干からびる生命09
これまで継実達は、様々な強敵と戦ってきた。
日本の森で鉢合わせた大トカゲ、南海の海に浮かぶアホウドリ、無数の能力を使うヤドカリ……旅路で出会った敵だけでも幾らでも挙げられる。更に七年間の草原生活も思い返せば、強敵難敵は両手の指を使っても数えきれないほどだ。正直今でも勝てる気がしない、戦いたくない相手も数多くいる。
されど此度の敵ほど、もう戦いたくないと思わせる相手は始めてだ。これを上回る力の持ち主は、ニューギニア島の大蛇やムスペル達のような規格外生命体のみといっても過言ではない。
――――ただし精神的な意味で。
「……継実ぃ……今日って、どれぐらい前に進めた……?」
明らかに疲弊した声で、モモが尋ねてくる。肩を落とし、ゆらゆらと身体を左右に揺れ動かす姿に、何時もの頼れる様子はない。
尤もそれは隣を歩く継実も似たようなものなのだが。問われた内容について、継実はぽそりと呟くように答える。
「……七キロ」
「……マジ?」
「マジ。徒歩でも時速四キロは出せるのに……」
唖然とした表情を浮かべるモモから逸らすように、継実が視線を向けたのは西の地平線。
そこには茜色に輝く太陽が浮かんでいた。
……瞬きしてみたが、やはり太陽は茜色。どう見ても夕日であり、今の時刻が夕方である事を物語っている。もうすぐ涼しい夜が訪れる訳だが、しかしそれを理解した上で継実は表情を引き攣らせた。
何故ならこの夕焼けは、継実達が十時間も歩いていたのにたった七キロしか進めなかった事を、嫌というほど突き付けているのだから。
「(あぁもう……嫌がらせに気を取られ過ぎたか……!)」
今日一日の行動を振り返り、継実は苛立たしさから歯噛みする。
サボテンの棘に襲われた後も継実達の身には様々な『現象』が襲い掛かった。例えば砂が非常に冷たくて(大体摂氏一度ぐらい)踏んだ瞬間ビックリさせられたり、かと思えば動物の骨が砂の地面に埋まっていて踏んだらちょっと痛かったり、顔を顰めたくなるような悪臭が流れてきたり、人型の物体がちらちら現れたり……例を挙げればきりがない。
「(つーかサボテンの棘なんて何処から持ってきたんだか。何処にも生えてないじゃん……他にもなんか色々変なのあるし。なんだ? キツネにでも化かされているの?)」
襲い掛かってきた数々の現象に継実は首を傾げる。どうにも釈然としない。考えても考えても、答えは出そうになかった。
「はぁぁぁぁ……」
「も、モモさん。大丈夫ですか……?」
「あー……まぁ、身体的には平気よ。ただどっと疲れただけだから」
そんな継実の傍で、ミドリとモモが話している。ミドリから掛けられた言葉に、モモは気丈に答えた。しかしながら目はどうにも虚ろで、普段の元気さはあまり感じられない。度重なる敵からの干渉は、人間など比にならない強靭さを誇るモモの精神すらも疲弊させたのだ。
とはいえあくまでも疲弊したのは精神のみ。肉体的に一番貧弱なミドリすら傷は負っていないので、一晩ぐっすりと眠れば問題なく回復するだろう。
……そう、間違いなく回復する。継実達にとっては朗報だ。後遺症が残らなければ、明日も元気よく冒険を続けられる。今日と同じ嫌がらせをされても難なく乗り越え、数日後には砂漠を脱出出来るだろう。継実自身は勿論この事に一切の不満なんてありはしない。
だが、視点を変えてみればどうだ?
攻撃側はこの執拗な嫌がらせによって、何を得たのだろうか?
「(どー考えても、攻撃側がなんにも得ていない)」
そもそもこんな嫌がらせで、一体何を得られるというのか。ミュータントの身体能力を思えば本当にただの嫌がらせに過ぎず、エネルギーの無駄でしかない。
ミュータントも生き物なので、時には『遊び』も行う。だが此度の敵はあまりにもしつこい。十時間以上一つの対象に執着し続けるなど異常だ。その時間、恐らく食べ物の摂取も休憩も取っていないのに。ちゃんとした目的があると考えるのが自然だ。
……その目的がどれだけ考えても分からないから、こうして困惑している訳だが。
「(私達を精神的に弱らせるのが目的?)」
確かに精神的なダメージはかなり蓄積した。正にうんざりするという気持ちだ。
しかし、だからどうした。
確かに精神的コンディションは重要だ。最悪の精神状態では最高の力と比べ、半分の力も出せないだろう。そして相手の立ち振る舞いからして、動物の精神を甚振る事に手慣れていると感じた事から、弱らせようという意思は間違いなくある。
だがミュータント……野生動物の精神はそう簡単には『最悪』まで落ちない。親が死んでも涙一つ流さないのが『畜生』が畜生である所以。大きなショックを与えたところで、そこまで大きな効果は生じない。しかも刺激というのは慣れるものだから、同程度の刺激を与えれば与えるほど効果が薄くなる。
ごく短時間嫌がらせをするのなら、費用対効果も大きいから頷ける。されど継実達が経験したような十時間もの嫌がらせとなると、あまりにも効率が悪い。ミュータントが、そんな非効率な生態を持っているとは思えなかった。
それに時折現れた、未知の人型物体。
攻撃してくる事はなかったが、しかしそれ故にどうして良いのか分からない。いや、そもそも見えるのはほんの一瞬だけで、対処するような暇すらないのが実情だ。無視してしまえば良かったかも知れないが、そうすると何をされるか分かったもんじゃない。肉食コアラのように、吐息を掛けられるだけでも危険な生物も今の世界にはいる。故に警戒を怠る事は出来ず、けれども結局そいつが直接何かしてくる事はなく。
意図が読めない。同種族ですら心なんて読めないのだから多種族相手には尚更だが、今回の相手はあまりにも理解不能だ。どんな意図があればこんな事をしようと思うのか……継実は考えてみたが答えは出ず。
しかし答えはなくとも時は流れる。継実が考えている間に太陽は沈んで夕方は終わり、やがて砂漠は夜を迎えた。
「ま、あーだこーだ言っても始まらないわ。今日はもう寝ましょ。嫌がらせをしてきた相手だって、今日一日ずーっと付き纏って眠いでしょうし」
「そう、ですね。あたしもうへろへろでして……」
暗くなってきて眠気が呼び起こされたのか、モモは目許を擦りながら睡眠を要求。ミドリもぺたりとその場に座り込んだ。
確かに、そろそろ夜行性の生物達が動き出す頃。のんびりしていては寝場所探しどころではないだろう。継実としても異論はない。今日の事を教訓にし、明日の対策は頭がスッキリした明日の朝に考えようと決める。
それにしてもモモは兎も角、ミドリは随分と疲れた様子だと継実は感じた。かなり慣れてきたとはいえ、ミドリはまだこの地球で暮らし始めて数ヶ月の身。モモや継実よりもメンタルと肉体の耐久力が低く、更に本能と比較して精神の比重がかなり重い筈だ。精神的疲労でへろへろになるのも仕方ない。
しかし、どうにもそれだけではないように継実は感じた。心なしかミドリの頬が赤らんでいるような……
「(……まさか)」
脳裏を過ぎる悪い予感。気の所為だと楽観視したくなる
突如近付いてきた継実に、ミドリとしては少々驚いたのだろうか。キョトンとした顔を継実に見せた。
反応は悪くない。けれども継実の目はその顔の変化を見逃さなかった。僅かだが垂れた眉、震える唇、赤らんだ頬……そして何よりちょっと前までだらだらと流していた汗がすっかり止まっている。
継実は医学知識が豊富な訳ではない。しかしそれでも軽度の熱中症に陥っていると分かるぐらいには、ミドリの体調は明らかに良くない状態だった。
「ミドリ大丈夫? 汗、止まってるみたいなんだけど」
「へぁ? ……あ、本当だ。なんかベタ付かないなーとは思っていたんですけど……」
呼び掛けてみればミドリの返事は何処か浮ついていて、苦しそうな様子はない。しかしそれで安堵するなど愚の骨頂。体温が高くなり過ぎた事で思考能力が低下しているのだと予想される。
汗が止まったのは、身体がこれ以上の『排水』は生命活動に関わると判断したからだろう。汗がなければ気化熱で体温を下げる事が出来ず、やがて重度の熱中症になってしまう。ミュータントの生命力は出鱈目の極みだが、だからといって不老不死でも無敵でもない。条件さえ揃えば熱中症は悪化していく。今のミドリには治療が必要だ。
熱中症になった時は、何はともあれ体温を下げるのが優先だ。長い間高体温が続くと脳機能の低下や臓器の損傷など、不可逆的なダメージを受けてしまう。ミュータントの生命力ならばその程度のダメージの回復は容易だろうが、負わないで済むならその方が良いに決まっている。
「モモ! 扇いでミドリの体温を下げて!」
「分かった。任せてちょうだい」
継実の指示を受けて、モモがミドリに駆け寄る。モモはツインテールに纏めている髪を伸ばすとミドリの前に突き出し、ぐるぐると高速回転。さながら扇風機のように風を送りつける。
身体を冷やされると、ミドリは夢心地と言わんばかりに蕩けた表情を浮かべた。とはいえすぐに、申し訳なさそうに眉を顰めたが。
「ごめんなさい、心配掛けてしまって……」
「仕方ないんじゃない? 普段能力に頼りっぱなしだから、使わない時の体調なんて良く分かんないだろうし」
「そうだよ。むしろこっちの方が気遣わなきゃいけなかったのに、夜まで気付かなかったなんて……ほんとごめん」
ミドリに対し、継実の方からも謝る。ミドリは「気にしないでください」と言いながら、また落ち着いた表情を浮かべた。
話し掛ければ応じるし、受け答えも明瞭。症状はそこまで酷くなく、モモの送風により体温も低下している筈だ。加えてこれから夜になるのだから、朝まで気温は低下していくだけ。とりあえず、これ以上熱中症が悪化する事はないだろう。
しかし、ではもう安泰だという事は出来ない。体温を下げられなくなった要因である、脱水症状は何一つ解決していないのだから。
完全な回復に必要なのは水だ。七年前の身であれば、砂漠で大量の水を手に入れるなど正にお手上げな難題だったろう。だが今の継実にとっては問題ない。この砂漠の地中深くには水がそれなりにある事は昨日確認した。そして継実の能力であれば、水の在り処まで辿り着く事は左程難しくない。
唯一問題があるとすれば、継実達をこの場に追い込んできた『何者か』が潜んでいる可能性がある事だが……リスクなしに報奨は得られない。継実が覚悟を決めるのに一ミリ秒と掛からなかった。
「待ってて。すぐに水を持ってくるから」
継実は言うが早いか地面に穴を掘り始める。目指すは地下五十メートル付近か、それ以上。そこならば十分な水がある――――
「……え?」
そう思っていながら砂を掻き分けていた継実の手が、表層を数回掻いたところでぴたりと止まった。
「どうしたの継実? 何かいたの?」
手を止めて固まる継実を不審に思ったのか、モモがそのように声を掛けてくる。そしてもしも恐ろしい、驚異的な敵がいた時に備えて全身の覇気を強めていた。
だが、継実は思う。
いっそ恐ろしい敵の方がまだマシだったかも知れない、と。
「水が……ない?」
どんな巨大生物よりも恐ろしい『現実』が、継実達には突き付けられているのだから。
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