ワイルド・アサシン12

 モモのパンチは人間である継実のように、拳を握り締めたりしない。爪を立てるように指を曲げ、平手で叩くように振りかぶる。

 人間からすれば怪我の恐れもある殴り方。しかし体毛で編んだ拳の中に、怪我するような身体は入っていない。そして何よりモモには、握り拳で殴る必要がなかった。

 ただ高速で、高い密度の質量体をぶつければ、それだけで強力な打撃となるのだから。


「……………」


 超高速で接近してくるモモの手に、しかし肉食コアラは避けないどころか表情一つ変えず。正確に狙ってくるモモの打撃を自らの頬で受けた。

 そうして殴り付けた直後に、モモの手が溶ける。

 肉食コアラの纏う毒に直に触れた結果だった。強力な浸食作用で分解され、固形の形が保てない。とはいえモモの拳は所詮作り物に過ぎず、『本体』へのダメージは皆無。

 何より振るった手の運動エネルギーは、例え個体だろうが液体だろうが変わらない。ぶつかった時の衝撃は、質量×速度の二乗のままだ。殴られた肉食コアラの顔は衝撃で大きく反れ、それでもまだ残るエネルギーにより小さな身体が浮かぶ。

 だが。


「(手応えがない……!)」


 モモはこの攻撃によって肉食コアラが受けたダメージは、殆どないと判断した。殴り付けた際、弾力のある衝撃が返ってきたからだ。肉食コアラの身体を覆う液体は、爪から出ていたもののは少し成分が異なるらしい。単純に有毒なだけでなく、防御としての機能もあるのだろう。

 そして肉体のダメージがない肉食コアラにとって、殴り飛ばされた状況に戸惑う必要はない。


「ゴォアッ!」


 挙句飛ばされる衝撃を利用し、肉食コアラは蹴りを放ってきた!

 肉食コアラの動きはただでさえ速く、そこにモモが殴った衝撃も加わって一層加速。モモでも反応が間に合わない速さで迫ってくる。モモは僅かに顔を逸らすのが精いっぱい。

 肉食コアラの足先にも太くて鋭い爪があり、奴はこれをなんの迷いもなくモモの目に向けて動かす。スパッと音を立てて、モモの左目眼球に爪による切り傷、更に爪と指の間から分泌される毒液が送り込まれた。

 普通の生物なら、この時点で左目は失明だ。しかも血管を通じて毒が体内に入り込んでくるだろう。

 しかしモモであれば問題ない。

 眼球もまた体毛で編んだ偽物。射出するようにしながら、モモは追撃の蹴りを放つ! それも肉食コアラが飛んでいこうとする方にある足であり、肉食コアラと向き合うように動かす。運動エネルギーが質量×速度のニ乗なのは先程述べた通りだが、その速度はあくまでも相対速度。つまり観測者と対象物体の速度の合算である。

 肉食コアラの吹き飛ばされる速さとモモの脚力が合わさり、先の拳の四倍以上の破壊力を顔面に叩き込む! これには流石の肉食コアラも顔を苦悶で顰め、鋭い歯を見せるように口許を歪めた。

 出来れば追撃を与えたいところだが……顔面と触れた足が溶けて使い物にならない状態だ。拳の一撃では威力が足りないという判断から蹴りを使い、結果的にそれでも顔を歪めるだけだったので判断としては間違ってはいないのだが、モモは舌打ち一つ。


「ッグァオオオッ!」


 対する肉食コアラは身を翻して足から地面に着地。次いで力強く跳躍し、またしてもモモに向かってくる。

 此度の肉食コアラは両腕を大きく広げ、抱きつかんとするかのようなポーズを取っている。掠めるだけの攻撃では致命傷にならないからと、抱き締める形で広範囲攻撃を仕掛けようという事か。

 無論大人しく抱かれるモモではない。肉食コアラが迫ってきたところで、すぐにしゃがみ込む。頭を狙うよう高く跳んでいた肉食コアラはモモの頭上を超えてしまう。

 その隙を突いてモモは、修復が終わった腕で肉食コアラの腹を殴ろうする。

 しかし肉食コアラはこの鉄拳に対し、同じく手を伸ばして受け止めた。モモの拳はどろりと溶け、肉食コアラは打撃の衝撃を利用して更に高く自らの身を上昇。空中でくるくると回転しながらモモから離れ、五メートルほど距離を取った場所で着地する。

 立ち上がったモモは構えを直して向き合い、肉食コアラは二本足で立ち上がって両腕を前に突き出したファイティングポーズを取る。睨み合い、硬直する両者。

 膠着状態に入ったが、モモとしては自分の状況の方が悪いと思っていた。


「(ちっ! 攻撃する度に直さなきゃなんないのは面倒ね。こっちの毛は有限だし、あんまりやられ過ぎると流石に持たないわ……)」


 以前出会ったフィアのように、水で作った身体であれば底なしの回復力を発揮しただろう。地面が水を含む限り、どんな攻撃を受けても即座に回復出来る。破壊された身体も字面に落ちれば染み込んで再利用可能だ。例え蒸発させられたとしても、場所を移動すれば水気なんて何処でも得られるからなんの問題もない。

 しかしモモの回復力の正体は体毛の再編成である。確かにダメージを負っても回復可能だが、体毛自体は有限であり、戦いで必要にならない部分から持ってきているだけ。例えるならそれは他の部分の機能を犠牲にして成し遂げている『共食い整備』。一応体毛が生え揃えば全て元に戻るが、一日で回復出来るのは腕ニ〜三本程度しかない。実戦的な時間である一秒単位で回復出来るのは、その八万六千四百分の一だけ。

 つまりモモの再生能力には限界がある。実際七年前にホルスタインと戦った時は、持っていた体毛の殆ど全てを焼かれてしまい、もう戦えない状況にまで追い込まれた。フィアならば、きっとどんなに水を蒸発させられたとしてもその身体を保ち続けただろうに。尤もそれはモモの回復力が弱いのではなく、フィアの能力がミュータントから見ても色々インチキなだけなのだが……

 要するに、回復出来るからといって触れるだけでダメージを受けてしまう相手に考えなしで殴るのは、モモにとって自殺行為という事だ。


「(それとコイツ、肉弾戦のセンスも良いわ。こっちの面でも継実じゃ駄目ね、あの子割と力押しだし)」


 継実は身体の大きさから繰り出す力で圧倒するタイプの、割と典型的なパワー型だ。テクニックも悪くないが、反応とスピードはモモの方が上である。

 勿論それはどちらが優れているという話ではない。頑強でタフな相手ならば、継実のパワーで一気に倒さねば不味いだろう。しかし此度のコアラは触れたらやられるタイプ。しかもモモの攻撃に難なく付いてくる、反応と速度まで持ち合わせている。

 相手に触れれば勝ちな奴が、触れるのに適した力を持つ。その方が適応的で生き残りやすいのだから当たり前の話だが、能力と戦い方がキッチリ噛み合ってる奴は極めて厄介だ。モモには対応可能な速さであるが、あくまでも互角というだけ。肉弾戦で接触を完全に防ぐのは不可能だろう。やればやるほど油断ならないと感じ、モモの警戒心と焦りは高まっていく。

 だが、戦い方も見えてきた。

 接触すると害があるというのなら、接触しなければ良い。つまりは遠距離攻撃が効果的だ。そしてモモにはそれを可能とする力がある。


「じゃあ、こいつはどうかしら!?」


 全身の毛を震わせたモモは、挑発的な言葉と共に電撃を放った!

 秒速三百キロで飛翔する超高圧電流は、空気中をジグザグと揺れ動きながらも肉食コアラ目指して進む。肉食コアラは稲光に一瞬怯むように顔を顰めるが、雷撃の速さから逃れる事は出来ない。


「ブギッ……!?」


 電撃が直撃した肉食コアラは、鈍い声と共に大きく仰け反った。浴びた時間は一瞬だが、体表面からはぶすぶすと黒煙が上がる。

 これには攻撃したモモも驚く。正直思わなかったからだ。

 どうやら肉食コアラの毒防壁は、電撃には左程強くないらしい。強くないといってもモモの電撃は数億キロワット級の出力。人類文明では原発数百基をフル稼働させてようやく得られる電力であり、人間では傷も付けられないだろうが……モモにとっては難しくない威力だ。

 付け加えるならば、モモにとってこの程度の電撃は挨拶でしかない。


「あら、こんなもので十分なのかしら? 次は本気で行くわよ!」


 宣言通り、モモは己の全力の電撃を放つ!

 無数の電撃が空を駆け、肉食コアラの身体に命中。肉食コアラは両腕を構え、少しでも直撃を避けようとするが、両腕からの黒煙は電撃を受け止める度にその勢いを増していく。毒液の守りが剥がれ、毛が燃え尽き、黒焦げた地肌が露出する。

 ちょっと肌が焦げた程度、ミュータントからすればダメージとは言い難い。しかし着実にその傷は積み重なっているのは確か。この勝負、モモが一方的に押していた。モモの予想通りに。

 故にモモは勝負を急ぐ。


「(コイツ、まだ隠し玉があるわね……!)」


 モモは察知したのだ。肉食コアラが未だ焦り一つ見せていないと。

 恐らく今は隠し玉の『準備中』。この間に少しでもダメージを稼ごうと出力を増していく。

 が、大きなダメージとなる前に肉食コアラの用意が終わってしまう。


「ブゴオオオオオオオオオェオオオォオオオオオオッ!」


 肉食コアラの口から、紫色の『ガス』が吐き出された。

 地面に向けて吐き出されたガスは一瞬で肉食コアラの周辺を覆い尽くし、更に広範囲へと広まっていく。モモは咄嗟に電撃を撃つのを止めて距離を取るが、肉食コアラは頭を大きく振りかぶって四方八方にガスをばら撒いていた。

 このままガスから逃げても、距離を大きく離されるだけ。


「ちっ!」


 舌打ちしながらモモは、止めていた分蓄積し続けていた電撃を放つ。

 溜め込んでいた分、これまでの数倍近いエネルギーを秘めている。今まで撃ち込んできたどの電撃よりも強力な一撃だ。


「シュゴオオオオオオオオオッ!」


 その電撃に対して肉食コアラが取った行動は、口から吐き出すガスで迎え撃つ事だった。

 電撃とガスが激突すると、さながら鍔迫り合いのように互いの動きが止まる。拮抗状態は数秒と続いたが……それが崩れた時に押されたのはモモの方だった。


「!? ぐっ……!」


 一瞬逃げようとするが間に合わないと判断。モモは身を仰け反らせつつ、自分の身体を作っている毛を表層に集結。『密度』を上げる事でガスが身体に入り込まないよう対策する。

 しかしそれでもガスの粒子は細かく、完全には防ぎきれない。息も止めているが鼻と口の隙間から、ほんの僅かにガスが入り込んできた。

 その僅かな量だけで、モモは全身に痺れるような感覚が走る。身体の自由が効かなくなり、思考を掻き乱されてしまう。


「(これは、やっぱり毒ガスか……!)」


 肉食コアラの能力が毒を操る事ならば、毒ガス攻撃ぐらいはしてくる。そう考えて口を閉ざしていたが、もしも一呼吸でもしていたら、今頃二度と覚めぬ眠りに付いていただろう。

 或いは肉食コアラがもっと強力な毒素を吐いていたなら、口を閉ざしていても同じ結果となっていただろうが。


「(量を優先したか、はたまた耐電性を重視したのか。どっちにしろ、迂闊に喰らう訳にはいかないわね……!)」


 じわじわと身体を蝕む毒素に、本能が喧しいぐらい警告を発してくる。だが、モモの頭に撤退の二文字は過ぎらない。どんなに危険な相手だろうと、ここで倒さねば継実達の回復は絶望的なのだから。

 しかし、どうすべきか?

 試しに電撃を一発撃ってみたが、バチンッ! という音を立ててガスに弾かれ、肉食コアラまで届かない。やはり電気への耐性を重視しているのか。撒き散らされたガスをどうにかしなければ、もう電撃は通じないだろう。


「(接近出来ない以上、遠距離戦しかないのに!)」


 そうこうしている間も肉食コアラの口から吐かれるガスはどんどん量を増していき、ついに肉食コアラの姿を覆い隠してしまう。状況は悪化の一途を辿っていた。

 それでもモモに諦めるという選択肢はない。モモはガスの中で息を止めたまま思考しようとする――――

 だが、思考は長持ちしなかった。


「ゴフアァアアッ!」


 咆哮を上げながら、肉食コアラがガスの中から跳び出てきたのだから!

 肉食コアラはモモの眼前まで迫るや、大きくその口を開いた。何をするつもりかモモは察するが、肉食コアラの動きが速くて回避が間に合わず。

 肉食コアラが口から吐き出した毒ガスが、モモの身体を撃つ!


「ッ! ……!」


 声を出す訳にはいかない。ぎゅっと閉ざす口の代わりにモモは睨むが、肉食コアラが止まる気配はなかった。

 しかも今回吐き出した毒ガスは、雷撃を弾いたのとは別物らしい。浴びせ掛けられたモモの表面が、じわじわと溶け始めた。このままでは体表面の防御を抜け、中に毒素が入り込んでしまう。


「(こなクソッ!)」


 咄嗟に電撃を放つモモ。本来これは肉食コアラを遠ざけるための攻撃だったのだが、幸運にも毒性の強い方の毒ガスは電撃に強くないらしい。身体に染み込んできた毒ガスは電気分解され、酷い悪臭こそ放つが、無害化した。

 とはいえ電撃は漂う耐電性の毒ガスに阻まれ、肉食コアラには届かず。肉食コアラは後退しながら、しかし口からガスを吐き続け、どんどん自分にとって有利な陣地を形成していた。何十メートルと広がるガスによりモモの電撃はもう何処にも飛ばせない。

 息だって何時までも止めていられない。何処かで呼吸しなければならないが、毒性の強いガスを吸い込めば間違いなく即死だ。電気で無害化しようにも、ガスが多過ぎて分解しきれない状態である。

 なんとかしなければ不味い。そうは思うが、だがどうする? 撒き散らされた毒ガスが電撃を弾くため遠距離攻撃は無効化。近付こうとすれば表面を溶かす毒ガスで無効化。遠近どちらの攻撃も防がれてしまう。勿論逃げれば継実達は助からない。

 八方塞がりとはきっとこういう状況を言うのだと、野生の本能の裏でモモの意識は思った。


「(ああクソッ! どうすりゃ良いのよ! せめて雷か肉弾戦のどっちかが通じればやりようもあんのに!)」


 頭の中で愚痴を零しても、状況は寸分も変わらず。

 苦し紛れに放つ電撃を、肉食コアラは振るった腕と共に巻き付けた毒ガスで防ぐ。身体にガスを纏われたら、もう完全に隙などなくなってしまった。

 物理攻撃を使えば、耐電性のガスなんて無視出来るのに。電撃を使えば強毒性の毒ガスをなんとか出来るのに。

 どちらを使えども解決出来ない問題。ならばいっそ――――


「ゴオオアッ!」


 思考を巡らせていたモモに、肉食コアラが大きく腕を振りかぶった。

 爪先に纏う強毒性の液体。更に爪に引っ掛けるように、耐電性のガスまで巻き付け、電撃による反撃への備えは万全だ。

 考え込んでいたモモは迫りくる爪を見ても身体が動かずにいて。

 大きな爪が、モモの胸に突き立てられた。

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