飢餓領域09

「きゃあああああっ!?」


 突然『地面』が海に沈み始めて、ミドリが悲鳴を上げた。

 継実とモモは悲鳴こそ上げなかったが、表情を引き攣らせる。自分達の置かれている状況がどれだけ不味いか、それを理解しているのだから。しかしこの困難を解決する手段など、今の継実達は持ち合わせていない。

 陸地――――マッコウクジラが沈没したら、海中に放り出された自分達なんてどうしようもないほど無力だというのに。


「マッコウクジラ! もうちょっと頑張っ、ぐぶっ!?」


 なんとか励まそうとする継実だったが、マッコウクジラの沈没は止まらず。一気に沈んだ継実の顔を海水が襲う。

 本来継実はそれなりに泳げるし、能力も使えば水泳ぐらい楽なものだった。されど今の継実は体力を失い、フジツボ達の所為で自由に身体を動かせない有り様。モモとミドリも似たようなものである。

 三人全員が大海原に投げ出され、浮かび上がるどころか急速に沈んでしまう。

 継実は能力で水を分解し、なんとか酸素を確保。モモとミドリにも送って水中での呼吸を確保した。が、フジツボ達がどんどん血中の酸素を吸っていて、供給がまるで間に合っていない。モモは更に自力で酸素を作り出していたのでまだマシだが、ミドリは殆ど呼吸が出来ていないのか非常に苦しそうな表情を浮かべていた。

 自分達よりも高速で沈んでいくマッコウクジラも、きっとミドリのような苦しさを感じている事だろう。


「(いよいよ、なんとかしないと不味い……!)」


 今まで幾度となくピンチに陥った事のある継実だが、今度という今度は本当に駄目かと思い始める。だが、それでも諦めるという選択肢を選ぶつもりはない。危機的状況だからこそ冷静さと策が必要だと言い聞かせ、酸欠で朦朧とする頭をフル稼働させて思索を巡らせた。

 まず、

 酸欠状態の自分達だが、止めを刺される時はあとほんの少しだけ先だ。意識がまだ残っているのもそうだが……周りにいる無数の魚達が、未だこちらに襲い掛かろうとしないためである。

 最初魚達が襲い掛かってこないのは、マッコウクジラが原因だと継実は考えていた。実際全く気にしていないという事はあるまい。だがそれよりも重視していたのは、恐らくフジツボの方だ。フジツボが元気に栄養を吸っているから近付きたくない。おこぼれは欲しいが、フジツボ達の機嫌を損ねるリスクは犯したくなかったのだろう。

 それほど恐れられているフジツボだが、しかし魚達がこうして暮らしている事から、間違いなく対策はしている筈。恐れているのはフジツボの数が多いと対策が通じなくなるのか、はたまた単に鬱陶しく思っているだけなのか……


「(って、そんなの今は関係ない!)」


 意識が朦朧としているからか、関係ない方に考えが逸れてしまった。頭を海中で振りかぶり、再び継実は思考の海に飛び込む。

 意識が逸れたといったが、しかしよく考えてみればそれは無意味な詮索ではないだろう。魚達はこの海で暮らしていて、フジツボに対してなんらかの対策をしている筈なのだ。だからそれを真似すれば、もしかしたらこの状況を逆転出来るかも知れない。

 マッコウクジラの上にいた時は出来るかどうかも分からなかったので一旦保留にしてたが、ここまで追い詰められたら最早その対策に縋るしかない。

 そしてヒントはある。魚達やその他動物達などこの付近に生息する生物の能力だ。ミュータントが誇る超常の力を破るには、同じく超常の力を用いるしかない。能力をそのまま使っているとは限らないが、応用するなどして対応している筈だ。

 そう、きっと今もやっているに違いない。


「(一体何をしている……!?)」


 継実は薄れそうになる視界をこじ開け、周りを見渡す。

 自分達の周りをぐるぐると回遊する、多種多様な魚達。ギラギラと食欲を滾らせた瞳が、こちらをじっと見つめていた。

 モモが釣り上げた二種類の魚の姿はすぐに見付けられた。マグロのような魚は身体をぶるりと震わせながら発熱し、サバのような魚は遠赤外線を放出している。その近くを泳ぐサメはバチバチと稲妻を走らせ、電気を纏いながら泳いでいた。

 イワシのような小魚が無数にいたが、それらは引力を操る力があるのか、体表面の組織を高密度で保持している。クラゲとウミガメは身体を震わせ、衝撃波を発し続けていた。海鳥は身体が赤熱するような速さで海中に突入し、チラチラと継実達を見ては浮上している。

 一体なんだ? この海域の生き物達は、一体どうやってフジツボを撃退している? モモが釣り上げた魚、釣ろうとした魚の能力はなんだったか? そして今、自分達を襲おうとしている生き物達の能力は――――


「っ……!」


 考え続ける継実だったが、もう息が続かない。ごぽりと口から出てきたのは二酸化炭素と窒素の泡で、酸素なんてもう何処にもなかった。

 フジツボが体内の酸素を吸い尽くしたのだ。

 そうなれば継実の身体から酸素を得ていたフジツボ達も、勿論酸欠になる。しかし奴等は別段継実達の身体に拘る必要はない……いや、或いは次のステージに達したというべきなのか。

 継実の全身から、ぼこぼことフジツボが姿を表し始める。

 手も、足も、胸も背中も額も関係ない。フジツボ達は全身の至るところの皮膚を突き破り、表にその姿を晒す。宿主に与えるダメージなどお構いなし。出血の赤さが海中に広がり、フジツボの白い身体という、グロテスクな紅白模様が海中に描かれる。フジツボ達の先端の蓋が開閉しているのは呼吸のためかも知れないが、継実の身体から未だ酸素を奪い続けていた。

 奪うのは酸素だけではない。栄養分も未だ収奪し続けている。全身の細胞があらゆる物資の不足から、活性化どころか機能の維持すら覚束ない有り様。指一本動かすだけでも、鉛のように重くてどうにもならない。

 視界は掠れ、身体は動かず。それでも継実は僅かな気力を振り絞り、モモとミドリに目を向けた。目にエネルギーを集結させてなんとか視力を確保してみれば、ミドリも自分と同じく全身からフジツボを生やし、紅白の美しくて不気味な色彩を滲ませている姿を目の当たりにする。モモの姿は何時もと変わらないが、身体から赤黒いものが滲み出ていたので、体毛で編まれた身体の下は継実達と似たような状態だろう。

 三人全員、ろくに戦える状態じゃない。いや、逃げる事すらろくに出来ない体たらくだ。

 これだけでも最早詰みに等しいのに、状況の悪化は止まらない。継実達の出血に反応したのか、周りの魚や生物達がざわめき始めたのだ。泳ぐ速さが増し、一層ギラギラとした眼差しでこちらを見つめ、堪えられないと言わんばかりに口をパクつかせている。水中なので涎は確認出来ないが、今頃だらだらと撒き散らしている事だろう。

 海洋生物達の食欲は極限まで膨れ上がっている。今はまだフジツボを警戒してか襲い掛かってこないが、そろそろ我慢出来なくなった奴が出てきてもおかしくないだろう。その中で一番短気な一匹が動き出せば、釣られて周りの何百何千も動き出す。動かねば食いっぱぐれてしまうのだから。

 何時どうなるかは分からないが、そろそろ『終わり』が迫っている。これをご都合主義的な奇跡なしにどうにか出来るとは、継実には到底思えない。


「(ク、ソが……このまま、大人しく、やら、れてやる、もんか……!)」


 それでも継実は諦めない。終わりだとしても大人しく餌になるつもりはないと、全身の細胞からエネルギーを捻り出す。それこそ細胞が傷付こうと、生命力を削ろうとも、気にも止めずに。

 けれども意識の薄れは止まらず、ついに視界も真っ暗に染まってしまう。身体からも力が抜け、ふわりと海中に漂うだけ。

 そして、





















「チョーシに乗ってんじゃねぇぞ……」


 海中に響き渡るどす黒い声が、閉じかけた意識をこじ開けた。

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