ワイルド・アサシン02

 猛烈な速さで草原を駆けていく、何十頭もの動物の姿がある。

 体長はざっと一・五メートル。身体こそ継実よりも小さいぐらいだが、臀部には腕のように太く且つ一メートル以上ある長い尾が生えているため、数値以上の威圧感を感じられるだろう。またその身体は非常に筋肉質で、胴体は鍛え上げられたボクサーを彷彿とさせる。それ以上に逞しいのが大地を蹴る二本の脚だ。跳ねるような移動は時速六万キロもの速さを出しており、ミュータント化前から『走る』のが得意な種だったと窺い知れた。

 しかしそうした特徴よりも目を引くのは、その外観だろう。二本脚で直立する事の出来る身体を持ち、前足の五本指には鋭くて長い爪が生えている。馬のように細長い頭を有し、頭から巨大な耳を生やしていた。

 これまで見てきた、どんな生き物とも異なる外見。


「ひっ!? な、なんですかあの生き物……今まで見た事ないです……」


 ミドリが恐怖を感じてしまうのも、仕方ない事かも知れない。仕方ないのだが、それでも継実は思わずくすりと笑ってしまった。地球人的には、あまりにも珍しい反応だったので。実際危険なのは確かなので正しい反応ではあるのだが……十年間の文明生活で刷り込まれた『印象』は中々拭えないもので。

 何時までも怖がらせてしまうのも可哀想だろう。


「怖がらなくて良いよ。アレはカンガルーって言って、オーストラリアじゃあり触れた生き物だから」


 故に継実は、ミドリが目にした動物の正体を教える。

 ミドリはカンガルーの群れを見て怖がっていたのだ。確かに体長二メートル近い生物となればパワーも強い。七年前の時点でも、カンガルーに蹴られるとかなり危険だと言われていた。ミュータントとなった今なら、継実達を宇宙空間に追放するぐらいは簡単にやってのけるだろう。

 しかし日本人である継実にとって、カンガルーは愛すべき動物の一つだ。細長い頭はちょっと惚けたように見えて、なんとも可愛らしい。怖がるという考えは、中々浮かんでこない。今でも、継実的には怖いとは思えなかった。


「そうそう、美味しそうじゃないアレ。肉付きとかも良さそうだし」


 ちなみにモモのような、食べようという考えも中々浮かばないだろうが。

 ただしこちらの考えは継実もすんなりと納得する。何しろカンガルーは、七年前の人類も美味しく食べていたのだから。


「んー。食べるのは良いけど、群れを襲うのは流石にリスクがあるでしょ。カンガルーって体重八十キロぐらいあるらしいし、一対三でもなきゃやってらんないよ」


「それもそっか。ま、今はまだお腹も空いてないし……それに獲物はいくらでもいるしね」


 モモはそう言いながら、彼方まで広がる草原を見渡す。継実もモモと同じく辺りをぐるりと見た。

 そうすれば、動物はいくらでも見付かる。

 例えば体長二十センチほどの獣。長く伸びたふさふさの尾を持ち、地上を走り回る姿はリスにも似ている。しかしその顔は細長く、開いた口から覗かせるのは大きな前歯ではなく舌だ。縞模様を描く毛むくじゃらな身体はなんとも可愛らしい。

 これはフクロアリクイだ。主にシロアリを食べている動物である。七年前は絶滅が心配されていた種だが、今では草原のあちこちを走り回っていた。

 他には真っ黒な体毛に覆われた、四足の獣もいる。体長は六十センチと小柄であり、顔立ちはイヌとネズミを混ぜたようなちょっと可愛らしいものだが……開いた口には鋭い牙が幾つも並び、その生き物が獰猛な捕食者であると物語る。これはタスマニアデビルだ。人類文明があった頃だとオーストラリア大陸の個体群は絶滅(人間が持ち込んだディンゴ野犬との生存競争に敗れたらしい)し、タスマニア島でのみ生き延びていたのだが、ミュータント化と共にオーストラリアへ再進出してきたのだろう。

 更に体長一メートル近いずんぐりとした獣もいた。手足は短く、身体は太く、耳は短め。頭も丸く、尻尾はあるが非常に短くて毛に埋もれていた。お尻はデカく、でっぷりと丸みを帯びている。こちらはウォンバット。オーストラリアではあり触れた哺乳類の一種だ。

 次から次へと出会う、様々な動物達。七年前には絶滅が心配されていた種も、今やミュータントとして大いに栄えているようだ。数も多く、少し歩くだけで別個体や別種に出会える。

 継実的にはサファリパークを見回っているようで楽しいし、モモも ― 食欲で ― 目を輝かせており彼女なりに新大陸の自然を楽しんでいるようだ。


「ひぃやああああっ!?」


 唯一悲鳴を上げているのがミドリ。

 どうにも彼女は先程から、動物に会う度に叫んでいた。それもタスマニアデビルのような肉食獣だけでなく、フクロアリクイやウォンバットに対してもである。しかも可愛さからつい叫んだというものではなく、割と本気の悲鳴だ。丸々してて可愛いウォンバットを見て恐怖で引き攣るなど、日本人的には謎行動過ぎる。

 まるで自分達と初めて出会った時のような反応だなと継実は思う。モモも同じ疑問を抱いたようで、ミドリに質問を投げ掛けた。


「なんかさっきから見る度に叫んでるけど、どしたの? そりゃ肉食獣とかもいたけど、別に襲い掛かっても来てないじゃない」


「そ、それは、そうなんですけど……その、見た事もないような変な生き物ばかりで驚いてしまって」


「変な生き物? そんなに変かしら。形とか大きさも今まで見てきた奴等と大差ないと思うんだけど。つーか変さ云々でいったら熱帯雨林の生き物の方が上でしょ」


「確かに熱帯雨林も色んな生き物がいましたし、変な生き物もいましたけど、でもなんというか、此処の生き物はまたちょっと違うというか……」


 モモの意見に反論するものの、上手く表現出来ないのか。ミドリは段々と声が萎んでいった。モモはミドリの答えが納得いかないのか、こてんと首を傾げている。

 しかしミドリの抱いた印象は正しい。オーストラリアには様々な固有種が暮らしているが、哺乳類の『特殊さ』は他の生物より際立っているのだ。この地の哺乳類はこれまでの旅で出会った哺乳類……そして継実やモモとは根本的に違う存在なのである。


「オーストラリアの哺乳類は有袋類だからね。日本とかインドネシアの哺乳類とは根本的に違うし、ミドリが違和感を覚えるのも仕方ないかも」


「え? 違いなんてあんの? 有袋類ってお腹に袋があるだけだと思っていたわ」


 継実の説明を聞いてモモがキョトンとしながら尋ねてくる。地球生物としてその認識はどうなのよ……とも継実は思ったが、されど生き物に興味がない人間なら、モモと似たような認識かも知れない。ましてやモモは犬なのだから、人間が勝手に決めた生物の分類などどうでも良いのだろう。

 確かに有袋類の特徴など知らなくても、基本的には問題なく生きてはいけるだろう。しかし知識は生きる力となる。この地に暮らす哺乳類がどんな存在か知っておけば、後で何かしらの役に立つかも知れない。どんな役に立つかは継実もすぐには答えられないが、もしもというのは何時だって予想外だ。詰め込んでおいて損はないだろう。

 ちなみに一番の理由は継実が語りたいからなのだが。生き物好きは何時だって生き物の話をしたいものである。


「有袋類ってのは、古いタイプの哺乳類なんだよ。胎盤が未発達で、子供を大きく育てられない。だからお腹の袋で子供を育てる訳ね」


「ふーん。アイツら原始的なんだ」


「でも原始的という事は、昔からいた動物なんですよね? なら長い時間を掛けて世界中に分布していて、旅の中で出会っていてもおかしくないんじゃないでしょうか?」


「実際昔は世界中にいたらしいけどね。でも絶滅したんだよ、私達有胎盤類との生存競争に負けて」


 有袋類と有胎盤類は共に哺乳類であるが、進化的に分かれたのは一億六千万年前だというのが有力な説。それだけの年月を掛けて別々の進化を遂げた両者は、自らの繁栄のために競争し合う関係となっていた。

 有胎盤類――――現代における『普通の哺乳類』は有袋類よりも優れた点が幾つもある。例えば子供を大きく育てて産むため、乳児死亡率を大幅に下げられる事。また出産数も有袋類より多い傾向があり、繁殖力に優れるという説もある。

 勿論有袋類の育て方にも利点はある。例えば未熟な子供を産むため、母体への負担が小さいという事。また子供をすぐに外へと出すため母体は常に身軽であり、天敵に襲われても。母体の安全に関していえば、圧倒的にこちらが優位なのだ。

 そのため過酷な環境では、有袋類の方が生存競争で有利になるという。オーストラリア大陸は(少なくとも七年前までは)広大な砂漠が広がる大地であり、哺乳類が生存するのには厳しい場所だった。この環境下では有袋類がかなり強く、故に支配を続けられたのである。しかしそのような環境はここ数千万年の地球ではあまりなかったようで、結果的にオーストラリア以外の有袋類は有胎盤類との競争に破れて殆ど絶滅してしまった。またオーストラリアは他の大陸と数千万年もの間接しておらず、大量の有胎盤類が入り込まなかった事も有袋類が生き延びた一因だろう。

 かくして、オーストラリアは地球で唯一有袋類が支配する大陸となったのだ。


「成程、だからこの地の生き物は独特な姿をしているんですね……勉強になります」


 宇宙人は納得したように頷き、興味深そうに周りを見渡す。今までは恐怖の対象だったが、今ではすっかり好奇心旺盛だ。正に『知的生命体』である。

 継実としても、こうして興味を持ってくれたのは素直に嬉しい。一生き物好きとして話した甲斐があるというもの。


「んー、よく分かんないけど、つまり余所では絶滅してる雑魚ってことね! なら私の敵じゃないわ。ふふん」


 なお、継実の説明を聞いたモモの感想が、これ。

 生存競争は単純な強さじゃないっつーの。そう言いたくなる継実は肩を落とし、ミドリはくすくすと笑う。

 とはいえ実のところ、強さの面でも有胎盤類の方が分があるかも知れない。実は有袋類の欠点として、未熟な状態で産む弊害により脳を大きく出来ないというものがある。知能が高い=強いではないが、戦闘時の瞬間的な判断には優れた情報処理能力が必要だ。脳が大きいとその分エネルギー消費が多くなるので、これもまた一概に有利とも言えないが……戦いという場においては、脳が大きい方がより素早く、そして正しく判断出来る分だけ有利になるのは違いない。

 そういう意味では、モモが言うように獲物としても雑魚という可能性はある。逆説的に、捕食者としての能力もあまり高くないだろう。

 なら、安全に『観察』する事も出来る筈だ。


「(……ちょっと見てみたいかも)」


 継実は生き物が好きだ。この七年の中で何度殺されかけたか分からないが、それでも生き物が好きである。巨大ゴミムシも大蛇もアホウドリも、難なら侵略者エリュクスだって、『生き物』としては好きだと胸を張って言える。

 そんな継実にとって、オーストラリアの大地は夢の世界だ。動物園でしか見た事がない、いいや、動物園でも見た事がない生き物を間近で見られる。それにワクワクしない生き物好きなんて、いやしない。


「……ねぇ、ちょっと此処の生き物の観察会をしてみない?」


 継実の口からそんな提案が出てくるのは、彼女の性分を思えば致し方ない事だった。

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