メル・ウルブス攻略作戦15
上半身は跡形もなく消し飛び、代わりにどろどろに溶けた黄金色の液体……溶解した蜜蝋が周囲に撒き散らされる。朝日を浴びて放たれる金色の輝きは、まるで幼い獣の勝利を称えるかのように美しい。無論、襲われた側であるミツバチ達にそんなつもりは毛頭ないだろうが。
そして溶けた蜜蝋を正面から浴びているフクロミツスイも、自分が称えられているかどうかなど興味もあるまい。
【キュ、ルルゥゥ……】
がくりと、膝を付くフクロミツスイ。
毛むくじゃらの顔に浮かぶ表情は疲労の一言以外にない。息は荒く、苦しそうだ。身体中に毛が剥げている部分があり、血を滴らせている。よく見れば身体から微かに湯気が出ていて、体温が生物体として非常識なほど上がっている事が窺えた。
これまで繰り広げていた戦いが如何に過酷なものだったのか。遠目に観察しているだけだった実際の戦いよりも、今のフクロミツスイの姿の方が詳細に物語ってくれている。
同時に、項垂れ、弱りきった姿を『野生生物』が見せているという事は――――戦いが終わった事を何よりも物語っていた。
……そう、戦いは終わったのだ。
終わったのだが、あくまでもそれは巨大ミツバチとの戦いである。野生生物に休戦やら安息やらはない。一つの戦いの終わりは全ての戦いの終わりを意味しないのだから。不意打ち、横取り、通りすがりの気紛れ、無邪気なイタズラ。世界の全てが敵となり得て、一瞬の油断も許されない。何より巨大ミツバチを打ち倒したからには、その戦いに見合った『報酬』を得ねばただ働きでしかない。
フクロミツスイにとっては、ここからが本番なのだ。
そして継実達にとっても。
「や……やりましたよ継」
「突撃ぃ! 全員突撃しろォ!」
「え、えっ!?」
喜ぶミドリを他所に、継実は突撃指示を出す。ミドリはおどおどと戸惑いを見せるが、モモは継実の意図を察知。すぐさま継実の後を追い、モモの動きによってミドリも慌てて付いてくる。
フクロミツスイだけでなく、継実達にとってもまだ何も終わっていない。それどころか今こそが始まりだといっても過言ではないだろう。何故なら継実達の目的は巨大ミツバチの撃破などではないのだから。
継実の目的はミツバチ達が用いていた、空飛ぶマシンを拝借する事。フクロミツスイを手伝ったのは、あくまでもそれを可能とする舞台を整えるため。フクロミツスイの勝利は継実達にとって最低条件でしかない。
【キュルルルルルルルルゥゥゥゥッ!】
甲高い雄叫びと共にフクロミツスイが再び動き出した時が、継実にとっての始まりだ。
「■■■!」
「■■! ■■■■■!」
ロボット兵士達がざわめき、動く。
何故ならフクロミツスイの本格的な食事が始まったからだ。傷だらけの身体もなんのその。大きく腕を振り回し、無事なビルを倒して新鮮かつ濃厚な蜂蜜を貪る。ちょっと舐めては次のビルに、ちょっと舐めては次のビルに……正に傍若無人な食べ方だ。食への感謝など何もない、ケダモノの食事である。恐らく新鮮で高栄養価な蜂蜜を求める上では合理的な食べ方なのだが、全身蜂蜜塗れになりながらする食事は贅沢の極みと言えよう。
フクロミツスイは食べ物である蜂蜜を得るために、巨大ミツバチを撃滅してみせた。勝ったのだから晩餐を始めるのは当然の事である。されどミツバチ達からすれば、折角溜め込んだ蜂蜜を奪われてしまうのと同義。おまけにフクロミツスイの蜜の奪い方はビルこと巣を破壊して行われる。蜂蜜だけでなく幼虫や花畑も滅茶苦茶だ。放置すれば巣が壊滅するというのも大袈裟な話ではない。
少しでも被害を抑えるため、兵士達は動かなければならない。攻撃して気を引く、その間に蜂蜜や幼虫を安全な場所に移す……高度なテクノロジーの存在を思えば燃料庫や発電機器もあって、それら高エネルギー機械は事故防止のため停止しないと不味いかも知れない。
こうした事態に対し、本能的・事務的なマニュアルは用意されているだろう。昆虫という事を考えれば危機に淡々と対処する事が可能な『性質』もある筈。だが緊急事態に何もかも機械的にこなせる訳がなかった。
蜜蝋ロボット達は右往左往しながら巣へと戻る。継実達を無視して、より危険なフクロミツスイの下へと向かうように。
盗みに入るなら今がチャンス。
「さぁ、どう出る……!?」
全力疾走で駆けた継実は、ミツバチ達の巣である蜂蜜都市の内側――――瓦礫の山に踏み入る。
今までなら、働き蜂達はここまで巣に接近する事を許しはしなかった。しかし働き蜂が操るロボット兵士は、特に攻撃を仕掛けてこない。正確にはちらちらとこちらを見ているので気にはしているが、ビルを倒しまくるフクロミツスイの方をもっと気に掛けている様子。最優先で対処しなければならない問題が傍若無人に暴れているので、継実達に構っている余裕はないという事だ。
正に絶好の好機。だが混乱を肴に愉悦に浸っている暇などない。フクロミツスイは自分の食事を満喫しているだけ。満腹になればそそくさと住処に戻っていく。フクロミツスイがいなくなればミツバチ達の混乱は長く続かない。全戦力が継実達に差し向けられる事だろう。
追い出されるだけなら次のチャンスもあるが、自分より強い生物数万体の社会のど真ん中に不法侵入してその程度で終わるというのは、ちょっとばかり甘い見通しだ。ここで失敗すれば命はないと思って行動すべきである。
急いで飛行マシンを見付けなければ。
「(あの機械があるとすれば、瓦礫の下か!)」
求めている飛行マシンの正確な用途は知らないが、恐らく花の世話や蜂蜜運搬などの雑務に用いられているものだろう。戦闘用のマシンではなく、仮に戦わせてもすぐ壊れると思われる。
合理的に考えれば、戦いに向いていないものを無理に出したところで被害が大きくなるだけ。故に非戦闘用マシンは安全な、
しかし正確な場所が分からない事で、時間が掛かるかも知れない。記憶が確かなら飛行マシンの大きさは二メートルもあるが、瓦礫の山は数キロ四方に広がっている。探すだけでも一苦労なのは明白だ。おまけに動かない物体なら兎も角、自由に動き回るマシン。こちらの気配を察知して逃げたり隠れたりすれば、そう簡単には見付からないだろう。壊れてないという条件も付け加えれば、果たしてどれだけ時間が必要か……
先行きの不透明さを嘆いても仕方ない。全力で調査を行おうと継実は身体に力を入れ直し、
【キュルルルルッ!】
その引き締めた気持ちを吹き飛ばすように、フクロミツスイの叫びが周囲に響く。
そして響いていたのは叫びだけではない。地響きも一緒だ。何故ならフクロミツスイが押し寄せるロボット兵士を蹴散らすため、尻尾を大地に何度も叩き付けているのだから。継実の推定二十万倍を超える体重から繰り出される運動エネルギーは、蜂蜜都市そのものを浮かび上がらせるような地震を引き起こす。
蜂蜜都市を形作るビル自体は大地にしっかりと固定され、地震を受けても揺れるだけ。しかし瓦礫とかした元ビルはそうもいかない。地面に留まる事は出来ず、跳ねるように浮かび上がる。
反射的に、継実は浮かんだ瓦礫に目を向けた。
黄金に輝く瓦礫は空を覆わんばかりの量。七年前の普通の人間ならば恐怖で顔を青くするところ、しかし継実は臆さず凝視する。
隠れていたマシンが、浮かび上がった瓦礫と共に出てくるところを見るために。すると目測二十メートルほど離れた位置に三機、四枚の翅をバタつかせて周りに浮かぶ瓦礫から必死に逃れようとしているのが見えた。
またとないチャンスだ。
「見付けた!」
「任せて!」
継実が声を上げるのとほぼ同時に、モモが反応する。
モモは体毛で出来た腕を伸ばし、三機のマシンに絡み付けた。捕まったマシンは暴れようとしていたが、戦闘用の機械でないそれの力は左程強くない。また本来ここで助けてくれるであろうロボット兵士はフクロミツスイの相手で手いっぱいで、助けにも来てくれず。呆気なくモモの手許まで引き寄せられた。
継実はモモから飛行マシンを一機受け取り、逃げないようしっかりと抱え込む。次いで能力を用い、その中身を覗いてみれば……中心部に一匹のミツバチがいるのが見えた。
操縦者の働き蜂だ。どうにかこの拘束から逃れようと、六本の脚で機械を操作している。最後まで諦めるつもりはないらしい。
その方が継実にとっては好都合。諦めて自爆でもされるよりは遥かに。
「落ち着いて。アンタを殺そうとはしてないから。要求を聞いてくれればすぐに解放するよ」
継実はミツバチに語り掛ける。
するとマシンを動かしていたミツバチの動きが、ぴたりと止まった。更にはこちらを見上げるような動作をしていると、中を透視している継実は気付く。
こちらの言語を理解している。
恐らくそれは調査のため継実達を巣内に招き入れた時と、フクロミツスイと巨大ミツバチの戦いが繰り広げられている間に継実達が交わしていた会話を、収集・解析した成果なのだろう。敵の情報をしっかりと理解しているのは優秀さの証だ。恐らく今発した言葉もリアルタイムで解析されているだろう。
お陰で対話による交渉が成り立つ。
「私達はこの海の先にある大陸、南極に行きたいの。そこまで運んでくれればアンタを自由にする。逆らうならここで機械もろともバラバラ。悪い話じゃないでしょ?」
悪い話以外の何モノでもないなコレ、と心の中でひっそり独りごちる継実。
とはいえ無茶を頼んでいる訳ではない。それにロボット兵士ならフクロミツスイと戦うという仕事があるだろうが、このマシンは瓦礫の下に隠れていた。出てきても壊されるだけだから潜んでいたのだろうが、即ち仕事は何もしていなかったという事。ぶっちゃけてしまえば『暇』である。
その暇な時間に自分達を遠くに運んでくれれば良いと継実は要求しているのだ。実害は、移動に掛かるエネルギーと、フクロミツスイがいなくなった後、すぐ仕事に復帰出来ない事による時間的ロスぐらいなもの。
もしもそれらの『コスト』が蜜蝋製飛行マシン+働き蜂一匹分のコストを勝るなら、働き蜂は迷わず自害するだろう。より損失の少ない方を選ぶのが最適であり、使い捨てのロボット同然である働き蜂に自害への躊躇いなどない。しかし移動時に費やすコストの方が安ければ、彼女達は敵に協力する事を躊躇わない筈だ。その方が損をしないのだから。
話を終えた継実は飛行マシンからそっと手を離す。マシンはふわふわと、その場に漂うだけ……自爆する気配はない。
交渉成立だ。
「良し! ミドリはこれに乗って!」
「は、はいっ!」
一機獲得してしまえば後は消化試合。ミドリを飛行マシンに乗せた後、残る二機に同じ言葉を掛ける。働き蜂にも個性はあるが、巣の損得を重視する基本的性質は変わらない。そして移動コストと機体コストの差も同じ筈。
三人全員が飛行マシンの上に跨るまで、五分も掛からず。念のためモモの毛で『捕縛』は続けた状態で、飛行マシン達はふわりと浮かび上がる。
「さぁ、出発だぁ!」
継実が掛け声を発すれば、意図を察知した働き蜂達もマシンを動かす。
秒速二十キロの速さで、飛行マシン共々継実達は空を駆けた!
「びゃあぁあぁぃあぁあぁぁ!?」
「あっははは! こりゃ速いわ! これならあっという間ね!」
ミドリが悲鳴を、モモが歓声を上げる。普段とは比にならない速さでの空の旅、興奮するなという方が無理というものだ。
継実だって興奮している。何もなければ大声で叫んでいただろう。
されど今は、フクロミツスイの事が頭の中を満たしていた。
「……………」
無言のまま継実は後ろを振り返る。
崩れ、溶解し、壊滅していく蜂蜜都市。甘い粘性の液体を溢れさせ、黄金の輝きの中に沈む大都市の中心にフクロミツスイが立っていた。唯一の食料源であろう蜂蜜を、贅沢に舐め取りながら。
たっぷりの蜂蜜を得て、あのフクロミツスイは失っていた体力を回復させるだろう。得られた栄養素により肉体的成長もする筈だ。明日のフクロミツスイは、今日のフクロミツスイとは比較にならない強さとなっているに違いない。
だが、明日はもう継実達の助けは得られない。
戦い方は学んだ。けれども最後の強敵・巨大ミツバチロボットは、継実とミドリの協力技で作り出した糖が止めの一撃である。明日からはそんなものは存在しない。純粋な戦闘能力で圧倒しなければ、フクロミツスイに勝機はないのだ。
果たして明日のフクロミツスイは、巨大ミツバチロボットよりも強くなっているのだろうか?
……脳裏を過る考えに、継実は首を横に振る。フクロミツスイを信じよう、と思ったのではない。
「(調子に乗ってんな、私)」
自分達のお陰でフクロミツスイが勝てたなんて考えが、あまりにもおこがましかったからだ。
確かに止めの一撃は、糖によるものだった。しかし継実達が作り出した糖など、関節の動きを鈍らせるのが限度の量だ。それを高熱で気化・膨張させたところで、たかが知れているではないか。
恐らくあの時、フクロミツスイが自らの血液中に含まれているブドウ糖を手から巨大ミツバチ内部へと流し込み、攻撃に利用したのだ。そうでなければあの大爆発は起こせまい。自分達がした事なんて、本当に一瞬動きを止めただけなのだろう。
大自然を生きる生命の雄大さの前に、自分達が如何にちっぽけなのかを思い知らされる。自分の成し遂げた行いが如何に『しょうもないか』が分かる。
そしてフクロミツスイの未来の明るさも。
自分が気にする必要のある事なんて、何一つとしてないのだ。
「――――よっしゃあぁっ! いよいよ、南極だぁ!」
全てが吹っ切れた継実は大声で、今まで胸に溜まっていた興奮を吐き出す。
水平線の先にある南極だけを見据えて、自分の未来の明るさも信じた。
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