飢餓領域05

 穏やかな潮風と太陽が照り付ける中での釣り。それは継実にとって初めての体験だった。

 いや、そもそも継実は小さい頃、親に魚釣りに連れていってもらった事がない。川釣りや海釣りだけでなく、釣り堀での釣りすらも。理由は親から誘われた事がないから。両親はそういうのは『男の子の遊び』だと思っていたのかも知れないし、継実自身女の子が釣りをするというのはちょっと変な事だと考えていた。

 実際にはそんなジェンダー的な規範に大した意味などないし、両親がその手の事でああだこうだと指示してきた記憶は継実にはなかった。だから興味がある事を隠さず伝えていれば……両親との思い出がもう一つぐらいは増えていたかも知れない。

 ともあれそうした事情から、釣り自体が今回初体験。やり方とかもよく分からないし、どうすればよく釣れるのかも知らない。どの程度釣れるのが普通なのか、どんな感じで釣れるのかも全部手探り。そうした試行錯誤自体は結構楽しいと継実は思う。思うが、しかしつまらない点もある。

 試行錯誤しようとするまいと、なんの反応もない時だ。


「……釣れない」


「釣れないわねぇ」


「釣れませんねぇ」


 継実のぼやきに答えるように、モモとミドリが同意する。継実は小さな息を吐いてから、自分が持つ『釣り糸』に目を向けた。

 釣には竿が付き物、と言いたいが、継実達は誰も釣竿なんて持っていない。釣り糸をぎゅっとその手に握り締めているだけ。その釣り糸も勿論ナイロンだのなんだのではなく、モモの体毛を一本拝借したものを使っていた。ちなみに釣り糸の先には『針』と『餌』が備わっているが、その針は継実の骨の一部を粒子操作能力で削り、整形したもの。針の先に付けている餌も継実の皮膚を抉って得た肉片である。

 色々生々しいが、実際古代人の釣りというのは ― 流石に自分の骨肉は使っていないだろうが ― 凡そこんな感じだったと考えられている。つまり動物の骨や体毛で道具を作り、釣り道具をこしらえていたのだ。人類が数万年掛けて作り出した技術はすっかり退歩して、釣りまでもすっかり原始的なものに。尤も継実達の毛や骨は、人類が最先端の素材として誇っていたナイロンや金属の何十倍、いや何百倍も強いが。

 ……しかしそもそも魚が食い付かないと、その強さも活かせない。


「うーん、糸が見えてて警戒してんのかなぁ?」


「そうかも知れないけど、それ以前に近寄ってくる気配すらないわ。餌が悪いんじゃない? 継実の生肉とかあんまり美味しくなさそうだし」


「ミュータントがそんな選り好みすると思う?」


「しないわよねぇ。何度喰われそうになった事やら」


「あははは……確かに日本から出る時は、サメどころか小魚にも襲われましたもんね、あたし達」


 ミドリは乾いた笑みを浮かべる。モモは自分の体毛を引き上げて餌の有無を確かめていた。骨で出来た針先には継実の肉片がちょこんと付いていて、魚が突いた形跡すらない。

 継実は粒子操作能力を応用し、自分の周りの海域を探知。

 すると魚影は存外ハッキリと、たくさん見る事が出来た。サバのような魚、カツオのような魚、サメのような魚。どの姿形もハッキリと捉える事が出来るし、運動量やどの程度の力を有しているかも窺い知れる。森の中などではこうもたくさんの生物を、そしてその詳細な情報を知る事など出来ない。それは森の生物が常に気配を消し、相手に存在を知られないようにしているからだが……どうやら大海原の生き物はあまりそれをやっていないようだ。大海原では姿を隠せるような障害物がないため、そうした性質を発達させたところで目視確認されて終わりだからだろう。気配を消すのに無駄なエネルギーを使うぐらいなら、他の事に力を割り振る方が効率的という訳だ。シンプルな環境では、シンプルな能力が一番強いのである。

 なので継実の目が捉えた、マッコウクジラからざっと半径二十メートルほどの、魚がいない円形のエリアには本当に魚がいないのだろう。

 魚達はマッコウクジラを恐れている。それは陸を離れてすぐに分かっていた事なのだが、どうやら餌に食い付く気すら失うほどの感情らしい。マッコウクジラは未だ周りの魚達を襲っていない筈なのに、実に警戒心の強い事である。

 ……という考えも出来るだろう。しかし継実の脳裏を過ったのは、確信ではなく深い疑念。


「(なんかこの魚達、随分となぁ)」


 マッコウクジラから二十メートルほど距離を取る。十分離れているようにも思えるが、マッコウクジラの体長は十六メートルもあるのだ。こちらより明らかにパワーで勝る相手に、相手の身体よりちょっと離れていれば安全とどうして思えるのか? 人間だったら何時襲い掛かってくるか分からない筋肉ゴリゴリの犯罪者から、二メートル程度しか離れていないのに「もう安心だ」と言っているようなもの。そんな奴がいたらハッキリ言って間抜けである。

 大体綺麗な円形を作っているというのも不可解だ。危険だと判断したなら、もっと遠くに逃げてしまえばいい。何十メートルでも何百メートルでも、海は広大なのだから自由に泳いでいける筈なのだ。勿論天敵の存在や他の生物の群れ、餌の存在などがあるので何時でも何処でも離れる事が正解とは言えないが、だとしても綺麗な円が見えるほどハッキリと避けていて、尚且つ離れていかないのは何かがおかしい。

 これではまるで、付かず離れずの距離を維持しているかのよう。


「(もしそうだとしたら、理由はなんだろう? なんでマッコウクジラから離れない?)」


 違和感が頭にこびりつく。考えないといけない気がして、思考がそちらに逸れていく。釣り糸を掴む手の力も、ちょっとずつ緩み――――


「やった釣れたわ!」


 しかし手放す前にモモがそんな声を上げたので、継実は驚いた拍子にきゅっと手を閉じた。それからぎょっとしたように目を見開いて、隣に座るモモに視線を向ける。

 釣れた、という言葉に偽りなし。モモの手には一匹の魚 ― 小さなマグロのような見た目をしている ― が握られていた……が、その魚は釣り針を咥えていない。代わりに髪の毛のように伸びているモモの体毛が一本眉間に突き刺さっていた。更に魚はびくびくと痙攣するように震えていて、明らかに『釣られた』という状況じゃない。


「……モモ。それどうやって釣ったの?」


「ん? 体毛を二十メートルぐらい先まで伸ばして、そこにいた魚の一匹に電撃喰らわせただけよ」


「あたしが魚の居場所を教えました。えっへん」


「ちょ、なんでチーム組んでんの!? ズルじゃん! 三人で勝負してたのに! というかそれもう釣りじゃないでしょ! ただの漁じゃない!」


「あら、チームを組んじゃ駄目なんてルールはなかったわよ? 餌を魚に食わせろってのもね……って、あっつぁ!?」


 尋ねてみればいけしゃあしゃあと答えられる不正。悪びれる様子もないモモとミドリだったが、調子に乗っていた最中モモが奇声を上げた。

 それと同時に釣り上げた魚を落とすと、魚はマッコウクジラの背中の上でじゅうっと音を鳴らす。

 どうやら魚は感電による気絶から目覚めた後、反撃として高熱を発したらしい。魚はマグロのような見た目をした種。マグロは釣り上げてすぐに冷蔵しないと筋肉の発熱により身が焼けて品質が低下すると七年前の世界では言われていたが、このマグロっぽい魚はそのメカニズムを利用して超高温を生み出したのだろう。体毛で編まれたモモの『手』が溶解していた事から、数万度程度の熱は出していたに違いない。

 かくして手を溶かされたモモは、されど怯みはせず。体毛で魚をぐるぐる巻きにすると電撃を流し、今度こそ止めを刺した。


「あー、ビックリした。私の手も溶けちゃったし……マッコウクジラ、大丈夫? めっちゃ熱いの落としちゃったんだけど」


「だなぁ? なんか落としたのは分かったけど、熱いかどうかは分かんなかったんだなぁ」


 モモが尋ねると、マッコウクジラは何一つ気にしてない様子で答えた。どうやら本当に何も感じていないらしい。

 マッコウクジラの巨大さ、それ故の強さを考えれば、モモがダメージを受けた熱量では何も感じないという事もあるだろう。或いは、耐熱性に優れる能力なのかも知れないが。


「全く、最初に狙いを付けたサメは同じ電気使いなのか電流が効かなかったし、ようやく釣ったのもめっちゃ熱いし。厄介な感じねぇ」


「まぁまぁ、釣れるだけ良いじゃないですか。これであたし達の勝利は揺らぎませんし」


「えっ!? 不正が発覚したのに続行するの!?」


「不正なんて知りませーん」


 継実の抗議を余所にミドリは堂々と試合続行を宣言。継実としては無効試合だと主張したいが、現状不正を働いた側が多数派という有り様だ。これではこちらが何を言っても通る訳がない。

 ぐぬぬと悔しがる継実を見れば、二人はいたずら大成功と言わんばかりに満面の笑みを返す。確かに魚を釣るのが目的だから勝ち負けはどうでも良いといえばその通りであるし、野生の世界で公平だの正々堂々だのというのは極めて無意味な意見だ。だから継実としても、本気で非難するつもりはない。

 が、負けっぱなしというのは悔しいので。


「(そー簡単に負けてやるもんか……!)」


 結構負けず嫌いな内心が、ふつふつと表に出てきていた。何がなんでも一匹『普通』に釣ってやると、継実は再び釣り糸の先に意識を集中させる。

 とはいえそれは遊びだから出てきた感情だ。七年間の野生生活で変わった心は、決して遊びを優先したりはしない。普段と比べれば油断しきっている本能も、七年間で染みついた癖により周りへの警戒はちゃんと行っていた。


「ところでマッコウクジラ。なんか速度が落ちてるみたいだけど、なんかあったの?」


 だからモモが発した言葉も、継実はきちんとその耳で捉えていた。そして釣りに意識を集中させながらも、その言葉の『意味』も考える。

 モモの指摘は決して勘違いなどではない。

 指標となる物体が何もない大海原で自分の速度を知るのは普通ならばかなり難しいが、継実の能力を使えば造作もない事。身体で感じる大気分子の流れと海水を構成している水分子の流れを計測すれば、自身の速度を導き出せるからだ。

 計算したところ、マッコウクジラの速さは時速五十キロほど。十分速いといえばその通りだが、出発時点で出していた時速百キロと比べれば格段に遅くなっている。何か、体調が優れないのではないかと思うのが自然な事だろう。


「うーん、なんか疲れたんだぁー」


 その考えの通り、マッコウクジラは自身の疲労を訴えた。

 予想通りの答え。しかし継実とモモは同時に首を傾げる。


「……アンタ、随分体力ないのね」


 ミュータントのスタミナは無尽蔵だ。継実でも粒子ビームや隕石級のパワーを繰り出しても何十分と戦えるほどに。モモも似たようなタフさであるし、ミドリは劣るがそれでも超音速で何百メートルと走り続けるような体力はある。

 たったの時速百キロで一時間も経たずに疲れてしまうなんて、いくらなんでも軟弱過ぎるというものだ。


「うう。そんな事ないんだなぁ。でも今日は凄く疲れるんだなぁ」


 マッコウクジラ的にも自分の疲労感に納得はしていないらしい。とはいえ疲れている事は否定せず、時速五十キロという速度すらも現在進行形で少しずつ落ちている。


「(まぁ、あまり無理しても仕方ないか)」


 それを聞いて、継実は休ませてあげるべきかと考えた。

 疲れている事は事実なようなので、それを咎めても仕方ないだろう。それにもしかしたらこうして海面に背中を出している状態が、思っていた以上のストレスになっている可能性もある。圧倒的体格差で周りの魚達を圧倒しているマッコウクジラだが、疲れきった状態で襲われたら流石に危険かも知れない。

 何より自分達は運んでもらっている身。遅くなった事に対して文句を言うのも筋違いというものだ。疲れたというのなら休ませて、万全の体勢になってもらう方が良いだろう。


「そっか。何処かで休憩する?」


「するんだなぁ。泳ぐの止めて、浮いてるんだなぁ」


 継実が尋ねると、マッコウクジラはすぐに動きを止めた。乗っている側である継実達にも分かるぐらい脱力して、余程疲れていた事が窺い知れる。

 運んでもらっている身である自分達に何が出来るだろうか? 少し考えてみれば、案は簡単に思い付く。


「大きい魚、釣れないかなー」


 故に継実は自分がその手に持った釣り糸の先を巻き上げた後、今までよりも遠くに投げ飛ばすのだった。

 そう、それだけで十分だと考えて。

 既に『攻撃』は始まっているのだとは、気付かぬまま……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る