メル・ウルブス攻略作戦10

 親の躯の傍で寝ていたフクロミツスイが目覚めたのは、地平線から朝日が顔を出した時だった。

 瞼が光に照らされると、横たえていた身体がぶるりと震えた。さして長くもない手足を伸ばし、細長い顔を顰める。寝転がっていた身体をごろんと転がすようにして四つん這いの姿勢になり、ゆっくりと大地を踏み締め、百メートル超えの身体を起き上がらせた。それから顔を太陽の方に向ける。

 しばしフクロミツスイは動かず、太陽光を正面から浴び続けていた。体温を上げるためか、はたまた寝惚けているのか。どちらもあり得る事だろう。


【キュウゥルウゥ……】


 日向ぼっこの終わりは、殆ど開かない口から発せられた、如何にも気分が良さそうな一声により告げられる。身体を本調子に戻したフクロミツスイの顔は、人間ほどハッキリとはしていないが心地良さそうなものだった。

 尤も、その顔付きはすぐに強張ったものへと変化する。

 鋭い目線で見つめる先に、これと言ったものは見えない。だが、見えないだけだ。地平線の先に何があるかは、この場にいる誰もが知っている。

 ミツバチ達の巣である、蜂蜜都市だと。


「……朝早くから、食事に向かうつもりでしょうか」


 そうしたフクロミツスイの仕草を見ていた中で、ぽつりとミドリが疑問を言葉にした。同じくフクロミツスイを見ていた継実とモモは同意を示すためこくりと頷く。

 継実達三人は昨晩からフクロミツスイの傍……と言っても一キロは離れている位置だったが……で一夜を明かした。フクロミツスイの存在感のお陰か、はたまたミツバチとの競争に負けて駆逐されたのか。猛獣がやってくる事はなく、身を隠せない平原だったが朝まで熟睡出来ている。夜中のうちに小さな虫を存分に捕まえて食べたので、特段空腹感も覚えていない。

 継実個人に関して言えば体調は悪くない、というよりも好調なぐらいだ。モモやミドリも顔色と雰囲気から察するに、何時も通りに良好だろう。

 このまま作戦――――フクロミツスイを助けつつ、ミツバチ達の飛行機械を盗み取る作戦を実行しても問題はない筈だと継実は思う。だからフクロミツスイをじっと見つめながら、ミドリの問いに答えた。


「そうなんじゃない? でなきゃ視線を向ける理由もないだろうし」


「朝ごはんの時間だもんねー。朝はお腹いっぱい食べなきゃ気合い入らないわよね」


「……うん」


 モモの意見を肯定するように返事する継実だったが、内心は、ちょっと意見にズレがあると思っていた。恐らくモモは単純に「朝ごはん食べたい」程度にしか思ってないだろうが、継実は違う。

 哺乳類というのは全身毛むくじゃらであるから、身体の正確な輪郭は把握し辛い。ましてや暗闇の中となれば尚更だ。そのため昨日の夜はフクロミツスイの体型など殆ど分からなかったが……朝日を浴び、銀色の体毛が薄っすらと透けた今はそれなりにだが見えてくる。

 肋骨が浮かび上がるほど、痩せ衰えた体躯が。


「(昨日の食事量じゃ、基礎代謝を賄う事も出来てない感じか)」


 野生動物が親離れしていない時は、まだ一匹では生きられない可能性が高い時期である。そして親が不測の事態で死んだからといって、子供が急速に成長する訳ではない。ましてや哺乳類には親からの教育が必要だ。力が強くなっただけではまだ生きられない。

 このフクロミツスイはなんとか狩りは出来ているが、十分な量の蜂蜜を食べる事は出来ていないようだ。身体が未熟で攻撃を防げないのか、技量が足りなくて上手くいかないのか、はたまたミツバチ側が進化して簡単には食べられなくなったのか。成体の狩りを見ていないのでなんとも言えないが、いずれにせよ食糧事情は良くないようだ。

 今日の狩りに失敗すれば更に痩せ衰え、翌日の狩りはもっと上手く出来なくなるだろう。明日明後日で餓死するほど痩せているとは思わないが……悪循環が続けば、やがてその『最期』が訪れる。何処かで悪い流れを断ち切らねば、結末は変わらない。そして変えられるチャンスは、継実達という協力者がいる今だけだ。

 つまりそれは、継実達にとっても最後のチャンスだという事。明日のフクロミツスイは、今日のフクロミツスイよりも肉体的に脆弱だろう。今日失敗したなら、いくら経験を得ようとも、果たして明日は成功出来るのか? 継実にはそう思えない。ミツバチ達の防御を打ち砕くのに必要なのは、知恵よりも圧倒的なパワーなのだから。

 これが最初にして最後の挑戦。後戻りも先送りも最挑戦も許されない、一発大勝負というやつだ。

 ……一つ、致命的な問題は残ったままだが。


「ま、何を言ったところで全部想像だけどね。結局アイツ、こっちの言葉分からなかったし」


 フクロミツスイと継実達の間に、一切コミュニケーションが成立していない点だ。昨晩のうちに継実達は様々な方法、例えば大声で呼び掛けたり、脳内通信を行ったりして交信を試みたが、フクロミツスイはなんの反応も示さなかった。脳内通信をした時に至っては不快に感じたのか、尻尾の(恐らく巨大隕石クラスの威力を有した)一撃を放ってくる有り様。眠さからか攻撃は狙いが甘く継実達はなんとか助かったが、これ以上接触を試みるのは危険だと判断して、コミュニケーションの成立は諦めるしかなかった。

 これは別段珍しい話ではない。ミュータントはそうでない生き物より知能面で優れている事が多く、人語を話す生物も少なくないが……人間並みに賢いとは限らないし、全ての生物が対話出来る訳ではない。仮に両方の条件を満たしていても、人間など興味すらないような生物もいる。人間同士ですら「話せば分かる」は幻想だったのだから、野生生物相手なら言わずもがな、というものだ。

 言葉を理解するだけの知能がないのか、人間など興味もないのか。フクロミツスイがどちらに該当するかは不明だが、いずれにせよコミュニケーションは取れず。だからフクロミツスイが何を考えているのか訊く事は出来ないし、あちらが教えてくれる事もない。継実達がその動きからフクロミツスイの意図を察して、追随するように動くしかないのである。

 これでは『手助け』というより『お節介』だなと、継実は自嘲した。無論フクロミツスイは、そんな継実の気持ちをこれっぽっちも察しない。


【……キュルルルル】


 終えたのは準備か、はたまた覚悟か。か細い声で鳴いた後、フクロミツスイは動き出した。

 ただし最初に動いたのは、足ではなく尻尾。力強い一撃は、小さな山ぐらいなら軽く吹き飛ばしそうな破壊力を遠目に見ていた継実に感じさせる。

 そしてその威力の向かう先は、フクロミツスイの親の躯だ。

 体格では生きているフクロミツスイよりも三倍程度上回る骨だが、ミュータントの力は生きているから発揮されるもの。巨大を支えてきた骨はそれなりに頑強だが、あくまでもそれなりだ。生きたミュータントの一撃を受ければ、形を維持する事など出来やしない。

 つまるところ尻尾が直撃した瞬間、親の骨格が粉微塵に吹き飛んだ。

 風化しかけていたのもあってか、骨は衝撃で頭から尻尾まで跡形もなく砕ける。もうそこに、フクロミツスイの親がこの世にいたという痕跡はない。あるのは白と緑が混ざり合った汚らしい粉だけ。

 それは『甘ったれ』な気持ちを捨てるためか、はたまた単に元々親への情愛など持ち合わせていなかったのか。どちらにせよ、フクロミツスイの覚悟の証だろう。今やその顔立ちは可愛らしい哺乳類の子供ではなく、一頭のケダモノのそれと化している。

 親の躯を吹き飛ばしたフクロミツスイは、いよいよ歩き出す。一歩踏み出す度に大地が揺れるほどの力強さで。

 その身体が向かう先にあるのはミツバチ達の大都市だ。


「良し、私らも行こうか」


「あいよー」


「は、はいっ! 頑張ります!」


 継実が声を掛ければ、モモは軽い口調で、ミドリは強張った声で答える。

 彼女達らしさが感じ取れる返事であり、即ち彼女達が特段緊張している訳でも、気を緩めている訳でもない。二人とも準備も覚悟も済んでいるのだ。

 継実も二人と同じ。程良い緊張感により身体は温まり、頭に巡る血の多さから思考が冴え渡る。万全の力が発揮出来る状態であり、全力を出せるだろう。

 最後のチャンスだからなんだ? どうせ全力でやる事には変わりないのだ。だから進む事に迷いなんて必要ない。


「それじゃ、しゅっぱーつ!」


「「おー!」」


 継実の力強く明るい掛け声に、モモとミドリも片腕を上げながら応じるのだった。

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