第九章 ワイルド・アサシン

ワイルド・アサシン01

「おー、絶景かな絶景かな」


 心から感嘆したかのような、弾んだ声でモモが独りごちる。

 絶景と語るモモの目の前に広がるのは、地平線の先まで続く広大な草原。生い茂る草はどれも葉がやや黄色味掛かっていて、あまり元気さは感じられない。木々も生えているが疎らで、高さも精々十数メートル程度。草が生い茂っているので地面は見えないが、風が吹くと赤色の土埃が舞い上がる。草に覆われていても、地面はかなり乾燥しているようだ。

 その大地はまるで均したように平らで、殆ど凸凹は見られない。単一の環境が遥か彼方まで続く光景は、自然の雄大さを感じさせてくれる。また空気はからりとしていて、赤い土埃を抜きにすれば、過ごしやすい気候だ。気分が上々となるのも頷ける。それにこんな光景を目にするのはモモだけでなく継実も初めて。感情が昂ぶってしまうのも仕方ない。

 そして何より、目的地南極が目前に迫ってきたのに興奮するなという方が無理というもの。

 ついに継実達は、オーストラリアの大地を踏み締めているのだから。


「ほんと、良い景色だね。自然の雄大さを感じるっていうのかな?」


「こういう乾燥した環境は初めてですね。今まで森とか草原とかばかり歩いてましたから、地球って森ばかりの星かと思ってましたよ」


 モモの後ろを歩きながら同じく景色を見ていた継実はその感想に同意し、ミドリはこの地の環境について意見を述べる。いやアンタ宇宙人なんだから地球の全体像一度見てるでしょ、とも思う継実だったが、地球に訪れた時は新天地への『避難』の真っ只中。星の全体像をゆっくり見ている余裕などなく、今まで見てきた環境だけで判断してしまうのも仕方ないかも知れない。

 勘違いしていると分かっていて無視するのも、家族に対して悪いだろう。継実はミドリに、地球環境についての話をする事にした。


「日本含めて、今まで通ってきた島は周りが海に囲まれてるからね。雨雲ってのは基本的に海で出来るから、周りが海に囲まれてると雨量が多くなる。それに赤道を通ってきたから気温も高い。その点オーストラリアは、確かに海から雨雲が来るんだけど、大陸の東側にある山脈が雨雲を堰き止めちゃうから大陸中央に近付くほど雨が少ないんだよ。赤道からも離れていて、気温もそんな高くないし」


「へぇー。だからこんなに乾いているんですか。植物が少ないのも雨があまり降らないからでしょうか?」


「そうなんじゃない? ミュータントになったからって、水がいらないって奴は……まぁ、少ないし」


「ですよね。いやー、非常識だと思っていたミュータントですけど、水がないと生きていけないとか、ちゃんと常識的なところもあるんですねー」


 うんうんと、何やら感慨深そうに頷くミドリ。宇宙的に見ても非常識な生命体らしいミュータントにも理解が及ぶところがあり、一宇宙人として安堵しているのだろうか。

 ……実際、オーストラリアの大部分は乾いた草原(ステップ気候)や砂漠が支配していた。しかし頭の中に浮かぶ情報曰く、此処は七年前にはと呼ばれていた地域の筈。草は疎らで、木なんてろくに生えていない。もしも人間が遭難したなら、確実に死ぬであろう過酷な環境だ。

 ところが今や砂漠は完全に消え失せ、ちょっと黄ばんでいるが緑色の生き物が全てを覆い尽くしている。ミュータントの生命力は、生命の存在を許さない大地すらも緑化してしまったのだ。そういう意味では、やはり『非常識』な存在なのは変わらないだろう。

 とはいえ、これが悪い事とも継実は思わない。生き物好きな身としては、やはり地球にたくさんの生き物が暮らしている方がというものだ。勿論砂漠が緑化されていく過程で、砂漠に適応した生物は絶滅していっただろう。それについては悲しさや虚しさを抱かない訳でもないが、砂漠の草原化はミュータントという新生物の進出の結果である。つまり自然淘汰であり、そんなのは過去の地球で幾度も繰り返された事だ。今更取り立てて騒ぐような話ではない。

 何より。


「(生き物が多い方が、狩りの獲物には困らないよねー)」


 継実人間も今では立派な野生動物。まずは自分が生きていける事が最優先だった。

 他にもこの土地には良い事がある。これまでの旅で継実達は幾度となく、強大なミュータントと出会ってきた。大トカゲ、ツキノワグマ、巨大ヤドカリ……どうやっても勝てないような奴もいたし、勝てたのが奇跡に思えるような種もいた。他にもハマダラカや金属シロアリ軍団のような、一筋縄ではいかないような奴等とも数えきれないほど遭遇している。

 そうした強敵達に何故これまで出会ってきたのかといえば、通ってきた場所が緑豊かだったからだろう。

 植物が多ければたくさんの生物が生きていける。たくさんの生物がいれば競争が激しくなり、より強いモノが生き残る。強いモノはその分エネルギー消費が激しくなるが、食べ物が豊富なら心配する必要はない。命に溢れているのだから、食べ物なんていくらでも得られるのだ。むしろ天敵やライバルに負けないよう、強い身体を持たねばならない。

 故に森林の生物は強い。旅立ち前に花中が教えてくれた通りだ。

 ならば逆もまたその通りになる筈。

 つまり元々が砂漠で、今でも乾いた草原にしかなっていない……餌が乏しいこの地では、あまり強い生物はいないと考えるのが自然なのだ。継実が考えるに、恐らく自分とモモが七年間暮らしていた、あの草原と同じぐらいの強さの生物が繁栄しているだろう。

 日本から此処までの旅で、継実達はかなり強くなった。ミドリという頼もしい家族も増えていて、彼女も着実に強くなっている。ならばどうして七年間暮らしていたあの草原の生き物に遅れを取るというのか。

 あの草原と同じ程度の生態系なら、最早恐れるに足らずだ。

 無論油断は禁物である。七年間暮らしていた草原の頂点捕食者である巨大ゴミムシには、未だに勝てるとは継実には思えない。強くなったといっても、あくまでも『人間』の範疇。オーストラリア大陸に広がるこの草原の頂点捕食者も同じぐらい強いなら、自分達三人が束になって、更に奇襲攻撃を仕掛けても呆気なく返り討ちに遭うだろう。加えてオーストラリアに暮らすミュータントの能力なんて、継実は何一つ知らない。相性の悪い能力で奇襲なんて受けようものなら、同格どころか格下相手にも一方的にやられてしまう。それが、今の自然界だ。

 しかし油断をしなければ――――景色を見渡したり、生き物を愛でたりするぐらいの時間はあるだろう。


「うん。久しぶりに遊べそうだし、南極までの最後の旅路、楽しんじゃおう!」


「おぉー!」


 継実の掛け声に合わせ、ミドリも声を上げた。モモだけがやれやれとばかりに肩を竦めていたが、多数決には逆らわないとばかりに何も言わない。

 そう、『人間』二人は思っていた。旅の山場は越えて、此処から先は……安堵は出来ずとも、それなりには楽しむぐらいの余裕はあると。犬もまた、賛同はせずとも窘めるほどではないと。

 されど継実達は思い知る。

 もうこの世界に、安堵出来る場所など何処にもないのだと……

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