ワイルド・アサシン13

 肉食コアラは再び笑みを浮べた。

 肉食コアラもモモの身体が、単純な肉で出来たものでない事は既に把握しているだろう。驚異的な再生能力も見ているし、毒が思ったように通じない事も把握している。

 そしてその理由も。

 だから指をモモの身体に直接突き刺したのだ。偽物の身体の奥に潜む本体に、直接毒を送り込むために。勿論そう簡単にいかない事は承知しているだろう。だが、爪が本体に届くが届くまいが関係ない。指先が鎧が如くガスを遮断している体表面を貫き、内側から毒を流し込めば、浸透して本体まで届く可能性が高いからだ。

 モモも、何もしなければそうなっていたと思う。

 あくまでも、だが。


「……危なかった。間に合わなかったら死んでたわね」


 胸に爪を突き刺された状態で、モモが口を開く。今まで毒を吸い込まないよう黙っていたモモが、堂々と喋りだしたのだ。

 その異常性を瞬時に理解し、肉食コアラは危険回避のため後退しようとする。が、二歩と下がれない。モモに突き刺した爪が、モモの身体を構成する体毛に絡まったがために。

 より正確に言うならば、モモが絡めたと言うべきだろう。


「だけどこっから私の独壇場よ!」


 至近距離から、自慢の鉄拳を肉食コアラの顔面にぶちかますために!


「ブギィアッ!?」


 肉食コアラから漏れ出る、可愛げのない悲鳴。次いで丸い目をパチクリさせ、困惑を露わにしていた。何しろ毒が効かないどころか、毒の守りすらも突破されたのだから。更に強烈な『痺れ』も走ったようで、身体を激しく痙攣。全身から黒い煙を立ち昇らせる。

 しかも殴ったモモの手は、間違いなく毒液と触れたのに殆ど溶けていない。

 強力な毒の力によって攻守共に完璧であり、生態系の変化を殆ど許さなかった肉食コアラ。これまでオーストラリアのどの生物も敵わず、全てを獲物としてきたのだろう。こうして拳の一撃を受けた事など……種族全体で見ても稀だったに違いない。モモと戦ってる個体も殴られた経験なんて数えるほど、或いは全くないのだろう。ただ一発の拳で怯み、目を白黒させている事から明らかだ。

 痛みに慣れていない相手を嬲るのは良心が痛む? 確かにそうだろう――――『良心』を持ち合わせた、知的な生命体であれば。

 生憎、野生動物に過ぎないモモは良心など持ち合わせていない。可愛そうだろうがなんだろうが、目の前の生き物は仕留めねばならない『獲物』でしかない。


「もう一発ッ!」


 大きく仰け反った顎を殴り付ける事にも、モモは一片の迷いもなかった。

 続く三発目四発目を躊躇う理由もない。連打連打連打で、身動きの取れない肉食コアラの顔面をぶちのめし続ける! 殴られる度に肉食コアラの身体は震え、黒煙が激しく吹き上がった。肉の焼ける臭いが漂い、肉食コアラの体毛も焼けていく。


「ブ、ブギ……ブギゴオオオオオオッ!」


 肉食コアラも何時までも大人しく殴られはしない。次の打撃を与えるまでの僅かな隙にロックオンするかの如くモモの顔と向き合い、口から毒ガスを吹き付けてくる。その量と勢いはこれまでの比でなく、殴られていた間、攻撃のチャンスが来るまで溜め込んでいたのが窺い知れた。

 高圧の毒ガスは物理的威力にも優れ、モモの身体を激しく押し退ける。単純な威力でいえば、軽めの粒子ビームぐらいはあるかも知れない。人類が築き上げた都市程度なら、毒とか関係なく薙ぎ払って更地に変えてしまうだろう。

 モモも少し前までなら、かなりのダメージを受けたに違いない。何より高圧のガスとなれば体毛の隙間を強引に抜けてきて、奥に潜む本体まで届いた筈。毒性の低い耐電性重視のガスすら、僅かな量が粘膜に触れた程度で身体が痺れるほどの有毒ぶり。大量に流し込まれたら息を止めてもどうにもなるまい。正に致死の一撃だ。

 だが、最早過去の話。


「ふんっ!」


「ブギャッ!?」


 今のモモならば、怯みもせずに反撃の一撃を放つ余裕がある! 毒ガス噴射もお構いなしに殴ってくるとは思わなかったようで、迫りくる打撃に守りも出来ず、肉食コアラは鈍い声で呻く。

 しかし肉食コアラの目はバッチリと開かれていた。自分の身に起きた出来事を一瞬も見逃さないために。

 やはり油断ならない。先程から何発もダメージを与えながら、『優勢』に立ちながらもモモは警戒する。野生動物である彼女は常に最悪を想定するのだ。具体的には、自分が繰り出した『秘策』はもう肉食コアラにバレていると考えるべきだと。

 尤もどれだけ鈍感でも、爪が突き立てられた場所とガスを吹き付けられた場所がところを見たら、誰でも気付くだろうが。


「(継実だったら、超電磁うんたらかんたらーみたいな技名を付けてるところかしら。あの子、必殺技とかそーいうの好きみたいだし)」


 モモは自らの技を見た時の家族の反応を、脳裏の片隅で思い描く。

 モモが行ったのは、身体を構成する体毛に電気を流し続ける事。ただしその電気は外に出さず、全身を形作る体毛内で循環させている。しかも発電は続けているため、表面に溜まる電気は増えていく一方。それに伴って、強力な磁力も発生して身体を包み込む。発生した磁力は物体の運動を屈折させ、物理的な運動を拒絶。さながら『防壁』のように展開され、物理的攻撃を阻害する力となるのだ。更に体毛自体が高圧電流を纏い、触れるだけで感電する状態と化す。

 この力によりモモは突き立てられた爪から注がれた毒液を、遮断して防いだ。また拳も電気を纏い、肉食コアラの身体を覆う毒液を分解して無効化。連続攻撃を可能とした。更に耐電性の強い毒ガスは電気を弾く性質から電流の流れる毛と毛の間を通れず、強毒性のガスは体毛に流した電気で分解されるためこれまた隙間を通らず。酸素などの普通の空気だけが通る事で、呼吸が可能となった。

 鉄壁の守りを有し、触れるだけで攻撃と為す。名付けるならば超電磁メタマテリアルシールド――――モモが思った通り、継実ならば『技名』をそのように考えただろう。この『電磁メタマテリアル』は人類文明でも研究がされており、米軍は「」技術として研究されていた。モモはそんな研究など露ほども知らないが、電気使いとして同様の方法を閃き、そして即座に実用化したのである。

 正に最新鋭の防御能力。とはいえデメリットもある。一つは全身が常に帯電しているため、迂闊に仲間に触れない点。こちらは現状継実もミドリも傍にいないので気にする必要はないし、敵が触れればダメージを与えられる(とはいえ電気は流れやすい方に流れるものなので、体毛内を循環させている状況では通常の放電ほどの威力はないが)ので必ずしも欠点とは言えないが……もう一つの欠点はそうもいかない。


「(しっかしこれはしんどい! あまり長くは持たないわね!)」


 もう一つの弱点は消耗の激しさ。大量の電気を絶え間なく流し続けるには、多くのエネルギーが必要だ。しかも体毛内に電気を循環させ続けるという事は、操作を誤れば自分自身が感電しかねない。モモの本体はほぼ普通の犬であり、数億キロワットの電気など浴びたら一瞬で炭化してしまう。失敗は許されず、強い集中力も求められる。

 正直、万全の体調でも十分前後しか持続しないとモモは読む。毒ガス攻撃で疲弊した今、五分続くかどうかも怪しい。早く決着を付けねば不味いのだ。そして手の内がバレたと思われる現状、今更こちらの技を隠す必要もないだろう。

 だから短期決戦、速攻で叩き潰す!


「ふッ! ぬんっ! はっ!」


 モモは何度も何度も、肉食コアラの顔面を殴り付ける!

 肉食コアラは打撃を避けようと必死に身を捩っていたが、モモの胸の毛が爪を捕らえている状況で動ける範囲などたかが知れている。何度も何度も顔を殴られ、ついに口から血反吐を吐く。

 確実にダメージは積み重なっている。オーストラリア大陸の頂点捕食者の肉体は着実に傷を負い、死へと向かっている。

 土壇場で編み出した『必殺技』により形勢逆転。圧倒的優勢によりこのまま押していける――――野生動物であるモモは油断などしないが、合理的に判断した上でそう考えていた。少なくとも

 だが。


「(手応えが、変わってる……?)」


 殴るほどに感じる、感触の変化にモモの本能は危機感を覚えた。

 何が起きているか分からない。されど肉食コアラが何か、ろくでもない事を企んでいると考えるのが妥当だ。初めて毒ガスを吐き出して攻撃してきた、あの時のように。

 そうは思うのだが、けれども今は殴る以外に手がない。手応えはどんどん変化していき、ダメージをどれだけ重ねても、肉食コアラの命に届く気配は遠のくばかり。


「ブ、ブギギゴオオオオオオッ!」


 ついに肉食コアラは大きな咆哮と共に、その身を激しく仰け反らせる。モモは身体を構成している毛を締め上げ、爪を固定しようとした……が、肉食コアラは下がっていく。

 どれだけしっかり掴んでいようが、自ら指を切り落としたならどうにもならない。指一本と引き換えに自由を取り戻した肉食コアラは、猛然と後退してモモとの距離を取る。


「グギ……ギギギギ……!」


 肉食コアラは歯ぎしりをしていたが、痛みに苦しんでいる様子はない。目を充血させ、闘争心を激しく燃え上がらせる。

 モモにとって、それは最悪の展開ではない。最悪はこの肉食コアラが脇目も振らずに逃げ出し、そのまま取り逃してしまう事だ。もしも逃したら、継実達を治療する薬も得られないのだから。

 しかし今は、最悪から二番目ぐらいの悪さだ。自らした事とはいえ、指を引き千切った上で逃げていない……つまりそんな傷など気にする必要がないと肉食コアラは考えているのだろう。指一本失ったところで自分の勝ちは揺らがないと未だに思っている訳だ。

 それを思い上がりや激情と考えるのは簡単だ。だがモモはそう思わない。そんなくだらない感情を持つ生物なんて、とうの昔に淘汰済みだ。『冷静沈着』な肉食コアラには何か、秘策があるに違いにない。

 最大限の警戒、何より闘争心を高めながら攻撃のチャンスを待つモモ。肉食コアラはそんなモモの前で、大きく片腕を振り上げる。それは引き千切った指がある方とは、逆の腕。大きく振り上げた手の先には五本の指と長い爪がしっかりと生え揃っている。

 そのうちの中指の爪から、どろどろとした液体を染み出させていた。爪からぼたぼたと滴り落ちるほどに。

 毒液のようだが、今までのものとは様子が違う。何が違うかは分からないが、モモの本能はそう感じた。


「ブ、ギオオオオオオオオオオオオオッ!」


 そうしてモモが目を離さずに見つめる中、空気が震えるほどの咆哮を上げながら肉食コアラは勢いよく腕を振り下ろし――――

 

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