干からびる生命06

 砂漠の太陽は、昇り始めてさして時間も掛からないうちに何時もの力強さを取り戻した。ギラギラと空で輝き、地上を灼熱に変えていく。

 雲一つない空からの直射日光は強烈で、能力を使わないよう努めている継実とミドリにとっては極めて危険なもの。体温は時間が経つほど上がり、身体中から汗が止めどなく溢れ出す。

 しかしミュータントの身体は、能力なしでも存外頑丈だ。十度かそこら上がったところでなんて事はない。それに汗を流せば体温はどんどん下がる。体調は狂いなく、身体の動きはスムーズ。継実の足取りはそれなりに速く、砂の大地をどんどん進んでいけた。かれこれ一時間は歩き続けているが、その歩みは衰えるどころか、ますます加速している。


「今日は随分なハイペースね。そんなに急ぐような旅じゃないのに」


 あまりの速さに、モモからそんな問いが飛んでくるほどだ。

 くるりとモモの方に振り返った継実は、後ろ歩きで相棒と向き合う。ついでに、モモのちょっと後ろをへろへろになりながら着いてきているミドリも見た。

 ミドリの疲れ方を見るに、確かに少々速く歩き過ぎたかも知れない。そうは思うが、けれども足取りの速さにはちょっとした事情がある。


「そーだけどさ、全然何もないじゃん? 思っていた以上に」


「確かに、思っていた以上に何もないけどね」


 継実が正直に理由を明かせば、モモも同意。辺りをキョロキョロと見回しながら、肩を竦めた。ミドリも継実と目が合うや、こくりこくりと頷く。

 継実の足取りが速い理由は、脅威を感じられないから。

 生命の気配がないのだ。歩けども歩けども、自分達に襲い掛かろうとする気配が感じ取れない。頷いていた事から、継実の索敵だけでなくミドリの索敵にもこれといって引っ掛かっていないようである。これまでゆっくり歩いていたのは周りの警戒をしっかり行うためであり、脅威が感じられない事で無意識にその足が軽くなってしまった訳だ。

 とはいえ、違和感を覚えない事もない。


「(流石にここまで気配がないのは、なーんかおかしいと思うんだけどなぁ)」


 改めて周りを探るも、やはり継実には生命の存在を感知出来ない。しかもムスペルのような大型生物だけでなく、砂漠横断一日目にはそこそこ見られたトカゲや虫のような小動物の姿もだ。

 やはりニューギニア島で出会った化け物達のような危険があるのだろうか? 脳裏を過ぎる考えだったが、しかしそれは違うと即座に判断する。ムスペルという、大蛇達に匹敵するミュータントがいる中でも小動物達の姿はあったのだ。今更、この辺りで生命の気配が消えるとは思えない。

 何かがおかしい。

 このような時は何時だって脅威が振りかかってきた。一時的に緩んでいた警戒心を再び高め、継実は改めて周囲を見渡す。

 索敵については、継実もミドリも『手加減』なんてしていない。削れるものは削るといっても、索敵能力を削って奇襲攻撃を受けては元も子もないからだ。つまるところ今更警戒心を強めても、やはりなんら新しい発見はない。

 どう考えても安全な状況だ。正直なところ「やっぱ空でも飛んでひとっ飛びしちゃおうか」という気持ちが湧き上がる。しかしながらこちらの索敵を素通りしている脅威の存在がどうしても排除出来ないので、それを実行する気にはなれないのだが。

 ちなみに継実よりも索敵能力に優れるミドリは、大分警戒心が薄れている様子だ。元々おっとりしていた雰囲気が、輪にかけて緊張感に欠けている。周りを見渡す目は周囲の警戒ではなく、ただ景色を眺めるようだ。疲れがあるにしても弛み過ぎだろう。


「あたし的には、何もない方が良いんですけどねー……ぶっちゃけ砂漠の観光をしたいぐらいです。暑さにも割と慣れてきましたし」


「こーら、流石に気を弛め過ぎ。ニューギニア島での事忘れたの?」


「忘れてませんけど、あの時とは状況が違うじゃないですか。頑張って索敵してみましたけど、大きな動物だけじゃなくてネズミもサソリもいませんよ。虫の蛹もありませんから、みんな何処かに逃げたんじゃなくて、元々此処には何もいないと思うんですけど」


 継実が窘めたところ、ミドリなりに思うところがあるのか彼女はすぐに反論してきた。

 そしてその反論は、至極尤もなものである。

 ニューギニア島での異常事態は、大蛇とヒトガタの接近を感知した生き物達が逃げた事で起きていた。だからヤドカリのように身を守れる自信のある生き物は普通に活動し、どうやっても逃げられないようなイモムシは蛹となって耐えた。そもそも逃げた生き物達も貝殻の下に避難していただけ。居場所さえ見付ければ『発見』は出来ていた。

 されど此度の異変は似て非なるもの。本当に生き物の気配が微塵もない。昆虫の蛹などは一つも見付からず、「オイラはへっちゃらだい」と言いたげな生物も見られず。そして身を隠せる場所なんて、地中奥深くぐらいなもの。

 ミドリが言うように、元々生き物がいないと考える方が自然なのだ。そして元々生物数が少ないなら、尚更この地域は安全だと言えよう。


「……まぁ、そういう場所もある、のかな」


 ミュータントの適応力を思うに、で生息出来ないとは未だ思えないのだが……状況が示す答えは今のところ一つのみ。ならばそれを根拠なく否定するのは、非合理的な感情論というものだ。

 それでも本能が、ぐずぐずとした想いを吐き出す。どうにも納得出来ない。


「でも警戒は緩めない事。何処からまた生き物が見られるようになるか分からないし、ハマダラカみたいに誰にも見えてないだけって可能性もあるんだから」


「分かってますって。それなりには気を付けますから」


 とりあえず改めて窘めておく継実だったが、ミドリの答えはあまりにも警戒心に欠けた。仕方ないなと、継実は自分がその弛んだ分の警戒心を引き受けようとした。

 しかしながらそれも長くは続かない。

 唐突に吹き荒れた強い風が、大量の砂と共に継実達へと押し寄せてきたからだ。


「くっ……」


「ばぶっ!?」


「あらあら砂嵐ね。継実、ミドリ。大丈夫?」


 全身を体毛で包み込んでいるモモは平然としながら、継実とミドリに尋ねてくる。

 能力を使えばこんな砂嵐など痛くも痒くもないのだが、使わなければ普通に辛い。裸故に剥き出しの肌に砂がぶつかってくるが、その勢いは正に弾丸のよう。正直かなりの痛さだ。

 更に砂煙の所為で前が殆ど見えない。これでは前に進むのは勿論、周囲の警戒も難しいだろう。もしも砂煙の中に猛獣が隠れ潜んでいたら、一溜りもない。

 エネルギー消費を抑えるために能力は使わないようにしていたが、出し惜しみで死んでは意味がない。


「(身体の方は兎も角、視界だけは使うしかないか……!)」


 継実は能力を発動させ、暴風と砂煙の中を見通す。

 すると、一つの『姿』が見えた。

 砂嵐が吹き荒れる中に何かがいたのだ。継実達がこれから向かおうとしていた、その先の大地に。

 何時の間に現れた? 否、それよりも正体はなんなのか。どうにもそれは細長く、長さも五十センチほど――――

 というところまで観察したところで、現れたそれは地面に潜ってしまう。能力で継実は後を追おうとしたが、砂に潜ると途端に姿が見え辛くなってしまう。なんらかの能力か、はたまたそういう体質なのか。


「ミドリ! 地面に潜っていった奴を探って! 何かがこっちを見てた!」


 継実は即座にミドリへと指示を出す。自分には出来なくとも、ミドリの能力ならば出来ると読んでの判断だ。


「あびゃびゃびゃー!?」


 ……残念ながらミドリは、暴風と砂嵐に負けてすっ飛ばされていたが。ミュータントとしての力すら貧弱な彼女の身体は、能力なしだと正に小娘のように貧弱なようだった。

 そうして転がるミドリを眺めている間に、地面に潜った何かはすっかり姿を眩ませてしまう。これでは追跡は不可能だ。

 すると砂嵐は唐突に止む。もう、これ以上は必要ないと言わんばかりに。


「……モモ。臭いとか追えそう?」


「無理。つーかなんの臭いもなかったわ。何がいたかは知らないけど、少なくとも獣じゃないわね」


 駄目元でモモに尋ねてみたが、モモからの回答もこんなもの。やはり追跡は出来ないらしい。


「OK、分かった。流石私の相棒ね」


 その上で継実は、しっかりと情報を掴んできたモモを褒める。

 モモでも臭いが感じられない……そのような存在はかなり限られる。例えばモモが言うように、全身が毛で覆われているタイプの獣という可能性は低いだろう。体毛で包まれている身体は空気がこもる都合、どうしても独特の臭いも残るからだ。また粘液に覆われている生物も、体液の臭気をばらまく筈。

 細長い姿というのもあるし、ヘビやイモムシの類だろうか。しかし、よく考えればネズミの尾のような可能性も捨てきれない。何も全身が出ていたとは限らないのだ。

 『何か』と比べれば随分範囲は狭まったが、やはりまだまだ情報不足。追えなかったのは小さくない痛手かも知れない。

 前向きに受け取るならば、何かされる前に見付ける事が出来た、と言うべきだろうか。


「(或いはこっちを警戒して様子見に来ただけ、という線もあるか)」


 そうであるなら貴重なエネルギー源。是非とも捕まえて腹に収めたいところだ。無論、リターンがそのための『投資』に見合うものであればの話だが。

 なんにせよ未確定なものに油断は出来ない。油断は出来ないが、だからといって能力を発動させ続けるのは好ましくない。エネルギーが不足し、砂漠の真ん中で行き倒れてしまう。例え相手が美味しい食べ物だとしても、常時エネルギーを消費して探し回っては割に合わなくなってしまう可能性がある。そして何かがいると分かった以上、もう空を飛んで砂漠を一気に駆け抜けるなんて『リスク』は犯せなくなった。

 つまり自分達は可能な限り『加減』をしながら、何時何処から何が来るかも分からない場所を、時間を掛けて進まねばならない。

 噛み合わせたくない状況が噛み合わさってしまった。元より油断大敵ではあるものの、楽かと思った旅路は、どうやら何時ものように困難らしい。それについて悪態やため息の一つぐらいは吐きたいのが正直なところ

 しかし継実はにやりと不敵に笑う。

 安全を求めていたのは本心である。けれども退を好まないのも、知的生命体である人間の本能だ。最初こそ風景に感動もしたが、慣れてしまえばモモが述べたように砂があるだけの地域にしか見えない。こんな大地をたらたらと歩くだけなんて実につまらない事ではないか。

 意識をしても少しずつ抜けてきていた『気合』が、全身に滾るのを継実は感じた。


「ちったぁ面白くなってきたじゃない。燃えてきたよ」


「継実ってそーいうところあるわよねぇ。ま、私も思わなくはないけど」


 継実が本心を言葉に出すと、モモはちょっと呆れたような声で同意する。肉食獣である彼女も、『刺激』を受けて気分が昂ぶっているのだろう。

 二人は同時に顔を合わせると、不敵な笑みを見せ合う。


「げほげほ……あぁ、酷い目に遭った……あ、継実さん。さっきなんか言ってましたか?」


 しかし最後に三人目の家族が話し掛けてきた事で、身体に満ちていた力はすとんと抜けてしまうのだった。

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