干からびる生命14

「がっ……!」


 根が突き刺さった衝撃で、継実の口からは肺の中の空気が追い出されるように吐かれた。

 根は背骨を貫き、胃を貫通。更に胸部を貫いて出てくる。心臓は外れたものの七年前ならば致命傷であったが、しかし今の継実にとっては問題ない。以前ネガティブに心臓を抜かれた時に比べれば、掠り傷のようなものだ。

 故に継実は傷跡の修復よりも、この後起きる問題に備える。

 ――――水を操る能力によって、身体の水分を奪われる事に。


「(もう、吸い始めてる……!)」


 貫かれてすぐ、サボテンの根は継実の身体から血液を吸い始めた。いや、吸うというのは些か生温い表現か。七年前なら、ゾウだって一瞬で干物にしたであろう吸引力を全身で感じる。

 継実は能力で水分子の固定を試みたが、サボテンのパワーの方がずっと上だ。吸われる 勢いを弱めるのが精々で、体液を奪われていく状況に変化はない。


「継実! 今助け、っ!」


 モモが救助に来ようとするが、サボテンはそれを許さない。砂の中に走らせていた根を地上に出し、威嚇するようにうねらせる。モモはなんとか接近しようとしていたが、サボテンの根があまりに多く、隙間を縫う事すら出来ないでいた。

 助けは期待出来ない。そして自分の力だけで脱出はおろか抑え込むのも、間違いなく無理だと継実は思う。

 事実を積み上げて考えた結果分かったのは、自分が置かれている状況が如何に絶望的であるのかという事だけ。しかしそれを理解しながら、継実の頭に恐怖や絶望の念はない。

 それどころか、その瞳に宿るのは執念。

 何がなんでも死んでやるものかという、生への猛烈な執着心。恐らく七年前の人間からすれば、美徳を通り越して怨念染みて見えたであろう。しかし人間としての矜持などとうに捨てた継実は全身から力を抜くどころか、更に大きな力を身体に滾らせた。臆さない脳細胞をフル稼働させ、過去に人類が作り出した全コンピュータをも上回る演算力を生み出しながら『能力』を発動させる。

 だが、その足掻きも巨大サボテンには届かない。


「う、ぅ……!」


 全身を襲う息苦しさ。どうやら細胞への酸素供給が不足しているのだと分かったが、そのエネルギーを運ぶ血液がない状況故にどうにもならない。骨髄細胞を働かせて血液を増産しようにも、そのエネルギーが届いていない有り様。負の悪循環が始まり、エネルギー不足から能力も弱まる。能力の抵抗がなければ、もう体液の吸収を抑えるものもない。

 体液の喪失に伴い、張り艶のあった肌がどんどん皺になり、干からびていく。肌の色も黒ずんだものへと変わり、乾いた大地のようにひび割れる。また血液が不足するのに伴い、眼球が萎んでいく。目のガラス体は無事でも、中身がなくなって萎めば上手く光を取り込めない。視力が瞬く間に失われ、継実の目は何も映さなくなる。

 そして脳も血液が失われれば意識を保つためのエネルギーが運ばれなくなり、消えていく。


「(こ、こまで、か……モモ、後は……)」


 意識の中ですらも、最後まで言葉を綴る事は出来ず。

 時間にしてほんの一分にも満たない。ただそれだけの時間で、継実の身体は、水の一滴もないほど干からびてしまった。


「あ、あぁぁ……!」


 ミドリが嗚咽混じりの声を出す。顔は真っ青に染まり、目には涙が溜まり、全身をガタガタを震わせる。

 水分を吸い終えたサボテンは、もう要らないとばかりに継実の胸から根を引き抜く。ぼとりと砂の上に落ちたその身体には大穴が空いていたが、もうそこから流れ出すものはない。

 索敵能力に優れるミドリには更に、その身体が鼓動も呼吸もしていないと分かるだろう。あらゆる生命活動が停止していた。最早それは、継実の形をした肉の塊でしかない。


「も、モモ、さん……継実さん、が……継実さんが……」


 それでもミドリはモモに声を掛ける。なんとかしてくれと、縋るように。

 対するモモの返事は――――悲しみに暮れていたミドリの嗚咽と涙が止まるほどの、覇気と敵意。

 無論それを向けられるのは、継実を襲ったサボテンであるが。

 睨まれているサボテンは、微動だにしない。虫けらに見つめられても何も感じないと言わんばかりに。するとモモは更に敵意を強めていった。ミドリの震えが、継実が失われる事に対するものではなく、我が身を心配したものへと変わるほどに。

 それでもサボテンが大きな動きを見せないでいると、モモはゆっくりと口を開く。


「ねぇ。せめてその根を継実の周りから退かしてくれないかしら? でないと私……アンタの事、殺せないまでもズタズタに引き裂くまで暴れるわよ?」


 ただ一言。なんの破壊力も持たない、言葉による威圧。

 されどミドリは、その一言で一瞬意識が飛んでいた。あまりの恐ろしさから逃げるために、本能が咄嗟に思考を停止させたのだ。

 これでもサボテンは殆ど動かなかった。が、言われた通りにするかの如く、根を継実の傍から退かしていく。

 次いで、サボテンは砂の中に潜り始めた。

 一度潜れば、巨体が完全に砂の中へと消えるのに十秒も掛からない。根も素早く潜っていき、完全に姿を消した。

 あまりにも呆気ない撤退。それを目にしたミドリは呆けたように目を瞬かせた。


「……え。本当に、帰って……?」


「ミドリ、索敵。もしかしたら浅いところでこっちを見てるかも」


「は、はい!」


 モモに窘められて、ミドリは改めて索敵を行う。

 サボテンの方は殆ど気配を消していないようで、ミドリの答えはすぐに返ってきた。


「……もう、かなり遠くに行ってます。多分、戻ってはきません」


「そ。そりゃ何より。まぁ、脅しにビビった訳じゃなくて、単純に私を捕まえるのが面倒臭いって思っただけなんでしょうけど」


 ミドリからの情報に軽い口調で答えながら、モモは砂の大地を歩き出す。

 向かう先は、継実の身体の傍。

 モモはそこでミドリを下ろし、継実を見下ろす。ミドリも一緒になって継実を見ていたが、やがてその瞳からぼろぼろと涙を零し始めた。身体も小刻みに震え、口からは嗚咽が漏れ出る。


「……継実さん、本当に……本当に……!」


 認められない。認めたくない。そんな気持ちがどれだけ込み上がろうとも、目の前の干からびた肉塊は元には戻らない。

 継実の死を、ミドリは認めざるを得なかった。


「あーあー、こんな姿になっちゃって」


 対してモモは、軽い声で呼び掛けるだけ。

 ミドリは顔を上げて、モモを見遣る。ミドリの視線を受ける中、モモは干からびた継実の身体を、指で摘み上げた。まるで、路端に落ちていたトカゲやカエルの死骸を拾うかのように。

 しばし呆然とモモを見ていたミドリだったが、やがて表情が変わっていく。悲しみの色を薄れさせ、代わりに怒りを露わにしていった。それこそ、サボテンにモモが見せた威嚇の表情のように。


「……なんですか、その言い草は」


「? 何って?」


「継実さんが死んじゃったんですよ! どうして……どうしてそんな風にいられるんですか!」


 砂漠中に響き渡るような大声で、ミドリはモモを責めた。

 そうして責めながらも、ミドリの顔からは怒りが薄れ、悲しみが増えていく。

 モモは人間ではなく、犬。だから人間の身体と神経系を利用しているミドリとは、考え方や価値観が異なる……それぐらいはミドリも分かっている事。

 けれども、自分達は家族なのだ。

 まだ半年も一緒にいないような関係でも、家族として過ごしてきた。その家族の一人が失われたのに、悲しみの涙一つ零さない家族がいる。家族だと思っていたのに、家族だと思えなくなっていく。

 ミドリはそれが悲しかったのだ。怒りよりも、悲しみが心を突き動かす。

 そのミドリを前にしたモモは――――キョトンとしていた。それどころか困惑したような表情を浮かべ、何を言われたのか分からないとばかりの態度を見せる。


「いや、どうしても何も、まだ継実は死んでないし。諦め早過ぎ」


 続いてあっけらかんと、そう答えた。

 一瞬ミドリは怒りの形相を浮かべた。反省のないモモの言い方に対する、反射的な反感。されど遅れて脳が言葉を理解し、感情の消えた透明な表情に変わる。

 それが驚きと困惑に染まるまで、そう長い時間は掛からない。


「えっ!? い、生き……」


「あ、もしかしたら死んでるかも」


「ちょ。ど、どっちなんですか!?」


「私にも分からないわよ。これやったの初めてだし。でも、継実なら多分なんとかしてるわ」


 力強い断言。

 自ら「分からない」と言っているように、その言葉に根拠と言えるようなものは何一つない。けれどもモモは一切の迷いもなく、そう断じてみせた。

 ミドリは理解した。モモは心から継実を信じているから、悲しみなど抱いていないのだと。

 そしてモモは知っている。

 もう死んでいるとしか思えない、そんな状態でも継実が『復活』するすべがあるのと。


「……あたしは、何をすれば良いのですか」


 ミドリは涙を拭うと、モモに尋ねた。力強く、前向きな意思を備えて。

 自分の力で前を見たミドリに、モモは継実の身体を担ぎ上げてから、こう伝えた。


「兎に角、水のある場所まで行くわよ――――今度は全力疾走で、出来るだけ急ぎで。だから水探し、頼んだわよ」

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