飢餓領域14

 後は自分がなんとかする。

 その言葉を考えなしに受け入れるのが危険なのは、別段野生の掟に支配された今の時代だけでなく、七年前の文明社会にも言えた事だろう。どれだけ親しくても所詮は他人。中にはあえてこちらを混乱させ、その上で安心感のある言葉を投げ掛けて騙そうという魂胆の輩だっている。他人に全て任せてしまうのは楽だし安心するが、それが許されるのは両親に甘ったれていられる時だけ。大人にその言葉を掛けてくる奴の九割は悪意の塊だろう。

 しかしこの言葉を語ったマッコウクジラはそのような悪意と無縁だと、継実の理性は即座に判断した。


「……『あそこ』にアイツを運べば良い訳ね」


「だなぁ。今のボカァはなんも出来ないけど、でもそこに運んでくれれば……」


 ちょっぴり申し訳なさそうなマッコウクジラの口ぶり。けれども後半の口調は力強く、確固たる自信を感じさせた。

 今日、それもほんの一時間前に出会ったばかりの相手に命を預けるというのは、中々に酔狂な事だろう。しかし継実がこれまで見てきたマッコウクジラの力なら、あのフジツボ怪人の打倒も難しくはあるまい。それは確かな事だ。それにマッコウクジラにとってもこのフジツボは厄介な輩であり、継実達話し相手という『利益』を奪う不埒者。継実とマッコウクジラの利害は一致している。

 世界というのは、何時だって『人』に優しくはない。そこに根付く自然は決して純朴などではなく、自分の利益を最大化するため常に謀略を巡らせ、裏切りに心を痛める事もない。けれども特別人に厳しい訳でもない。信じるに足る確固たる理由があるのなら、『甘い言葉』は現実的な提案となる。誤った前提に基づくものなら兎も角、現実を理解した上での判断が理不尽に裏切られる事もない。

 冷静に考えた継実は、マッコウクジラの言葉は信じるに値すると考えた。

 いや、。継実が信じるのは自分の心。相手に身を委ねるのではなく、相手を頼ると考えた自分の心に任せる。同じように聞こえても意味合いは全く違う。

 誰かに頼ればふとした瞬間に弱気になっても、自分の心に従った結果なら最後まで全力を出せるのだ!


「じゃあ、後は任せた!」


 継実は再び、フジツボ怪人の下へと全力疾走で向かう!


「モモ! 作戦変更!」


 駆けながら継実はモモに指示を通達。能力で声が届く範囲を絞ってフジツボ怪人に聞こえないよう努めながら、マッコウクジラから聞いた作戦を伝えた。

 フジツボ怪人と殴り合っていたモモは最初、殴る拳が止まり、驚いたように目を見開いていた。もしもこの作戦をマッコウクジラから直接聞いたなら、少なからず考え込んだ事だろう。

 しかし継実からの指示となれば話は別。本質的に忠犬である彼女は人間からの指示に従うのが大好きなのだ。


「ええ、分かったわ! 私に任せなさい!」


 マッコウクジラに頼ろうと決めた瞬間、力を抜くどころか、指示を達成するためモモはその身に更なる力を滾らせる!

 頼もしい相棒に、継実は更に指示を重ねた。それと共にモモはフジツボ怪人から一度距離を取りつつ、腕を伸ばして攻撃していく。

 継実もモモの背後に回り、フジツボ怪人に向けて粒子ビームを撃つ! 顔面や胸部にビームを受けた怪人は、しかしやはり怯む事も傷付く事もなく、平然としていた。無駄だと言わんばかりに、共に後退する継実達を追う。

 『プランA』は成功だ。ほくそ笑みたくなる衝動を抑えつつ、継実は攻撃の手を緩めない。

 兎にも角にも、目的の場所まで誘導してしまえばこちらの勝ちなのだ。その一番簡単な方法は、後退しながら相手を目的の場所まで誘導してしまう事。相手がこちらの目論見に気付いていなければ簡単に引っ掛けられる。勿論距離が長くなればなるほど、誘導されていると勘付かれ易くなるが……今はマッコウクジラの背中のある部分を目指すだけ。移動距離など精々数メートル程度だ。

 この距離なら一時の後退と大差ない。誘導する事は容易――――

 その筈だったのに。


【……………】


 不意に、フジツボ怪人はその足を止めた。ぴたりと立ち止まり、フジツボ射撃などの遠距離攻撃に切り替える。継実達が左右に移動したりして立ち位置を変えてみても、挑発するように攻撃を仕掛けてみても、積極的に追おうとしない。出来る限り動かず、向きだけ変えて対処しようとする。

 どうやら、こちらの狙いを察したらしい。


「(たく! 一体どんな勘の良さだよ!)」


 これまでも戦いの中での後退は何度もしていた筈だが、二人同時というシチュエーションに違和感を覚えたのか。はたまた自然さを装っていたが傍からすれば露骨に見えたのか。理由を考える継実だったが、本能的に思った『直感』が正解な気がした。

 ミュータントに常識など通じないのは分かっている。直感に優れるのも幾度となく見てきた。しかし肉弾戦なんて必要ない筈の寄生生物まで直感を発揮するとは、継実にとってちょっと想定外。

 だが現実を否定しても状況はなんら改善しない。元よりこんな『楽』な方法で打倒出来るとは、ちょっと期待していただけで、依存していた訳ではないのだ。


「(誘導は無理か。なら、やっぱり力尽くで動かすしかない!)」


 一番楽な方法が使えないなら、一番シンプルな力技に切り替えるのみ!


「モモ! プランBでいくよ!」


「りょーかい! そっちの方が楽で良いわ!」


 作戦変更をモモは快諾。直後後退するのを止め、継実よりも先にフジツボ怪人へと突撃する! ぐるぐると動き回った事で継実達の目的地は、フジツボ怪人の『背後』に位置した。このまま一気に押し出してしまえば、マッコウクジラに後を託せる!

 今まで下がっていた動きが変化し、警戒したのか。フジツボ怪人はどしりと構えを取ってモモと向き合う。突撃しているモモとしては正に望むところ。そのまま急速に距離を詰め、リーチに優れるフジツボ怪人の腕が届くか否かのところまで接近した

 瞬間、モモは身体を形成している体毛の半分ほどを解く! 頭や手先などの一部パーツを除いて、無数の体毛という『正体』が露わとなる。突然目の前の敵の身体が崩壊、しかも表面積的に一気に膨張した事に驚いたのか、フジツボ怪人はその身を強張らせた。フジツボ怪人が硬直していた時間は恐らく七年前の人間、いや、普通の生物では認識も出来ないほどの短い時間だったが、ミュータントにとっては十分過ぎる隙。

 体毛を組み直したモモは、瞬きほどの時間で再び元の人間の姿へと戻る。一見してなんの変化もしていないように見えるが、よくよく見れば大きな変化があると分かるだろう。

 具体的には、モモの肩に岩のようなごつごつとしたものがあると。

 フジツボだ。今まで拳に集めて打撃用の武器として使っていたフジツボを、身体を組み直す過程で肩へと移動させたのである。

 言うまでもなく、殴り合うならフジツボは拳に集めた方が適切だ。しかし他の攻撃方法をするなら、拳が最適解とは限らない。

 例えば肩から当たって突き飛ばすような攻撃をするなら、肩に集めた方が合理的だろう。


「っしゃオラァっ!」


 モモは渾身の力と共に、肩からフジツボ怪人に腹部目掛けて激突する!

 言ってしまえば体当たり。けれどもモモは全身の体毛を擦り合わせて生み出した電気も用い、爆発的な加速力を得ていた。もしも地面に向けてこの一撃を放ったなら、住宅地程度は簡単に吹き飛ばしただろう。

 しかしフジツボ怪人はこの巨大なエネルギーを正面から受け止める!

 能力によりマッコウクジラの背中にぴったりと張り付いた三メートル超えの巨躯は、モモの破滅的な突進を難なく止めた。肩には集められたフジツボがいて、同じ硬さ同士の激突で多少は欠けたのか小さな欠片が飛ぶ。されど全体からすればごく一部であるし、個体として見ても大したダメージではないだろう。フジツボ怪人に怯む気配すらないのも必然。

 フジツボ怪人の行動に支障はなく、素早くモモの身体を両手で掴んだ。投げ飛ばす算段だろうが、投げられるのはこれが二度目。モモも対策を用意しており、体毛を用いてマッコウクジラの背中に張り付く。モモが動かなかった事で少なからず動じたのか、フジツボ怪人はもう一度モモを持ち上げようと力を込めた。

 その隙に継実もフジツボ達に肉薄する。三度目の接敵。ただし今度はモモの背後から。


「あんま無理してくっつかないで、大人しく上がりなッ!」


 そしてモモの身体を支えるように、モモの背中越しからフジツボ怪人に体当たり。モモと共にフジツボ達を持ち上げようとする!

 最早隠すつもりのない継実達の作戦。何処に連れていく気かは分からずとも、フジツボ怪人も継実達の狙いに気付いただろう。足腰により一層の力が加わったのを、継実は全身の感覚から感じ取った。恐らく付着するという能力も最大級のパワーで発動している筈。

 ここまでは想定内。

 ここからが、勝負の本番だ!


「(つっても、これからどうしたもんだかね……!)」


 表情には出さないよう努めながらも、継実は思考の中では若干の焦りを滲ませていた。

 継実とモモがどれだけ力を振り絞ろうと、フジツボを強引に剥がす事は不可能だ。七年前のフジツボを生身の力で岩から剥がす事は、人間と犬が協力しても成し遂げられない行為。ミュータント同士になったところでこの力関係は変わらない以上、結果も変わらないのが道理というものだ。そして気合いも根性も、なんの力も生まないのが『現実』である。必要なのは感情論ではなく、理論に裏付けされた確かな道標。

 つまりなんらかの作戦が必要だ。


「(方法は二つ。自分達がパワーアップするか、相手をパワーダウンさせるか)」


 自分達がパワーアップする方法はある。継実が持つ戦闘形態だ。

 しかしアレを使うのは、良い手とは継実には思えない。あの形態は兎に角エネルギー消費が激しく、フジツボに力を吸い尽くされている現状、一瞬しか姿が維持出来ないのは目に見えている。そもそも使用したところで、今までの手応えからしてフジツボの防御を破れる自信がなかった。

 モモは電力により馬力を高める事が出来るものの、彼女もかなり消耗している現状これを強いるのもしたくない。それに、その方法でのパワーアップは継実の戦闘形態未満の倍率だ。戦闘形態でもフジツボを砕けそうにないのだから、モモが力を増しても意味がないだろう。

 自分達が強くなる方法は出来ないし、やったところで恐らく効果がない。この方針は自殺行為も同然だ。

 採用出来るのは、相手をパワーダウンさせる作戦しかない。


「(だけどどうする!? フジツボの粘着力とか、どうすれば弱まるのかなんて見当も付かない……!)」


 方針は決まったが、その方針を実行するための方法が考え付かず。マッコウクジラの背中と付着している奴等を引き剥がすには、一体どうすれば良いのか。

 或いは思考の転換が必要か。マッコウクジラに付着している奴をどうにかしているのではなく、例えば怪人とマッコウクジラを奴の方をどうにかするとか――――

 策を巡らせる継実だったが、考え込んでいる時間はない。フジツボ側だってこちらを嬲って楽しんでいる訳ではなく、ましてや一度は自分達の寄生を打ち破ったこちらを見下している筈もない。こちらが『小細工』を仕掛けてくる前に潰そうとしてくるのは、必然。

 そして現状、自分達よりもフジツボ怪人の方が余裕がある。


【……………】


 ゆっくりと、だけど確実に。フジツボ怪人は身体から力を抜いていく。勿論継実達の力では体勢が崩れない、そのギリギリの加減を狙って。

 同時に振り上げた腕に、大きな力を溜めていく。

 不味いと思った時には既に遅し。フジツボ怪人は振り上げた腕を、まずは手前にいるモモへと下ろした。無論、溜め込んだ力に見合った猛烈な速さで。


「ぐがっ!?」


 殴られたモモは呻きと共に体勢を崩し、その場に倒れ伏す。

 本来モモは物理的衝撃には滅法強い。しかし体力を吸い取られていたのと、溜め込まれた力が大きかったが故に耐えられなかったのだろう。そしてフジツボ怪人はその一瞬で足を上げるや、モモを踏み付けた。強力な一撃にモモは鈍い声を漏らす。

 そうしてモモが倒れた事で、モモの後ろから補助していた継実が前へとつんのめる。ミュータントの動体視力と身体能力を用いれば、いくら弱っていても体勢を立て直すぐらいは可能だ。フジツボ怪人に組み付く事は問題ない。

 問題になるのは、今までモモがその身で受けていたフジツボ達に直に触れねばならない事。

 フジツボ怪人を形成している個々のフジツボは、単体でも活動可能だ。直に接触したなら自ら動き出し、相手への寄生を試みる事が出来る。モモは体毛で組まれた身体を、既に寄生していたフジツボのプロテクターで守っていたから無事だった。しかし継実は完全な生身の上、フジツボ達の能力で硬くさせられた身体はモモのように『バラす』事も出来やしない。そして地肌に寄生されたら、エネルギーを吸われるというプレッシャー、或いは実行に耐えねばならなくなる。

 どう考えても直接接触は無謀、というより自殺行為。

 しかし組み付かなければフジツボ怪人は恐らく自分達から離れようとする。離れられたら、また組み付こうとしても警戒して全力で防ごうとするだろう。こちらの考えは既にある程度見透かされたのだから。

 なら、逃げるという選択肢はなしだ。


「ふんっ!」


 今度は継実が最前列に立ち、フジツボ怪人の足下へとしがみつく!

 継実が代わりにやってきた瞬間、フジツボ怪人の脚部を形成しているフジツボ達がざわめく。まるで獲物の到来を歓喜するかの如く。

 次いで数個のフジツボが怪人から跳び出し、継実の顔面や首の肉に食い込んでくる。エネルギーを吸い取ろうとはしてこない。しかしそれはタイミングを見計らっているだけであり、その時が来れば即座に牙を向くのは容易に想像出来た。

 それでも継実はフジツボ怪人を離さない。全身の力を余さず使い、フジツボ怪人に足をがっちりと抱きかかえて絶対に放さない。

 放さないが、しかしそれがどうしたとフジツボ怪人は言わんばかりに佇む。

 確かにその通りだ。相手の吸着力を上回る力を出せず、その身体を砕くパワーも出せず、ただしがみついているだけ。これなら何百というアリが纏わり付く方が何十倍も鬱陶しいし、脅威だろう。なんの効果もない、子供の駄々っ子でしかない。そして駄々っ子は母親には効果があれども、獲物を狙う捕食者には無意味。


「継実! もういい! 私がまた前に、出る、からぁ……!」


 モモが継実を止めるが、しかしその言葉は尻窄みで終わる。今のモモは怪人に踏み付けられて、前に出るどころか身動きすら出来ないのだ。「私が前に出る」なんて出来っこない。

 モモは必死に藻掻くが、巨体を誇るフジツボ怪人の力の方が上。しかも足裏で吸着しているのか、モモの背中に足はぴたりとくっついていた。暴れて抜け出すのは困難だろう。大体再び組み付いたところで、継実よりも馬力に劣るモモに何が出来るというのか。

 手がないのだ。強力無比な不動を貫く、此度の敵がただそれだけの存在であるが故に。


「……今から……み……ひっさ……コイツ……なら、私の……ぎ……」


 最早継実の身体に力はなく、ぽそぽそと囁くような言葉しか出せない。

 そのか細い言葉を合図とするように、継実が抱き着いているフジツボ怪人の足から更にフジツボが跳び跳び出す。出てきたフジツボは継実の首の肉に食い込み、すぐさま熱とエネルギーを吸い取り始めた。今なら高熱を発すれば撃退出来るが、継実は黙ってそれを受け入れてしまう。

 モモは大きく目を見開いて、何かを言おうと口を開く。けれども言葉は出ず、ついに藻掻くのも止めてしまった。

 誰も助けてくれない中、継実の身体には次々とフジツボが取り付き、どんどん力を奪い取っていく。継実の視界は薄れ始めた。海中でも目の前が暗くなっていて、あの時はなんとか持ち直したが、今度ばかりは本当に不味いと継実の本能も訴える。

 最早これまでか。継実の理性が諦めの言葉を抱いた――――その時である。

 フジツボ怪人が、突如として唖然としたようにその身体を強張らせたのは……

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