飢餓領域07

 新たな『異変』の最初のターゲットとなったのは、継実だった。とはいえピンポイントで狙われた訳ではなく、ただ単に誰よりも一番最初に攻撃を受けたというだけの事。


「ぐ、か……あっ……!?」


 声を絞り出しながら、継実は己の喉を掻き毟る。口をパクパクと開閉させ、荒い呼吸を繰り返す。

 だが、息苦しさは消えない。

 『窒息』しているのだ。正確にはそこまで辛い状態ではないが、明らかに身体に酸素が足りていない。それは感覚的な話ではなく、能力による解析で把握した血中酸素濃度からも確かな事だ。

 見ればモモとミドリも苦しそうにし、ミドリはぺたりとその場にへたり込んでいる。マッコウクジラの様子は分からないが、彼の血中酸素濃度も低下している事から、少なくとも真っ当な状態ではないだろう。ぶしゅうぶしゅうと、上向きの鼻穴が荒々しく息をしている事からも彼の苦しさが窺い知れた。


「継実……正直、ヤバいわ。力が全然出せないから、小さな魚も釣れやしない。補給は、ここで打ち止めよ……」


 体力回復用の魚を釣っていたモモから上がる報告。酸素がなければエネルギーが作られないのだから、血中酸素濃度が低下すれば力が出ないのは当然だろう。ミュータントの能力が量子ゆらぎという無限の力から引き出されていても、その使用にはカロリーが必要なのだから。

 魚というカロリー供給がなければ、いよいよ体力を回復する術がない。時間稼ぎも出来なくなり、継実も僅かに焦りを滲ませた。

 尤もマッコウクジラが突如として沈み始めた事に比べれば、些末な焦りだったが。しかも頭を下にした自主的な潜航ではなく、横たわったままの体勢で沈む……まるで『沈没』するかのように。


「きゃあああああああああっ!?」


「ちょ、沈んでる沈んでる!? もうちょっと頑張ってよ、ほら!」


 悲鳴を上げるミドリの傍で、モモがばしんばしんとマッコウクジラの背中を平手で叩く。

 酸欠で力が衰えているとはいえ、ミュータントのパワーであれば一般家屋を粉砕する程度の破壊力はあるだろう。それだけの強さで叩かれれた事で気合が入ったのか、マッコウクジラはびくんっと身体を跳ねさせるや大慌てといった様子で浮上。どうにかもう一度海面近くまで浮かんでくれる。一息吐いたようにぶしゅっと潮を吹く。


「あ、危なかったんだなぁ。危うく寝るところだったんだなぁ」


 そして彼の体調が、継実の想像以上に悪い事を語った。


「寝たら死ぬって、雪山じゃないのに聞く羽目になるとは思いもしなかったわ……」


「彼が寝たら、あたし達も連鎖的に死にますけどね……いや、あたし達の方が先に死ぬかも……正直あたし、今かなり眠くて……」


 モモの言葉に、ミドリが弱音を吐く。虚ろなミドリの眼差しに悪質な冗談を言う気力なんてない。何処までヤバいかは分からないが、あまり長くは堪えられそうにない様子だった。

 勿論問題は自分達とマッコウクジラのどちらが先にくたばるかではない。このままではタイムリミットはそう遠くないという事だ。


「(考えろ……考えろ……身体は動かなくても、まだ頭は働くんだ……考え続けろ……!)」


 正体不明の存在からの攻撃。何はともあれ、何かを知らねば対策など出来やしない。酸欠の苦しみに藻掻きながらも、継実は思考を巡らせる。

 まず自分の身体に起きている異常を振り返る。最初は熱と栄養素が体表面に移動して消えている状態だったが、今では酸素も同じように消えている。状況は悪化しているが、同じパターンの現象である事から攻撃方法は今までと変わっていない筈。第三勢力が現れたという考えたくもない事態ではないだろう。

 熱と栄養素、酸素は体表面で次々と消えている。消えるといえば以前草原で戦った黒い宇宙生物『ネガティブ』を思い起こすが、アイツはあくまでも触れたものを消滅させていた。それに姿を隠すような力も持っていないと思われる。隠していた、或いは個体によって能力が大きく異なるという可能性も否定出来ないが、否定出来ないだけで高くはない。

 恐らく敵はなんらかの海洋生物の『一種』のみ。そいつは虎視眈々と継実達が弱る時を待っている筈だ。しかし周りを見渡しても、怪しい姿は何もない。姿を消している可能性もあるが、そうなるともう何処に隠れているかなんて分かりっこないだろう。

 いや、もしかしたら自分の近くに居るのではないか。獲物が力尽きるのを虎視眈々と狙っている可能性があるので辺りを見渡して……


「(って、考えが一周して元に戻ってるし! もっと別の案を出せ私の脳みそ!)」


 自分の脳を叱責してみるが、何度考えても同じ考えしか過ぎらず。頭を振りかぶって古い考えを追い出しても、何度も何度も同じところで詰まってしまう。

 結局のところ、情報があまりにも足りない。

 同じ情報を用いて同じ人物が考えたところで、行き着く先は何時だって一つだ。思考の転換を行うには、新しい刺激がなくてはならない。しかし新たに起きた血中酸素濃度の低下も、起きている事象としては今までと変わりない。何か、別角度から見るための情報はないのか。

 探せども探せども、継実には見付けられず。そうなると家族達に頼らねばならない。

 そこで尋ねるは、今も周りを索敵し、一番多くの上方に触れているであろうミドリ。


「ミドリ。なんか、周りにいない? 少しでも変なものがあったら、教えて」


「いえ……あたしもさっきから、周りを観察しているの、ですが……全然何も……お腹が空き過ぎて、力も出ませんし……」


「辛いと思うけど、もう少し頑張って。今はあなただけが」


 頼りなの――――そう励ましながら、継実はぽんっとミドリの背中を撫でる。

 瞬間、継実はその目を大きく目を見開く事となった。


「……継実、さん……?」


 固まってしまった継実を怪訝に思ったのか、ミドリは不安げに声を掛けてくる。しかし継実は固まったまま。

 それどころかさわさわと、撫で回すようにミドリの背中や腕、腹などを触り始める。いきなりの、しかも緊急事態の中でのセクハラ紛いな行為。ミドリは拒むよりも、困惑したように目を白黒させた。


「……クソッ! そういう事!?」


 そして継実が声を荒らげて叫べば、ミドリはびくりと跳ねるように驚く。

 されどミドリの目には活力が戻る。モモも継実に期待したような目付きを向けてきた。継実が、ようやっと真実に辿り着いたのだと理解したがために。

 しかし継実の顔に余裕は戻らない。ミドリを触っていた手を引っ込めるや、今度は自分の腕を掴むように触る。そうすればミドリに触れた時と同じ感覚が得られた。

 が。

 それを感じた継実は身を強張らせた。ミドリがキョトンとした顔で見てくるが、申し訳ないがそれどころではない。

 継実も改めて自分の身体をあちこち触れてみる。すると何処を触ってみても、ミドリの肌と同じような感触があるではないか。続いて触ったモモの身体からは何も感じられないが、彼女の『本体』は見た目の身体の奥深くにあるもの。こんな偽物の表面を触ったところで何も感じられなくてもおかしくない。


「(ああもうっ! 灯台下暗しとはよく言ったもんね! こんな近くにいたのに今まで気付かなかったなんて!)」


 継実は今になってその正体に気付く。

 故に継実は、自分の腕を掻き毟った。

 ただ爪を立てて掻くだけではない。ガリガリと激しく音を鳴らし、自分の肉を引き裂くほど強く力を入れていた。普通の人間ならばそんな事をしても簡単には傷付かないが、ミュータントの力を用いれば造作もない。皮は一発で破れ、肉片と血が辺りに撒き散らされた。

 飛び散る血肉を見たミドリが顔を青くしながら、止めようとしてから継実へ手を伸ばそうとする。が、モモがその手を掴んで引き止めた。

 モモは察したのだ。継実の気付いた事に。

 それを証明するためにも、継実は更に自分の腕の皮を掻いて掻いて掻き続ける。血と肉を撒き散らし、核攻撃でもビクともしない身体をボロボロにして……


「……ようやく見付けた」


 やがてぽつりと独りごちた。これまで向き先を見付けられず溜め込んでいた闘志を瞳に宿し、ようやく出会えた嬉しさを表すように口元に笑みを浮かべて。

 何故なら真っ赤に染まり、凸凹とした自分の肉の中に、白くて硬質の物体が無数に埋もれているところを目にしたのだから……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る