飢餓領域15

 最初、フジツボ怪人は困惑している様子だった。顔などないが明らかにキョトンとしていて、何が起きているのか分からないという感情が継実にもひしひしと伝わってくる。

 しかし段々と困惑は消え、やがて焦り始める。どうしたんだと言わんばかりに右往左往し、自分の『足』を覗き込むように背筋を曲げた。モモの背中からも足を退かし、大急ぎでマッコウクジラの背中に着地しようとした

 その足を継実は咄嗟に伸ばした片手で受け止めた。

 受け止めた手には次々とフジツボ達が食い込む。継実の力を奪い取る呪い染みた攻撃だが、それをしている側であるフジツボ怪人は動揺するように身体を仰け反らせた。継実の手を振り解こうと足を必死に動かすが、継実がしっかりと握っている足は離れない。いや、そもそも、何故逃げようとしているのか。

 矛盾したフジツボ怪人の行動。しかしそれは継実にとって想定内であり、予想通りでもある。


「アンタ達、やっぱり協調性がないね?」


 だからにやりと笑いながら、継実はフジツボ怪人にそう尋ねた。

 ――――フジツボ達の集合体。防御力とパワーを兼ね備え、遠近両方の攻撃が出来るなど、その戦闘力は間違いなく継実やモモよりも上だ。どこぞの漫画のように戦闘力を数値で測る機械があったなら、きっとフジツボ怪人は継実達三人の合計よりも遥かに高い数字を弾き出した事だろう。

 だが、所詮この集まりは苦し紛れの技に過ぎず。

 元々群れる習性などない彼等が、大人になるためのエネルギーを求めて一時的に協力しているだけなのだ。共通のビジョンなんてない。理想もないし信念もないし、恐らく血縁どころか親交もない。その場に偶々集まった有象無象が、これからどうしたら良いんだと考えた果てに編み出した起死回生間に合わせの秘策。

 そしてミュータントというのは、いや、生命というのは本質的に利己的だ。本能的に集団への帰属を意識する人間やハチのような一部の例外を除いて、自分が利益を得られるなら集団や種族の不利益など考慮にも値しない。

 つまりフジツボ達は

 その意識が露呈した瞬間があった。踏み付けようとしてきたフジツボ怪人の足を継実が受け止め、脚部のフジツボ達が蠢いていた時である。継実はまたフジツボに寄生されると思ったが、何故かフジツボ怪人は追撃をせぬまま後退していった。あの時は何故フジツボ怪人があのような行動を取ったのか理解出来なかったが……なんて事はない。脚部を形成しているフジツボ達が抜け駆けしようとして、全体の形が崩れそうになったから、それを抑え込むために『過半数』のフジツボが後退を選んだのだ。

 全体の統率が取れていない相手。これがフジツボ怪人の数少ない弱点だというのなら、勝利のためには此処を突くしかない。

 そこで継実は、怪人の足を形成しているフジツボ達に囁いた。「今からお見舞いする必殺技でこの『集合体』を倒すまでの間なら、私の身体から好きにエネルギーを吸い取って良いぞ」――――と。

 もしもフジツボ怪人達に仲間意識があり、全体の利益というものを考えられたなら、こんな『世迷言』に耳を貸す事もなかっただろう。しかし奴等はあくまでも自分が生き延びるために協力している、利己的な群衆だ。自分の損得に直結する言葉を考えなしに切り捨てられるほど、自我が集団に埋没なんてしていない。

 甘言を囁けば、何匹かは必ず引っ掛かる。

 一匹でも引っ掛かればこっちのもんだ。誰かに出し抜かれたら、他の個体達はもう動かない訳にはいかない。何も出来ずにおろおろしているのが一番損になるのだから。そして二番手に甘んじた個体が増えれば三番手が現れて、三番手が現れたら四番手が出てくる。次から次へと抜けていくものが出てきたら、もう集団なんて維持出来ない。

 残ったのはほんの僅かな、最後まで判断が出来なかった間抜け共だけ。

 ここまで少なくなれば、後は力強くで押し通せる!


「こ、のおおおおおおおおおおおっ!」


 渾身の力を込め、継実は掴んだ足を持ち上げるようにして一気にフジツボ怪人を押し出す!

 首や頭、手に食い込んだフジツボ達が『契約』通りエネルギーを吸い、継実の身体から力が抜けていく。自然界で律儀に約束を守る必要なんてなく、このフジツボ達を高熱で焼いてしまっても良いのだが……ようやく巡ってきたチャンスを逃す訳にはいかない。そして約束の放棄を見られたら、利己的なフジツボ達でももう唆す事なんて出来やしないだろう。

 これが最後にして最大のチャンス。

 どんなに周りが鬱陶しくても、今だけは目の前の怪人だけに集中する!


【……!】


 フジツボ怪人は継実の力に抗おうとしたが、その脚は最早ボロボロの出来損ない。いくら力を込めても、継実の力を受ければぐらぐらと揺れ動く。


「おっと、私を忘れないでよ!」


 更に起き上がったモモのフルパワーを加算すれば、止められる道理などなく。

 二人の同時突進を受けたフジツボ怪人の足首からパキンッと砕ける音が鳴った――――瞬間、怪人の身体がふわりと浮かび上がる!

 ついに持ち上げた! だがここで終わったら、学習したフジツボを倒す事が叶わなくなる。

 最後の最後に、継実は身体中のエネルギーを絞り出す。脂肪や糖分だけでなく、筋肉も臓器も全て焚べて力に変えていく! 七年前の身には出来ない事も、今の身体なら念じれば叶うのだから!


「ッ……だありゃあああああああっ!」


 全身全霊の叫びと共に、継実はフジツボ怪人を投げ飛ばした! 宙に浮いたフジツボ怪人はジタバタと四肢を暴れさせたが、そんな動きで空など飛べやしない。時間があれば空中での静止も出来ただろうが、此度はそれほどの猶予もない。サッカーボールと変わらない見事な放物線を描き、やがて墜落する。

 怪人はすぐに起き上がった。ミュータントの攻撃すら防ぐ頑強さがあるのだ。高さ数メートル程度から落ちたところで、欠ける事すらあり得ない。動きにも支障などないだろう。


「ようやく来たな、虫けらが」


 ただし奴の動きは、荒々しいマッコウクジラの声と共に止まったが。

 此処こそが、マッコウクジラが示したポイント。強大無比な力を持つ彼がフジツボ怪人を『なんとか出来る』と断言し、そのために継実とモモが命懸けで運んだ場所だ。

 どんな攻撃が来るかは、なんとなく継実にも分かる。そしてフジツボ達にも分かったのだろう。理性的なのか、本能的なのかは兎も角、此処にいたら不味いと気付いたのは確かだ。

 そうでなければ、クジラの鼻である『噴気孔』の上から逃げようとする筈がないのだから。


「おいおい、そんな慌てんじゃねぇ……礼ぐらい受け取っていけやクソ虫がアアアアアアアアアアッ!」


 無論マッコウクジラはフジツボを逃がすつもりなどなし。継実すらもビリビリと痺れるような大声を出した直後、マッコウクジラの噴気孔から『鼻息』が噴き出された!

 鼻息といったが、噴気孔から出てきたのは虹色の光だった。しかし光線技ではないし、やはり正体は鼻息なのだろうと継実は思う。継実の目が捉えた光景が正しければ、噴気孔から出ているのは莫大な量の空気なのだから。

 噴出した空気は原子崩壊を起こし、四方八方にエネルギーを吐き出しながら光っている。原理的には鼻息を噴いただけなのだが、現象的には極大のエネルギー攻撃だ。光エネルギーは空高く打ち上がり、宇宙空間まで届いているほど。継実の粒子ビームなど比較にならない、小さな惑星すら粉砕するのではないかと思える出力を誇っていた。このエネルギー照射をまともに浴びたなら、普通ならミュータントだろうが即座に蒸発、形を保ったとしても宇宙に追放される事だろう。

 だが、フジツボはどちらでもなかった。

 フジツボは両手両足を伸ばし、マッコウクジラの背中に張り付いていたのだ。マッコウクジラの『鼻息』は頭の先から放った超高出力音波砲ほどの威力はないようで、フジツボは辛うじて原型を留めている。マッコウクジラの鼻息のパワーよりも、フジツボの頑強さが上回っていたのだ……勝っているのは本当にそれだけだったが。

 頑張って張り付いているようだが、フジツボ怪人の身体は激しく震えていて、手は指先が付いているだけという有り様。胴体も脚も浮かび上がり、体勢を立て直す事も出来ないようだ。どんなに頑張ったところで悪足掻きに過ぎない。


【――――!】


 フジツボ怪人が何かを求めるように継実達の方に片手を伸ばした

 次の瞬間、奴の身体は大空へと打ち上がる!

 虹色の閃光は遥か上空へと瞬時に到達。継実でも見えないような速さでフジツボ達も吹っ飛ばされ、あっという間に宇宙空間へと追放されてしまう。継実の目なら宇宙空間のフジツボを補足する事も可能。どんな速さで飛んでいったのか確認したところ……射出速度は秒速百キロ超え。第三宇宙速度も余裕でぶっちぎっている。火星や木星などの惑星に落ちなければ、やがて太陽系を脱出するだろう。

 フジツボ達は吸い付く能力を応用して前進していた。秒速数百メートルの速さを出せる移動方法だが、あれは吸い付く物質空気があったから出来た事。宇宙空間に漂う水素の密度では、果たしてどれだけのスピードが出せるのか。いや、そもそも減速するのに何百年も掛かるかも知れない。

 どれだけ足掻こうと、どれだけ強力な能力を使おうと、もう奴等が地球に戻ってくる事はないのだ。

 つまり。


「……終わった?」


「多分ね」


 答えを求めるように呟いたところ、モモから同意の言葉が返ってくる。

 途端、継実はその場に座り込んでしまう。正確には腰が抜けたと言うべきだろうが。


「つ、疲れたぁ〜……」


 何しろ勝利の余韻に浸るよりも前に出した一声が、こんな情けない声なのだから。


「もう、あんまり心配させないでよね。事前に聞いてない捨て身の作戦とか心臓に悪いわ」


「心臓への負担なんて、もう物理的にヤバいの何回も喰らってるでしょ。ストレスなんて誤差だよ誤差」


「私の心臓はアンタみたいになくなったら交換出来るような量産品じゃないのよ……身体に付いていたフジツボは大丈夫なの?」


「んぁ? あー、もうアイツら離れていったよ」


 共に戦っていたモモから気遣う声を掛けられ、継実はそう答えながら自分の首を撫でるように触る。つい先程までそこにいたフジツボの姿は、もう何処にもない。継実が唆した「集合体を倒すまでは見逃す」という期間が終わった瞬間、自ら這い出して出ていったからだ。取引した奴等が大人になれたのか、それともまだなっていないのか。それは継実には分からないし、知った事でもない。

 ……知った事ないついでに、ここまでで散々見せつけられたフジツボの生命力、そしてミュータントの逞しさからして、吹っ飛ばされた宇宙空間でもなんとか生き延びているんじゃないかと継実はふと考える。それに普通寄生虫は宿主を限定する ― 宿主の免疫系やライフスタイルが異なるのでそのために特殊化した身体でないと上手く適応出来ない ― ものだが、初めてこの海に来たであろう人間とマッコウクジラと犬に寄生するぐらいだ。殆ど相手を選ばない万能性からして、宇宙人相手でも平気で寄生しそうである。

 ミュータントの強さは宇宙規模でも非常識だとミドリも言っていたので、アイツらが太陽系外のどっかの惑星に落ちたら普通に大変な事になるんじゃなかろうか。自然のある星は食い尽くされ、文明のある星は滅亡待ったなし……尤も、そう考えたところで秒速百キロで星の外に飛んでいったものを追い駆ける事も出来ないが。こう言っては難だが、フジツボ達が異星文明を侵略しようが、異星生態系を破滅させようが、そんな事は継実達には関係ない。野生動物が争った結果、追い出された側が新天地を開拓するなんて『自然界』ではよくある話なのだから。

 そう。そんな事よりも大事なのは。


「つつつつつ継実さああああああああんっ!」


 大声で叫びながら突撃してくるミドリを受け止める体力が、今の自分にあるかどうかだろう。


「あ、ちょ、ミドリ待っうぐぇ!?」


「継実さぁん! 大丈夫なんですか! 怪我してないですか!?」


 猛烈な速さで突撃してきたミドリは、腹からタックルするように抱きついてきた。そして次々と掛けられる気遣いの言葉。彼女がこちらを心から心配してくれていた事が、伝わってくる。

 その気持ちは大変嬉しい。嬉しいが、七年前の地球生命体なら絶滅させる事も出来ただろう超絶肉体パワーで抱きしめられたら色々辛い。ミュータント同士とはいえ粒子操作能力すらまともに使えない今の継実の身体はメキメキと音を鳴らし、全身が悲鳴を上げている。

 このままだと、普通に死にそうだ。仲間との抱擁により殺されるとは、中々笑える逝き方だなと遠のく意識で継実は考える。むしろ生きたまま喰われるのが普通の死に方となったこの世界では、割と恵まれた最期の迎え方かも知れない。

 勿論このまま殺されるつもりもないが、強いて言い残す事があるとするならば。


「お腹、減ったなぁ……」


 そんな本能塗れの言葉で良いだろと思いながら、継実はそっと目を閉じた。

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