干からびる生命13

「成程、もう隠す必要もないって訳ね」


 傷口から流れ出ていく血の動きを目で追いながら、継実はぽそりと独りごちた。

 流れた血は重力に引かれて地面に落ちる事もなく、ふわふわと空中に浮かんでいる。その光景を見ていたミドリはギョッと目を見開き、モモは鋭い眼付きで血の動きを追う。

 浮かびながら移動する血液が向かう先は、サボテンが地上に出している根の一本だった。

 ここまで見れば考える必要もない。サボテンが『能力』を使って継実の血液を吸い上げたのだ。そしてその能力の正体も、深く考察する必要がなくなった。モモとミドリも察した事だろう。


「(水を操る能力、か)」


 直感的に脳裏を過ぎる言葉。それを継実の理性も受け入れる。

 水を操る能力――――それ自体は継実にとって始めて見たものではない。草原で出会ったフィアの能力であるし、日本近海で出会ったイタチザメも同様の能力を持っていた。『水の惑星』と人間が呼ぶほど、液体の水が豊富なのが地球という星。だからこそ水を操る力というのは大概の状況下で有用なものであり、多くの生物ミュータントが能力として用いていても不思議ではない。

 では、ならばサボテンの能力に特筆すべき点がないかといえば否だろう。少なくとも一点、フィアやイタチザメでは見られなかった性質があると継実は気付いた。

 が出来る点だ。それも生物体に含まれているものだろうがなんだろうが操ってしまうほど、非常に強力な。


「……私の身体の動きを鈍らせたのも、コイツの能力の仕業かな」


「ああ、そういや身体が重いとか言ってたっけ。だとすると、私やミドリが対象になる事もあり得るか」


 継実の考えに、モモが横から同意する。

 体組織中の水分を引き寄せれば、生物体からすれば非常に強い抵抗を感じるだろう。下向きに引っ張られたなら、それは重みとして感じる筈だ。

 生物体の水が操れるぐらいなのだから、そうでない普通の水を操る事も容易いと考えるのが自然。此処ら一帯の砂漠の地下から、水分が根絶やしになるまで集める事も難しくないだろう。迷い込んだ生き物達は水を探して歩き回るか、或いは強引にでも突破しようとするか。いずれにせよ体力と水分を使い果たしたところを襲えば、簡単に仕留められる。そうして幾つもの生命から水と栄養素を奪い、このサボテンは恐るべき巨躯を手に入れたのだ。

 恐らく継実達の動きが見えているのも、能力で操れる水の位置を感知する事で成し遂げている。継実ばかりを狙っているのは、三人の中で一番水分密度が低い、つまり弱っている獲物だからか。確実に仕留められるモノから狙うという堅実さは、戦う側からすれば実に恐ろしい。


「(……砂漠の生き物なんだし、吸い取った私の血だけで満足してくれないかなぁ)」


 足の穴を塞いで止血しながら、継実は希望的観測を抱く。乾燥地帯の生物ならば生きていくのに必要な水の量は僅か。ちょっと吸血すれば満腹になるのではないか。

 そうなってほしいと願いはするものの、端から期待はしていない。

 理由は二つ。七年前の生物と比べて、ミュータントはどうしようもないほどに貪欲だから。継実がいくら獲物を食べても中々腹が満たされないように。強大なパワーを発揮するためにはたくさんのエネルギーが必要であり、だからこそ獲物をたくさん捕まえねばならない。これはミュータントの宿命だ。

 そして二つ目は、相手がサボテンだから。

 乾燥した土地に生えるサボテンは、確かに乾燥にとても強いが……サボテン自体は水を大量に欲する生き物である。むしろ水をちゃんと与えなければ普通に枯れてしまう。乾燥に耐えるのは、からだ。

 折角見付けた『水』をちょっと得たから見逃そうなんて、よりにもよってサボテンが考える筈がない。

 継実から流れた血の全てを吸い終えたサボテンは、再び継実に根を伸ばしてきた!


「あぁクソッ! やっぱり足りないか!」


 悪態と共に継実はその場から跳躍。モモは動かずに留まり、伸びてきた根を蹴り上げて動きの鈍い継実をフォローした。モモのフォローがなければ、今頃正確に眉間を射抜かれていただろう。


「なーに当たり前の事言ってんのよ。しっかし、そうなるとどうしたもんかしらねぇ」


「あ、あわわわ」


 モモは呆れつつも、策などないと言わんばかりに困り顔。ミドリもあたふたするばかり。どちらも打開策は閃いていないらしい。

 継実もそれは同じだ。ミドリ曰く地中には包囲するように根が展開されていて逃げられない状態である。逃げる事は難しく、見切れこそするがパワーもスピードも勝る相手と戦うしかない。だが小細工を弄したところで正面からぶち破られるのが落ちであろう。

 いや、そもそも小細工自体が使えない。周囲にあるのは砂ばかりで、身を隠せるような木々も、嫌がらせに投げつけられる岩もないのだ。砂を舞い上がらせて煙幕にしたところで、水の存在から座標を正確に割り出してくるサボテンには通じない。

 何かしようにも、何も出来ないのだ。


「(使えるのは自分の身だけってか!)」


 皮肉混じりの考え。しかしそれしか手がないのであれば、この考えを『悪態』として切り捨てるのは論外だ。

 『自分の身体』を材料にして何が出来るか? 継実は思考を巡らせる。

 例えば自分の血液をばら撒けば、サボテンは目標を定められなくなるのではないか。或いは体液中の物質を加工し、毒物を合成した上で吸わせるのはどうか。

 二つほど考えて、どれも駄目だと判断する。生物体の体液は全身に栄養素を届けるため、規則的に流動しているのだ。ただ血液をばら撒くだけではサボテンは簡単に見抜くだろう。小細工を弄したところで、水の密度や動きなどから見破る可能性が高い。毒物の合成も恐らく無意味。水を操る能力を用いれば、水に溶け込んだ物質の選別だって可能と考えられる。

 大体どんな毒物ならサボテンに効くというのか。人間、というより動物とは生理作用もかなり異なる存在だ。こちらにとって有毒でも、植物には全くの無毒というものは十分にあり得る。ましてや何もかもが変化したミュータントとなれば尚更だ。

 それならいっそ、作るとすれば――――


「うぐぉっ!?」


 考え事をしていた継実の脳目掛け、地面から生えたサボテンの根が伸びてくる。重たい身体を仰け反らせて継実はこれを躱すが、伸びた根の先がぐにゃりと曲がり、追撃を試みてきた。


「どおりゃあっ!」


 その先をモモが蹴り付け、行く先を強引に曲げる!

 サボテンの根の動きが僅かに鈍った。この隙に継実はバク転をして、仰け反った体勢から復帰。身体の重さからすぐ猫背になりつつも、サボテンを睨む。

 蹴られたサボテンの根の方は、怒るように震え……今度はモモ、そして抱えられているミドリに狙いを定めた。

 どうやらサボテンは、鬱陶しい邪魔者の排除を一旦優先する事にしたらしい。


【ひっ!? こ、こっちをたくさんの根が狙ってます!】


「みたいね。ミドリ、舌噛まないように口を閉じてなさいよ」


 モモからの警告に、ミドリはぎゅっと唇を噛みしめるように口を閉じた。これから始まる、アクロバティックな動きに対処するために。

 ミドリの予感は見事に当たる。

 砂の大地から無数の根が生え、モモ達に襲い掛かった! 何十もの数の根がぐねぐねとうねりながら進む様は、まるで押し寄せる濁流。うっかり触れれば飲まれるという、本能的確信を継実には抱かせた。


「む――――」


 更にモモが小さく唸る。

 継実の目で見たところ、血液や細胞液など、モモの身体に含まれている水分が下向きに移動を始めていた。サボテンの能力に捕まり、引き寄せられているのだろう。今のモモは継実が感じている、いや、身体の水分密度を思えば継実よりもずっと強い重圧を感じている筈だ。

 しかしながらどれだけ身体が重くなろうと、モモには大した問題ではない。外で動き回る人型の『身体』は、水分を殆ど含まない体毛で出来ているのだから。


「よっと」


 モモは軽やかな掛け声と共に跳躍。まるで重さを感じさせないジャンプにより、サボテンの根はその下を通り過ぎてしまう。

 すぐに根は向きを変えてモモに再度襲い掛かるが、背後からの攻撃もモモには通じない。恐らく気配で察知したであろう襲撃を、モモは振り向きもせず、しゃがんで回避した。

 連続攻撃を躱されて怒り狂ったのか。サボテン本体がぶるりと震えるや、大きく枝を振り下ろし、モモ目掛けて無数の針を飛ばす。「おおっと」等と驚いたような声を出すモモだが、動きに焦りはない。僅かに顔を傾けるだけで、針の全てを避けてしまう。

 次いでモモは追撃として伸びてきた根に跳び乗り、新たに伸びてきた根は蹴り上げて向きを変える。飛んできた針はちょっと身体を捩るだけで対処。時には根がミドリを狙ってくる時もあったが、モモは彼女の身体を遠慮なくぶん回してこれを避けていた。

 モモは元々継実よりも速さに優れている。動体視力や反応速度、そして気配の察知も継実より上だ。身体が重くなった継実でも多少対処出来る程度の攻撃なら、ほぼ全力を出せる状態であれば回避は難しくない。


【つ、次は右ですぅぅぅぅぅ!?】


「右ね。よっと」


 更にぶん回されているミドリからの援護もある。脳内通信で根の情報を次々と伝え、モモが見えていない位置の情報を与えていた。お陰でモモは全方位を警戒するために気を張り詰める必要もなく、淡々と攻撃に対処出来る。

 サボテンの方も、流石にモモ(とミドリ)を仕留めるのは困難だと感じたのか。不意に根を散開させ、攻撃を中断。

 そうして再び、継実に意識を差し向けてきた。


「(どうやら、私以外を獲物にするのは難しいと考えたみたいね)」


 合理的な考え方に、継実は肩を竦めてみる。余裕ぶった態度であるが、内心はかなり焦りが強くなってきた。

 一見して状況は膠着している。しかし実際には、着実に継実達は追い詰められていた。

 何故なら継実達の体力は決して無尽蔵ではないからだ。攻撃を躱し続けていても、いずれ体力が尽きてしまうだろう。無論サボテンも体力が無限にある訳ではないが、奴は砂漠に暮らす砂漠の適応者。砂漠環境では継実達より遥かに効率的な動きが出来、体力の消耗は少ないだろう。つまり先にくたばるのは継実達の方という事だ。加えて継実達は水分が不足し、体調面で最悪の状態である。

 このままではジリ貧だ。継実の頭の中には一つ『打開策』が浮かんだが、それが上手くいくという確信はない。先のモモとサボテンのやり取りでが、確信には至らない……いや、そもそも確信に至れるものではない。これはサボテンにインタビューでもして、答えてもらわなければ分からない事なのだから。

 どうしたものかと継実は考える。自分達が生き残るために。

 しかし考えていたのは継実だけではない。サボテンもまたこの過酷な砂漠で生き延びるため、獲物である継実達を捕まえるために『思考』を巡らせていた。

 そしてサボテンの方が、先に『打開策』を閃いた。


「……ん?」


 継実はふと違和感を覚えた。サボテンの意識が、自分から僅かに逸れたように感じたのだ。

 尤も、その意味を考察する前に、サボテンが針と根で攻撃を仕掛けてきたが。勿論、継実目掛けて。


「ぐ……!」


 なんとか回避しようとする継実だったが、違和感から考え込んでいた事、そして今まで以上に感じる身体の重みから動きが一層鈍る。迫りくる根から逃げるのは勿論、避けるのも難しい。


「よっ!」


 その攻撃は横からやってきたモモが根を蹴りつけた事で軌道が逸れたが、こんな方法が何時まで続けられるか。

 守られている分頭を働かせろと意識して、継実は一層思考に没頭しようとした


【だ、駄目ですモモさん!? 後ろに――――】


 されどその思考を、ミドリの脳内通信が妨げる。

 ミドリの言葉は途中で途切れた。しかし途切れた言葉の続きを想像する事は容易い。

 モモの背後の地面から、無数の根が生えてきたのだから。

 ――――やられた、と継実は思った。

 サボテンは見抜いていたのだ。犬であるモモには、まずは継実の危機に優先して駆け付ける性質があると。

 それが分かれば実に簡単な話だ。継実に攻撃を仕掛け、そのフォローに入ったモモの背後を狙えば良い。回避と違い、フォローに入るのならモモの行動は極めて限定された範囲に留まる。まんまと範囲内に入ってきたところを、後ろからぶすりとやれば良い。

 現時点で成功したのは奇襲だけ。ここでモモが素早く身を捩れば、サボテンの思惑は失敗に終わる。だが継実に迫る根を蹴り上げるため、少しだけモモは宙に浮いていた。或いは、少し跳ばねば届かない位置に根があったと言うべきか。

 翼など持っていないモモは、この状態で奇襲攻撃を躱せるのか?


「……やっべ」


 それはモモの口から漏れ出たこの一言が、全てを物語っていた。

 このままではサボテンの根がモモの背中に突き刺さる。いくら身体が体毛に守られているとはいえ、サボテンの攻撃力を思えばその守りは容易く貫通されてしまうだろう。そして小さなモモの身体の水分など、サボテンが本気になれば瞬く間に吸い尽くしてしまう筈だ。刺さった後に助ける事は実質不可能と考えた方が良い。

 されどモモは背を向けていて何も出来ず。ミドリの戦闘力ではやはり何も出来ず。どうにかして今、継実がこの根を止めねばならない。

 だが、どうすれば良い? 細い根なら粒子ビームで焼き切れたかも知れないが、此度二人に迫るのは極太のもの。跳ね返されるのがオチだ。殴る蹴るなどの物理攻撃も同じ結果にしかならない。

 唯一の方法は……

 躊躇いは、継実の中には殆どない。何故ならそれは継実が考えていた『打開策』の一つに過ぎないからだ。今まで実行に起こさなかったのは、成功確率が高いとは言えなかったから。しかし追い詰められた今、使うチャンスが訪れたなら使うしかない。

 颯爽と駆け出した継実は、モモの手を掴んで引き寄せた。そしてそのまま、背後に向けて投げようとする。自分に狙いを変えてきた根など見向きもせずに。


「継実!? アンタ――――」


「モモ。プランK……後は任せた」


 投げる寸前に発してきたモモの言葉を遮り、ぽそりと継実はその言葉を呟く。

 モモは大きく目を見開いた。何かを言おうとして口も大きく開けた。けれども全てが、サボテンの根のスピードに比べればあまりにも遅い。

 モモを投げ飛ばした次の瞬間、根は継実の背中に深々と突き刺さるのだった。

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