干からびる生命04

「ああぁぁぁ……づがれだぁぁぁぁ……」


 がくりと膝を崩して、ミドリがその場にへたり込む。砂の大地に僅かながらその身が沈んだが彼女は気にせず、今度は仰向けに大の字で倒れた。

 傍に立つ継実はにこりと笑う。それだけの声が出せるならまだまだ元気ねと、ミドリの体調を押し図りながら。次いで継実は、視線を西へと向ける。

 太陽は西の地平線に沈みかけていた。茜色の光がほんの僅かに染み出しているだけ。空の大部分は既に暗く、雰囲気的には夕方を通り越して夜。一日中砂漠を渡り歩いていた継実達も、ここらで休憩する事を選んだ。


「んじゃ、私はちょっと離れるわ。あまり遠くにはいかないけど」


 ただしモモだけは、食糧探しという一仕事が残っていたが。

 砂漠は生き物が少ないが、それでもゼロではない。そして気温が涼しくなる夜間は、昼間よりもたくさんの生き物が活動を開始するものだ。あくまでも七年前の、普通の生物が地球を支配していた時の話なので、ミュータント相手に何処まで当て嵌まるかは不明だが……ミュータントとて暑さに耐えられるだけで、エネルギーを消費しない訳ではない。涼しい時の方が楽に動ける消耗が少ないなら、ミュータントだろうと同じ生態を維持している筈だ。

 故に継実は昼間に移動を行い、夜に狩りをするというスケジュールにしたのである。そして狩りをするのは、継実達の中で一番夜に適正があり、尚且つエネルギーが一番有り余っているモモ一人だ。


「悪いね、任せちゃって」


「私が一番余力がある訳だし、当然でしょ。なーにが悲しくてへろへろな奴に大事な狩りを任さなきゃいけないのよ」


「人間ってそーいうもんだよ。仕事してない奴が次は働けって感じだから」


「ほんっと非合理的よねぇ……とりあえず半径一キロ以上外には出ないわ。今回は様子見だけよ」


 何処まで出掛けるか、それを伝えたモモは一人砂漠を駆けていく。全力疾走、には程遠いがかなりのスピードで、その姿は瞬く間に遠くなった。

 果たして何が捕まえられるのか。ちょっとだけ楽しみにしながら、継実は体力回復のために身体から力を抜く。

 それと同時に、ため息が口から出た。

 能力なしでの砂漠の横断は、やはりかなり辛かった。ミュータント化した身体は本能で様々な点を『自覚』出来るし、能力と関係なさそうなところ(例えば高速演算や細胞の活性など)も優れている。能力なしでも七年前の鍛え上げた超人より逞しいだろう、が、それでも灼熱の砂漠越えはかなり厳しいものだった。能力代わりに汗腺など普段使わないような機能をフル稼働させた分、カロリーは兎も角、細胞的な疲労はかなり蓄積している。動けないほどではないが、回復させないと明日に響くだろう。

 ミュータント歴七年の継実ですらこうなのだ。死体を拝借してからまだ一年と経っていないミドリはさぞや疲れたに違いない。

 そう思ってちらりと、砂漠に仰向けで倒れたまま動かないミドリに視線を向けたところ――――ミドリはその目を輝かせていた。

 恐らく、空に広がる満点の星空が理由なのだろう。


「ミドリ、随分楽しそうね」


「だ、だって、なんか星が何時もと違って見えるんですよ! 何が違うかよく分かりませんけど!」


「砂漠は水分が少ないから、雲とか空気の屈折が少ないからね。天文観測をするのに向いているんだよ。まぁ、普通は人間の目に分かるもんじゃないと思うけど……ミドリ、ミュータントの力ちゃんと抑えてる?」


 ミドリの傍に立つ継実からの指摘に、ミドリはぷくりと頬を膨らませた。不服だ、と言いたいらしい。目線は星空からいっさい逸らさず、倒れたままバタバタと四肢を暴れさせた。


「む。失敬な! ちゃんと抑えてますよ……多分」


「多分って」


「だって普段無意識に使ってる部分ですよ。息とか瞬きとか心臓の鼓動みたいなもんじゃないですか。むしろ一時的にでも止め続けられる方がおかしいんです!」


 自信満々な持論と共に、能力と同じものとして挙げられる数々の生理反応。それらは確かに中々止められないが、理由は止めると生命活動に関わるからだ。能力とはちょっと違うでしょ、と継実は思って苦笑い。

 しかしよく考えると、あながち適当な言い分でもないかも知れない。草原で出会った花中曰く、空気中にも細菌のミュータントが浮遊している。それらに対抗するためには通常の生理作用や免疫だけでは足りず、ミュータントの能力が必要だ。砂漠は湿度が低いので細菌も少ないだろうが、七年前の世界でもゼロではなかった。ミュータント化した今なら、より多くの細菌が大気中にひしめいているだろう。もしも完全に能力を止めていたら、そうした細菌に身体を蝕まれ、命を落とす筈だ。

 継実としてはかなり本気で能力の発動を抑えていたつもりだが、もしかすると未だ多くの能力が発動しっぱなしだったかも知れない。それを知る事は、人間が自身の免疫系の具合を確かめられないように、自分自身では完璧には確認出来ないだろう。ならば今日一日の消費カロリーは想定よりも多いと考えるべきだ。


「はーい、言い争う前にごはんよー」


 だからこそ、ひょっこりと帰ってきたモモが捕まえてきてくれた獲物が実にありがたい。


「おっ、早い。それに捕まえられたんだ? 正直あまり期待してなかったんだけど」


「意外と悪くなかったわね。軽く見ただけでこんな感じよ」


 継実が話し掛けると、モモは返答と共に片手に持っていたものを継実達の前に放り投げる。

 それはトカゲだった。体長十センチほどとちょっとばかり小さいし、身体も痩せ気味だが……これでも肉の塊には違いない。十分に立派な食べ物と言えよう。

 これを三等分にすると流石に少ないと思わなくもないが、口にご飯粒肉片を付けてる奴に分ける必要はあるまい。


「これ、私とミドリの二人分で良いわよね? 摘み食いしてたみたいだし」


「えぇー。私まだ食べたりないから、三等分してほしいんどけど」


「えぇいこの正直な食いしん坊め……」


 フードをもらった後に「ご飯くれよ」と訴えるパピヨンを想起しつつも、とりあえず言われた通りトカゲを三等分にする継実。なんやかんや今トカゲを食べられるのは、そして砂漠での行軍が思いの外辛くなかったのは、モモのお陰だ。その彼女がもっと欲しいと言っているのだから、分け与えるのが正当な報酬というものだろう。

 トカゲを頭と身体に分け、身体の方は更に二等分。頭の方をモモに渡し、継実とミドリで身体を食べる。尻尾は細くて分けるのが難しいので、ミドリの方におまけしておいた。ミドリは軽くお辞儀をした後、ぱくりとトカゲの半身を一口。よく噛んで味わい、幸せそうに目を細めた。


「あぁぁ……乾いた喉が潤いますぅ……今日は食事なしだと聞いてましたから、美味しさも一入ですぅぅ……」


「血は砂漠だと特に貴重な水分だからね。よく噛んで絞り出しなよー……いや、でも獲物を獲れたのは本当にラッキーだね。何も捕まえられないつもりでいたから」


「まぁ、正確には捕まえられる時間になる前に、隠れなきゃって話なんだけどね。今日ももう狩りは止めた方が良いだろうし」


「? 隠れる? なんでですか?」


「なんでって、そもそもなんで私らが昼の砂漠を、能力なしなんて制限掛けてでも練り歩いていたと思うのよ」


「え? それは……あれ?」


 継実に訊かれて考えてみたミドリは、こてんと首を傾げた。言われてみればおかしいなと感じたように。

 七年前の人間なら、砂漠では昼間以外に活動する時間なんてなかった。無論それは「夜は早く寝ましょう」なんて健康的な理由ではなく、灼熱地獄の昼間に意識喪失寝るなんてただの自殺行為だからだ。日陰などがあればそこに隠れて休む事も出来るだろうが、木すら生えていない砂漠でそれは期待出来ない。

 しかしミュータントならば話は違う。ミュータントの人間である継実達なら、その気になれば砂の中に潜る事が可能だ。砂の中は日光が届かない分地表よりも涼しく、体力の消耗を少なく出来る。そして夜になって這い出し、涼やかな砂漠を歩けば良いのだ。能力は使う事になるが、隠れる場所がない以上夜寝る時にも同じ対処が必要なのだから、別段余計な消費がある訳ではない。

 理屈で考えれば、夜に歩く方が合理的なのである。継実はそれを分かった上で、あえて昼間に南へと向かった訳だ。

 そしてその理由は、モモが狩りに向かったのと全く同じ。


「答えを言うとね、今し方食べたトカゲが答えよ」


「えっと、つまり?」


「そろそろ出てくる筈よ。隠れていた連中が」


 モモがミドリの疑問に答えた、その直後の事である。

 不意に、砂漠の大地が震え始めたのは。


「ふぇ? え、何が――――ひっ!?」


 地面の揺れの原因を探ろうとしたのだろう。故にミドリは悲鳴を漏らす。

 夜を迎えてトカゲが姿を表した。やはりミュータントにとっても、昼間より夜の方が活動しやすいのだろう。予想通りの動きである。

 ならば、だと考えるのが自然。

 砂漠生態系は、夜にその本当の姿を見せる。


「バルルオオオオオオオオンッ!」


 始まりを告げるのは、怪物ムスペルの雄叫び。

 さながらそれが合図であるかのように、砂漠の至るところから生物達が次々と姿を現す! 二百メートルはあろうかという巨大ミミズ、百メートル近い巨大サソリ……他にも次々と、砂から這い出してくる。

 しかもどいつもこいつも巨大なものばかり。ミドリは愕然としたように固まり、夜行性生物の出現を予期していた継実も思ったよりデカ物ばかりで少なからず驚く。

 どうしてこんなに大きな生き物ばかりなのか? 疑問に思っていると、自分達の足下がもぞもぞと蠢き始めた。

 次の瞬間、砂漠中から無数の虫が飛び立つ。

 種類は千差万別であり、強いて共通点を挙げるなら翅を持っている事ぐらい。とんでもない大群団は夜空を真っ黒に染め上げると、北に向かって飛んでいく。恐らく虫達は夜中のうちに何処か、恐らく砂漠の外側に広がる平野で餌を食べてくるのだろう。餌が豊富な場所で食事をし、天敵が少ない砂漠で休む。実に合理的な暮らし方だ。

 そしてそれらの虫を追い駆けるように、巨大生物達も動き出した。


「(成程。あの大量の虫があの巨大生物達を支えている、と)」


 さながら体長数センチのオキアミを主食としていた(七年前までの)地球最大の生命体シロナガスクジラのようなものだろうか。ムスペルのような超巨大種はそれら虫食い巨大生物……或いはそれを食べる超巨大生物……を餌にしていると思われる。

 当然、食べられる側は必死に抵抗するだろう。ミュータントが持つ超常的なパワーを、継実の数十万〜数百万倍の体重から繰り出して。


「あんな感じの化け物が夜中はずぅーっと暴れてると思うんだけど、それでも夜に進む? そうしたいなら考えなくもないけど」


「いいです結構です勘弁してください夜は寝る時間です」


 改めて継実が尋ねれば、ミドリは速攻で夜間行進を拒む。考えなくもない、という言い方通り継実はこの意見を変えるつもりなど毛頭ないのだが、納得してくれたならその方が良い。

 全員の同意が無事得られたので、もう寝てしまおうと継実は思う。


「んじゃモモ、穴掘りよろしくー」


「今日は随分とこき使うわね。ほいよっと」


 継実に言われて言葉では不満を述べるも、実際にはご主人様からの指示に尻尾をぶん回しながら、モモは手から何万という数の体毛を伸ばす。

 モモが伸ばした体毛は地面に刺さり、それから周りを押し広げていく。乾燥しているだけあって砂漠の砂は崩れやすいが、体毛で壁を作れば真っ直ぐな穴を掘るのは容易い。あっという間に深さ五十メートルほどの、直下掘りの穴が出来上がる。

 モモが穴を掘ったら次は継実の仕事だ。モモが体毛同士の隙間を広げたので、継実はそこから穴の中に飛び込む。どしんっと音を立てて辿り着いた穴の底で、継実は一度ぺちぺちと底を叩いて感触を確かめる。

 その時に継実は笑みを浮かべた。


「うん、いい感じだよー。中に入ってー」


「ほーい。ほら、お先にどうぞ」


「あ、はい。えと、てやーっ」


 モモに促されてミドリが跳び込み、継実がこれを受け止める。次いでモモが穴の中に入り、三人とも穴の奥に辿り着く。

 するとモモは穴を押し広げるために使っていた体毛を、自分の身体の中に戻す。

 今まで穴が出来ていたのは、体毛が柔らかな砂を押さえていたからだ。それを片付けてしまえば、当然砂は音を鳴らして崩れてくる。

 継実達は一瞬にして生き埋め状態に。七年前の身であれば、即死はしないかも知れないが砂の圧力と酸欠により間もなく死に至るだろう。しかしミュータントの力であれば、この程度の『環境』を克服するぐらい造作もない。圧力に耐える肉体強度のみならず、砂の間にある僅かな空気を吸い込む肺活量だってあるのだ。もっといえばモモの体毛が何本か地上まで伸ばしている。さながらシュノーケルのように、地上と地下の通り道を作ってあるのだ。呼吸をすればその行為自体がポンプの役割を果たし、新鮮な空気を穴の中に、吐き出した空気は外へと流れる。

 通気性は確保され、気温も安定していて、地上からの攻撃も……ムスペルの一撃なら深さ数千メートルぐらい軽く削れそうだが……多少防げる。正に至れり尽くせりの環境。これなら安心して眠れるというものだろう。


「うべぇ。砂が目と口に入りましたぁ……」


 ミドリは速攻で文句を垂れたが。砂に埋もれている継実に、同じく埋もれているミドリの顔など見えないが、物凄くしょげた顔をしているのが継実の脳裏には浮かんだ。


「良いじゃんそれぐらい。巨大生物に襲われるのと比べたらずっとマシでしょ」


「マシですけどぉ……はぁ。水飲みたい……」


「さっきトカゲ食べたじゃん。というか水ならあるし」


「え?」


「足下の砂、握ってみな」


 キョトンとした声を出すミドリに、継実はアドバイス一つ。ミドリは少し間を開けた後、しゃりしゃりと砂を掴む音を鳴らした。


「ふわあぁぁ……! み、水ですぅ!」


 続いて水の存在を、感動したような声で報告してくる。

 ミドリからの報告に継実は満足げに頷いた。心の中で「良かった予想が当たって」とちょっぴり思いながら。


「砂漠でも地面の下には地下水があったり、或いは雨季に振った雨が溜まっていたりするからね。表面が乾いていても、掘ると結構水が出るんだよ」

 

「ほへー……あ、継実さんが言ってた水ってこの事だったんですね」


「そうそう。ぎゅーっと押せば染み出してくるから、それを啜る感じにね」


「わぁ、原始的ぃー」


 文句なのか煽りなのか。どちらとも取れる言葉を発した後、砂を押す音とちゅーちゅー吸う音が聞こえてくる。殆どなかった迷いから、ミドリの『成長』がここでも窺い知れた。

 継実も底を強く押して水を染み出させ、顔を近付けて啜る。正に泥水を啜る行いだが、泥から出ようが砂から出ようが水は水。貴重な水分を補給した身体に活力が戻るのを感じ、自覚出来ないレベルだがやはり身体の水分が不足していたのだと継実は実感する。

 軽めとはいえ脱水していたと後から気付くという事は、自分の想定よりも水分蒸発が多かった証とも言える。明日からはより水不足を警戒しなければならない。今のうちに少し多めに水を飲んでおくなど、なんらかの対策も必要だ。けれどもこの調子であれば、砂漠の横断はそこまで難しくないだろうと継実は思った。


「そんじゃまぁ、私達もそろそろ寝ますかね」


「だねー」


 故にモモからの意見に暢気な声で肯定しながら、継実は砂の中で身体を横たえ、眠りに入る。

 一度眠ろうとすれば、身体はすんなり睡眠状態へと移る。地上ではミュータント同士が戦っているのか、地響きと爆音が絶え間なく襲い掛かってくるが、そんなのはこの世界では虫の鳴き声みたいなもの。継実は気にも留めず、すんなりと意識を遠退かせる。

 強いて一つ気にするとすれば。


「(なんか、北よりも、南の方が静かだな……)」


 疑問を抱いたのも束の間、継実の意識はあっさりと睡眠という名の暗闇に落ちていくのだった。

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