ワイルド・アサシン16

 地平線から昇る朝日を見ながら、継実は今回ばかりは本当に駄目かと思っていた。

 昨晩、病気で倒れていた継実はモモに叩き起こされた。曰く「なんとか宿主を仕留めたから治療薬を作って」と。自分の伝言が役に立ち、モモがそれを果たしたのだと理解して、消えそうになる意識が戻ってくるほどの喜びを感じたものだ。

 尤も、渡された謎の生物Xを見た瞬間、また気が遠退きそうになったが。

 全身黒焦げの、怪人のような形態をした謎生物。しかもモモがそれをコアラと呼ぶものだから一層混乱し、次いでモモがばたりと倒れて失神したので大いに慌てた。勿論モモの身が心配だったのもあるが……いきなり『薬の材料』だけ渡されても、どうしろというのか。ついでに起きはしたが病気が治った訳ではない(というかこれからそのための薬を作る)ので、油断すれば意識が遠退いて二度と目覚めそうにない状態なのは変わらず。叩き起こしてくれる人がいないと非常に困る。

 けれども愚痴を言ったところでモモに起きる気配なし。ミドリは揺さぶったも起きてくれそうになし。仕方ないので継実は、コアラだという謎生物の組成を一人で解析し、一人で薬効がありそうな成分を幾つか抽出し、一人でそれらの成分の人体実験して――――二回失神しそうになり、一回毒で死にそうになりながら、どうにかこうにか薬を作った。

 薬の効果は抜群で、成分が血中に回ったところで細菌達はほぼ活動休止状態に。免疫系はこの隙に細菌達を殲滅し、継実の体調は回復。続いてミドリにも薬を飲ませて回復させ、二人は病気からの生還を見事果たした。

 言葉にすれば短いものだが、作業としてはほぼ一晩寝ずにやっていたもの。いや、製薬作業としては恐ろしく短いだろうが、兎に角寝ていないという事が大事なのだ。しかも病気を抱えた状態で、何度も死にかけながら。確かに起こされるまでは寝ていたが、病気と戦っていたのだか体力が回復してる筈もない。むしろ寝る前よりも疲弊しているぐらいである。

 つまり。


「あの、モモさんや? 私そろそろ寝たいんだけど……」


「駄目。ご褒美はちゃんと渡しなさい。ほら、お腹撫でる手が止まってるわよ」


 冗談抜きで休ませてほしいのだが、膝枕の状態で撫でる事を要求するモモは聞いてくれなかった。

 仕方なく継実はふらふらしながら、モモのお腹を撫で回す。モモは「ぶへへへへ」と舌を口からだらんと出しながら ― 今更ながら人型の方の舌は偽物だから出さなくて良いのではないかと継実は思う ― 、撫でられる喜びに浸っていた。

 そして犬のおねだりは際限がないもの。いくら撫でても満足なんてしてくれない。というより撫でてる状態をデフォルトにしようとしてくる。基本、状況に変化がない限り甘えっぱなしだ。

 いっそ猛獣でも襲い掛かってきたら、等と不謹慎な考えが継実の脳裏を過ぎる。しかし地平線まで続く平野の何処を見ても、猛獣どころか小さな生き物の姿すらない。

 恐らくモモが連れてきたコアラの臭いを警戒しているのだろう。モモが語った戦いの話が事実なら、このコアラこそがオーストラリア生態系の頂点。そしてそのコアラの亡骸は今、継実がバラしたもののまだ傍にある。生態系の頂点を打ち倒した生物に接近するような『命知らず』は、早々いないのだ。

 当分この甘えたさん攻撃が止む事はなさそうで、継実は肩を竦めた。


「モモさん、頑張りましたからね。ご褒美はちゃんとあげませんと」


 ちなみに継実と同じくモモのお陰で助かったミドリは、朝食としてそこらで捕まえたイモムシを食べていた。モモは撫でていない。製薬作業も何もしていないのに。


「うぅ……ミドリ、そろそろ交代を……」


「あたしとしては構いませんけど」


「私は嫌。今は継実に撫でてほしいのー」


「なんで犬ってこういう時に融通利かせてくれないのよぉ……」


 しかしそれも全ては命の恩犬・モモからの要求。助けられた側である継実とミドリは逆らえない。

 いや、普段ならば逆らえなくもない。逆らわないにしても、後にしてくれとお願いぐらいは出来る。

 ただ、今日の継実には弱味があるのだ。


「ほらー、もっとしっかり撫でなさいよ。コアラを抱っこしていた時みたいにさー」


「ぐふっ」


 此度の事態を引き起こしたのは、継実の軽率な行動なのだから。


「うぅ……ごめんなさい……ちゃんと撫でるから許してよー」


「うへへへへへへへへ。足りぬ足りぬぅー」


「うわぁ、モモさんってば脅迫してる……いや、継実さんがモモさんに甘いだけか。継実さん、脅迫されたら速攻で相手を粒子ビームで焼きそうですし」


「アンタは私をどんな人間だと思ってんだ」


「野蛮人の見本ですかね? というか最近服も着てないですし」


 本心なのか冗談なのか。どちらとも取れるが、恐らく前者だと思われる発言に継実は眉間に青筋を浮かべる。尤もそれで撫でる手が緩むとモモから犬パンチによる催促があるので、何をどうする事も出来ないが。

 継実は小さくため息一つ。自分の迂闊さを、色んな意味で呪った。

 ……そう、迂闊だったのが全ての原因だ。

 七年間暮らしてきた草原と似ていた。暮らしている生物があまり強そうでなかった。そんなのは。生物の強さとは単なる戦闘能力ではなく、環境にどれだけ適応しているのか。その意味では、全ての生物は等しく『最強』に君臨している。羽虫一匹取っても、その環境の生存競争に何百万世代と勝ち続けた覇者の子孫なのだ。そんな覇者が縦横無尽に跋扈する世界で油断するなど、どうぞ殺して食べてくださいと言っているのも同然。

 今回助かったのは、本当に運が良かったからだ。今までも幸運に恵まれたお陰で生き延びた事は多々あったが、今回の『ラッキー』ぶりは群を抜いている。モモに病気が伝染しなかった事、宿主の正体を見抜けた事、宿主が継実達の傍まで来ていた事、宿主がモモ一人で倒せる強さだった事、宿主の体内に薬として使える物質があった事、それがモモの電撃が届かない消化器官にあった事、宿主の死後もしばらく残り続けるものだった事……どれか一つでも欠けていたら、今、継実とミドリはこの世にいない。

 旅はまだ途中。いや、旅の終わりである南極に辿り着いたとしても、それで世界が変わる訳ではない。『常在戦場』という言葉を昔の人類は作り出したが、今の世界はこれが基本なのだ。忘れたモノは死に、忘れなかったモノ達の末裔が今の世代であるがために。

 今度こそ、一瞬たりとも油断してはならない。その油断が家族の命すらも脅かすのだ。


「(でもまぁ……)」


 そうして気を引き締めたつもりの継実だったが、ふにゃりと表情を弛めてしまう。ミドリは一瞬キョトンとしていたが、継実の視線を追うとこちらとだらしなく笑う。

 ミドリは兎も角として、継実は覚悟を決めた傍からこの体たらく。だがこれは致し方ない事であると継実としては弁明したい。

 撫でているうちに膝の上でぐーすかと朝寝を始めてしまったモモの姿は、どんな生物の攻撃よりも強力で、防ぎようのないものなのだから。

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