第十二章 凍える大陸
凍える大陸01
自由を取り戻し、空高く飛んでいく三つのミツバチ製飛行マシン達。
遠い異大陸にやってきたその機械達は、文字通り逃げるような慌てぶりで空を駆ける。拘束時間なんて数分だし、ちょっと運んでもらっただけで大して酷い事はしてなくない? とも思う『誘拐犯』こと継実だったが、よくよく考えれば数千キロにもなる旅路を強制し、行きも帰りも危険な海路を横断させている。割と普通に酷い事だった。
死物狂いで逃げられるのも仕方ないなと思いを改めてから、継実は自分の目の前に広がる光景を見遣る。
満天の星空の下に広がる、純白の景色を。
「……着いたね」
「着いたわね」
「着きましたね」
継実がぽつりと漏らせば、傍に立つモモとミドリも同じ言葉を語る。されど呟いた当人である継実は、家族達の意見をあまり聞いていない。眼前の光景にばかり意識が向いていたがために。
ミツバチ達の飛行マシンに降ろされた場所は、この『大陸』の北端……海沿いだ。しかし海沿いらしい砂浜や岩場は何処にも見られない。代わりにあるのは、海まで張り出した白い雪と氷に覆われた大地のみ。地平線の先まで白さは続き、枯れ木や岩の黒さすらも見当たらない。変化と呼べるものは大地の起伏による凸凹だけだ。植物すらないのだから、それらを食べている動物の姿など、影も形もない有り様である。
気温も凄まじく低い。夜だという事を差し引いても、今まで感じた事のない寒さだ。肌感覚からの判断だが、マイナス七十度はあるだろう。ミュータントだからこそ継実達は裸でも平然としていられるが、七年前の普通の人間ならば瞬く間に凍り付いて物理的に凍死しているに違いない。大地を覆い尽くす雪は分厚く、足が深く沈んで歩き難い状況だ。
地球はこの七年で大きく変わった。日本から都市が消え、熱帯雨林は高層ビルを凌駕するサイズまで巨大化し、オーストラリアの海沿いには蜂蜜都市が建造されている。生命は星の姿を瞬く間に変えてしまった。だが、此処の風景は七年前と変わらない。継実にとっては写真や映像でしか知らない風景だが、記憶やイメージで思い描いたものと瓜二つ。
間違いなく自分達の目指していた土地だ――――心からそう感じた継実の口から、この地の名前が溢れ出す。
「辿り着いたんだ……南極に!」
地球の最南端、南極であると。
絶滅しているかも知れないと思っていた『人間』が、もしかしたら集まっているかも知れない大陸だ!
「はいっ! やっとですね!」
継実が感極まって想いを吐き出すと、ミドリも自らの気持ちを明かす。目をキラキラと輝かせ、身体はそわそわと揺れ動く。
ミドリは正確に言えば『ヒト』ではない。しかし人間に、文明的な知的生命体に会える事への喜びは継実と同じく抱いていたらしい。本心から喜ぶ姿に継実も思わず笑みが零れる。
「いやー、ようやく着いたわね。長かった、とは思わないけど」
対してモモは特に感動した様子もなく、淡々と事実を述べるだけ。
継実と比べればなんとも淡白な反応であるが、それも仕方あるまい。野生生物である彼女は合理的だ。合理的に考えれば旅なんてものは他の土地に移動しただけの意味しかなく、感動だの感嘆だのする理由がない。大体まだ人間達に会っていないのだから、喜ぶのは早計というもの。モモの反応は極めて正しいだろう。それを風情がないだの無感情だの言う事に、どんな意味があるというのか。
そもそも旅の期間としては二ヶ月かそこらでしかないのだ。ミュータントが出せる最高速度を思えば随分ちんたら歩いたものだが、しかし大陸横断の旅路を生身で行ったと思えば……七年前の、ミュータント化以前の人類の肉体的には実に短い旅だろう。死にかけた経験は数えきれないほどあったが、別に草原で暮らしていた七年間も死にかけた事は一度や二度ではない。
合理的に考えてみれば、わーわーと騒ぎ立てるほどの事ではないように感じる。なんとも拍子抜けした気もしてきた。そして、こうもあっさり辿り着けたとなると、本当に此処は南極なのかという不安も過り始める。
……達成感だのなんだのは大した問題ではないし、その通りだろうが違っていようがどうでも良い事だ。だが最後の、此処が何処なのかは無視出来ない。南極に辿り着いたという前提が正しくなければ、自分達の旅はまだ終わっていないのだから。しかしGPSもネットも地図も都市も看板も村人Aもない今の世界で、自分の居場所を知るのは困難だ。
そもそもこれまで南に向けて邁進したつもりであるが、本当に自分達の進んでいた方角は南なのか? これまでの旅で出会った規格外ミュータント、例えば大蛇やムスペルほどの力があれば、地軸をちょっとズラす事も出来るかも知れない。そして自身の利益のためなら他の不利益などどうでも良いのが生物というもの。気温調整だとか敵との戦いの余波だとかで、奴等が地軸をズラしている可能性もゼロではない。南に進んでいる根拠としていた島や大海原などの『地形』も、大蛇が尻尾を振り回せば簡単に作れてしまう筈だ。エネルギーを受け止めてしまうミュータント細菌や植物がいなかった頃なら、継実にだって地形の一つ二つ作れる自信があるのだから。
太陽を目印にして南に進んでいたつもりだったが、実は東や西に進んでいたのではないか……不安が胸に沸き立つ。しかし考えても仕方ない。不安がったところで、天から答えが降ってくる事はないのだ。疑い出せば切りがなく、答えがないのだから不安は積もるばかり。自縛に追い込むだけである。
それに、此処が南極だという根拠が全くない訳でもない。
「うーん。なんか暗いですね。オーストラリアを出た時って、まだ朝だったと思うのですが……」
ミドリが呟いた疑問だ。ミツバチ達の飛行マシンに乗っていた時間は、十分に満たない程度。フクロミツスイが繰り広げていた戦いの時間を加算しても、まだ早朝、精々昼前の時間帯なのは間違いない。
ところが辺りは完全な夜。今まで旅で見てきたどんなものよりも眩くて美しい、満点の星空まである。
何故朝なのに星空が広がっているのか? 継実はその理由を知っている。
「地球の地軸がちょっと傾いてるからね。だから季節によって、太陽光が当たらない場所があるんだよ。この時期なら南極がその場所になる」
もしも地軸の傾きがなければ、どの季節でも地球のあらゆる場所は太陽光を浴びる事が出来る。季節変化はなく、日照時間は年間を通して一定だ。
しかし地軸の傾きがあると、季節によって日照時間が変化する。そして日の当たらない場所と時期も生じる。
その時期の名を極夜と呼ぶ。
南極における極夜は六月下旬頃。丁度今ぐらいの時期だ。此処が別の大陸なら、極夜にはならないか、或いは時期が違う筈。もしも地軸が傾いて、南極と同じ位置に別の大陸が来ていたなら……二ヶ月前まで暮らしていた日本の気候は劇的に変化しているだろう。
極夜の存在が、此処が南極だと示してくれる。ミドリの一言のお陰で確信に至った継実は、小さなガッツポーズを作った。
「うぅ……やったー! ついに辿り着いたぞー!」
「あらあら。なんか今回は随分とテンション高いわね」
「そりゃそうですよ。ようやく目的地に辿り着いた訳ですし……仲間にも会えるかもなんですから」
ミドリは同意するように頷き、継実への共感を示す。
そう。こんな地球の南端までやってきたのは、物見遊山目的なんかではない。細菌性ミュータントが少ないであろうこの極寒の地であれば、今でも人間が暮らしているのではないかという期待があったから訪れたのだ。
南極には辿り着いた。だが旅はまだ終わっていないどころか、ここからが本番だとも言えよう。
それに南極とて生き物がゼロではない。この地に暮らす生物は当然南極の環境によく適応しており、十全の力を発揮出来る。対して継実達は南極よりも温暖な環境で進化してきた種族。特に
油断をすれば死に至る。自分達が適応してきた草原などの環境でもそうなのだから、不利な立地である南極ならば言わずもがな。気を引き締めなければ夢半ばにして倒れる。
加えて、継実は気付いていた。現在の自分達には、極めて大きな問題がある事に。
「……ところで一つ、問題があるんだけど」
「ん? 問題?」
「えっ。な、何かあるのですか?」
継実がその問題に触れると、モモは首を傾げ、ミドリは怯えたように辺りを見回す。どうやら二人とも問題に心当たりがないらしい。
ならばちゃんと説明しなければならない。継実は小さく息を吐いて身体の力を抜いた後、真剣な眼差しでモモ達と向き合う。継実の真摯な態度にモモは気を引き締め、ミドリは息を飲む。
その空気の中で継実は告げた。
「どっちに向かって進めば良いのかな、この後?」
南極の『何処』に人間がいるのか、自分は全く知らない事を。
目印となるものが何もない広大な雪の大地の上でこの重大な事実を突き付けられた家族二人は、短くない間を開けた後、心底気の抜けた表情を浮かべるのだった。
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