ワイルド・アサシン08

「……見付かりません。隠れられそうな、場所」


 すっかり周りが暗くなり、満天の星空が広がり始めた頃。ぼつりとミドリが申し訳なさそうに呟いた。

 寝床を探して歩き回っていたモモ達だったが、その寝床を広域索敵で探していたミドリかギブアップ宣言をしたのである。もっと頑張って探して、と言葉で言うのは簡単だが……恐らくどれだけ探しても駄目だろうとモモは思う。

 何しろ周りは、見渡す限り乾燥した草原なのだから。自分達が寝床として使えそうな巨木も洞窟も、こんな開けた場所には一ヶ所とある筈もない。

 もしかしたらと思って探してもらったが、所詮は淡い期待だ。分かっていた事にガッカリするほど、モモは『感情的』ではないのである。


「そっか。まぁ、見渡す限り草原だからね。なくても仕方ないか」


「すみません、私の力が足りぬばかりに……」


「いや、ミドリの力の有無とか関係ないでしょ。ないものはないんだからさ」


 俯くミドリに、モモは淡々と事実を告げるだけ。彼女がどんなに凄い力を持っていても、ないものを見付ける事は出来ない。

 そんなないもの強請りをするよりも、現状に対処するための方法を考えた方が建設的というもの。そしてそのために必要な情報がある。


「継実、調子はどう?」


 ミドリに担がれた状態で運ばれている、継実の体調だ。

 今の継実は息も絶え絶え。自分の身体を支える事も出来ておらず、一歩歩くのすら一苦労という様子だ。俯いているし、もう星明かりしかない中でその顔色はよく見えないが、苦しそうな表情から症状の悪化が覗い知れる。それにモモが呼び掛けても反応がない。意識も朦朧としているようだ。

 体調が悪い事を確認してから、まだ二時間も経っていないとモモは思う。そんな短時間でここまで悪化するのは、流石のモモでも想定外だ。寝てれば治ると言っていた継実だが、こうまで悪化速度が早いとなると……

 悪い予感に、モモは表情を強張らせた。しかしそこで取り乱しはしない。冷静に、必要な事を考える。


「(兎に角、もう休ませた方が良いわね。歩くだけでもかなり体力を消耗してそうだし)」


 寝ていれば治ると思える状態ではないが、寝て少しでも体力を回復しなければ治るものも治らないだろう。出来れば安全で暖かな場所に寝かせたかったが、もう贅沢は言っていられない。


「ミドリ、もう索敵は良いわ。とりあえず此処で野宿にしましょ」


「え。で、でも、こんな場所じゃ何時動物に襲われるか分かりませんよ?」


「そうだけど、もう継実を歩かせる方が不味いと思うわ。寒さも凌げないけど、まぁ、私ら気温変化ぐらいなら別にどうって事ないし。周りの警戒は私とミドリが寝ずにやれば良いでしょ?」


「……寝ないのはしんどそうですけど、状況が状況だけに仕方ありません。継実さん、今日はここで寝ますよ」


「うぅ……」


 ミドリが声を掛けながら肩から下ろすも、継実は小さく呻くだけ。ろくな意識が残っていないのか、目は虚ろで覇気がない。呼び掛けへの反応もいまいちだ。

 いや、それ以前に身体に殆ど力が入っていないようで、下ろされただけで倒れそうになる。ミドリは慌てて継実の傍に寄って、倒れそうになる身体を支えた

 次の瞬間。


「うぶぇぇ……」


 継実が嘔吐した。

 ちょっと吐いた、なんて量ではない。今日食べたものを一気に出したような、かなりの多さだ。びしゃびしゃと吐瀉物が跳ね、周りに飛び散っていく。

 モモはそこまで気にしないが、人間的にはかなり『汚い』状況の筈だ。


「ひゃっ!? へ、あ、つ、継実さん!?」


 にも拘らずミドリは迷わず継実の傍に行き、その背中を擦る。

 献身的なミドリの介護のお陰か、単純に吐いた事で悪いものが少なからず出たからか。いずれにせよ虚ろだった瞳に力が戻り、地面に手を付いた状態ではあるが自力で体勢を維持するまで体調が回復した。

 しかしその回復も急速に陰っていくのが、モモの目にも映る。

 やはり吐いただけで良くなるものではない。されど僅かに回復したのは事実。何かを聞くなら、今しかない。

 モモは継実から少し離れた位置で腰を下ろす。継実もモモの存在に気付いたようで、鈍い動きではあるが振り向いて顔を合わせた。


「……ごめん。迷惑、掛ける」


「謝る前に話す事があるならそっち優先。必要なものがあるなら教えて」


「水……なんか、凄く、喉が乾いて……」


「水ね。ミドリ、水場の位置とか分かる? 近くにあるならちょっと取りに行きたいんだけど」


「えーっと……八キロぐらい先に一ヶ所ありますね。でも底が浅くて、濁ってます」


「遠いなぁ……」


 八キロ程度の距離など、モモの脚力ならちょっと本気でダッシュすれば数秒程度で戻ってこれる道のりだ。しかしミュータントにとって数秒の時間はあまりにも長い『隙』。近くにいる生物が継実やミドリに襲い掛かってくるのに十分な時間だ。それに水は汲み取らないといけないのだから、実際にはもっと時間が掛かる。

 継実が元気なら、数秒程度攻撃に耐えるのは難しくないだろう。されど今の病弱な継実では、一秒どころか一発耐えるのすら困難に違いない。ミドリの支援は非常に強力だが、支援というのは前線で戦うものがいるから光るもの。ミドリだけでは、襲い掛かる獣の攻撃に何秒も耐えるなんて出来ないだろう。

 自分が離れるのは危険な行いだ。それでも、継実は水が欲しいといっている。即ち継実の身体が、不足している物資として水を挙げているという事。物資不足のまま『戦い』を挑んでもろくな結果にならないのは言うまでもないだろう。彼女の苦しみを和らげたいという家族としての想いだけでなく、確実に回復するための手伝いとしても水を渡したい。

 リスクとメリットを頭の中の天秤に乗せ、モモはしばし考え込み――――


「……ちょっくら行ってくるか」


 やがて下したのは、賭けに出るという決断だった。


「ミドリ。周りの警戒は怠ったら駄目よ。もし敵が来たら、変に耐えようとしないで逃げてて良いから」


「は、はい! 頑張ります!」


「ああ、でも頑張らなくてもいいわ。勘だけど、多分大丈夫だから」


「へ? あの、それは」


 どういう意味ですか――――そう訊こうとしたであろうミドリの言葉を無視して、モモはオーストラリアの大地を駆けた。

 具体的な場所は知らずとも、ミドリが示してくれた方角と距離さえ分かれば十分。モモは『水の臭い』で方向を修正しながらあっという間に八キロの距離を駆け抜け、地平線の先にあった小さな池……或いは水溜まりと呼んだ方が良さそうな……に辿り着いた。

 ミドリが言っていた通り、水は濁っていて泥水同然の色合いをしている。七年前なら、飼い犬だったモモでも飲まないような水だ。

 しかし自然界では水があるだけありがたいというもの。モモも泥水を啜った事は一度や二度ではない。濁ってはいるが腐った臭いはしないので、とりあえず衛生面は『及第点』を出して良いだろう。

 無論今の弱った継実には、この泥水も危険かも知れない。大体水を持っていくにも、バケツなどの道具はない状態だ。このままでは一口分すら運べない。

 そこでモモは自分の腕を伸ばして、池の水に浸した。同時に腕を形成している体毛の隙間を、僅かにだが広げる。

 小さな隙間を作る事で、水は毛細管現象により腕に染み込むように吸われていった。更に体毛の編み方を工夫し、細かな『網』を形勢。ちょっとしたゴミ、それと可能な限りの雑菌をこれで濾過して、水質の浄化を試みた。

 かくしてモモの腕には、七年前の日本の上水道程度に綺麗な水が五リットルほど溜まる。

 水さえ得られればもうこの場に用はない。モモは再び走り出し、継実達の下へと戻る。今度はミドリのナビゲーションなしだが、来た道を戻るだけであるし、自分が通ったルートには自分自身の臭いがあるのだ。モモが迷う事はない。

 継実達から離れていた時間は凡そ二十秒。七年前なら外出とも言えないような、けれども今の世界なら虐殺が起きていても不思議でない時間を費やして、モモはようやく帰還する。

 見た限り、継実とミドリに怪我は一切なかった。

 どうやら捕食者には襲われずに済んだらしい。賭けに勝ったモモは安堵の息を吐き、にこりと柔らかく微笑む。


「お待たせ。とりあえず無事みたいね」


「は、はい! 全力で威嚇してましたから!」


「いや、頑張らなくて良いって言ったじゃん」


 全力(威嚇するネズミ程度)の力を発するミドリの姿に、モモはちょっと呆れてしまう。とはいえそれはモモの話を聞いていなかったのではなく、単純に不安だったから、それを和らげるための行動だろう。


「継実、水を汲んできたわよ。飲める?」


「うん……なんとか……」


「はい、じゃあ指先しゃぶって。吸えば水が出てくる筈だから」


 モモは継実の下に歩み寄ると、水を吸い上げた腕を差し出す。継実が弱々しく口を開いたので、モモはその口の中に指を入れた。

 ちゅうちゅうと赤ん坊のように指を吸う継実。

 ただの風邪なら「これじゃあ赤ちゃんね」と煽りの一つでも入れるところ。しかし意識も朦朧としている家族に、そんな事を言う気力も湧いてこない。

 継実はある程度水を飲むと、自分から口を開き、指を出す。飲んだ水の量は、果たして一口分もあったかどうか。けれどもその僅かな量で継実は安らいだように笑い、直後に意識を失った。慌ててモモは呼び掛けようとして、継実の口から漏れ出る吐息に気付く。どうやら気を失っただけのようだ……モモとしてはそれを『だけ』と評したくはないが。

 なんにせよ、寝てしまったならもうこれ以上出来る事もない。腕に残った水を絞り飲み、モモも一息吐いた。


「ま、やれる事はやったかな」


「継実さん……大丈夫でしょうか……」


「正直良くはなさそうねぇ。でもまぁ、私らが心配しても仕方ないわ。細菌相手じゃ流石に手出し出来ないし」


「……はい」


 淡々と事実だけを伝えるモモ。ミドリはこくりと頷いて、神妙な面持ちを浮かべる。

 そんな暗い雰囲気を打ち払うように、モモはぱんぱんっと手を鳴らす。


「はい、継実の話はここまで。私達もそろそろ休みましょ。んで、ミドリは先に寝てて良いわよ。しばらくは私一人で大丈夫そうだから」


「えっ!? そ、それは流石に……あたしも周りの索敵します! モモさんだけに負担は押し付けられません!」


「平気だってばさ。さっき水場に行った時に色々分かったんだけど、多分周りの動物達に襲われる心配はないわ。それより私が眠くなった時、ちゃんと起きててもらわないと困るんだから」


 モモの説得に、ミドリは首を傾げる。納得はしていない、が、しかしモモに「大丈夫だ」と念押しされたのと、「私が眠くなった時に起きててもらわないと」という二つの言葉が効いているのか。ちょっと、居心地悪そうに目を逸らした。


「……じゃあ、仮眠だけします」


 それから妥協案のようで、大体モモの言った通りの提案をしてくる。

 仮眠じゃなくて良いのに、とも思ったが、寝てくれるならそれで構わない。モモに断る理由などなかった。


「ん。それじゃあよろしくね」


「はい。モモさんも疲れたら、遠慮なくあたしを起こしてくださいね」


 ミドリはそう言いながら継実の傍に向かう。風邪を引いている相手の傍なので、顔は接しないようにしようという配慮か。継実とは頭の向きが逆になるように横になって、ミドリは目を閉じた。

 ……寝息が聞こえてきたのは、それから数分もしないうちの事。

 ミドリが眠りに入ったのを吐息から判断したモモは、警戒心をどんどん高めていく。全方位を警戒し、全身の毛が逆立つほどに気力を身体に満たしていく。

 その状態のまま、彼女は思考を巡らせた。

 

「(さぁーて、こりゃどういう事かしら……)」


 周りに存在する、無数の獣達の気配。ミドリや継実のような索敵能力を持たないモモであるが、生物の発する『気配』には誰よりも敏感だ。その向きや色合いを本能的に理解する。

 どの気配も自分達を見ていて、幾つかは間違いなく食欲に満ちている。あまり極端に強いものはいないようだが、自分達の中で一番パワーがある継実より上のものもちらほら感じ取れた。三人で挑めば撃退出来そうだが、自分一人では時間稼ぎが精々だとモモは冷静に判断する。

 モモでも分かる判断なのだから、気配達も力関係は理解している筈。病気で継実が倒れている今は正に絶好のチャンスだ。

 だというのに、こちらを襲う気配が一切ない。

 襲いたがっているとは思う。もう隠れる事すら出来ていない、そわそわとした気配からして明らかだ。だけど出ようとしてくる奴はいない。それどころか一匹、また一匹と自分達から離れているぐらいだ。

 何かがおかしい。どうして奴等は、無防備な自分達を襲わなかったのか。或いは、どうして自分達を襲えなかったのかと言うべきか――――


「(やれやれ。頭脳労働は継実の担当なんだけどなぁー)」


 考えなければならない難問のお陰でモモの眠気は完全に吹き飛ぶのだったか、それを喜ぶ気持ちは一切湧いてこなかった。

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