メル・ウルブス攻略作戦14

 四肢と尻尾を固定されたフクロミツスイは、それでも闘志を失っていなかった。

 最早逃げ道はないと腹を括ったのか、或いは身体が傷付いた事でアドレナリンが大量に分泌されて興奮したのか。いずれにせよミツバチにお尻を刺されて逃げ出した小童は、もう此処にはいない。奴は既に獰猛にして勇敢な、一頭のケダモノだ。

 されどそのケダモノの命は、今や風前の灯火である。押し倒すように伸し掛かる、巨大ミツバチの存在によって。


【キュ……キュルルルウゥゥゥ!】


 フクロミツスイは覇気のこもった声で吼えるが、巨大ミツバチは怯みもしない。いや、そもそも怯む必要などないのだ。四肢も尻尾も巨大ミツバチの脚で押さえ付けている。唯一頭が自由なので噛み付けば……と思えども、フクロミツスイは蜜食動物。蜜を効率的に食べるため特殊化した結果、その口は歯どころか顎さえも退化している。噛み付き攻撃なんて構造的に出来ない。精々舌でべろべろ舐めて嫌がらせする程度であり、文明的な人間ならばまだしも、ロボット相手に通じるものではないだろう。

 攻撃手段なし。逃げ道なし。完全な『詰み』というべき状況だ。

 つまりそれは、継実達にとっても詰みである。


「ミドリ!」


 継実は家族の名を呼ぶ。働き蜂達からの猛攻が苛烈で接近すら儘ならない今、巨大ミツバチを『攻撃』出来るのはミドリだけ。彼女だけが、現状を打破する力があるのだ。

 しかしミドリは難しい表情をするだけ。当然だ。巨大ミツバチの中身が見えないと、先程彼女はハッキリと答えていたのだから。

 絶望的状況だった。

 されどフクロミツスイは元から継実達に頼ってなどいないのだ。勝手な手伝いが入っただけであり、それがないからと狼狽えたり慌てたりしない。猛獣を前にして、虫けらを頼ろうとする人間などいないのと同じように。そしてそれは巨大ミツバチも変わらない。人間程度の大きさの生物に構わないのはこちらも同じだ。

 どちらも継実達の事などお構いなしに、事を進めようとする。


【キュリリリリ……】


 巨大ミツバチはフクロミツスイを更に強く、脚に力を込めて押さえ付ける。ロボットでありながら、絶対に逃さないという意思を示すかのよう。

 無論そのために巨大ミツバチは六本の脚をフル活用している。四肢と尾を押さえるのに五本、そして胸を押さえ付けるのに一本。全ての脚を使っており、自由に攻撃出来るものは一本も残っていない。

 だが、ミツバチにとって脚が使えないのは大した問題ではない。何故ならミツバチには脚以外にも武器があるのだ。

 腹部末端に備わった、毒針という武器が。


【キュリリリリリリリ……】


 巨大ミツバチが腹部をもたげると、その先から鋭い針が生えてきた。長さ十メートルはあるだろうか。

 一般的に、ミツバチの働き蜂は一度針を刺すと死んでしまう。しかしそれは『刺す』という行為が問題ではなく、刺した針に返しが付いていて、抜こうとすると毒袋内蔵が外に出てしまうからだ。針を刺すだけならミツバチは死なない。そもそも巨大ミツバチはロボットであり、生身のミツバチとは違う存在である。

 全身のあちこちを針で突き刺して、止めを刺そうという魂胆に違いない。


【キュルルウゥゥ! キュルルルルッ!】


 フクロミツスイも巨大ミツバチの思惑を察したのだろう。身体を捩り、頭を振り回すように暴れさせる。万全の状態ならば火事場の馬鹿力で押し退ける事も出来たかも知れないが、傷付いた身体では如何に限界を超えようとたかが知れているというもの。巨大ミツバチの身体は少し揺れただけだ。

 これで相手が人間ならば、追い詰めた事で油断の一つぐらいはしたかも知れない。しかし巨大ミツバチは違う。ロボットであり、そしてその設計者であるミツバチは昆虫。容赦や油断など持たない、機械的で合理的な存在である。

 腹部を見せ付けるように大きく振り上げているのも、より大きな威力の一撃を生み出し、少ない手数で仕留めるための合理的行動に過ぎない。


【キュ……!】


 悪足掻きとばかりに、フクロミツスイは指先を巨大ミツバチに向ける。鋭い爪ではあるが、届かなければ武器にはならない。フクロミツスイの小さな手足では宙を空振りするだけ。

 だから巨大ミツバチは、容赦なく腹部の針を振り下ろし――――


【キュルゥ!】


 フクロミツスイが大声で叫んだ。

 瞬間、巨大ミツバチの動きがぴたりと止まる。


【……キリリリ】


 ロボットである巨大ミツバチに、困惑なんて感情はあるまい。けれどもまるで混乱しているかのように、首を傾げる。

 次いで脚を動かそうとしているのか、身体を震わせた。ところが脚の動きは鈍い。油の切れた機械のような、ぎこちなく、何より遅い動きだ。

 継実達を追っていた働き蜂が乗るロボット兵士達も足を止めた。ただしこちらは自主的に。フクロミツスイに止めを刺す筈のロボットの急停止に混乱しているのだろう。故障やバグを疑っているのかも知れない。

 どちらも的外れだ。継実はそれを知っている……それにミドリも。

 何故なら二人が、巨大ミツバチの動きを止めた『遠因』を作り出したのだから。


「いよっしゃあぁっ!」


「やりました! やりましたよー!」


「え? 何? 二人ともなんかしたの?」


 結果が出た瞬間に喜ぶ二人に、モモが戸惑いながら尋ねてくる。キョトンとしていてまるで分かっていない様子だが、それも仕方ない。モモだけが、此度の作戦に全く関わっていないのだから。

 継実達が行った作戦の結果を一言で言うならば、巨大ミツバチの体内に『糖』を合成したのだ。

 巨大ミツバチのボディを形成している蜜蝋、そのパルミチン酸は巨大な有機物である。しかも炭素と水素と酸素の原子が連なったもの。化学式ではC16H32O2……対して蜂蜜の主成分であるグルコースはC6H12O6である。構成している元素の種類は全く同じ。つまり分解と化合を行えば、脂肪を『糖』へと変えられるのだ。物質の遠隔操作はミドリの得意技。ミュータントの力としては些かパワー不足だが、分解と化合を行うだけなら問題ない。余り物(主に炭化水素)も色々生じるが、自分の身体ではないのでそこはどうでも良い事である。

 糖を仕込めば、フクロミツスイが能力で操れる。結晶化して突き破るような派手な攻撃になる必要はない。関節部分など動きに関わるところに、潤滑油などでぬるぬるにしておかないといけないところにザラザラした砂糖の結晶を置けば、それだけで動きが鈍る。これが巨大ミツバチの身体に今起きている事態の正体だ。

 そうして身体の動きを鈍らせればフクロミツスイが有利になる。これが継実とミドリの仕掛けた策略。無論、それが簡単に出来れば今までの苦労はない訳で。


「(ブラックボックスみたいな中身の所為で、ろくに見えなかったからね……)」


 巨大ミツバチの内部は、なんらかの技術により継実にもミドリにも見通せないものだった。継実達が粒子操作能力を発動させるには観測が欠かせない。その観測が出来ない以上、この作戦は前段階で頓挫しているようなものだった。

 しかし、一つだけ内部構造を見通す方法があった。量子力学の一理論を用いる事で。

 その理論の名は『量子テレポーテーション』。

 テレポーテーションという呼び名を付けられているが、量子が何処かにワープするものではない。というよりテレポーテーションしているように見えるからそう呼ばれるだけで、実際には何も瞬間移動していない。

 唯一飛んでいくのは情報だ。

 量子テレポーテーションとは、ある二つの『ペア』の量子(主に光子などの素粒子。またこのペアの関係を量子もつれと呼ぶ)が存在し、一方の情報が確定するともう一方の状態が確定するというもの。量子の位置や運動量などの状態は可能性の重ね合わせであり、本来観測しなければその状態を確定させる事は出来ない。だが量子テレポーテーションを用いれば、ある量子を観測するだけで、が確定するのである。

 継実はこれを利用した。自らの手の中に巨大ミツバチ内部の量子と量子もつれの関係にある量子を『合成』したのだ。勿論ろくな観測が出来ない状態で作り出したものだから、何処の量子とペアになってるか分かったものじゃない。だが、それでなんの問題もない。

 作り出した量子もつれの量子を観測すれば、それだけで中の量子の状態が『確定』するのだ。それを何億回と繰り返せば、ぼんやりとだが内部の量子の位置が把握出来る。そして量子が無数に集まって出来たものが原子だ。ぼんやりとした量子の集まりなので原子もぼんやりとしか見えないが、粒子ビームほど精密な攻撃をする訳ではないのだから見え方など雑で十分。

 そして観測した結果は、継実が手の内側に作り出した巨大ミツバチのミニ模型……大きさ約一ミリ……の中で構築。これをミドリが観測する事で、間接的にだが巨大ミツバチの内部構造を把握したのである。フクロミツスイが巨大ミツバチに押し倒された時、転倒による爆音で声が掻き消されたが、どうにかミドリには届いていて一安心したものだ。


【キ、ギ……ギリリリリリリリリッ!】


 巨大ミツバチが唸りを上げる。動きは鈍くなったが、ロボットは動揺などしない。

 いや、それどころか感情などない筈のロボットだというのに、『覇気』のようなものまで感じられる。

 自身の危機を認識して『暴走』状態に入ったのか、或いは搭乗員が闘志を燃やしているのか。なんにせよ未だ戦いを止めるつもりはないらしい。

 それはフクロミツスイも同じだ。


【キュルルウゥッ!】


 渾身の力を振り絞り、フクロミツスイは巨大ミツバチを蹴り上げる。

 これまで難なくフクロミツスイを押さえ付けていた巨大ミツバチだったが、身体の動きがぎこちなくなった今、出せる力はフルパワーに程遠い。今度はこっちが難なく突き飛ばされ、フクロミツスイに自由を許す。


【キュ……ルルル……ルルルゥゥ……!】


 起き上がったフクロミツスイだが、息も絶え絶えで今にも倒れそうなほど疲弊している。巨大ミツバチの攻撃によるダメージは大きく、動くだけでも苦しそうだ。

 巨大ミツバチの動きは未だに鈍いものの、ロボットである奴は痛みで苦しむ事などない。動けないなら動けないなりのスペックを発揮し、奮戦するだろう。

 能力が効いたものの、未だフクロミツスイの優勢とは言い難い。継実は今も量子テレポーテーションを利用した観測を続け、ミドリは能力で糖分の合成を進めているが……量としては微々たるもの。狙いが極めて雑なため、効果的な妨害は出来ないのが実情だ。相手も動き難い事前提で行動するため効果が薄くなる。『不意打ち』は出来ても、その後に大きな影響は与えられない。

 そしてフクロミツスイの状態からして、長くは持ちそうにない。

 ここからが本当の、最後の戦いだ。


【キュルゥゥゥ……】


【ギ、キリリリ……】


 両者はじっと、相手の顔を見つめる。攻撃のチャンスを窺うように。はたまた自らの力を限界まで溜め込むように。

 これまでの激しい戦いが一転し、静寂が場を満たす。張り詰めていく空気の中、継実達だけでなくロボット兵士達……中に乗り込んでいる働き蜂達もフクロミツスイ達をじっと見ていた。

 ミツバチ達が動きを止めたのは、あらゆる可能性に備えているのだろう。合理性の化身とでも言うべき昆虫は、仲間を信頼するなんて『非合理的』な発想を持たない。負ける可能性があるならばそれに備える。

 ミツバチ達が備えるからには、どちらが勝つか分からないという事。

 その結末は――――ついに明らかとなる。


【キュルルルルッ!】


 フクロミツスイが甲高い雄叫びを上げながら、突進を始めた! 巨大だからこそ動きは見えるが、継実どころかモモにも出せない速さで真っ直ぐ突き進む。


【キリリリリリリッ!】


 その動きに応えるように、巨大ミツバチも駆け出した。速さはフクロミツスイと互角。更に赤熱して、糖の結晶による攻撃にも備える。

 瞬く間に距離を詰める両者。そして激突の間際に二体は動き出す。

 フクロミツスイは大きく腕を振り上げた。本来花の蜜だけを食べる動物らしい、短くて細い腕。されどミツバチとの競争の中で会得したのか、指先から生える鋭い爪がある。敵を引っ掻き、切り裂き、仕留めるつもりだ。蜜食動物でありながら、どんな肉食獣でも逃げ出す殺意を放つ。

 対する巨大ミツバチはぐるんと身体を一回展。腹部末端にある針をさながら剣のように振るう。突き刺すのではなく切り裂く動きは、洗練された殺意に満ちていた。

 殺意と殺意のぶつかり合いで、先手を決めたのは巨大ミツバチ。フクロミツスイは針を脇腹に受け、大きく身体が横に仰け反る。フクロミツスイの爪もすぐに当たったが、身体が傾いた事で軌道がズレてしまう。深手には至らない。

 そして巨大ミツバチは止めの一撃を刺そうと、また腹を大きく振り上げる。体勢を崩したフクロミツスイにこれを躱す事は出来ないだろう。

 万事休す。一手及ばないか――――見ている継実は諦めが脳裏を過る。

 だが、フクロミツスイは諦めない。


【キュルィイッ!】


 気合いのこもった叫び。

 それと同時にフクロミツスイの背中から何かがされた!

 継実の目にはその正体が分かる。大量の二酸化炭素と水蒸気だ。恐らくその発生源は体内の糖を能力により高速で分解したもの。多くの生物でエネルギーとして用いられる糖は、酸素との結合により二酸化炭素と水と熱を生み出す。その熱で二酸化炭素や水を気化・膨張させて背中から噴き出したのだ。

 正しく高圧のジェット推進。轟音を響かせ、空気の振動がミュータントである継実さえも吹き飛ばそうとする。六角柱の蜜蝋ビルが震え、強度が足りなかったものは倒壊していく。ミュータント植物が大地に根を張っていなければ地表面を吹き飛ばす程であろう出力は、フクロミツスイの身体を不自然かつ猛烈な勢いで立て直す!


【――――ッ!】


 これには巨大ミツバチも予想外だったのだろう。動きが僅かに鈍る。

 その鈍ったほんの一瞬で、フクロミツスイは自らの手を巨大ミツバチの体表面に触れさせた。

 手のひらを押し当てるような動き。平手打ちとだとしてもお世辞にもダメージなど与えられそうにない一撃は、されど先のフクロミツスイの行動……ジェット推進を見ればそうも言えない。フクロミツスイは単に糖質を遠隔で動かせるだけではなく、糖質の分解すらも操れるのだ。

 そして今の巨大ミツバチの内部には、継実達が作り出した糖が存在している。

 巨大ミツバチの動きが再び強張ったのは、何が起きるのか察したからだろう。すぐさま身を仰け反らせたのは少しでも離れようとしての事か。だが全てが手遅れだった。

 巨大ミツバチの表面の一部がぼこりと膨れ上がる。

 まるで血管が浮き出すように、次々と生まれる膨らみが巨大ミツバチの全身を駆け巡る。無論それは血管ではなく、瞬間的に分解された糖から生まれた水と二酸化炭素と熱により、急激な膨張が起きた結果だ。身体への強烈なダメージであり、巨大ミツバチの逃げるように藻掻く姿は、ロボットでありながら必死そのもの。理性ある人間ならば少なからず同情心を抱いてしまうだろう。されどフクロミツスイは違う。容赦も情けも、野生のケダモノには必要ない。


【キュルゥアァッ!】


 雄叫びと共にフクロミツスイは前へと突き進む! 一層力を与える動きを起こした瞬間、巨大ミツバチの身体中に出来ていた膨らみが一気に全身を満たし、

 超新星爆発を思わせる煌めきと共に、蜜蝋製の躯体は粉微塵に弾け飛ぶのだった。

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