干からびる生命03

 太陽が徐々に傾き、日が暮れてきた。

 気温はまだまだ三十度以上あるが、五十度もあった日中と比べれば二十度も低下している。急速な下落であり、夜中になればさぞや寒い事が予感出来た。

 勿論未来に想いを馳せたところで、今の気温は変わらない。現在進行形で三十度以上だ。発汗による脱水を促進し、それでも体温調節が間に合わなければ容赦なく熱中症に陥らせる……七年前の人間にとっては十分に危険な気温と言えるだろう。しかも周囲は見渡す限り砂、砂、砂。地平線の彼方まで砂が続き、オアシスどころか日陰一つない。宇宙より来訪する核融合反応の熱光線を遮るものはなく、地上に存在する全ての存在が加熱されていく。

 しかしミュータントにとってこの程度の気温など、ぬるま湯どころか意識しなければ温度変化を認識する事も出来ない。核の炎である一億度の高熱に比べれば、三十数度など微々たるものなのだから。特段生命活動に影響が出るものではなかった。

 ――――普段であれば。


「……あっつ」


 。無意識に、ぽつりと。

 ミドリではない。継実がぼやいたのである。しかも継実は背筋を伸ばして歩いていたし、汗は額をたらりと流れ、頬は赤く染まって明らかに体温が上昇していた。砂に沈む足取りも何処か覚束ないもので、普段の超人的逞しさは何処にも見られない。

 見た目相応の、裸一貫の女子高生になってしまったかのようだ。


「はひ、はひ……」


 継実の横に並ぶミドリに至っては息を切らしていた。汗もそこそこ流し、運ぶ足の揺れ方は継実以上である。最早これではただの人。ミュータントらしさは何処にもない。

 人間二人は暑さに苦しんでいた。七年前の人類を遥かに超越した超常の肉体が、たった三十度の気温に喘いでいるのである。これが異常でなければなんだというのか。


「ほらー、二人とも頑張りなさーい。あと少しで夜なんだからねー」


 唯一この灼熱地獄の中で平然としているのはモモだけ。ただし普段通りの姿という訳ではない。何時もならツインテールで纏めている髪が大きく広がり、まるで爆発した箒のようだ。更に尻尾も普段の数倍程度の、三メートルぐらいの長さまで伸びている。その尻尾をぶんぶん回して、ミドリと継実を扇いでいた。

 モモからの声援と風。実にありがたいものだとは継実も思う。思うが、人間というのは嫉妬深い上に非合理的なのだ。自分より恵まれている奴がいれば、そこに登り詰めるよりも引きずり下ろす方を考えてしまう事も多い。それをしたところで自分の状況が何一つ変わらないとしても、だ。

 『合理的』な継実はそれを実行するほど落ちぶれてはいないが、種族的な性根はそう変わるものでなし。ジトッとした眼差しでモモを見つめてしまう。


「ちくしょー……一人だけ楽しおってからに」


「まぁ、何時もより楽はしてるわね。人のサイズに密度を抑えておくのって、実はちょっと疲れるし」


「あ、そういうものなんですか……良いなぁ」


「そっちも程々にしときゃ良いのよ。別に時々体温を下げるぐらい出来るでしょ」


「……出来るけど、止めとく。あと少しで日が沈むから、それまで我慢すれば良いんだし。代わりにめっちゃ扇いどいて」


「へいへい。なーにが代わりなんだか」


 モモからの提案を拒否しつつ、継実はモモに頼み事。モモは若干呆れつつも、ご主人様方を尻尾で扇ぐ。やってきた風の温度は勿論気温と同じ三十度以上あるが、それなりの速さで身体を撫でる事で体熱を奪い去る。ほんのり体温が下がった継実とモモは、苦しんでいた表情を和らげた。

 その涼しさの所為で「ちょっと能力を使っちゃおうかな」という魔が差しそうになったので、継実は頭をぶんぶんと横に振ったが。

 ――――継実とミドリは現在、自らの能力を意図的に止めている。

 継実とミドリがこれまでどうやって砂漠の暑さを耐えていたのかといえば、それは無意識に粒子操作人間の能力を使っていたからだ。気温とは粒子が持つ運動量。熱くなればなるほど運動量が増大した状態となる。加熱とはこの運動量が、粒子から粒子へと渡される現象なのだ。温度の低下は運動量が徐々に低下していくものと考えれば良い。

 つまり粒子の運動量の移動を止めてしまえば、物体の加熱・冷却は止められる。

 言葉にすると実に出鱈目であるし、七年前の人類にはどんなテクノロジーを用いても真似も出来ない方法。というより宇宙の絶対真理である熱力学の法則にちょっと反している。されど継実にとってはお茶の子さいさいな『通常技』でしかない。索敵や遠隔操作特化のミドリでも同じ真似は多少ならば出来るし、無意識にやっている。かくして二人は砂漠の高温を難なくやり過ごしていた。

 しかしその力を、今の継実とミドリはわざわざ止めていた。勿論伊達や酔狂ではなく、重大な理由がある。


「(余裕があるうちから、少しでもエネルギーの消費を抑えとかないとね……)」


 砂漠には生き物が少ない。ミドリはこれを安全の証だと喜んだ。それ自体は確かにその通りなのだが、継実やモモとしては手放しに喜べない事情がある。

 生き物の少なさは獲物の少なさでもあるからだ。継実達はミュータントと化した事で強大な力を得た反面、基礎代謝などのエネルギー消費量も大きくなった。つまりたくさんの食事が必要である。草原程度の環境でも、冬ですら食べ物に困らないぐらい動植物は多かったので、これまでそんなに気にしないで済んでいるが……しかし砂漠には本当に生き物が少ない。此処で食べ物を得るのは極めて難しいと継実は考えている。

 そしてオーストラリア大陸中心部に広がる砂漠は広大だ。歩きでの移動だと、横断するのにかなりの日数が必要になる。勿論ミュータントである継実達が全速力で走れば、数十分でこんな砂漠など渡りきってしまう事が可能だ。腹ペコになる前に砂漠を抜けてしまえばなんの問題もない。しかしその強行軍を行うと周りの警戒が出来ず、敵からの攻撃を受けやすくなる。いくら数が少ないからといって、隙を見せれば肉食性ミュータントはすぐにやってきて襲撃してくる筈だ。不利な立地での戦いに加え奇襲となれば、もう勝ち目などないだろう。

 全方位を注意出来る速さで、尚且つ獲物が獲れなくても数日間体力を持たせる……それが砂漠を渡るために必要な移動方法の条件だ。故に少しでも体力を温存すべく、継実とミドリは能力を使わないようにしている。ちなみにモモは能力の使用を止めていない。彼女の『能力』はあくまでも体毛を自在に操る事であり、身体を作っている体毛は既に自前で用意したもの。なので発電などを行わなければエネルギー消費は殆どないのだ。実はモモは基礎代謝の面では、継実達よりもずっと効率的なのである。

 そしてモモが今の継実達よりも勝っているのは、エネルギー効率だけではなかった。


「でもエネルギー消費を抑えるのは良いけど、汗をだらだら流してたら今度は水不足にならない?」


 水分の保持。これもまた砂漠で生き抜くには欠かせないものだ。

 砂漠は非常に水が少ない。ある意味これこそが砂漠の条件であり、気温の高さというのは(高い方が圧倒的に乾燥しやすいが)そこまで重要ではない。どれだけ暑くとも、水があればそこには熱帯雨林が生い茂る事になるのだ。

 そして水の少なさは、単に地表が乾くというだけの影響に留まらない。地表が乾く状況であれば空気も乾燥しているもの。乾燥した空気中では。それは単に地上にぶち撒けた水があっという間に乾くというだけではなく、呼気や体表面からの水分蒸発も増えるという事を意味する。勿論生物体からの蒸発量も同様だ。

 日本の夏で熱中症、つまり体温が高くなり過ぎて倒れてしまうのは、空気中の湿度が高いのが原因の一つと言われている。湿度が高いから汗が中々蒸発せず、汗の作用である気化熱 ― 液体が蒸発する時に熱を奪う現象。汗は蒸発する事で始めて身体を冷やす ― が生じないため体温が下がらないのがその理屈だ。しかし砂漠では逆にどんどん汗が蒸発していく。故に体温的には気温ほど辛くないように感じるが、水分は物凄い速さで失われていく事になる。

 能力による体温維持を放棄した継実達は、エネルギー保持の代わりに水分喪失が非常に増えているのだ。エネルギーは生きるために欠かせないが、水も同じく必要なもの。これも枯渇すれば命に関わる。

 モモからの指摘は実に尤もなもの。しかし継実はこれに、にやりと不敵な笑みを浮かべながら答えた。


「ふふふ……そこについては抜かりないわ。砂漠でも水分確保は可能よぉ」


「なんでちょっと悪代官風なの? まぁ、出来るってんなら良いけどさ……まさかオアシス頼りじゃないわよね?」


「あの、その場合あたしマジで死にそうですから、本当に頼みますよ……?」


 だらだらと汗を流すミドリが、不安そうに訴える。ついでに不信な眼差しを継実に向けてきた。

 ちょっとふざけただけなのにそこまで疑わんでも、と言いたくなる継実だが、考えてみれば今までの旅の中で自分が立てた『作戦』はそれなりの頻度で失敗している。なんの保証もない自然界ならこんなもんだろうとは思うが、『絶対』を求めるのが文明人。加えて普段能力で強引に環境を克服してきたため、それが出来ない状況に対して不安を強く感じてしまうのかも知れない。

 継実も此度の作戦に百パーセントの自信があるかといえば、そうではない。確実性なんてものは過酷な自然界に存在しないのだから。しかしながら知識としては確かなものであるし……もしも駄目だったとしても、それなら温存していた能力を使ってしまえば良いのだ。そうすればいくらでも水なんて得られる。今まで我慢して能力を使っていないのに、という気持ちもあるにはあるが、それはあくまでもカロリー消費を抑えて餓死を防ぐため。目的は死なない事なのだから、我慢し過ぎて脱水死など本末転倒というものだ。

 つまるところ、結果がどう転ぼうが継実的にはなんの問題もない。

 だからこそ継実は自信満々な笑みと共に、砂漠の大地を力強く歩き続けるのだった。

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