどうにかこれをぶち破った。とはいえコウテイペンギンは素早く翼を振るい、モモを殴り飛ばす。

 光に変える馬鹿力を受けて、モモの頭が光へと分解されながら吹き飛ばされる。しかしモモにとって人間の姿は作り物。頭を失おうと身体の動きに支障はなく、むしろ吹き飛ばされる勢いを利用して回し蹴りを放った。よもや頭がなくても動くとは思わなかったのか、コウテイペンギンの頭にモモのキックは直撃。コウテイペンギンの身体も衝撃で大きく飛ぶ。

 ようやく入った大きめの一撃。しかしこれは好ましい攻撃ではなかった。


「ガ……カアァアッ!」


 けたたましい咆哮。それは気合いの雄叫びなのか、コウテイペンギンは全身により一層の力を滾らせる。

 だが、その力が継実達に向く事はない。

 何故ならコウテイペンギンは素早く腹這いの姿勢になるや、そのまま南極の大地を滑走し始めたからだ。おまけにモモに蹴り飛ばされた際のエネルギーを推力にして、超高速で突き進む。そして向かう先は継実達がいる方……ではなく、逆に継実達からどんどん遠ざかる向き。

 つまりは逃走だ。

 決しておかしな判断ではない。コウテイペンギンは継実達に襲われている。そして継実達を全力で殺したところで、コウテイペンギンにはなんのメリットもない。簡単に殺せるならまだしも、今のように手痛い反撃を喰らわせてくる相手と真面目に戦って死んでは意味がないのだから。

 生物にとっての勝利は生き残る事。生物の世界において逃走は『勝利』だ。


「ああクソッ! やらかした!」


 頭を再生させたモモが悪態を吐く。敵がこちらを捕食しようとしてるなら兎も角、獲物を蹴り飛ばしては逃げられてしまうのは当たり前の事だ。モモ自身が言うように、狩りとして見れば失態だろう。

 しかし継実はそれを責めようと思わない。むしろ追い駆けようとするモモを、先が欠けたままの腕を伸ばして制止する。


「いや、追わなくていいよ……流石に相性が悪い。勝てなくはないと思うけど、犠牲者が出かねないからね」


「……んじゃ、しゃーない」


 継実に説得され、モモは追跡を取り止めた。

 コウテイペンギンが逃げなかったのは、自分と同じぐらいの大きさの生物からなら逃げられるという自信があったからか。実際こうして逃げられてしまうと、過信ではなく経験に基づく判断と言ったところ。自分達の判断に間違いがあるとすれば、そんな相手にケンカを売った点だ。大した怪我もなく事が済んだだけで儲けものだろう。

 兎にも角にも戦いは終わり、ひとまず安全にはなった筈。


「……おーい、ミドリ。もう出てきていいよー」


「ぷはぁっ。えと、残念でしたね」


 継実が呼び掛けたところ、雪の中に埋もれて隠れていたミドリが這い出してくる。コウテイペンギンが臨戦態勢に入った瞬間、危険を察して素早く身を隠していたのだ。ある意味とても頼もしい。

 狩りには失敗したが、全員無事だから良しとしよう。気持ちを切り替えた継実は笑みを浮かべた。身体の傷も治り、すっかり元通りだ。

 ――――お腹の減り具合は悪化したけど、と思いながら。

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