飢餓領域06

 異変に気付いたのは、マッコウクジラが休憩を初めて数分と経たずの事だった。


「……!」


 海に投じていた釣り糸がピンッと張った瞬間、モモはすぐさま体毛を引っ張った。糸はモモの怪力で引き上げられ、水中に沈んでいた部分が一気に海上へと飛び出す。

 糸の先端は一匹の魚――――サバのような魚の頭に突き刺さっていた。餌も針も付いておらず、最早釣りではなく漁。しかしそれに継実が文句を言う事はない。

 魚は釣り上げられてすぐ、反撃としてモモに向けて強力な閃光を放つ。継実の目で観測した限り、閃光の種類は遠赤外線。遠赤外線には物体を加熱する作用があるため、これで敵であるモモを焼き殺そうとしているのだろう。熱に弱いモモにとっては厄介な攻撃だが、しかしモモの動きの方がずっと早い。モモは体毛に電流を流し、魚をその電流で焼き殺そうとする。

 魚もまたミュータントであるが、しかしモモの超高圧電流には耐えられなかったらしい。魚は自由落下で海面に落ちた後も動かず、ぷかりと身体が浮かび上がる。

 モモはすぐに糸を引っ張り、マッコウクジラの背中に魚を揚げた

 直後、傍に居た継実とミドリと共にその魚に食らい付く。素手で魚の頭を、身体を、尾ビレを掴み、そのまま力で引き千切った肉を三人は自らの口へと突っ込む。理性も何もない、獣そのもののような食べ方だ。

 そうして血肉を胃へと流し込んだ継実は、思う。


「(全然、足りない……!)」


 途方もない空腹感が、まるで癒える気配がないと。


「モモ……お腹、少しは満たされた?」


「駄目ね。全然足りないし、疲労感も酷い。ミドリは?」


「あ、あたし、もうお腹空き過ぎて……目眩が……」


「マッコウクジラはどう? 疲れは、少しは取れた?」


「だ、駄目なんだなぁ。休んでるのに、なんか、どんどん疲れてきたんだなぁ」


 尋ねてみれば継実だけでなく、モモとミドリも強烈な空腹を訴える。休憩に入ったマッコウクジラも更なる疲労感を訴え、体調が回復する気配もないらしい。

 継実達全員が謎の空腹感や疲労感に見舞われている。そしてどれだけ食べても、休んでも、状況は良くなるどころか悪化する一方。

 確かに自分達ミュータントが空腹に弱い事は、継実も理解している。しかしだとしても今自分達の身を襲っている、尽きる事のない空腹感は異常だと継実は感じていた。なんらかの『外的要因』がなければ、こんな状況には陥らない筈だ。そして気分が悪い云々は兎も角、空腹を引き起こす自然現象などありはしない。

 つまり。


「(私達は、なんらかのミュータントから攻撃を受けている……!)」


 敵の姿はない。殴られたりビームを打たれたりなどの、ハッキリとした攻撃を見た訳でもない。それなのに『攻撃を受けている』なんて状況はあり得るのか?

 答えはYesであり、何もおかしな話ではない。ミュータントはあちこちにいるのだから、こうして自分達に攻撃を仕掛けてくる奴がいても不思議はないのだ。それに宇宙すら誕生させたという量子ゆらぎの力により、ミュータントには超能力染みた能力がある。姿を眩ませたまま、原因不明の状態を引き起こす事も可能だろう。

 少しずつ疲弊する形だったがために、ただの空腹と見分けが付かず手を打たずにいたらこの有り様。気付くのが遅れたと継実は舌打ちをしたくなる。されどしたところで現状は何も変わらない。ならばやるべきは思考を巡らせる事だ。考えなければ道は切り開けないし、或いは閉ざされてしまうかも知れない。

 そして今考えるべき事は二つ。

 、それとである。


「モモ! とりあえず、魚を取り続けて! ミドリは出来るだけ周りを警戒! 変なものがあったら、なんでも良いから報告!」


「ええ、分かったわ……でもあんま期待しないでよ。何匹も釣り上げたから、そろそろ魚達が警戒してるわ」


「あたしも……さっきから周りは見てるんですけど、全然怪しい姿が見えなくて……お腹もぺこぺこで、集中力も持たないです……」


 素早く指示を出す継実だが、モモとミドリの答えは少し自信に欠けたもの。モモは手のうちがバレて、ミドリは疲弊により、指示を達成出来る自信がないのだ。

 もう少し早く動けていればきっと自信満々に答えてくれただろうに。自分の判断の遅れを責めたくなるという『無駄な行動』を堪えながら、継実は自分の頭をフル稼働させる。


「(まず、何をされているか。それが分かんなきゃ始まんない)」


 最初に把握しようとしたのは、自分達が『どんな攻撃』を受けているのか。それを知るためには、自分達の身に何が起きているのかを正確に把握する必要がある。

 ――――継実やモモ達を襲ったのは、空腹感だ。対してマッコウクジラは疲労感を覚えている。

 自分達とマッコウクジラの感覚には違いがあるようにも思えるだろう。しかし大きな視点に立って考えてみれば、ある共通点がある事にも気付く。


「(エネルギー不足、か)」


 空腹は正しくエネルギー不足の結果。疲労感には様々な原因(自律神経の疲弊や筋肉に蓄積したカリウムイオンなど)があるが、全身のエネルギーが枯渇した状態を『誤認』したという可能性もある。

 ではどうして自分達はエネルギー不足に陥っているのか。もっと正確に言うなら、どうすれば自分達をエネルギー不足に陥らせる事が出来るのか、という事だ。

 しかしこれは左程難しい問いではない。少なくとも継実にとっては。


「(身体の中の、あらゆるエネルギーが吸い尽くされてる。熱エネルギーどころか、血中の糖質や脂質も消えていってる)」


 粒子操作能力で身体の中を覗き見れば、自分の体温や栄養素がどんどん失われていると分かる。

 体温と栄養素は体表面まで移動すると、その存在がふっと消えてしまう。比喩ではなく文字通りに。移動は全身の至る所で起きていて、消失もまた同様に皮膚のあちこちで起きていた。能力をモモ達やマッコウクジラにも向けてみたが、彼女達の体内でも同じ事が起きていると確認出来る。

 体内から栄養素が消えれば空腹感を覚えるだろう。それに体熱が消えていけば恒常性維持のため細胞がフル稼働し続けて、筋肉なり自律神経なりに疲労感も募るだろう。エネルギー不足という仮定は誤りではないと、継実は確信した。

 『原因』を見付ける事は出来た。問題は此処からである。


「(一体何処から攻撃してるの……!?)」


 少なくとも自分の体表面を見てみても、何かが付着しているようには見えない。以前ミドリの血液を吸っていた蚊のように透明化している可能性もあると考えたが、手を振り回して身体の周りを探ってみたが怪しい手応えはなかった。身体にずしりとのし掛かるような感覚もない。

 近くに敵の存在はなし。ならば遠距離に何かが潜んでいるのか? そう思って継実は意識を周りにも向けてみるが……


「(……ちょっと多過ぎるなぁ)」


 周りには数えきれないほどの魚やサメが、マッコウクジラを囲うように泳いでいた。

 先程まで何故こんな動きをしているのか分からなかったが、今の継実になら分かる。この魚達は継実達の身に何が起きているのかを知っていて、弱り、息絶える時をじっと待っているのだ。よくよく観察してみればサメと小魚が、多少は距離を取っているものの、仲良く泳いでいる有り様ではないか。誰を狙っているのか、全く以て分かりやすい。

 分かりやすいが、しかし全員が同じ動きをしているとなればそれが混乱を招く。誰がこの事態の元凶なのか、その判別が付かないのだ。

 一種類の生物だけが集まっていたり、明らかに遠巻きに見ている奴がいればそれが犯人だと決め付けられるが、なければ判断なんて出来ない。通り魔的に攻撃を仕掛けたところで、それが偶々敵を打ち抜けば良いが、そうでなければ相手の警戒心を強めるだけだ。しかしじっくり考えてる暇はないだろう。今はまだマッコウクジラの実力が未知数なので魚達は襲い掛かってこないが、それも何時まで持つ事か……

 考えを巡らせていたところ、新たな異変が継実の身体を襲い始める。


「ぐっ……!? なん……」


 辺りを見渡そうとした首が上手く動かない。そう気付いて身動ぎしようとしたところ、それすらちゃんと出来ないと継実は気付く。


「う、動きが……」


「ぁ。く……」


 この異変は継実だけでなく、モモとミドリにも襲い掛かっていた。ミドリは特に状態が良くないのか苦しそうに呻く。

 恐らくマッコウクジラも似たようなものだろう。

 それは本当に不味いと継実は考える。マッコウクジラは水に浮いているが、力を抜けば沈んでしまうかも知れない。クジラは海の生き物だが、分類上はあくまでも哺乳類。呼吸は空気中で行わねばならず、水中では普通に窒息してしまう。

 マッコウクジラの場合筋肉中のミオグロビンに酸素を溜め込む事で一時間程度の海中遊泳が可能だと言われているし、継実も能力を使えば水から酸素を合成する事が可能である。だから水に沈んでもすぐには死なないが、体力の消耗は著しいものとなるだろう。魚達に全身を食い散らかされるという悪夢が、いよいよカウントダウンを始めたのだ。


「(こんな場所じゃなかったら、まだ手の打ちようもあったのに……!)」


 此処が陸地なら、ひとまず逃げてみるという手もあっただろう。

 しかし今の継実達がいるのは大海原のど真ん中。マッコウクジラを置いて逃げたとしても、相性の悪い魚や鳥達の猛攻を受けてズタズタに引き裂かれるのがオチだ。最早逃げる事すら出来やしない。

 大体にして継実は、マッコウクジラを置いて逃げるつもりなどない。

 逃げたところで裏切られたとは、マッコウクジラも思わないだろう。如何におっとりしてようと、どれだけ人間と親しかろうと、彼も本質的には野生動物。他者に助けてもらおうなんて『甘ったれた』考えなど持ち合わせていない。自分の力だけでなんとかしようとする。

 されど継実は人間だ。人間は甘ったれで、他力本願で、天から祝福されていると思い込む間抜け。そして突き付けられた現実を直視しない、理想主義者である。

 自分は当然助かる。そして自分以外も全員が助かる。

 それ以外の解決を認める気など、一切なかった。

 とはいえいくら継実が認めなくても、『攻撃者』は継実の気持ちなど汲みはしない。いや、或いは攻撃者もまた継実のような『理想主義者』かも知れず、そして継実以上の頑張り屋さんだったのか。

 『攻撃者』は自らの理想を叶えるために、次なる攻撃を仕掛けてきた。

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