凍える大陸02

 南極に辿り着いた継実達に突き付けられた最初の問題は、そもそも何処を目指せば良いのかという根本的なものだった。

 これまでの旅は、適当に南へと向かえば問題なかった。何しろ目的地である南極は、日本から見て南にある大きな大陸なのだから。無論七年前の人類が生身で行こうとすれば、航路やら陸路やらを緻密に計算せねばならなかっただろう。しかしミュータントである継実達は空も海も陸も、渡るだけなら何一つとして問題がない。海洋生物や飛行生物に襲われた時ほぼ確実に死ぬから出来るだけ海の少ないルートを通ろうとしただけで、地形には一切縛られずに移動していた。

 しかしここからは違う。南極に辿り着いた後、この地に住んでいる人間達が「やぁやぁよくぞいらっしゃいました」と言って現れてくれる訳ではない。自分達が、相手を探さねばならないのである。


「さぁーて、どうやって探そうかねー」


 問題を提起した継実は、どしんとその場に座り込む。体重の重さで地上を埋め尽くす雪に深々と沈み、座っているというよりも下半身が埋めれているように見えるのはご愛嬌だ。

 議論を交わす気満々な継実を見て、ミドリとモモも同じく雪の上に同じく座る。そしてまずは私がと言わんばかりに、モモが元気よく手を上げた。


「はいはーい。難しい事考えないで歩き回れば良いんじゃなーい?」


 早速モモの口から出てきた意見は、有言実行とばかりに難しい事を考えなかったであろうシンプルな代物。

 それで良いなら最初からそーしてるわ、と継実は表情で語りつつ両手でバッテンを作る。次いでその理由をモモに話す。


「アンタねぇ、南極がどれだけ広いと思ってんの。一千四百万平方キロメートル、私達が今朝までいたオーストラリアの約二倍の面積よ。大都市を築いてるなら兎も角、百人いるかも分かんない人間達をてきとーに歩いて探すとかほぼ無理だから」


「んー、無理かー」


 継実が否定すると、モモはすんなり納得した。人間ならばここで意地の一つでも張るかも知れないが、獣にそんなつまらぬプライドはない。正論だと思えば素直に納得するのだ。

 継実とてモモの意見を全否定した訳ではない。モモの嗅覚は非常に頼りになるもので、近くに人間の痕跡があれば見事捉えてくれるだろう。案外近くに痕跡があって、適当に歩き回ってもすんなり見付かるかも知れない。

 が、臭いを嗅ぐなんてのは他の事と同時に行える行動だ。というより周囲の警戒方法としてモモは常にやっている事。だから他の『作戦』と並行して進めれば良いのであって、その行き当りばったりに全身全霊を注ぎ込む必要は微塵もないのである。


「あ、えと、じゃあ村を探す感じですかね? 多分たくさんの知的生命体が集まれば、社会を作ると思いますし……」


 次いで意見を述べたのはミドリ。宇宙人らしく人間の行動を学術的な見地で述べる。

 その考えは継実も頷くところだ。人間というのは基本的に群れで生きる生物。「オレは一人でも生きていける」と一匹狼系の創作キャラは言うかも知れないが、それがまかり通るのはだけだ。会話を行い、相手の表情を読み、共感を抱く……それら『社会生活』を営むために進化させた能力は、人間が大自然を生き抜くために得たもの。知力の高さなど、これらコミュニケーション能力に比べれば些末なものに過ぎない。社会を作らねば、この厳しい世界で生きていく事は出来ないのである。ましてやミュータント化してない人間となれば尚更というもの。

 それに、七歳未満の幼子達なら兎も角、それ以上の歳の人間ならば文明社会のありがたさを理解している。分業が如何に効率的な行いであるか、誰もが知っているのだ。仲間がいれば群れずにはいられまい。


「そうだね、規模は分からないけど集落は作ってると思う。ただ、定住はしてないんじゃないかな?」


「え? 人間ってそんなに移動性の高い生き物だったのですか? 私が地球を目指していた時は大都市を作っていたので、てっきり定住性の強い生き物だと思っていたのですが」


「うーん。確かに文明があった時は定住している人の方が多かったけど、でも生物的には違うっぽいしなぁ。そもそも南極じゃ定住は無理だと思うし」


 そもそも人間は何故定住するようになったか?

 諸説あるが、一番の理由は農耕のためだろう。安定的に食物を得る手段である農耕だが、植えた植物は動けないため、その場で暮らして世話をしなければならない。放置しても育つといえば育つが、たくさんの収量を得るならば世話は不可欠だ。また農耕では収穫時期に莫大な(一日で食べきれないほどの)食糧を得られる訳だが、これを保存するために倉庫を建てれば、管理するためやはりそこから動けなくなる。適当にやるならば兎も角、真剣に農業に取り組むとなると定住せざるを得ないのだ。

 対して農耕が発達する前に行われていた狩猟採集生活の場合、逆に定住は不向きである。人口個体数が増えればその地域の食べ物が食い尽くされるのは自然の理。同じ場所で狩りを続ければ、いずれ獲物はいなくなってしまう。

 農耕をしないのならば、定住はメリットよりもデメリットの方が大きい。そして南極の大地で農耕を行うのは、色々と難しいだろう。寒さもそうだが日照が弱く、そして有機物の蓄積による土壌がない。そもそもミュータント相手に作物を守るなんて、命懸けの闘争も同然だ。そんな戦いをするぐらいなら、端から狩猟採集生活をしている方が合理的だろう。

 勿論、ミュータントでない人間にミュータントは倒せまい。だがミュータントの身体を素材にして槍でも作れば、指一本動かせないほど瀕死の生物に止めぐらいは刺せる筈。そもそも単身で生き延びる必要はない ― というよりほぼ無理だろう ― のである。なんらかの猛獣と共生(例えば人間の知恵を提供するなど)していれば、その猛獣の食べ残し死肉を分けてもらうなどして食べていけるのだ。それにミュータントでない普通の人間が生き延びているのなら、文明人よりタフネスに溢れる野生動物は確実に生き延びているだろう。それら普通の動物なら、ただの人間でも獲物に出来る。

 この地で人間が暮らしているなら、その社会体系は必然的に狩猟採集生活だ。


「うーん、ならどうしましょう……定住しているなら適した場所を探せばと思いましたけど、そうでないならどう探せば……」 


 継実の説明を聞いて、ミドリはすっかりしょぼくれてしまう。自分の方法では駄目だと、自分で思ってしまったのだろう。

 しかしあまり卑下するものでもない。考え方自体は正しいのだ。


「いや、それなら発想を逆転させれば良いんだよ。つまり狩猟採集や移動生活に向いた場所を探せば良い」


 例えばモンゴルなどにいた遊牧民は家畜を率いて移動生活を行っていたが、その移動は決して無秩序なものではなく、ある程度ルートが決まっていたという。考えてみれば当然だ。何故遊牧民が移動するかといえば、家畜がその地の草を食べ尽くすので、新しい餌場を用意しなければならないため。逆に言えば、また草が生えてくればその土地に戻ってくれば良いのだ。そこに草が生い茂る事は、『過去』の経験からして明らかでもある。むしろ見知らぬ土地にわざわざ冒険しに行って、そこに草一本生えてなければどうするのか? はたまた崖崩れや洪水が頻発する地域だったら? 家畜が死に絶えた時が、自分達の死であるというのに。

 狩猟採集生活でも同じだ。移動は獲物の個体数回復を狙っての事であり、離れるのは一定期間だけで良い。敷かれたレールの上など御免だとばかりに無秩序移動するのが悪いとは言わない(そうした冒険心が新天地に進出する原動力なのだから)が、誰もが無計画では死者が増えるだけ。狩猟用のポイントを幾つか見付けて、それを巡回するのが最も効率的かつ安全な生き方である。ミュータント化していない動物がいるにしても、恐らく個体数は僅かだろうから、それを管理する意味でも記録とルート作成は不可欠。

 即ち。


「動物が豊富な場所は、人間の狩猟ルートになっている可能性が高い。そこを見て回れば人間の痕跡を見付けたり、運が良ければ鉢合わせたり出来る筈だよ」


「お、おぉー! 成程!」


 継実の話を受けて、ミドリは感嘆したような声を上げた。ミドリの話をヒントに話を膨らませた継実としては、こうも素直に感嘆されるとちょっとむず痒い。

 それに、この方針の要になるのはミドリの力である。


「という訳でミドリ! 南極大陸中を索敵して、なんか生き物の反応を見付けて! 力の強弱は関係なし! その反応は人間そのものか獲物になる動物、或いは人間と共生しているミュータント、かも!」


「りょーかいしました! あたしにお任せください!」


 継実の掛け声……よくよく聞けば内容は極めて雑だが……に触発されたのか、ミドリは威勢の良い掛け声を出す。尤もその直後、真剣な顔で黙り込んでしまうが。

 今頃ミドリは能力をフル稼働させて、南極大陸全体を見渡している事だろう。ミドリの索敵能力は正にミュータント級だ。ぼんやり棒立ちしている人間が一人いれば、確実にそれを見付けてくれるに違いない。

 とはいえ、ただの人間が索敵から逃れる方法もなくはない。例えば迷彩能力を持ったミュータントの毛皮を被っていれば、それだけで姿を眩ませられる筈だ。またなんらかのミュータント高エネルギー体と共生して傍で暮らしていたりすれば、大きなエネルギーに紛れて見えなくなる。ミドリの索敵は継実達の中で最強ではあるが、無敵ではないのだ。真面目にやっていても見逃す可能性は十分にあるだろう。

 ましてや下手に話し掛けて気を逸らすなんて行いは、愚策というものだ。故に継実はミドリから顔を反らす。代わりに、今までずっと黙っていた……そして南の方をじっと見つめているモモに、声を掛ける事にした。


「どしたのモモ。なんかいた?」


「……臭いがしたわ。間違いなく血の匂い。多分肉食獣が獲物を仕留めたんでしょうけど、姿が見えないのにぷんぷん臭ってくる。つまり辺り一面血に染まるぐらいズタズタに切り裂いたか」


「……、か」


 継実の思い描く可能性をモモは頷いて肯定した。

 やはり、南極でもミュータントは生きている。しかもモモが血の臭いを感じて警鐘を鳴らすとなれば……恐らく数メートル程度の大きさの生物が大量出血しているのだろう。

 これ自体は想定内だ。砂漠の大地にもムスペルという巨大種が暮らしているぐらい、ミュータント生態系は極限環境でも豊かなもの。南極の大地に人間一人をバリバリと噛み砕けるサイズの生物がいたとしても、なんらおかしくはない。ただ、今までの環境なら、他の可能性を考える必要はなかった。

 だが、今の南極では違う。


「(人間が何かやらかしてる可能性も、否定出来ないか)」


 野生生物は合理的だ。自分の利益に関する事は全力で挑むが、そうでなければ興味もない、或いは娯楽として消費する。損得勘定がハッキリしていて、だからこそ『理性的』に振る舞う。

 対する人間は感情的だ。例えば復讐としてある種の生物を殺すというのは、不合理の極みだろう。いや、自分達の子孫を傷付ける可能性のある存在を排除するという事自体は合理的だが……死体を八つ裂きにしたり、瀕死の生物を苦しめたりするのは全く。意味がないのに人間はそれを行うのだ。

 果たして殆どの人間は、文明を滅ぼした怪物に憎しみを向けないでいられるのだろうか? 家族や恋人、友人を殺したであろうミュータントを恨まずにいられるだろうか? 自分自身がミュータントになれば、多少は割り切れるかもだが……純粋な人間ならばそうもいくまい。

 勿論ただの人間相手なら、全身を核兵器で武装していてもミュータントは難なく返り討ちにするだろう。ミュータント素材から作り出した武器防具を装備していても、反応速度や演算能力が違い過ぎて健康体ならばなんの脅威にもなるまい。だが、なんらかのミュータント動物……例えば犬や猫と共生していたなら? 愛玩動物達は人間の指示に従順であり、それでいて動物らしく合理的冷徹だ。無駄に嫐る事はせずとも、人間に指示されたなら躊躇いなくやってのける。人間が頭脳として入れば、獣は復讐鬼の振る舞いをしてしまう。

 そしてミュータントの家族を引き連れた自分を、南極の人間達は『仲間』として認めてくれるだろうか?


「(ぶっちゃけなぁー、私の考えって七年前なら軽く精神的異常者っぽい訳で)」


 継実は両親が死んだ直後に、大して泣きもせず、自分の命の心配をしていたような人間だ。それどころか両親を殺した一族であるムスペルを目にしても、特段憎しみも抱かず受け入れている始末。正直なところ継実自身七年前の価値観なら、割とドン引きする考え方だ。

 このミュータントに支配された世界で細々と生き抜いてきた人類も、同じ価値観を持っている可能性は高い。家族への憎しみで突撃するような『個体』は、ミュータント生態系ではな存在として淘汰されやすい筈だからだ。だが、運良く生き延びていたなら……継実の考えや家族の存在は受け入れてもらえないどころか、脅威や敵と捉えられるかも知れない。

 もしも人間達が、自分達を敵だと言って殺そうとしたり、人間じゃないからと奴隷扱いでもしようものなら――――


「(……とりあえずは逃げれば良いか。しつこく追ってくるようなら、『排除』する必要があるかもだけど)」


 人間は愛おしい。社会は恋しい。だから此処まで旅を続けてきた。されど家族を傷付ける存在は、どんな相手でも一緒には暮らせない。

 自然界において最悪は常に想定しておくものだが、人間社会に対しては『最低』を想定しておかねばならない。十年しか人間社会で生きていない継実であるが、それぐらいの事は薄々勘付いていた。

 ――――ようやく目的地に着いたのに、なんだか嫌な事ばかり思い付く。

 大人になった自分は酷く嫌な人間になったようだと継実は自嘲する。しかし思い返せばニュース番組や新聞で見る人間社会なんて、一部を除いて大して綺麗ではなかった。そう思うとちょっぴり気が楽になる。

 それによく考えたら『彼女達』が既に到着している筈だ。どちらもリーダーシップがあるようなタイプではなかったが、何故かは分からないものの、彼女達なら色々なんとかしてくれる気がした。大体会ってもいないどころか本当にいるかも分からない人間達の人格や思想について、あーだこーだと考察する事ほど無駄な行いもそうあるまい。


「……継実さん、この付近で動物らしき反応を五つ見付けました。移動してるものはこのうちの三つです。明らかにミュータントだと思われる強い反応は動いているもののうち二つ。他三つは気配を消しているのか、ミュータントじゃない存在なのかは力の大きさだけだと判断出来ません」


 気持ちを切り替えたところで、ミドリから索敵の結果が報告された。

 距離が離れるほど索敵の精度は落ちる。だからこそミドリは『この付近』という言い方をしたのだろう。

 よくぞ五つも見付けてくれたものだ。あまりたくさん見付けても、どれから選んで良いか分からなくなる。分からなくなったところで、選び方など一つしかないというのに。


「ん、OK。それじゃあ、一番近くの移動してる奴を狙おうか。移動中の人間かもだし、そうじゃなくても動物には違いないし」


「分かりました。警戒は続けて、他にいい感じの反応がないかも見ときますね」


「よろしく。んで、モモは周りの臭いを念入りに嗅いどいて」


「ほーい。なんか色々言ってるけど、要するに何時も通りって事よね?」


 なんの気なしに尋ねてくるモモに、その通り、と継実は答えた。

 そう、普段と何一つ変わらない。変わる筈がないのだ。

 人間の願いが叶いそうかどうかなんて、『世界』のあり方にはなんの影響もないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る