干からびる生命08
砂嵐に次いでやってきたのは、灼熱の熱波だった。
無論ただの熱波ではない。今までも五十度前後の気温が、急激に上昇を始めたのだ。五十度から六十度になるのに数分と掛からず、更に十度上がるのにまた数分と掛からない。
三十分も経った頃には、気温は百度近い高さにまで上がっていた。砂漠の砂はパチパチと焼けたフライパンのような音を鳴らしている。
ミュータントの足でなかったら、今頃でろでろに焼け爛れていただろう。
「こりゃあ……中々のもんだ……」
「ほんとにね。流石にこれは能力なしじゃキツくない?」
流れ出る汗を拭いながら砂漠を歩く継実に、涼しい顔をしたモモが尋ねてくる。モモと継実の後ろでは、ミドリがひーひー言いながら後を追ってきていた。
確かに今継実達がいる砂漠はかなり高温になる地域だが、しかしこの気温はあまりにも高過ぎる。人類が観測した最高気温ですら、百年以上前にアメリカのデスバレーで記録された五十六・七度でしかない。地球温暖化やミュータント繁殖による気候変動を加味しても、その最高気温を五十度近く上回るのは明らかに異常だろう。
その異常の原因に思い当たる節がある継実は、視線を地平線へと向ける。
砂ばかりが広がる大地。一見してなんの変哲もない、ただの砂丘ばかりが並んでいるように見える。実際継実の目でも砂丘自体はなんら異常のない、そこらにある砂と同じものにしか見えない。七年前の人類が総力を結集させても、この異常気温の原因は恐らく掴めなかっただろう。
しかし今の継実ならば簡単に見破れる。
「(砂の反射光が、正確に私達を狙っているみたいね)」
砂漠に満ちている砂粒達は、多くがキラキラと輝いている。言い換えればそれは光を反射しているという事だ。そしてそうした砂で出来た砂丘も、当然光をギラギラと反射している。
通常であれば、砂粒の反射光は四方八方に飛んでいき、一点に集中する事はない。されど今、継実達の周りにある砂丘の反射する光は継実達に照射されるように集まっていた。砂丘の『形状』により光の反射方向が制御され、一方向へと進むようになっているのだ。
この奇怪な地形は決して自然の産物ではなく、砂の下を蠢く『何か』の動きによって作られている。『何か』が移動する度に砂丘が崩れ、反射光の向きが変わり……継実達を追尾していた。一度や二度なら偶然かも知れないが、こうも執拗にやられたら流石に無実ではないだろう。
照射といっても狙いは存外雑で、照らしているのは継実達の周辺だけ。スポットライトのように照らしているだけと言う方が適切か。しかしなんの小細工もされていない普通の砂漠であっても、砂からの照り返しによる体温上昇は馬鹿にならない。周辺の光を一点に集中させれば、局所的に百度を超える事などさして難しくもないと思われる。
平時であればこの程度の高温など脅威ではないが、体力消費を抑えようという時には厄介極まりない。恐らく攻撃が目的ではなく、消耗を促すのが目的なのだろう。ならば自慢の力を存分に披露して暑さを無効化するのは、相手の掌の上で踊る事に他ならない。
可能な限り少ないエネルギーで、この灼熱地獄を抜ける必要がある。
「モモ! 毛を広げて日差しを遮って!」
「はいよー。ミドリ、こっちおいで」
継実の指示を受けたモモは、ミドリを手招きして呼び寄せる。汗だくでへろへろなミドリは、ちょっと気合いを入れ直すように咳払い一つ。それから駆け足でモモの傍まで移動した。
三人全員が集まったところで、モモは自らの『
モモお手製の日傘だ。無数とはいえ体毛なので隙間は幾らかあるのだが、それでもかなりの『日光』を遮ってもらえた。お陰で体感温度が一気に下がり、汗を掻いていた事もあってかなり涼しくなったと継実は感じる。
ミドリも同じく涼しさを感じられたのだろう。今までの疲弊していた顔が一転、極楽に旅立ちそうなほど弛みきった表情を浮かべた。
「はひー……いぎがえりまずぅー……」
「こらこら油断しないの。なんで今までこれを使わなかったのか考えなさい」
すっかり警戒心を失ったミドリを、モモが窘める。
このお手製日傘は、遮光という点に関して言えば最良の手段だ。照り付ける日差しの殆どを遮るし、隙間が多いので風通しも悪くない。更にただ体毛を伸ばしているだけなのでエネルギー効率も非常に優れる。
等々利点はあるのだが、それでも今まで使えいたくないと思わせる致命的欠点が一つある。
自分の周りを囲ってしまうので、周辺を見渡すのが著しく困難になる点だ。隙間があるので全く見えない訳ではないが、どうしても視界が遮られてしまう。これでは外敵や脅威の接近に気付くのは難しい。
継実は周囲の警戒を強める。どんな危険が来ようとも、必ずモモとミドリの身を守り抜いてみせると。
残念ながら、その決意は瞬く間に砕かれる。
「――――んギャッ!?」
日傘を展開していたモモが突如として呻いたからだ。
継実は酷く驚いた。モモが突然声を上げたからというのもあるが、何より周辺の警戒は一切手を抜かずにやっていたのだ。そしてなんらかの『攻撃』が来た気配はない。
一体何処から攻撃されたのか? 何が攻撃してきたのか? 理解不能の状況が継実を戸惑わせ、動きを一瞬止めてしまう。
「も、モモさん!? どうしたのですか!?」
混乱した継実よりも、ミドリの方が先にモモへと尋ねる。
モモは顔を顰めながら答えた。
「いや……毛が凄いベタ付いて、なんか、気持ち悪い……」
「気持ち悪い……?」
モモの言葉に違和感を持ち、継実はモモが自分達を囲っている体毛に目を向けた。ただしじぃっと眺めて、体毛の細部まで観察するように。
そうすれば答えはすぐに見えた。
モモの体毛にはびっしりと、『塩』の結晶が纏わり付いていたのだ。塩と言っても食塩ではなく無機塩類と呼ばれるもので、此度やってきたものの主成分は塩化アンモニウムのようである。成分的には猛毒という訳でもない(人間社会では肥料などの原料に使われていた)代物だが、故に肌や体毛に付着すればべたべたとした汚物と化す。
塩は吹き付ける風と共に運ばれてきていた。オーストラリア大陸のど真ん中という海から果たしなく遠い地だが……砂漠という土地は、実はかなり『塩害』を起こしやすい。地中深くに無機塩類が豊富に含まれており、水を吸い上げる際この塩分も地上に出てしまうのが原因だ。敵ミュータントはこうした塩害のメカニズムを応用し、大量の塩分を用意したのだろう。
塩が身体に付いたからといって、身体機能が著しく低下する事もない。毒性も低いので全身に浴びても生きてはいける。だが、ミュータントの鋭い感覚器にはこうした『ノイズ』が非常に喧しく感じてしまう。優れた感覚故の弱点であり、精神的疲弊を強める一因だ。これでは周りを警戒する力が衰えてしまい、外敵の接近に気付き難くなる。
「モモ、あまり気を張らないで。私とミドリで周りを見渡すから、モモは日傘の維持だけを考えて」
「ええ……ちょっと今は任せるわ」
塩分による不快さに呻きながら、恐らくモモは周辺の警戒を緩めたのだろう。ほんの少し、表情を和らげた。
代わりに継実は全身全霊で周辺を警戒する。ただし代償は小さくない。継実の索敵方法は周辺粒子の動きを観測・計算する事で成し遂げており、その計算には多くのエネルギーが必要だ。砂漠環境故にエネルギー消費を抑えたい継実としては、索敵一つ取ってもあまり使いたくない。
しかし索敵しない訳にはいかない以上、他のところでエネルギー消費を抑えるしかないだろう。
「(モモが日傘を作ってくれたし、体温維持は発汗だけで十分。こっちは索敵に集中だ……!)」
モモの毛が太陽光を遮ってくれているお陰で、継実の周辺気温は四十数度程度まで下がっている。大気が乾燥しているため発汗による気化熱は効率的に働き、能力による補助をしなくても体温は一定に保たれるだろう。
ならば体温に意識を向ける必要はない。そちらは身体が元々持っている機能に任せる事にした。これにより、エネルギーを抑えたままかなり広範囲の索敵が可能になる。
その成果は間もなく得られた。
遥か数百メートル後方に、継実達をじっと佇む――――人型の物体が現れたのだから。
「え?」
「? どうかしましたか、継実さん」
「いや、今あっちの方で」
人みたいなものが、とミドリからの問いに答えようとする継実。
ところが意識を再度数百メートル先へと向けた時、見えていた筈の人型物体は影も形もなくなっていた。あれ? と首を傾げたくなったが、されどそのような暇はない。
突如として、自分達の足場がぐずりと崩れ落ちたのである。
「ぬぉうっ!?」
「きゃあっ!?」
継実達三人は崩れた砂地に足を取られ、砂と共に大地を下る。ミドリが尻餅を撞くようにすてんっと転ぶ中、モモと継実は優れたバランス感覚で転ばずに体勢を保ちながら砂の行く先に目を向けた。
砂はどうやら大地に出来た『穴』に向けて落ちているらしい。穴の直径は、砂が流れ込んでいる状況で測定するのは中々難しいが、凡そ十メートルはあるようだ。
無論、元々こんな穴があったならとっくに砂は落ちきっている筈。今この瞬間に穴が出来た……否、作られたと考えるのが自然か。言うまでもなくこんな大穴を仕込んだ犯人は、自分達の周りにちらちらと現れている『何か』だと継実は判断する。
七年前の生身の人間であれば、流砂に飲まれればやがて生き埋めとなり、窒息死した事だろう。そして崩れる砂の流れに歯向かうのは難しく、逃れられない恐怖で発狂したに違いない。しかしミュータントにとってはこの程度の状況、どうという事もない。
「跳ぶわよ!」
モモが継実とミドリを抱きかかえ、力いっぱい砂地を蹴る! 砂地という力の入り難い足場であるが、それでもモモの力ならば脱出は容易。
易々と崩れる砂場から脱出したモモは、着地と同時に一息吐く。
「っ!?」
しかし継実は落ち着きを取り戻す前に、背後を素早く振り返った。
不意に現れた人型の何かが、自分達の背後を取っていると感知したがために。
そう、感知したのだが……振り返る時にはもう、気配はすっかり消えていた。肉眼で見えるようなものもなく、ただ砂の大地が広がるだけ。
「……ミドリ。後ろに何かいなかった?」
「え? いえ、あたしは特に……え? 何かいたのですか!?」
「いた、気がするんだけど……ハッキリとは見てない」
ミドリに尋ねてみたが、彼女は特に何も感じ取っていない様子。
本当に何かがいたのか、はたまた気の所為なのか。考えようとする継実だったが、そんな猶予はなく。
再び吹き荒れた暴風に混ざって飛んできた、サボテンの棘という地味な『嫌がらせ』が襲い掛かってくるのだった……
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