飢餓領域08

 大きさは、ざっと一ミリからニミリ程度。

 それはあくまでも腕から部分だけのサイズなので、全体の姿はもう少し大きくなるだろうか。血塗られているので少し分かり辛いが色は白く、形状は先端に行くほど細くて底が平たい、だけど頂上はちょっと平らになっている、例えるなら富士山のような形だ。頂上の平たいところは奥が蓋のような構造をしていて、ぴったりと閉じている。

 表面の材質は岩のようにザラザラしていて、硬さは岩よりも遥かに頑強。全く動く気配もない。もしも異星人がこれを見たら未知の鉱石とでも思うかも知れないが、これでもコイツは地球生まれの、大して珍しくもない生物だという事を継実は知っていた。

 その名は『フジツボ』。

 岩礁などに付着している、海に行けば何処でも見られる生命体……それが継実ののだ。

 しかも何十もの数が、びっしりと。


「ひぃ!? な、なん、なんですか、それぇ……!?」


「あら、ミドリもフジツボなら一回ぐらい海で見てるんじゃない? 海の岩場とかに付いてたでしょ。アレよアレ」


 恐ろしく、何より生理的嫌悪を煽る光景にミドリが恐怖で顔を引き攣らせたが、モモに問われて一瞬怪訝そうな表情を浮かべた。

 そして思い出したのかハッとした顔になり、直後その顔は恐怖に染まる。


「あ、アレ、寄生生物だったんですか!? というか継実さんの身体の中にいるって事は、あたし達の身体にも!?」


「いや、岩場でプランクトンとか食べてる生き物で、別に寄生生物じゃないよ。ないけど、ミュータントだからどんな変化しててもおかしくないしなぁ……ミドリの身体にもいるのは、手触りで分かったし。多分モモとマッコウクジラにもいるんじゃないかな」


 ミドリの意見に否定とも肯定とも付かない反応を示しながら、継実はフジツボについて思い出しつつミドリに話す。

 フジツボは世界中の海で見られる、甲殻類の一種だ。

 それは七年前だけでなく、現代でも変わらない。あまりにも数が多過ぎる上に基本海中以外では動きもないので、目にしてもわざわざ認識する事もないような存在だ。一見すると甲殻類どころか生物であるかも怪しい外見であるが、硬い殻の中にはちゃんと節足動物が入っている。海中では殻の蓋が開いてブラシのような脚が出て、これで海中のプランクトンを掻き集めて食べるという。そして何処かに付着した後は、一切移動を行わない。筋金入りの固着生活者なのである。

 しかも彼等の付着場所は岩場だけに限らない。

 貝殻やウミガメの甲羅、更にはクジラの体表面などの生物体にも付着するのだ。付着するといってもこれらのフジツボは正確には寄生している訳ではなく、岩場なんてない大海原で住処を求めて適応した結果。そうしたフジツボは宿主の体組織に埋没し、組織へのダメージや泳ぐ時の抵抗増加などのちょっとした不利益を与えつつも、あくまで海中のプランクトンを食べて生きていた。少なくとも七年前の文明崩壊前までは、寄生性のフジツボは発見されていない。

 しかしミュータントの適応力の凄まじさ、或いは貪欲さを思えば、生体組織という栄養分の塊に手を付けないとも考え辛い。そもそも人類が全てのフジツボを発見していたとは限らず、これまで確認されていたものとは全く異なる生き方の種が何処かにいても不思議はないだろう。

 そう、それが実在する理由なんていくらでも考え付く。だから大事なのは、自分の身体を襲っている事態を正確には把握する事。

 生物体から栄養を奪い取る、寄生生活に特化した新種のフジツボ――――それが自分達の身体に取り付き、そしてこれまで栄養分を奪い取っていた元凶なのだと。


「(肉眼での確認は出来るけど、能力を使った索敵には引っ掛からない……隠密に特化した能力か)」


 恐らく、この辺りの海中には無数のフジツボ幼生が漂っているのだろう。マッコウクジラは泳ぐ中で、継実達は波などを被った際にその幼生が身体に付着。幼生は体組織内に潜り込み、栄養分を吸いながら着々と成長していた訳だ。

 そしてこの寄生フジツボは、この海域の生物にとってはごく有り触れた存在に違いない。マッコウクジラの周りに集まった魚達はフジツボにやられた生物の『末路』を知っていて、やがて力尽きると知っていたから集まっていたと思われる。

 ……当の魚達自身は、寄生されないよう様々な対策を施しているのだろうが。そうでなくては寄生された継実達に近付くどころか、この海で暮らす事など出来まい。


「(つまり、なんらかの対処方法がある訳だ)」


 最低一つは、この厄介な寄生生物を撃退する術がある。少しだけ気が休まる情報だ。

 とはいえそれを継実達が使えるとは限らない。自然界というのはゲームのように、『主人公』なら攻略出来るという風には作られていないのだから。撃退可能という事実は、継実にとっては気休め程度の価値しかない。

 されど何はともあれ、色々試してみなければ始まらない。それに現状はあくまで異変の正体を見破っただけ。タイムリミットが刻々と迫っている現状に変わりはなく、のんびりと考えている暇などないのだ。幸いにして相手は筋金入りの固着生物。考え付いた作戦を実行するのに、大して苦労はないだろう。


「さぁーて、犯人を見付けた訳だけど、どーすっかなぁこれ」


「そりゃ、最初は物理的に除去でしょ」


「あんま上手くいく気はしないけど、やってみないと分かんないか」


 モモからの提案に従い、継実は物理的除去――――つまり攻撃による破壊を試みる。

 まずは爪先でガリガリと引っ掻いてみる。ただの引っ掻き攻撃に見えても、ミュータントの爪と力でこれをやれば合金ぐらい簡単に傷付けられる威力だ。人類文明が作り出したどんな装甲でも、自由に破壊しただろう。

 しかし此度の相手は超合金なんて『軟弱者』ではなく、見た目からして防御特化のミュータント。引っ掻いてもフジツボ達に傷が付く気配はない。むしろこちらの爪が砕けそうだと継実は感じた。このままやっても埒が明かないだろう。

 ならばと、次は指先から粒子ビームを撃ってみる。

 勿論普段撃っているようなものではなく、直径一ミリ程度の極細ビームだ。照射するエネルギー量も少ない。しかしその分密度は高くしており、単位面積当たりの威力は普段のものより数段強力なものとなっていた。この一撃で粉砕、それが出来なくても焼き払ってしまおうという目論見である。

 されどこれも通じない。フジツボ達の白い甲殻は途方もなく頑丈で、粒子ビームを容易く弾いていた。照射された場所の温度も殆ど上がっていない有り様である。耐熱性、或いは断熱性も極めて高いらしい。

 このまま攻撃を続けても無駄だと判断。継実は粒子ビームを止め、苦々しく顔を歪めた。


「駄目だこりゃ、私の力じゃ壊すのは無理だな。後はどうしたもんか……」


「じゃあ、とりあえず肉ごと削いでみる?」


「そっ……!?」


 モモが提案した生々しい作戦に、ミドリがギョッとした表情を浮かべる。

 自分の肉を削ぐというのは、『文明的』な価値観でいえば背筋の凍るような処置だろう。七年前なら継実だって拒んだに違いない。

 しかし今の継実は躊躇わない。心臓を貫かれたり、足一本持っていかれたりするぐらい日常茶飯事なのだ。今更腕の肉をごっそりと削ぐぐらい、掠り傷のようなものである。

 「まぁ試しにね」と言って継実は躊躇いなく自分の腕の肉を削ぐべく、もう片方の手を肉が剥き出しになった腕に突き立てた。ミドリがもう何に怖がっているのか分からないぐらい複雑な表情を浮かべていたが、継実は構わずぐりぐりと、骨が露出するぐらいの勢いで自分の肉を穿ろうとする。

 ところがこれが上手くいかない。


「(硬い……いくらなんでも硬過ぎる)」


 自分の腕が、あまりにも硬くなっていたがために。

 継実の身体は原水爆の直撃ぐらいなら、問題なく耐えるだけの強度を有す。その気になれば表皮だけでなく、内臓や血管も同程度の頑強さを持つ事が可能だ。

 しかしそれは粒子操作能力の応用であり、継実の意思でコントロール可能な性能である。今回のように自分の身体を抉りたいと思えば七年前の時よりも柔らかくする事だって難しくない。そもそも継実の『腕力』を用いれば、自分の身体の硬さを乗り越えるぐらい造作もないのだ。硬くて抉れないなんて、普通ならあり得ない。

 尤も、普通の状態でない事など最初から明らかである訳だが。


「このフジツボ、私の身体をなんらかの方法で頑丈にしているのか……!」


 全てではないにしても、心臓を貫かれても平然としているのがミュータント。寄生箇所の肉を削ぐ程度の対策は、きっと幾度となく行われてきた事だろう。故にフジツボはその攻撃に対応すべく、自分の周りを硬くするような力を持つに至ったのだ。

 ならばと継実は腕を形成している粒子に能力を発動。分子結合を解き、バラバラにしてやろうとしたのだ。その後再度結合すれば腕は元通りで問題解決……となる筈だったが、何故か上手く腕がばらけてくれない。なんらかの力で強引に『纏められている』ような感覚がある事から、フジツボが能力で妨害している事が窺い知れた。この強引な方法も通じないらしい。

 この調子だと腕ごと切り落とそうとしても、恐らく防がれるだろう。


「まぁ、こんな簡単な方法で引き剥がせるなら苦労はないわよねぇ……継実、ちょっと電気流すわよ」


 モモはそう言うと継実の、肉が剥き出しになった腕に触れた。

 電気攻撃でフジツボを撃退出来ないか確かめるつもりだ。ならば他人じゃなくてまずは自分の身体で試せ、と言いたいところだが……モモの電撃はあくまでも体毛を擦り合わせて生み出したもの。そのため実のところ、モモの『本体』はミュータント化していないパピヨンと同程度の耐久性しか持ち合わせていない。

 当然普通のパピヨンは雷以上の電撃に耐えられるような強さなんてなく、モモは自分が作り出した電気を自分に流す事が出来ないのだ。正確にはやってやれない事はないだろうが、力加減が難しく、そして加減した力では仮に弱点だとしてもミュータント化したフジツボには通じないだろう。しかし継実の身体であれば、生身でモモの電気に耐えられる。

 七年間の付き合いがある継実とモモは、わざわざ言葉を交わさずとも事情を知っている。準備が済んだと示すために頷けば、モモはすぐに触れている指先から電流を流してきた。

 流し込まれる雷以上の電撃。継実は自分の身体の水分と塩分濃度を調整し、その電流をあえて全身に流す。抵抗しようとすれば電気が熱に変わり、全身を焼いていく事だろう。しかし大人しく流してしまえば、継実の身体が電気で壊される事はない。

 対してフジツボはどうか? 果たして無事に耐えられるのか。

 答えは――――なんの問題もない、だった。

 フジツボの表面は優れた抵抗性を発揮。流れてきた電撃を、さながら絶縁体のように防いだ。電撃がフジツボ内部に流れる事はなく、全て弾かれてしまう。

 この方法も通じず。


「ちっ……効いてないわねこりゃ。この辺を泳いでるサメが電気使いだったし、電気ならいけるかもって思ったんだけどね」


 モモなりに考えた作戦だったようだが、効果がないと分かればすぐに止める。電撃を止めた後モモの息は上がっていて、今の電撃で相当消耗した事が窺い知れる。

 元々自分達はかなり体力を消耗している状態だった。身体の小さなモモは蓄積しているエネルギーが少なく、特に消耗が激しくてもおかしくない。これ以上消耗すればいよいよ命が危ないだろう。もうモモに能力はあまり使わせられないと継実は思う。

 次なる手は、ミドリに頼む。


「ミドリ、コイツ等の神経の中身をぐっちゃぐちゃにしてやって!」


「は、はい!」


 ミドリの脳内物質操作をフジツボ達に喰らわせる。甲殻の強度は確かに驚異的だが、ミドリの能力なら硬さなど関係なく貫通する事が可能だ。そして甲殻類であるフジツボの脳は脊椎動物と比べれば極めて単純だが、それでもなくてはならない器官の一つ。神経系を狂わされれば速やかに死に至る筈だ。

 とはいえミュータントは何故かこの攻撃に対する耐性持ちばかり。だからフジツボ達に通じるとは正直継実は思っていなかったが……恐らくフジツボ達は本当になんの防御策もなかったのだろう。


「ぅぐあ!?」


 

 ミドリからの攻撃を受けて、フジツボ達はイオンチャンネルを著しく狂わされたのだろう。そしてその濃度を体内の物質や能力で調整する事は出来なかった。

 しかし自分の体内物質の濃度を、自分の体内だけで調節しなければならないなんてルールはない。

 攻撃を受けたフジツボ達は、継実の神経系にあるイオンを急速に吸い上げ始めたのだ。攻撃により足りなくなった物質は外部から補給すれば良い。なんとシンプルで分かりやすく、何より効果的な対処方法なのか。

 それにこの方法なら、攻撃が通じなくなる事と宿主の体内イオンの枯渇が同義。『治療者』が患者を殺して、初めてフジツボはダメージを受けるようになる訳だ。治療そのものを無駄な行いにされてしまっては、治療者にはもう手出しも出来ない。


「え!? つ、継実さん!? ど、どうしたのですか!?」


「だ、大丈夫……なんとかした、けど……駄目だ。その攻撃は、こっちの身が持たない……」


 継実の言葉で、自分の力が悪い方に働いたと察したのだろう。ミドリはすぐに能力を止め、後退りし継実から離れる。ミドリはすっかり怯えたような表情を浮かべていた。

 命じたのはこっちなんだから気にしなくて良いよと継実は伝えたが、それでもミドリの顔の曇りは消えず。申し訳ない事をしてしまったと反省するが、後悔している暇は残念ながらない。

 直接的な除去は駄目。電撃も駄目。イオンチャンネルの掌握も駄目。

 思い付きでそれぞれの得意な技で攻撃してみたが、まるで効き目がない。一体この頑強な甲殻類は何が弱点なのか、継実は答えを得ようと思考を巡らせる。

 ――――時間さえあったなら、継実は答えまで辿り付けたかも知れない。

 されど敵の正体に気付くのに、あまりにも時間を掛け過ぎた。例え数分程度の遅れだったとしても、いや、数秒でも遅れたなら勝機が変わってしまうのが今の世界だというのに。

 愚鈍なモノの末路は一つ。


「も、もう……無理なんだぁ」


 終わりを告げるのは、マッコウクジラのギブアップ宣言。

 継実が反応を示すよりも早く、マッコウクジラの身体が一気に海へと沈み始めた。

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