ワイルド・アサシン14

 ミュータントは判断力と冷静さに優れている。

 これもまた何かが進化した結果なのか、それとも生命が持つ本来の力なのか。怪我を負ったところで痛みでパニックにはならないし、どう考えても勝ち目のない相手を前にしても冷静に考えられる。表面上驚いたように振る舞いはするが、即座に冷静さを取り戻して事態に対処出来る。

 相手も同じミュータントなのでこれで有利になる事はなく、生き延びるために『最低限』必要な技能といったところだが……兎も角、ミュータントであるモモはこれまであまり動揺や混乱をした事がない。敵がどんな行動をしてきたとしても、だ。思考が止まるぐらい驚いたのは、ニューギニア島で大蛇の気配を感じた時だけ。次点はヒトガタがひょっこり顔を出した時である。

 此度はそんなモモにとって、九年間の犬生で三番目の驚きを覚える事となった。


「(コイツ、自分に毒を注入した!?)」


 肉食コアラが、毒液たっぷりと爪を自らの胸に打ち込んだがために。


「ブ、ブギ、ゴ、ゴ……!」


 自ら毒を打った肉食コアラは、全身を痙攣させていた。天を仰ぐように仰け反った頭はガクガクと揺れていて、見開かれた瞳は真っ赤に染まって見えるぐらい充血している。

 明らかに何か、異常な状態なのは明白だ。正直放っておけばこのまま死ぬんじゃないかと思わなくもない。

 だが、本能が訴えている。

 

 そして同時にこうも思った。けれども、多分どうやっても止められない、と。


「(だからって、足掻かない訳にはいかないけどね!)」


 モモは大地を蹴り、肉食コアラに肉薄。両腕を大きく広げた、隙だらけとも怪しげとも取れるポーズの真っ正面に陣取った。

 こんな分かりやすい隙を突いて本当に大丈夫かと、不安すら過ぎる。けれども迷う時間はない。脚に強烈な超電磁メタマテリアルフィールドを展開。胸骨も心臓も纏めてぶち抜くつもりの蹴りを放った

 瞬間、肉食コアラが大きく拳を振るった。

 モモの視認が間に合わないほどの速さで。


「――――ぬぐぁっ!?」


 気付いた時には殴られていて、モモは大きく吹っ飛ばされてしまう。

 空中で体勢を立て直したが、『驚き』は抱いていた。自分を上回る速さの生物なんていない……なんて思い上がりは抱いていないが、だとしてもモモは自分のスピードにそこそこの自信がある。そのスピードで負けるのは、余程の事がなければあり得なかったというのに。

 そもそも肉食コアラとは既に肉弾戦を交わしているが、見えないほどの速さでの攻撃など受けていない。まさか加減をしていたのか? 疑問が次々と湧いてきた。

 しかしそれらは次の瞬間、纏めて解決する。

 肉食コアラの身体が、ぶくぶくと膨れ上がり始めたのだ。


「ブギ、ゴッ、ゴギ、ギ、ゴォ……!」


 呻くような、苦しむような、そんな声を出しながらも肉食コアラの身体の膨張は止まらない。

 元々筋肉質な身体だったが、腕や脚の太さが倍になり、胸筋も著しく発達していく。ボキボキと骨が砕けるような音が鳴っていて、モモの耳は、それが本当に砕けている音だと聞き取った。がっしりと大地を踏み締めた脚は巨大化した身体を支え、安定性抜群の二足歩行を成し遂げる。背筋は曲がったままだが、前のめりに倒れる気配はない。膨れ上がった筋肉には血管が浮かび上がり、絶え間なく血液が流れているのか激しく脈動する。

 次々と起きる変化。肉食コアラの異常な『変身』を前にして、モモはようやく何が起きているのか察する。とはいえ難しい事は何一つない。

 毒は薬になる。モモでも知っている、医学の基本的な話だ。

 肉食コアラはのだろう。元々は筋収縮を引き起こす毒か、筋肉を溶かす毒なのか。いずれにせよ濃度などを調整して得たその『薬』の効果は覿面で、肉食コアラは強靭な肉体を手に入れたという訳だ。単刀直入に言うならミュータント級のドーピング。人間が使っていたという筋肉増強剤なんて比ではない効果であろう。

 体長七十センチほどだった筈の肉食コアラの身体は、今では百四十センチ近い。未だモモの『身体』よりは小さいものの、倍近い大きさの変化を前にすれば、モモも後退りぐらいする。

 何よりモモの本能を刺激したのは、放つ威圧感。

 どれだけ筋肉が膨れ上がったとして、身体が大きくなったとしても、体重は増えていない。『しつりょーほぞんのほーそく』だかなんだかというのがあると、モモは昔継実から聞いた覚えがあるのだ。ミュータントの『強さ』はかなり身体の大きさ=体重に左右されるものであり、体重が変わらないなら『強さ』だってそんなに変わらない筈である。

 しかしモモの本能はそうした理屈を全部無視する。肉食コアラの身体能力が大幅に向上したのだと察知。故にモモは考えるよりも先に、全身の力を最大限に滾らせた。


「ブギオオオオオオオオオオオオオオオッ!」


 もしもそうしていなかったら――――咆哮と共に駆け出してきた肉食コアラの動きに、反応すら出来なかっただろう。


「ぐっ!?」


 接近してきた肉食コアラを前にして、モモは腕を身体の前で交叉させてガードの体勢を取る。更にその体表面は強力な電気が流れていて、触れば大出力の電気で感電必須の状態だ。

 だが肉食コアラは全くのお構いなし。大きく膨らんだ腕を粗暴に振り下ろし、指を曲げた、パンチとはとても呼べない引っ掻き攻撃を放つ。

 激突した瞬間、モモの身体に走る強力な衝撃。

 モモは踏ん張ろうとしたが、足腰の力だけでは受け止めきれず。大きく吹き飛ばされるように、地面を抉りながら後退していく。とはいえ何十メートルも移動する事はない。

 それよりも前に肉食コアラが、モモの頭をがっしりと掴んできたのだから。


「ぬぁ!? こ、の――――」


 頭を掴まれてすぐ、モモはその手を引っ掻いてやろうと試みる。しかし肉食コアラの動きの方が早い。

 肉食コアラは大きく腕を振り上げ、次いでモモを地面に叩き付けた!

 圧倒的速さでの叩き付け。周囲に地震が生じただけでなく、乾いた大地が何十メートルもの範囲で割れ、まるで噴火するように土煙が吹き上がる。衝撃波も生じて残留していた毒ガスが吹き飛ばされたが、肉食コアラは最早見向きもしない。

 一撃叩き付けた後、肉食コアラはモモの頭を地面に擦り付けるように力を込め、そのまま引きずるように動かす。ガリガリとモモの身体は地面を砕きながら、磨り下ろされるかの如く刺激を受け続けた。

 しかしこれだけの攻撃を受けても、モモはまだ活動に大きな支障は出ていない。

 元々彼女の体毛が物理的衝撃に強い事に加え、今その体毛は超電磁メタマテリアルフィールドに守られている。これにより、今まで以上の防御力を手に入れていて、生半可な物理攻撃を無効化していた。逆にどちらか一方が欠けていたら……超電磁メタマテリアルフィールドをこの戦いで編み出していなければ、耐えきれずにこれだけで身体がズタズタになっていただろう。

 それほどのパワーの攻撃を喰らうモモであるが、耐えてしまえばこれはチャンスだ。大きなパワーを繰り出すための代償か、肉食コアラの体表面はもう毒液を分泌していない。肉体が剥き出しであり、どんな攻撃も素通りだ。現にモモの頭を掴んでいる今は現在進行系で感電していて、肉食コアラは腕からじゅうじゅうと煙を立ち昇らせている。


「嘗め、ん、なぁァァァッ!」


 モモは渾身の電撃を肉食コアラに流し込む!

 超電磁メタマテリアルフィールドを展開しながら放つ電撃は、さながら全力疾走をしながらバーベルを持ち上げるようなもの。疲れるなんてものじゃないし、それだけに集中している時ほどの威力もない。何よりコントロールを誤れば大怪我は必須だ。

 しかし犯したリスクに見合う結果は得られた。流し込んだ電撃は肉食コアラはその身を激しく痙攣させたのだから。毒液の守りがないから電撃は素通り。雷数十発分の高圧電流が、ドーピングした肉体を激しく焼いた事だろう。

 そう、焼いた筈なのだが……肉食コアラが怯んだのはほんの一瞬だけ。

 感電しているにも拘らず、肉食コアラは鋭い眼差しでモモを睨み返す。全身の筋肉を一層膨れ上がらせ、更なるパワーを生み出した!


「(あっ、ヤバ……)」


 直感的に危機感を察知したモモだが、動きの速さで劣るのは此処までの戦いで明らか。

 身動きを取る前に、肉食コアラは大きく腕を振り上げ、再びモモを大地に叩き付けた! それも一度のみならず、何度も何度も何度も何度も!

 繰り返される打撃。ちょっとやそっとの威力なら何百発でも、とんでもない一撃でも一発ぐらいなら、モモの頑強な体毛は耐えてくれるだろう。しかしとんでもない一撃を何十発と繰り出されたら、流石に体毛にダメージが蓄積していく。毛がぶちぶちと千切れ始め、摩耗していくのがモモにも感じ取れた。

 このままでは体毛が衝撃を吸収しきれず、本体にまで伝わってくるだろう。モモの本体はあくまでも生身の小型犬。まともにこんな攻撃を喰らえば、肉体は跡形も残らず消し飛ぶ事になる。そして何度も電撃を放っているのだが、放つ度に一瞬ビクリと震えるだけで、肉食コアラは意にも介さない。まるで手応えがなかった。

 恐らく先のドーピングには、単なる肉体強化の他に痛覚の鈍化作用もあったのだろう。生き物の身体というのは常に痛みを感じるものではない。極度の興奮状態であれば痛みは忘れ、肉体は極限を超えて動き続ける。肉を焼かれようがどうしようが、そんなのはお構いなしという訳だ。

 勿論生物が痛みを覚えるのにも理由がある。自分の身体が今どんな状態が、今の動きが無理をしていないかを推し量るためだ。痛みがなければ何処まで腕を曲げても大丈夫か分からず、骨が折れても曲げ続けてしまう。何処ぞの高度文明の宇宙人のように体内の全てを数値的にモニタリングしているなら兎も角、感覚的に生きる生物は痛みがなければ無理をしてしまう。

 肉食コアラも同様の欠点を抱えている筈だが……今この時、それは大した意味はないだろう。要するにコイツはもう死ぬまで暴れ続けるという事なのだ。どんなに大きなダメージを与えようと、身体が動く限りは動き続ける。

 攻撃を続けたところで解放される見込みはない。仮に殴り合ったとしたら、恐らく、自分の耐久の方が持たないだろうとモモは直感的に理解する。


「……ちっ!」


 モモは舌打ちしながらさせた。

 肉食コアラが掴んでいる頭も、所詮はただの毛の集まり。変形も解くのも自由自在だ。拘束から抜け出すのは、モモにとっては比較的得意な技である。頭を掴んでいる手だって、体毛ほどの細さになってしまえば抜け出す事は容易だった。

 しかし肉食コアラの方もただでは離さない。渾身の力を込めて、変形していくモモを掴み続けようとする。その方法はある程度効果的で、何十本かの体毛は逃げきれずに掴まれてしまう。

 こればかりは仕方ないと、モモは掴まれた体毛を切断。自由を取り戻した彼女は跳躍して一旦距離を開けようとした


「ブギオオッ!」


 直後、肉食コアラは腕を振るう。

 全身全霊を掛けたであろう腕の一振りは、進路上の空気を圧縮。さながら斬撃のようになってモモへと飛んでくる!


「くぁっ……!?」


 空中に居たモモは斬撃を躱せず直撃。物理的衝撃には滅法強いものの、切り裂くような攻撃となれば話は別だ。大きな範囲の体毛に傷が付く。切れはしなかったものの無視出来ないダメージであり、モモはその顔を歪めながら着地した。


「ブギ、ブ……ギオオオオオオオオオッ!」


 しかしモモに攻撃を当てた事に肉食コアラが喜ぶ事はなく、むしろ一層闘争心を昂ぶらせるかのように吼えるだけ。

 別段今までの戦いが冷静沈着だったとはモモも思わない。野生の本能を剥き出しにした戦いであり、互いに何度も吼えた。策を巡らせるよりも、力と力のぶつかり合いが主体だったろう。けれども今の肉食コアラは、ちょっとばかり興奮が強過ぎる。これでは的確な判断をするのは無理だ。

 何かがおかしい。そう考えたモモは、肉食コアラの動きに警戒しつつその姿を観察。そうすれば答えは間もなく明らかとなった。

 じゅうじゅうと、肉食コアラの身体から焼けるような音が鳴っているのだ。最初は自分が喰らわせた電撃の余韻だとモモは思ったが、しかし音が止む気配はない。加えて身体から立ち昇る黒煙は減るどころか、むしろ勢いを増しているようだ。

 恐らくこれは、ドーピングの副作用。

 生物の肉体は、完全とは言わないがある程度生態に則した水準で収まっている。それが最も効率的であり、より繁栄するのに適しているからだ。無論生理機能もそれ相応のものであり、ある程度融通は利くものの、普段の何倍もの力に対応出来る訳ではない。

 肉食コアラの身体も同じだ。筋肉を極限まで強化した事で、肉食コアラの生理機能では筋肉が発する熱を処理しきれなくなったのだろう。そこに痛みを感じないというデメリットが合わさった結果、肉食コアラはのだ。例えるならば何時爆発するかも知れない欠陥パワードスーツに乗り込むようなもの。まともな精神ではやってられないだろう。だとすると、先のドーピングには向精神作用もある可能性が高い。

 こんなのは切り札とは言わない。形振り構わない、やけっぱちという奴だ。自分の繰り出した超電磁メタマテリアルフィールドがそれだけ肉食コアラを追い詰めたのだと分かり、モモとしては嬉しいやらなんやら、よく分からない気持ちになる。

 ともあれ、無茶をしているなら勝ち筋はある。


「(タイムリミットがあるなら、ただ倒すだけなら自爆を待てば良い)」


 倒すだけなら、何も止めを刺す必要はないのだ。向こうは何時か勝手にくたばるのだから、逃げ回ってそれを待てば良い。ギリギリのところでドーピングを解除する可能性もあるが、こんなインチキの反動がゼロとは思えない。反動で色々大変な事になっている間に、悠々と止めを刺せば良いのだ。難なら死んだフリでもして油断を誘うというのもありだろう。

 冷静に考えれば、倒すだけなら幾つも対処法は思い付く。正に苦し紛れの策という訳だ。

 しかし――――


「(あの状態じゃ、体内の毒素も熱とかで分解されるかも知れない)」


 モモとしては最悪の可能性が脳裏を過ぎる。

 ミュータント化した細菌を制御出来るほどのトンデモ物質が、ちょっとやそっとの高温で分解されるとは考え辛い。おまけにその細菌がいるのは恐らく体内であるから、体表面に電流を流したぐらいでは影響もないだろう。

 しかし全身が、ミュータントの身体が焼けるほどの熱を発しているとなればどうだ? 本当にその物質は無事なのだろうか?

 もしかしたら、継実達の薬として使える分も残らないかも知れない。


「……だったら、やるしかないわよねぇッ!」


 激しい雄叫びと共に、モモはバチバチと身体から電気を迸らせた。

 持久戦をする訳にはいかない。ならばどうすべきか? 答えは一つだ。

 奴が自滅するよりも早く、自分が止めを刺す。

 そしてそれを実行するのに一番適している戦術は『接近戦』。

 自分を上回る肉体の持ち主へと突撃する事を、モモは一切躊躇わずに実行するのだった。

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