ワイルド・アサシン15

 肉食コアラは迫りくるモモを見て、どう考えたのだろうか。

 タイムリミットを待たない浅はかさへの侮蔑か。或いは自分の得意とする領域に獲物が入ってきた喜びか……どちらも否だ。極度の興奮状態に入った肉食コアラに、どちらの感情もない。それは涎が溢れ落ちている口を噛み締め、血走った目になんの感情も見せていない事からも明らかだ。

 唯一その胸に抱くのは、眼の前にいる生物を打ち倒す事だけ。

 だから肉食コアラは迫りくる獲物が腕を伸ばせば、それを条件反射的に掴む。

 継実ならば理性的に考え付く『作戦』を、本能に突き動かされるがまま実行したモモは――――腕を伸ばしてきた肉食コアラの手を掴み、組み合った体勢となった!


「ガアアアアアアアアアッ!」


 瞬間、モモは渾身の電撃を肉食コアラに向けて放つ!

 肉食コアラは手のひらから電撃を受け、体表面が一瞬で焼き焦げ、裂けるように弾けてていく。普通の生物であれば重度の火傷により致命傷であるし、ミュータントの回復力でも危険な怪我だ。しかし興奮状態にある肉食コアラは一切怯まない。

 それどころかモモを押し倒して馬乗りに。そして掴み合っていた両手を離すや、思いっきり胸部へと叩き付けてきた!


「がっ! ぐっ……!」


 殴られる度、衝撃が全身を駆け巡る。ドーピングにより強化された肉食コアラの打撃の凄まじさは既に知っていたが、これまではまだ薬効が完全に発揮されていなかったのか。先程よりも強烈な打撃にモモは呻く。

 だが、怯まないのはモモも同じだ。所詮は作り物の肉体。頭を捻じ切られようが、腕を引き千切られようが、本体には傷一つ付いていない。衝撃は多少伝わってきたが、生命活動には支障がない程度である。

 故にモモの電撃は止まらず、むしろ更に力を込めて流し込む。

 ここで、決着を付けるために!


「ブゴオオオオオオオオオオオッ!」


 長時間電気を流し込まれて、肉食コアラは全身から電気を迸らせ始めた。最早体表面にはくまなく電気が流れているが、それでも肉食コアラは止まらない。

 そもそもモモの電撃は、強力だが進む方角の『コントロール』が出来ない。電気は流れやすい場所を通るもの。逆に言うと流れ難い場所には、どうやっても中々通ってくれないのだ。単に対象に命中させるだけなら体毛を伸ばして『導線』にする事で、簡単に当てられるのだが……当てた後に何処を流れるかまでは制御不能だ。

 なんの対策もしていない生物なら、それでも電気は勝手に体内を通ってくれる。心臓や血管を焼いていき、致命傷を作り出す。しかしミュータントは様々な対抗策を講じており、中まで電気が通らない事も少なくない。

 肉食コアラの肉体も、筋肉が絶縁体のように振る舞っているらしく、奥まで電気を通してくれない。電流は体表面を駆け巡るだけ。これでは『はんだごて』で皮を焼いているようなもので、苦痛は与えられても中々致命傷には至らないだろう。だから肉食コアラは未だ活発に動き、モモを殴り付けている。

 しかしこれは想定の範囲内。


「(一度の電流で表面しか焼けないなら、何度でも……何十回でも流すだけよ!)」


 元よりモモは執拗に攻撃する気満々なのだから。


「ブギゴゴオオオオオオオオッ!」


「ッガアアアアアアアアアアッ!」


 二匹の獣の雄叫びが、オーストラリアの平原に広がっていく。

 肉食コアラの鉄拳がモモの顔の頬を抉る。それでもモモは電気を流し、肉食コアラの左目が爆ぜた。

 肉食コアラの鋭い爪が胸部に五本の傷跡を刻む。モモは止まらず電気を流し、肉食コアラの背中の肉が弾け飛ぶ。

 肉食コアラは二本の手を組み、二つの鉄拳でモモの身体を打つ。打撃を逃がすためにモモの右腕と右足が吹き飛んだが、モモは構わず左腕から電気を流し続ける。

 互いに消耗し合う泥仕合。回避不能の状態で繰り出す攻撃に、どちらの身体も傷を負っていく。しかしどちらもその手を決して弛めない。相手の消耗具合に気を良くして加減する余裕など、どちらの身にもないのだから。

 閃光と衝撃波が何十と飛び交う攻防……いや、と言うべきか……されど手加減なしの全力勝負故に、状況は長続きしない。

 先に攻勢が崩れてきたのは、モモの方だった。


「ぅ、ぐ……ぐううぅぅぅ……!」


 放電を続けるが、その出力が落ちてきたのだ。

 原因は体力の消耗、だけではない。何度も肉食コアラに殴られた事で、身体を構成している体毛自体が傷んできたのが一番の原因だ。傷んだ体毛は切れたりささくれたりして『漏電』し易く、発電した量の一部が漏れてしまうのである。

 対する肉食コアラは、その身体能力をドーピングで無理やり維持している状態。身体への負担は最悪であるが、後先考えなければ最良の状態を死ぬまで保てる。失明しようが背中の骨が露出しようが関係ない。肉食コアラが止まる気配はなく、しばらくはこのまま変わりない攻撃を続けてくるだろう。

 今からでも脱出して距離を取るか?

 モモであればそれは可能だ。体毛で出来た身体は自由に変形し、掴まれたところを切断すれば、容易に抜け出せる。

 しかしそれをしたら、果たして肉食コアラはまた組み合ってくれるだろうか?

 ――――もしかしたら、逃げるかも知れない。


「絶対に、離す、もんか……!」


 逃げるという選択肢を切り捨てるように、モモは自らの腕を肉食コアラの脚に巻き付けた!

 放電を続けるモモ。けれども肉食コアラの身体へのダメージは、刻々と小さくなっていく。肉食コアラは変わらぬ一撃をモモに喰らわせるというのに。

 繰り返していけば、先に『限界』に到達するのはモモの方。やがて体毛のダメージが極限に達してしまう。


「げぶッ! ご、ぁ……!」


 耐久が限界を超えた瞬間、肉食コアラの攻撃が本体まで強く伝わってきた。

 限界を超えたといっても、防御機能を完全に喪失した訳ではない。伝わった衝撃は全エネルギーのほんの一部だけ。しかしそれでも、生身の部分が一般的なパピヨンと大差ないモモには重大な衝撃だ。骨が軋み、肺の空気を押し出す。

 これでもモモは闘志を失わず、電撃を流して対抗するが……肉食コアラはモモが発した声を、肉体的損傷の兆候を聞き逃していない。

 ここぞとばかりに、今まで以上の攻勢でモモを打つ!


「がっ!? ギッ……ギャンッ!」


 殴られる度、痛みからモモは呻きを上げた。しかし肉食コアラの攻撃は止まない。モモが鳴き止むまで、その命が止まるまで攻撃し続けるつもりなのだ。

 執拗に、何度も何度も、肉食コアラはモモを殴る。

 その度にモモの本体は激痛を覚えた。殴られるほどに強くなる衝撃で血反吐を吐き、時々骨の砕ける音が聞こえてくる。目眩がしてきて、頭痛も酷い。息も出来なくなってきた有り様だ。

 苦しい。痛い。そんな信号が全身から発せられ、本能が此処から逃げるように訴える。自分の力ならそれが難しくない事も理解させてくる。

 だけど、モモは離さない。

 その小さな脳には、痛みよりも大きな存在感を放つ記憶があるのだから。


「負ける、もんか……負けるもん、かァ……!」


 もうパリパリと微かな電気を走らせるのが限度になっても、モモは逃げようともせず、肉食コアラにしがみつく。

 肉食コアラには理解出来ないだろう。何がモモをこうまで突き動かし、命を燃やさせるのか。我が子を袋に抱えているのならば兎も角、そうでないならここまで戦う必要などない。いや、野生生物の観点から言えば子供を抱えていたとしても理解不能だろう。子供を産める身体なら、未熟な子供を身代わりにして逃げれば良いのだ。自分の命に頓着しない姿に、奇妙さを通り越して不気味に思えたかも知れない。

 肉食コアラが一際大きくその腕を掲げたのは、そんな気味の悪い存在を確実に倒すためだろう。


「ッ……!」


 モモの気合いは未だ薄れていない。しかしいくら気合いがあろうとも、肉体の限界を超えるダメージの前には無意味。精神が影響を及ぼすような世界なら兎も角、現実における精神は脳内の化学物質反応に過ぎないのだから。自然界というのは根性論で何かを変えられるような、

 最早これまでか。『合理的思考』からそんな考えが過ぎるモモだが、それでも諦めるという選択はしない。全力で、生き延びる可能性を少しでも高めるため、身体の痛みと疲労を無視して超電磁メタマテリアルフィールドを再度張り直した――――

 が、その行為は意味を成さない。

 肉食コアラが、拳を振り上げたまま固まったのだから。


「ブ、ブ……ギ……ォ……………!」


 それだけでなく肉食コアラは激しく痙攣していた。片方しか残っていない目を、今にも飛び出そうなほど大きく見開いている。開いた口からは沸騰した唾液が溢れ、毒を帯びた吐息が蒸気機関車が如く勢いで吐き出されている。

 何か奇妙だ。モモは違和感から一瞬眉を顰めて、けれどもすぐ肉食コアラの身に起きた事態を察する。

 時間切れだ。

 ドーピングの効果が失われたのだ。恐らくこれ以上は肉体が耐えきれないと判断して、意図的に切ったのだろう。けれども判断が遅かったのか、はたまた限界を狙ったのか、その反動に見舞われたのだ。

 そして肉食コアラとしては、この状態に陥った時の事も想定していたに違いない。


「ギ、ギオオオオオオオオオッ!」


 咆哮と共に、肉食コアラは身を翻して逃げ出したのだから。

 ドーピングによって強化した肉体で、モモを殺せたならばそれで良し。しかし仮に殺しきれなかったとしても、徹底的に痛めつけて戦闘不能に出来たならそれでも構わないのだ。何故なら最初から、逃げるつもりだったのだから。

 逃げるために全力で、限界まで強さを発揮して敵を圧倒する。野生動物らしい『合理的』判断だ。そして肉食コアラとしては、殺しきれなかったとしても問題なく逃げきれると読んでいたのだろう。モモはすっかり疲弊している。追い駆けてくる訳がない。驚異が自ら逃げ出しているのに、反撃されるリスクを犯す

 あくまでも、肉食コアラの立場からすればの話だが。


「――――ヌ、ゥアアアアアアッ!」


 モモは違った。彼女は肉食コアラの想定に反して、全力でその背中を追う!

 逃げる肉食コアラがモモの動きに気付いたのは、モモがもう手を伸ばせば届くぐらいに肉薄してから。困惑の表情を一瞬浮かべ、次いで死力を振り絞って走るも既に手遅れ。

 モモは肉食コアラの頭目掛けて跳び付き、その頭を抱きかかえるようにしがみついた!


「ブギッ!? ギグオオオオッ!?」


 頭に抱きつかれたと分かるや、肉食コアラは激しく暴れ回る。抱き付いた際の衝撃だけでも身体が痛いモモにとって、振り回される遠心力は内臓を直に引っ張られているようなダメージを与えてきた。

 更に肉食コアラはがむしゃらに腕を振り回し、モモを引っ掻き落とそうとしてくる。今ここで殴られたら、多分本当に死んでしまう。衝撃を緩和出来ないほどに体毛が傷んでいるからだ。肉食コアラが振り回す腕が目に入る度、モモの脳裏には死の予感が過ぎる。

 けれどもどんな攻撃をされようとも、モモが臆する事はない。何故なら自分の命に変えてでも、なんて思考は過ぎらずとも、彼女の本能は自らの命を軽視しているのだから。

 ――――生命は本来、利己的なものだ。

 何故ならその方が適応的であるから。自分が獲得した食べ物を、お腹を空かした仲間に分け与えて餓死した個体の子孫は残らず、独り占めして仲間を見殺しにした個体は子孫を残せる。生物進化は結果が全て。どんな手段を使おうと、『今』、生き延びたものが隆盛を極めるのだ。

 しかし、利他的に思える行動を取る生物も少なくない。

 ダチョウは一番強い雌が、他の雌の子供も一緒に育てる。アリは巣の仲間のために食糧を探し、巣を守るためなら自らの命も賭す。だから人間は一時期、生物は種の繁栄のために活動するのだと勘違いした。

 されどこれも利己的な行動だ。ダチョウが他の雌の雛も育てるのは、自分の雛を守るための『囮』として利用するため。アリが巣を守るのは、彼女達の奇妙な受精システムの結果、自分の子供よりも女王が産む『姉妹』の方が遺伝子的に近いため、我が子を生むより女王を助ける方が近い遺伝子を残せるから。彼女達自身がどう考えているかは関係ない。ただその方が『自分』を増やせるから、利他的に見える行動を行うのみ。

 犬も似たようなものだ。彼女達は人間の役に立つよう改良された……人間の役に立つ個体であれば、人間が勝手にその繁殖を手伝ってくれるのだ。犬達がどう思おうが、人間にその気がなかろうが関係ない。人間に気に入られる事で犬は大いに繁栄した。人間に好かれる個体こそが正解であり、より多くの子孫を残せる。例えその個体自身が命を粗末にした結果、短命に終わったとしても。

 主人のためなら命を惜しまない犬など、正に人間からすれば理想的な『ペット』。モモはその血筋を引く、正真正銘の忠犬だ。

 それを野生動物として歪な生き様と呼ぶのは人間だけ。犬達生命からすれば適応の一形態だ。そしてその適応は、ギリギリまで命を削り合った中で偶然にも『適応的』に働いた。

 もしも肉食コアラが諦めずに戦っていれば、きっと勝てただろう。けれどもコイツは逃げた。自分の命が惜しかったから。ここで死んだからなんの意味もない。彼は利己的な生物であり、端から自分のためだけに戦っていたのだから。

 対してモモは諦めなかった。自分が死のうがどうなろうが、継実達を助けられるならそれで構わない。犬というのは、そういう生き物だから。

 諦めたものと、諦めなかったもの。激突した両者のどちらが勝つかは、語るまでもない。


「ガァアアアッ!」


 全身の力を最後の一滴まで振り絞り、最大の雷撃を拳に纏わせたモモは、肉食コアラの脳天を殴り付ける!

 鳴り響く雷鳴が如く爆音。実際のところそれは今までで最低クラスの、本物の雷の数倍程度の威力しかない代物だった。けれども傷付き、弱り、そしてドーピングを止めてしまった肉食コアラの身体にとっては致命の一撃。


「ブ、ブギガ……!」


 生存本能のまま腕を振り回した直後、肉食コアラの頭は蒸発した水分でぶくりと膨れ上がり、

 モモを吹き飛ばすほどの威力を持って、花火のように弾け飛ぶのだった。

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