第八章 飢餓領域

飢餓領域01

 何処までも広がる、大海原。

 空に広がる青空と同じ色が地平線の先まで続いている。天頂で輝く太陽の光を受けて表面はキラキラと輝き、透き通った水の色合いと合わさって非常に美しい光景を作り出していた。海鳥達の飛ぶ姿、魚の跳ねる姿も見られ、此処にも多くの生き物達の息遣いがあるのだと視覚的に訴えてくる。

 海というのは世界中に存在するもの。けれども同じ景色というのは、どうにもないらしい。果ての見えない美しさは、見る者に感動を与えるだろう――――


「いや、こんなに海が広がってる訳ないんだけど」


 そんな景色に対して、ゴミ一つ落ちていない美しい砂浜から海を眺めている継実はぽそりとツッコミを入れた。仁王立ちしながら鋭い目付きで見つめる姿に、海を楽しむ素振りは微塵もなし。事実継実は、全くといっていいほど目の前の景観を楽しんではいなかった。


「? そうなのですか?」


「そうねぇ。確かに、此処に来て海しか見えないってのはないわよね」


 継実の横で首を傾げるミドリに対し、ミドリとは反対側の継実の傍に立つモモは納得するように頷く。ミドリはますます困惑した様子だったが、宇宙人である彼女にピンとこないのは仕方ないだろう。これは地球の『地理』の問題なのだから。

 大蛇とヒトガタの対決から生き延びてから事早三日。ニューギニア島の過酷な生態系の中で生活しながら南を目指していた継実達 ― ちなみに大型動物が殆どいない上に、細菌による分解が早くて毛皮も枯葉も得られなかったので、自前で用意出来るモモ以外は素っ裸である ― が辿り着いた此処は、かつてパプアニューギニア西部州と呼ばれていた一帯の海沿い……と思われる。何しろ人類文明が滅びているので「ここは〇〇の町さ!」というお約束的発言をしてくれる市民は勿論、地名を示す痕跡すら残っていない有り様。頭の中の地形と、自分達が歩いていた距離から居場所を推測するしかない。

 それでも凡そニューギニア島の南の端っこ、という事が確かなら十分。そしてこの場所からは本来、あるものが見えていなければおかしかった。


「……確信がある訳じゃないけど、此処はトレス海峡の筈なんだよ」


「トレス海峡、ですか?」


「そう。ニューギニア島とオーストラリアの間にある海峡ね」


 ミドリの質問に答えながら、継実は目の間に広がる『トレス海峡』について考えを巡らせる。

 トレス海峡はニューギニア島とオーストラリアの間に位置する海峡だ。南北に約百五十キロの長さに渡って存在し、人類文明全盛期には国際海峡……大まかに言えば各国の船が自由に行き来してよい海域に指定されていたという。とはいえ水深の浅い場所が多く、大きな船の航行には向かなかったようだが。そもそも文明が滅びて七年も経った今、国際海峡だのなんだのという話はなんの価値もない。

 今でも価値があるのは、地形的に関する情報だけだ。


「そんで此処には、がある筈なんだ」


 トレス海峡諸島はその名の通り、トレス海峡に浮かぶ島々の事。二百七十四もの島々から形成されており、島特有の生態系や文化が存在していた。

 これだけの数の島があれば、当然ニューギニア島近くに浮かぶ島も一つ二つではない。例えばサイバイ島という島に至っては、ニューギニア島から四キロほどしか離れていないほど近くに存在する。正しく目と鼻の先という奴だ。

 ちなみに身長百七十センチの人間の目に見える地平線というのは、約四・六キロ。つまりサイバイ島はニューギニア島から『目視確認』出来る距離にあるのだ。身長百七十センチ程度の継実なら確実に見えるし、継実より小さいモモでも体毛を使って背伸びをすれば見える筈。

 筈なのだが……


「……えっと、そのサイバイ島って何処にあるのでしょうか? あたしにはよく分からないのですけど……」


 ところがどうした事か。ミドリが遠回しながらも言うように、そのサイバイ島の姿は何処にも見えない。

 島が小さいからよく見えないのか? それとも天候の都合? どれも否だ。モモなら兎も角、成層圏から突入してくる直径数メートルの物体も視認出来る継実がその程度の悪条件で発見出来ない訳もない。能力を使って遠方の粒子の動きも把握しようとしてみたが、少なくとも島と言えるほど大きな土の塊は発見出来なかった。サイバイ島がこの近くにないのは間違いない。

 では継実達が来る場所を間違えたのか? その可能性については、継実にも否定は出来ない。継実達はあくまでもニューギニア島の南端を目指していただけで、此処が具体的にはなんという土地なのかも分からないのだ。そもそもこの島がニューギニア島だと信じているが、それすら勘違いだという可能性もゼロではないのが実情である。

 しかしながら否定出来ないだけで、そこまで可能性の高い話でもない。ミドリの広域索敵を応用して、この島の大きさぐらいは把握しているのだ。通ってきた道順や太陽の角度から計算して緯度と経度も求めている。此処はほぼ確実にニューギニア島だ。勿論緯度から、此処が島の南端である事も把握済み。

 では、何故サイバイ島が見付からないのか? 実のところ継実には一つ、確信している可能性がある。

 出来れば、そうあってほしくない可能性が。


「……消し飛んだか」


「え? 消し飛んだって……何がですか?」


「サイバイ島そのものだよ。何時かは分からないけど、あの化け物二匹のじゃれ合いに巻き込まれてさ」


 継実が語る可能性に、ミドリは表情を強張らせた。強張らせたが、しかしその口が否定の言葉を吐く事はない。傍に居るモモなど、それしかないと言いたげに苦笑いまで浮かべていた。

 ニューギニア島に辿り着いてすぐに見舞われた『生物災害』こと、大蛇とヒトガタの対決。

 二匹からすれば戦いごっこに過ぎないかも知れないが、継実達普通のミュータントからすれば正に破滅的な災禍だった。ならばミュータントどころか生物ですらない、小島という地形にとってあの二匹の対決はどんなものなのか? それこそ『神罰』が如く苛烈なもので、跡形もなく消えてもおかしくない。

 ニューギニア島はミュータントと化した樹木や草花などの植物達が根を張り巡らせる事で、結果的に固定されていたので大蛇達の闘いでも『消滅』はしなかったが……サイバイ島がそうだったかは分からない。もしもミュータント化した植物が少なかったら、島ごと消し飛んでも不思議はないだろう。いや、仮に島がミュータントに覆われていたとしても、力の強い個体群でなければ大蛇達の力には耐えられず、やはり消し飛んでしまう。

 サイバイ島がこの星から跡形もなく消えているという可能性は、かなり高いと継実は考えていた。


「(これは、想定外だなぁ……)」


 ミドリに話しながら考えていた継実は、大きなため息を吐く。

 日本を発った際、継実はニューギニア島からオーストラリアまでのルートは、左程問題はないと考えていた。

 何しろトレス海峡諸島の島はたった百五十キロの間に二百七十四も存在している。ご都合主義的に等間隔で並んでいる訳ではないが、それだけあれば島から島までの距離が何十キロも離れている事は、早々ないだろう。

 海を渡るのは危険だ。それは七年間暮らしていた草原を旅立つ時から分かっていたし、日本からフィリピンへと渡る時に嫌というほど体感している。故に出来るだけ、海を渡る距離は短くし、陸地で一休み出来る状態が良かったのだが……


「つーか、もしそうなら消し飛んでるのはサイバイ島だけじゃないかもね」


「そう、ですよね。他の小さな島ももしかしたら……」


「休める事を期待すると痛い目を見るかも。渡るなら百五十キロ渡るつもりでやるべきよ」


 モモの現実的な意見。確かにその通りだと継実も思うが、突き付けられた現実に頭が痛くなってくる。尤も、頭痛が何も解決してくれない事も明白なのだが。

 大きく、継実はため息一つ。

 それから大きく背伸びをしてから、継実は砂浜を歩き始めた。ミドリとモモはその後ろを何事もなく付いてきながら、モモが尋ねてくる。


「で? 何か良い案は浮かんだ?」


「良い案というか、先人に学んだというか?」


「つまり?」


 詳細を訊いてくるモモ。継実はすぐには答えなかったが、視線をある方角にちらりと向けて回答を示す。

 ――――まず認識すべきは、自分達だけではたった百五十キロの海すら満足に渡れないかも知れない事。

 秒速一キロ以上で飛べる継実でも、ざっと百数十秒が必要になる距離だ。二分ちょっとと言えば僅かなものに思えるが、しかし海には無数のミュータントが生息している筈。ミリ秒単位で幾つもの攻防を繰り広げる継実達にとって、百秒以上の時間は『長期戦』といっても過言ではない。大体継実達は日本から南を目指した時には、ほんの一キロも進めずに返り討ちに遭っている。目標百五十キロの百分の一すら行けないのが継実達の実力だ。一応ここまでの旅路で様々な敵と出会い、戦いを通じて成長してきたが……流石に半月も経っていないのに百倍も成長していると思うほど、継実は自惚れではない。

 自分達三人の力だけでの渡海は絶対に不可能。これが大前提だ。

 ではこの大前提を元に、どうすれば良いのかを考える。これは、決して難しい問題ではない。継実達は日本からフィリピンに渡る時、既にその解決方法を実施している。

 つまり誰かと協力する事。日本で出会ったツバメが自分一羽だけでの渡海は無理だと考え、継実達をボディーガードとしてスカウトしてきたように。犬であるモモが人間並の知性を会得したように、ミュータントとなった他の生物達にも相応の知識は宿っているのだ。話に興味を持つかどうかの違いはあれども、話そのものを理解出来ない訳ではない。

 そして当然ながら、協力話を誰かから持ち掛けられる時までじっとしている必要もなくて。


「駄目で元々だし、一回交渉してみない?」


 そういって継実は自分が進む先を指差した。

 海岸線の近くで何十メートルもの高さまで伸びている、巨大な『噴水』を――――

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