干からびる生命05

「さ、さぶいぃぃ……!」


 翌朝。砂から這い出したミドリの第一声は、すっかり震えたものだった。服一枚着ていない身体はすっかり青く、鳥肌まで立たせて、ガクガクと震えている。震えに伴って大きな胸も小刻みに震えていた。

 典型的な『寒さに震えている人』だ。彼女の立つこの砂漠の大地には似つかわしくない。

 尤も、あくまでそれはイメージの話。現実の砂漠は夜になると非常に冷え込むものだ。というのも夜になると(正確には昼間もなのだが)地上の熱は宇宙空間に逃げていこうとするが、この時雲や水蒸気が豊富だと逃げ難くなる。七年前の一般人にはあまり知られていなかったが、水蒸気というのは『温室効果ガス』なのだ。具体的には、地球の温室効果の約半分は水蒸気が担っているという。実際日本の夏でも、夜に曇っていると気温が下がらず、熱帯夜になりやすくなる。

 砂漠は非常に乾燥しているため、雲や水蒸気が殆どない。そのため宇宙空間に熱が逃げていきやすく、夜間になると急速に気温が低下するのだ。この砂漠でも朝は非常に冷えており、氷点下なる寸前まで気温が下がっていた。

 ミュータントの力を使えば、この程度の寒さなどどうという事もない。しかし此度は砂漠の横断中。寒いといえども命に関わるほどでないのなら、エネルギー保持のためにも能力の『無駄遣い』は控えるべきだ。

 寒さに震えているミドリは継実の指示をちゃんと守っている。その点については褒めたいと継実も思うが、されど流石に凍え過ぎだ。氷点下にもならないような寒さでへこたれるなど、獣としての精神力が足りない。確かに今の自分達は服として使える毛皮が調達出来なかったため全裸であるが、七年前の普通人類でも氷点下の水で泳ぐ寒中水泳が出来たのだ。より進化した生命体である自分達が、能力なしでも『下等生物』に負けるとはなんと情けない事か。


「全く。心頭滅却すれば火もまた涼しと昔の人間も言ってるのに。寒さだって精神力があれば感じなくなるんだよ」


 この軟弱者めと言わんばかりに、継実はミドリを窘めた。

 ところがミドリから返ってきたのは、己の未熟を恥じる目でも、反抗的な敵愾心でもない――――心から呆れている顔だ。


「いや、継実さん。強がるにしてもモモさんから離れてからにしましょうよ」


 その顔を向けながら、ミドリは指を差してきた……モモが伸ばした体毛で、全身をぐるぐる巻きにした継実を。

 モモも呆れた顔で継実を見ていたが、継実は全く気にせず。目を閉じ、ニヒルな笑みを浮かべた。特に理由もなく。


「ふっ。モモは私の家族。家族とは一心同体。故に髪の毛に包まれている私とモモは一体化し、私は裸と何も変わらないんだから」


「すみません、マジで意味が分かんないのですが」


「大丈夫よミドリ、私にもさっぱり分かんないから。でもまぁ寒い日の継実って、何時も起きたてはこんな感じなのよねー」


「……つまり?」


「元々結構寝ぼすけなのに、寒くなると更に酷くなる」


「継実さんの方がずっと寒さに弱いじゃないですか。心頭滅却は何処いったんですか」


 ミドリからツッコミを入れられる継実だが、これも見事に聞き流した。何分脳機能の半分ぐらいが未だに寝てるので。

 そしてニヒルな笑みを浮かべるために目を閉じたら、半分眠っている脳みそは夜が来たと誤認。夜=寝ると一ナノ秒で判断した継実の神経系は、速攻で睡眠に向けて転がり落ちていく。


「むにゃむにゃ……モモぉー、だっこぉー」


「うっわ、寝惚けてるし……」


「そう? ミドリが来るまでの継実って割とこんな感じだったわよ。よしよし」


「えぇぇ……確かに節々にそんな気配ありましたけど……あとモモさんは継実さんを甘やかし過ぎだと思います」


 モモに抱きつき、更なる暖を取ろうとする継実。モモは頭を撫で、ミドリはその様に心底呆れていたが……やがてミドリもちょっとそわそわ。ちらりちらりと物欲しげな視線を送り始める。

 その目が向くのは、裸の継実をぐるぐる巻きにしているモモの毛。ふわふわして、実に温かそうなパピヨンの体毛。


「……ところで後学のため、あたしもその毛に包まれてもよろしいでしょうか?」


「良いわよー」


「やったー。モモさん大好きー」


 試しにとばかりにしてきたミドリのお願いを、モモは嫌味一つ言わずに快諾。最早取り繕う事もせぬまま、ミドリもモモの体毛でぐるぐる巻きになった。継実の意識は既に殆どないので、ミドリがやってきた事には気付いてもいない。

 僅かに働いている意識も、向いているのは自分の身体を包むモモの体毛についてのみ。

 モモの体毛は非常に温かい。鳥の羽根のように枝分かれした構造はしていないものの、細かくて数が多い事で空気をたくさん含み、しっかりとした保温効果がある。しかも動いた際に生じた摩擦熱などを保持もしているため、そもそもそれなりに温かい。この発熱は歩いたりするだけでも生じるので、電気のようにわざわざ作り出す必要がなく、非常にエネルギー効率に優れる。更に更に肌触りが非常に良くて、落ち葉の布団など比にならない心地良さだ。

 この体毛の温かさや肌触りを例えるなら、一晩しっかり人の体温で温めた新品の布団だろうか。あらゆる効用が人間を駄目にするため、基本野生動物らしく自堕落で欲望に素直な継実でも、寒さの厳しい冬場以外は頼らないものだ……冬場になると無意識にお願いしてしまうが。能力を使った保温では、この心地よさは決して生み出せない。

 ぬくぬくポカポカ。砂漠の夜明けを前にしながら、継実は家族二人と共に堕落を貪る。自分は世界で一番幸せな人間だと本能的に確信しながら、幸福な温かさを思う存分楽しんだ。目の前をムスペルやらなんやらが通り過ぎては砂に潜ってていったが、体毛の温かさを堪能するのに全力な継実は無害な生物達など興味すら抱かなかった。そして巨大生物達に、寝惚けた虫けら共への興味などない。

 かくして日の出から二時間ほど経ち、気温がそれなりに高くなった頃――――


「あああああああああ! 寝過ごしたあああああああああああああぁぁぁぁぁ!」


 降り注ぐ暑さと共に我に返った継実は、砂漠の大地に突っ伏すのだった。

 ちなみに家族二人からは、呆れきった眼差しを受けられている。侮蔑という訳ではないが、しょうもないものでも見るかのような瞳だ。


「ああ、早く起きて涼しいうちに少しでも先に進もうとは思っていたんですね……」


「ぐぬぎぎぎ……なんで起こしてくれなかったのさモモぉ!」


「ちゃんと起こしたわよ。アンタが考える前に二度寝しただけで」


 継実がぶつけた子供のような文句に対し、モモは母親のような返しをする。七年前に母を失った身としては嬉しさを感じなくもないが、それよりも後悔の念がずんどこ(継実的感想)と心から沸き立つ。思えば七年前の小学生時代から、「早起きすればたくさん遊べる!」と決意しても三日坊主どころか一日も上手くいった試しがない。七年前から何も成長していなかった自分に気付いてしまい、ますます自己嫌悪に継実は陥る……成長する必要のない環境だったのも一因だという言い訳は、ひっそりと思ったが。

 ちなみに家族二名は、嫌悪する継実を励まそうとすらしなかった。元より遅刻もスケジュールもない旅故に、『寝坊』したところで何も思うところなどないので。


「まぁ、別に継実が寝坊したのはどうでも良いんだけど。そろそろ出発しない? 別にこのまま今日は地中で惰眠を貪るでも私は構わないわよ」


「ですね。行くなら行くで早くしましょうよ。気温は後悔してる間もどんどん上がりますよ?」


「うぅ……薄情者共めぇ……」


 睨んでみるが二人は何処吹く風。それよりさっさと立ち上がれと言わんばかりの視線を向けてくる。

 ……このまま遊んでばかりでも悪くはないが、そろそろ真面目に進まうかと継実も気持ちを切り替えた。立ち上がり、手足に付いた砂を払い落とす。


「……しゃーない。明日こそ早起きするとして」


「あ、まだ諦めてないんですね」


「絶対無理よ。七年間、冬に早起き出来た事なんて一度もないんだから。今日の晩ごはん賭けても良いわ」


「それ賭けになってませんよ。あたしもまた寝坊するのに賭けるので」


「さっきから二人とも五月蝿い! 兎も角! そろそろ行きましょ。昨日みたいに、出来るだけエネルギーの消費は抑えるようにね。水の補充は問題なく出来そうだから、今日も水よりエネルギーの方を重視しましょ」


 出来るだけ威厳を見せ付けるようにしながら、継実は今日の指示を出す。にやにやと笑ってはいるものの、二人から反対意見は出てこない。

 二人とも出発準備は出来ている。元より遊びでおちょくっているだけだ。『真面目』になれば継実の醜態など些末な話。

 継実も気持ちは切り替えた。もう遊びはここまで。今から自分達は過酷な砂漠の横断を再開する。


「はい、しゅっぱーつ!」


 二日目の砂漠の大地を、継実は昨日よりもちょっとだけ早歩きで進み始めるのだった。

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