生物災害13

 ヤドカリが空を舞う。

 ヤドカリにとってそれは、初めての体験だった事だろう。表情などない甲殻質の顔が、明らかに驚きに染まっていたのだから間違いない。

 継実にとっても驚きだった。あんな浪漫しかないような技が、まさかこんなところで役に立つとは思いもしなくて。しかしこれは現実。手で感じる空気の感触がそれを物語る。

 継実は、ついに為し遂げたのだ。

 ヤドカリから、貝殻を奪い取るという目的を。


「――――早く入れぇええええっ!」


「ええっ分かってるわよ!」


「ひえええええっ!?」


 尤も感傷に浸る暇などなく継実は号令を出し、モモとミドリが大慌てで貝殻へと跳び込む。

 継実達は伊達や酔狂でヤドカリの殻を奪ったのではない。大海原で今も大暴れしている二体の化け物が繰り出す、破滅的な余波から免れるためにやったのだ。もたもたしている間に熱波やらなんやらが飛んできたら、折角の努力が水の泡……いや、プラズマ化して吹っ飛ぶ。


「ギィイイッ!?」


 殻を奪われたヤドカリもそれを理解し、大慌てで巻き貝の元に戻ろうとする。何故殻から出されたかは分からずとも、殻がなければどうなるかは分かっているのだから。

 モモとミドリを奥へと押し込み、継実も巻き貝の中へと入る。大きさ四メートルもあるだけに、継実達全員が入るスペースはあった。とはいえ、ちょっと窮屈ではあったが。しかしくだらない文句など言ってる場合ではない。

 モモが素早く体毛を伸ばし、継実がそれを粒子スクリーンで補強。鉄壁の蓋を作り上げる。

 遅れてやってきたヤドカリは、がんがんとその蓋を叩いた。衝撃で中の継実達を追い出す作戦か。貝殻の能力を自在に使えるという事は、貝殻の能力を消す事も出来るという事。ヤドカリに、この巻き貝が持つ物理運動操作の力は通用しない。

 けれどもそもそもパワーが足りなければ、継実が作った蓋は破れず。

 十秒も経たずに、叩く音は聞こえなくなった。しかし熱波の気配や地震がないので『災害』にやられたとは思えない。恐らく殻を奪い返すのは諦めたのだろう。他の貝を探しにいったのか、継実達のように誰かの貝殻を奪いにいったのか……

 いずれにせよ賢明な判断だ。出来ない事はさっさと諦め、生き残る可能性が少しでもある方に賭ける。絶望などせず、最後まで『生存』のために足掻く。生命の有り様として最も正しい振る舞い。今頃必死になって生きるための術を模索している事だろう。

 対してモモとミドリは、すっかり安堵した様子。蓋までした貝殻の中は真っ暗なので顔など肉眼では見えないが、脱力した気配や吐息からそれが窺い知れた。


「いやー、一時はどうなる事かと思ったけど、なんとかなって良かったわねぇ」


「はい……ほんとに、今度こそダメかと思いました……」


「でも貝殻は手に入れたし、これで一安心ね」


「はい! 島中の生き物が隠れるぐらいなんですし、きっと大丈夫ですよね!」


 わいわいと、明るい声で話す二人。

 二人はもうすっかり助かった気でいる。当然だろう。そういう話だったのだから。ニューギニア島の動物達は大蛇達の争いから逃れるために貝殻へと逃げ込み、その行動が『適応的』だったから子孫達にその行動が受け継がれたのだと。

 勿論継実もそれは否定しないし、今でもそう思っている。これは事実だ。事実なのだが……モモ達と違って気持ちは弛んでいない。むしろまだまだ普通に臨戦態勢。

 そう、継実は気付いてしまったのだ。或いは最初から知っていた事を、今になって思い出したというべきか。

 『適応的』である事は、のだと。


「……盛り上がってるところ、大変恐縮なのですが」


「何よ、いきなり畏まって。というかなんで警戒しっぱなしなの?」


「そーですよ。物理運動操作……反転? まぁ、そんな感じの能力がある貝殻なんですから、今更何を怖がる必要があるんですか」


「いや、まぁ、それなんだけどさ……もしかしたらなんだけどこの貝殻、壊されるかも」


「「……は?」」


 継実が語る言葉に、ミドリとモモが共に声を出す。首を傾げ、心底不思議そうな様子。

 正直、これを説明するのは色々心苦しい。けれども説明しなければ、きっと自分達はやっぱり生き残れない。だから継実は、自分が気付いてしまった事を話す。


「いやさ、この貝殻を背負っていたヤドカリなんだけど、なんで私らの相手なんてしていたと思う?」


「? 攻撃が鬱陶しいからじゃない?」


「じゃあ訊くけど、外が喧しいからってモモは寝床からのこのこ出てくるの? 外で巨大怪獣が暴れ回ってる時に」


「そんなの出る訳、ない……………」


「うん。出る訳がない。そんな時でも外に出る条件は、私が考える限り一つだけ」


 

 これが『無敵の防御』に守られている者が、わざわざ危険と手間を掛けてでも外に出てくる理由。今の住処が壊された時、裸一貫で脅威かも知れない連中が彷徨く中を彷徨い歩くぐらいなら、まだ余力がある時に危険因子を叩き潰した方が良い。

 つまりあのヤドカリは、殻にこもってばかりの状況ではいられないと認識していたのだ。しかもその状況は、『災害』真っ只中でも出てきてやらねばならない程度には、ごく有り触れた事のようである。

 その貝殻の能力を自在に操る事など出来ず、ただされるがままの継実達に、果たしてこの最悪を回避出来るのだろうか?

 幸か不幸か、出来ると断じるほどの楽天家は此処にはいなかった。


「ちょ、ど、どうすんのよそれぇ!? 貝殻被れば安全じゃなかったの!?」


「もうダメだぁ! お終いだぁ!」


「だ、大丈夫! 貝殻の有用性が消えた訳じゃない! むしろ貝殻有りでも助からないぐらいなんだから、生身だったら絶対助からなかったよ! 今なら助かる確率はちゃんとあるから!」


 反射的に反論するモモと錯乱するミドリに、継実は落ち着くよう促す。しかしどちらも落ち着かない。そして「死ぬかも知れない」という漫然とした恐怖に再び怯えるミドリより、生物界の『現実』を知るモモの方が、内心の焦りは強いだろう。

 自然界において適応的とは、より多くの子孫を残す事。

 その意味では個体の生死すら問題にしない(実例としては生まれた子供に自分の身体を食べさせるクモがいる)のだが、基本的にはより生存出来る方が適応的だ。だから適応的な行動を取れば、生存率が高まるというのは基本的には正しい認識である。

 しかしその概念は、あくまで相対的なものに過ぎない。

 例えば普通の生物が生涯で二匹の子供しか大人に出来ない中、三匹の子供を大人にする方法を編み出した個体は、より適応的だろう。その個体の子孫はどんどん数を増やしていくので、感覚的にも分かりやすい。

 されど普通の生物が全て死に絶える中、十匹に一匹だけ生き延びる方法を編み出した時……。他の個体よりも、よりたくさん生き延びる事が出来たのだから。例え総個体数が激減したとしても、だ。

 ニューギニア島の生物達の『適応的行動』も似たようなものかも知れない。貝殻に逃げ込まなかった個体は死滅し、貝殻に逃げ込んだ……その中でもほんの一部が生き残って子孫を残した。それでもニューギニア島には貝殻避難者の子孫が広まり、やがて支配するのだから。

 物理運動操作能力がある貝殻なら安全というのは、結局のところ継実達の願望に過ぎない。もしかしたら抽選率ゼロパーセントの抽選が、当選率一パーセントの抽選に変わっただけかも知れないのだ。そしてニューギニア島の災禍を初めて目にした継実に、その確率を正確に計る術はない。ましてや何が原因でこの貝殻が壊されるのかも不明だ。


「と、兎に角! 外の気配に気を付けよう!」


 出来るのは、今も変わらず警戒を続ける事だけ。

 野性的で『本能的』なモモは、継実の理屈が正しい事を理解してくれる。やれやれとばかりに身動ぎ一つすれば、それだけでモモの気持ちは切り替わった様子だった。


「……ええ、そうね。ま、知らないよりはマシって事で。つー訳でミドリ、アンタが頼りよ」


「ふぇえっ!? あ、あたしですかぁ!? あとモモさん立ち直り早い!」


「うだうだ言ったって何も変わんないんだから、さっさと現実と向き合う方が得ってだけよ。ほら、分かったらアンタも現実を直視する」


「ただの目視確認じゃないですかそれぇ……」


 モモに言われて渋々 ― だけど理屈として正しい事は分かっているようで ― ミドリは外の監視を始めた。見ているのは、勿論大蛇達の方だろう。


「ほげっ!?」


 そしてその一言を聞けば、ろくでもない事が起きているのは容易に想像出来た。


「どうしたの? 何かヤバい事やってる? ビーム吐いたりとか」


「……近い、です」


「? 近い?」


「あ、あたし達が話している間に、めっちゃ近くに来てますぅ!? もう一キロも離れていません!」


 ミドリが叫んでいた理由は、大蛇達がすぐ傍まで来ていたかららしい。恐ろしい化け物が接近しているのだから、怖がるのも無理ない。彼女は能力により、大蛇達の死闘を『目の当たり』にしているのだから。

 じゃあ、と継実はふと自分の胸に尋ねる。

 ――――何故自分の心臓は、まるで猛獣の爪が喉元に突き付けられたかのようにバクバクしているのだろうか?


「モモ!」


「やるだけやってみる!」


 継実の声に応え、モモは体毛を伸ばす! モモの体毛は貝殻の内側をびっしりと満たし、頑強な貝殻を中から補強した。

 にも拘わらず、継実ですら一瞬意識を失いそうになるほどの衝撃が、継実達のいる巻き貝を襲う!


「きゃあっ!? な、殴った時の衝撃が……!」


「なんでそれで貝殻が揺れんのよ!? 物理運動は跳ね返されてんじゃなきの!?」


「待って! 今調べる!」


 継実は貝殻の内側をじっと凝視。粒子を見通す目であれば、暗闇の中でも問題なくその機能を発揮する。

 だから継実の目には、確かに貝殻の粒子が一粒の見逃しもなく観測出来た。動きも把握出来ているし、どのような事象が起きているのかもちゃんと見えている。

 しかし継実は、その目に見た光景を疑った。

 貝殻の外では無数のプラズマが飛んできている。ほんの数百メートル先で感じるのは、惑星があるんじゃないかと思うほどの出鱈目なエネルギーを放つ大蛇と巨人。二匹の取っ組み合いで生じた熱がプラズマを生み出し、その高熱による膨張圧によってプラズマは飛んでいるのだろう。

 それだけなら、殴り合うだけで周辺大気がプラズマ化している点に目を瞑れば、極めて普通の事象だ。驚くような事柄ではない。そして貝殻はそのプラズマ粒子を受けて、ちゃんと跳ね返している。ヤドカリが背負っていた時と変わらず、間違いなく能力は発動していた。

 だが、異常はその反射中に起きていた。

 跳ね返した筈のプラズマがのだ。外から流れ込んでくるプラズマによって。


「(ちょっと、これまさか……加速度で押し出してるの!?)」


 何が起きているのか。直に目にした継実はメカニズムを理解するも、理性がそれを拒む。

 貝殻表面で起きていた事象は極めてシンプル。運動方向を反転されたプラズマ粒子を、それ以上の速度で飛んできたプラズマ粒子が押しているのだ。能力による反転で生じる運動量は、あくまでも衝突時のもの。だから跳ね返された『直後』にそれ以上の速さでぶつかる事が出来れば粒子を押し返し、見た目上能力による運動方向の反射を無力化出来る……理屈の上では正しい。

 それを差し引いても、「んな事出来るか!」と継実は叫びたい。何しろ物理運動方向の操作はほぼ一瞬、ミュータントとなった継実でも認識出来ないぐらいの刹那で起きているのだ。その一瞬よりも短く、ミュータント化した貝の殻を揺さぶる速さで押し返すなんてあり得ない。あまりにも馬鹿げている。

 その馬鹿げている現象が起きてしまうのが、大蛇と巨人の決戦。

 ミュータントという枠組みを超え、ミュータントにとっての災害を振りまく奴等は、正しく神だ。日本人なら崇め、どうか怒りを治めてくれと頭を垂れてしまうほどの。しかし継実は『元』日本人だ。敬虔な和の心は捨てた。今の彼女の脳は合理的かつ現実的な野生に染まり、神に対して考えるのは信心ではなく対抗策とこれから起きる事。

 恐らく、もうこの貝は


「二人とも衝撃に備えて!」


 継実が叫ぶと、モモは体毛でミドリをぐるぐると巻き、次いで継実の身体にしがみつく。継実もモモとミドリを抱き寄せ、全力の粒子スクリーンを展開した

 次の瞬間、貝の中に光が満ちた。

 いや、それは正確な表現ではない。光は外から差し込んだものなのだから。押し寄せるプラズマの波動を受け、ついに巻き貝の強度が限界に達したという事。

 つまり、貝殻が割れた。

 苦労して奪い取った巻き貝が粉々になるのと同時に、継実達の身体は空中へと投げ出された!


「きゃあああああ!?」


「ミドリ!」


「モモ!」


 大空へ飛ばされそうになるミドリをモモが捕まえ、そのモモを継実が捕まえる。

 巻き貝の殻が衝撃を受け止めてくれ、モモの体毛が衝撃を和らげ、そして継実の粒子スクリーンで守っていたからこの程度で済んだが……生身だったら、今頃全身バラバラの粉々だ。それだけの威力をプラズマの波は有していた。

 されど大蛇と巨人の戦いはまだ終わらない。今も巨人が殴り、大蛇が尾で打つ。

 プラズマの波動は何層にも重なりながら、継実達の下へと迫っていた。それがどれほどの威力なのか、考えても答えなど分からないが……間違いないのはまともに受ければ今度こそ継実達が文字通りバラバラにされるという事。

 貝殻は失われ、最早身を守る鎧はなし。だが、継実はまだ諦めない。


「モモ! 貝殻を集めて!」


「任せとけぇ!」


 継実の指示を受けたモモはすぐさま動き、バラバラになった貝殻を体毛で掻き集めた。空中での作業だが、モモは素早くそれをこなし、地面に落ちた直後には全て集め終える。

 粉々になったそれらを継実は能力で結合し、大きな一枚の板……いや、盾へと作り替えた。そしてどろどろに溶けた大地に着地するのと同時に、迫り来るプラズマに向けて構える。モモが背後から継実を支え、ミドリもぎゅっと継実の身体を抱き締めてきた。

 押し寄せるプラズマは即席の盾が防ぎ、継実達はなんとか直撃を避ける。もしも継実一人だったなら、余波の衝撃で吹っ飛ばされ、やはりダメだったろう。家族のお陰で命を繋げた。

 そして即席の盾は、ちょっと形が崩れたもののまだ使える。

 物理運動操作を有したそれは、最早無敵の防壁に非ず。だがまだまだ有用な防御には違いない。少なくとも、生身で二匹の怪獣大決戦を眺めるよりは、百億倍マシだろう。


「ひぃいいいい……」


「ほら、ミドリ。こっちに来て……さぁて、そろそろクライマックスかしらね」


 怯えるミドリを抱き寄せながら叩くモモの軽口を、継実は鼻で笑う。そして冷や汗を流しながらも、口角を上げて獰猛な笑みを浮かべた。

 正真正銘の大決戦。星をも終わらしかねない、神話の争いにして、全てを凌駕する災厄。世界の終わりよりも激しい戦いを間近で目にしていても、継実の本能はまだ折れずに身体を支えている。

 そして粉々にへし折られていた理性は、最早すっかり開き直っていて。

 どうせ死ぬなら最後に良いもん見てやると、絶望を前にした眼を大きく開かせるのであった。

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