生物災害12

 ヤドカリの貝殻へと殴り掛かった継実の拳は、ぐしゃぐしゃも音を立てて潰れた。

 殴った力を結果だ。骨が砕け、肉も潰される。しかし痛みはない。最初からこうなると予想していた継実は、既に手の痛覚を遮断していたのだから。傍に居るモモだって眉一つ動かさない。精々ミドリが「きゃあっ!?」と叫ぶぐらいだ。

 そんな想定内の出来事よりも、継実が気にしていたのはヤドカリの行動そのもの。

 ヤドカリは片手のハサミでがっちりと自分の貝殻を掴み、その貝殻を継実に差し向ける体勢を取っている。その体勢は継実が殴り掛かる前から変わらないもの。場所だって殆ど、いや、全く移動していない。

 つまりヤドカリは、継実が攻撃を仕掛けても動かなかったという事だ。継実とモモの言動から、『何か』を感じ取ったにも拘わらず。


「(ま、そりゃそうするよね。それが一番確実なんだから)」


 物理運動操作という無敵の守りがある以上、下手に逃げたり邪魔しようとしたりせず、様子見を決め込んだ方が良い。どんな攻撃も受け止められるのだから、それが最も安全かつ合理的な選択だろう。

 それこそが、継実の狙う『好機』。


「モモ!」


「任せなさい!」


 継実の掛け声に応え、モモは大きく跳躍。ヤドカリの頭上を陣取るや放電を始めた。

 上を取られたヤドカリであるが、そこは貝殻に守られている場所。能力を発動させなければ物理運動操作の対象とならない『生身』ではなく、貝殻はその能力を最初から有している。撃ち込まれた雷撃はどれも貝殻に命中したが、何処かに飛んでいってしまうばかり。ヤドカリはモモなど気にも留めず、攻撃用の能力を得るためか近くの貝殻にハサミを伸ばそうとし――――

 継実が指先に粒子ビームを溜め始めれば、即座にこちらに意識を戻す。

 ヤドカリは既に貝殻を継実側に向けていた。ハサミは殻に触れていて、間違いなく能力は発動している。だが、継実は発射を躊躇わない。

 指先より放たれる粒子の奔流。亜光速で飛翔し、人類文明を容易く焼き尽くす光は、されどヤドカリの背負う貝殻の能力には通じず。

 粒子ビームは跳ね返され、継実の身体を焼き払う!


「ぐっ……んのぉ!」


 自分の放つ粒子ビームの熱さに顔を顰めるも、こちらも負けじと能力を発動。粒子ビームの粒子を操作し、軌道を捻じ曲げる。継実に命中していた粒子ビームはぐるりと弧を描くように曲がり……再びヤドカリを撃つ!

 まさかを使われるとは思わなかったのか。ヤドカリは驚いたように身体を震わせた、が、それだけでしかない。驚きはしたが、だからなんだというのか。例え粒子ビームが返されようとも、自身が背負う貝殻の力により無敵の防御を発揮している事実に変化はないのだから。

 ヤドカリから再び返された粒子ビームを、継実はまたヤドカリにお返し。ヤドカリも三度受け止めまた返す。継実はもう新たなビームを撃つのは止め、一発の粒子ビームを返し続けるのみ。粒子ビームの軌跡が幾重にも重なり合い、継実とヤドカリの間が粒子の閃光で染まりきるほどだ。

 さながらテニスの試合が如く、激しく繰り返されるビームの応酬。しかし不利なのは攻撃を仕掛けた継実側だ。ヤドカリは何もしなくてもビームを返せるが、継実は一回身体で受けてから返す。亜光速で飛んでくる粒子など、秒速十キロも出せない人間のミュータントには見切れないからだ。

 焼け焦げた傷が蓄積しながらも、継実は何度も自身のビームを返す。繰り返される自爆のような行動。ヤドカリは継実の不様な戦い方に嘲笑――――などはしない。

 むしろ警戒心をどんどん高めていた。あまりにも継実の行動ががむしゃらで、何より『無意味』であるから、裏の意図を考え出したのだろう。何か罠を仕掛けようとしている、その兆候を逃すものかと考えているのだ。ヤドカリの目は継実を凝視し、全身から隙が消えていく。

 


「(そうだ、もっと疑え……もっと警戒しろ……!)」


 警戒心を優先すれば、どうしても積極的行動は起こせない。攻撃に転じれば、大小の違いはあれど隙が出来るのだから。ならばどっしりと構え、敵の攻勢が崩れるまで耐えるのが最善手。

 だから奴はその場から動かない。

 勿論それはあくまで移動しないというだけの事。身動ぎぐらいはするし、こちらが動けば見逃すまいと身体の向きや目で追ってくる。

 これではまだ足りない。


「コイツは、どうだァッ!」


 その継実の考えを察知し、行動を起こしたのがモモ。

 ヤドカリの背後へと回り込んだ彼女は、全身の体毛を激しく擦り合わせて発電。莫大な電力を生み出すや、それを惜しみもなく『広範囲』に撒き散らす!

 周りに隠れている他の生物を巻き込む事を厭わず、あちらこちらに飛んでいく雷撃。天然の雷を遥かに凌駕する破滅的な電撃は、殆どはヤドカリに当たりもせず。尤も当たったところでどうせ跳ね返されるのだから、当たる事に大した意味はない。

 意味があるのはヤドカリに当たらず、代わりに砂浜に当たった方。

 大蛇達から放たれた熱波により溶けた砂浜は未だ熱々で、雷撃を受けると一瞬で気化して煙と化す。溶けた事で全てが一体化した事もあり、電撃により大量の煙が舞い上がる。

 砂粒とは結局のところ砕けた岩石であるから、モモの一撃が産んだのは気化した岩石だ。吸い込めば、ハッキリ言って身体に良くない。単純に人体にとって不要な物質であるし、冷却して結晶化すればガラスとなって体組織をズタズタに切り裂くだろう。とはいえ数百万度の熱波襲来で砂浜も何もかも全てが気化どころかプラズマ化したこの領域で、平然と生きているのがミュータント。今更砂粒のガスを吸ったところで、どうこうなるものではない。

 そう、ガスの有毒性などどうとでも出来る。しかしどうにも出来ないものもあるのだ。

 具体的には、視界。


「ギ……ギギィ……!」


 ヤドカリはモモの狙いに気付いたようだが、しかし最早手遅れ。モモの雷撃は次々と砂浜を気化させ、朦々と白煙を巻き上がらせる。ヤドカリは白煙の中に完全に飲み込まれ、外から肉眼でその姿を視認する事は出来ない状態となった。

 それでも継実の目には全てが見える。

 岩石の白煙の中で、ヤドカリはじっとしていた。

 されど高熱かつ有毒のガスを吸い込んで死んだ訳ではない。生命活動自体は全くの健在だ。じっとしているのはヤドカリ自身の意思。目を動かすのを止め、全方位に気配を研ぎ澄ましているのが窺い知れる。

 ヤドカリは継実達の作戦をこう考えたのだろう。目潰しをして、何処からか奇襲を掛けるつもりだと。

 実際奇襲攻撃はこの状況なら間違いなく有効な手立てだ。モモが展開したのは明らかに目隠しを目的にした煙幕であり、見えないところから攻撃してくるつもりなのは明白。このような状況では下手に動き回るよりも足を止め、気配を呼んで状況を把握するのが鉄則である。ミュータント同士の生存競争ではこれぐらいよくある事だ。

 これもまた継実の狙い通り。


「(良し! これで身体の動きも最小限!)」


 継実が狙っていたのは奇襲ではない。。それも複眼やハサミ一本の動きすらも許さないほどに。

 それが『必殺技』を出すための最低条件なのだから。

 そして動かなくなったヤドカリを、継実は凝視する。無論ただ見ているのではない。その目で捉えたヤドカリを形成する無数の粒子を捉え、座標と運動量を計算しているのだ。一粒一粒の全てを。

 大気中の元素を計算して巨大なビームを放ったり、身体を構築している粒子の位置を記憶してテレポートしたり……人類科学では真似すら出来ない技をぽんぽん繰り出せるほど、粒子の座標と運動量の計算は継実の得意技である。されどその得意技を、ほぼ完全な静止状態の相手に対して全力で行っていた。しかも一秒二秒でなく、何秒も掛けて延々と。

 全ては必殺技を出すため。この必殺技を行うには、ヤドカリの身体を構成する粒子全てに対する計算が必要なのだ。

 されどこれでもまだ足りない。


「(まだだ……貝殻の方は死んでるから計算出来たけど、やっぱヤドカリ本体の方が全然計算が出来ない……!)」


 五秒。粒子ビームを一発放つだけなら瞬きほどの時間もいらない継実がそれだけの時間を掛けても、まだ必殺技を繰り出すための計算が終わらない。

 もっと時間を掛ければ、いずれ終わるのは確かだ。けれども相手は生きた存在。煙幕を張り、五秒と何も仕掛けてこなければ疑問に思うだろう。そしてすぐに気付く筈だ。この煙幕は奇襲のためではなくのためのものだと。

 もしも目的に気付かれたら、本当に不味い。今動かれたら、全てが台なしになる。


「継実! アイツの『正面』は!?」


 ここでモモの出番だ。


「あっち!」


「OK!」


 継実はヤドカリの頭が向いている方を指し示す。モモはその言葉をしかと聞くと――――継実が示した、ヤドカリの頭がある正面側から突っ込んだ。

 真っ正面から蹴りを放つモモ。だがヤドカリは完全にガードを固めており、正面からの攻撃には殻を差し向けるだけで対処出来る。モモの蹴りは物理運動反転の効果で跳ね返され、モモは一瞬で反対側へと吹っ飛ばされてしまう。

 モモが吹っ飛ばされた後、素早くヤドカリの前に陣取るのは継実。

 計算を続けたまま、継実は前へと突き出した手から粒子ビームを放つ!

 この攻撃もまたヤドカリには通じない。そんな事はもう何度も繰り返しているのだからとっくに知っている。返された粒子ビームが掠めた顔を焼く事も、或いは腕を撃つ事も全て予測済み。

 しかしそれでも攻撃を仕掛けるしかない。攻撃を仕掛ければ、無駄な攻撃を仕掛けてくる継実に疑念を抱いて、ヤドカリは警戒心から足を止めてくれるのだから。


「(あと、少し……! あと少しで計算が終わる……!)」


 終わりは目に見えている。それまでヤドカリの動きを止めれば――――


【つ、継実さん!? な、なんか地震! 地震が来ます!?】


 そう考える継実だったが、しかし災いは継実の事情など考えてくれず。

 突如として地面が、継実ですら立てないほどの激しさで揺れ始めた!

 巨人が大蛇を持ち上げ、頭から叩き付けた――――その時の衝撃が伝わってきたらしい。しかしただの衝撃なんかじゃない。破滅的な揺れであり、地球そのものが波打っている……比喩ではなく文字通り。


「ぐぁぅ!? くっ……!」


 震度七でも崩れぬ体幹が呆気なくへし折られ、継実は地面に這いつくばる。身動きすら出来ない状態、いや、油断すれば遥か彼方に吹っ飛ばされてしまいそうである。

 最悪だ。動けないような揺れという表現もあるが、実際そんな揺れに襲われた時には大きく動くもの。自由が利かないという方が正確だろう。身体は踏ん張りきれず、下手をすれば転ぶ。

 これではヤドカリが。それは不味いと思いながらも、しかし打つ手がない継実はヤドカリを睨む事しか出来ず。

 されど、絶望は希望へと反転した。

 ヤドカリは必死な様子で砂浜にしがみついていたからだ。恐らく運動方向操作を用い、大地のうねりで吹っ飛ばされるのを防いでいるのだろう。

 だから今のアイツは本当に一切微動だにしていない。継実にとってそれは、『理想の状態』だった。


「っ!」


 継実は全力で演算を開始。頭痛がするほどの計算量をこなしていく。

 ここでも大地のうねりが継実にチャンスを与えた。あまりにも大地が激しく揺れているから、動かずじっとしていても不自然ではない。ヤドカリを何もせずひたすら睨んでいても、。『災い転じて福と成す』だ。

 大地の揺れは十数秒と続いた。十数秒の演算時間を継実は得たのである。そしてこれだけの時間があれば十分。


「(――――出来た!)」


 ついに計算が、終わる。

 だがまだ計算が終わっただけ。後はどうにかしてヤドカリに触れねばならない。しかしここまでくれば、最早そんなのは問題ですらないだろう。

 攻撃されれば足を止め、怪しい時にも足を止め、災害というトラブルにも足を止めたヤドカリ。

 じゃあ、継実が猛然と駆け寄った時、ヤドカリはどう動くか?

 動く筈がない!


「ギ……」


 ヤドカリは素早く殻にこもる。継実が何を仕掛けてこようとも、無敵の能力で跳ね返すために。

 継実は迫る。その無敵を打ち破るために。


「っ……!」


 継実は真っ直ぐヤドカリが背負う貝殻に手を伸ばす。脳裏を過ぎるは自分の拳を砕いた力。されど継実は恐れも怯みもなく、迷いなく殻へと手を伸ばし、

 


「……!?」


 何か異常が起きたと本能的に察知したのだろうか。ヤドカリはぴくりと身体を震わせ、けれども種族的本能なのかその身を強張らせてしまう。

 それが最後のチャンス。もしもここでがむしゃらに暴れたなら、継実の腕はだろう。しかしそうならなかったがために、継実の手は貝殻を完全に『通過』し、ヤドカリの身体に届く!

 継実の手はそのまま、貝殻の奥にあるヤドカリの胴体を掴んだ!


「!?」


 複眼が明らかに動揺して右往左往。ますますヤドカリはその身を強張らせ、完全に身動きを止めてしまう。

 ヤドカリには訳が分からないだろう。何故自分の守りが、貝殻が持つ無敵の能力が通じないのか。分かる筈がない。

 言ってしまえばこれは、宇宙が生誕してから恐らくまだ一度も起きていない筈の『偶然』なのだから。

 ――――トンネル効果というものが存在する。

 それは粒子のポテンシャルがその事象を引き起こすのに足りない状態だとしても、さながら山に開けられたトンネルを通るかのようにすり抜けてしまう……簡単にいえば、事だ。

 最も人間に馴染み深いトンネル効果の実例は、太陽の核融合だろう。太陽が核融合で燃えている事は広く知られているが、実は太陽の温度と圧力では核融合が起こせない。核融合を起こすには一億度もの高温が必要だが、太陽中心部はたったの一千万度程度……力が全く足りないのだ。それに仮に通常の核融合が起きている状態なら、一瞬で全ての水素が反応し尽くすため五十億年も存続する事など出来ない。しかしトンネル効果により、太陽内部では本来は起きない筈の核融合が一定確率で起きている。確率的に『壁』を乗り越えるので性能が足りなくても問題ないし、確率的に起きるものだから一気に燃え尽きる事もない。太陽の高温と圧力は、その確率を高める効果があるだけだ。

 そしてもう一つ、あまり一般的に知られる事象ではないが……というトンネル効果もある。

 そもそも物体に触れるというのは、量子の働きによる現象だ。量子同士が状態の重なり合いを許さないために起きるもの。ところがトンネル効果により、ごく稀にこの効果を無視して抜けてしまう粒子が存在する。極めて低確率な話だが、物質をすり抜ける事は可能なのだ。

 だから人間が壁をすり抜ける事も、実は可能である。全力疾走で毎秒一万回の体当たりを宇宙の年齢の何倍もの期間やり続ければ、一回ぐらいあるかも、という程度の低確率だが。

 継実はのだ。

 これこそが継実が幼い頃に考えて必殺技――――名付けてトンネル・キャトルミューティレーション。

 どれほど頑強な殻に守られていようとも敵の内部へと侵入し、臓物を直に引きずり出すという戦法だ!


「(まぁ、実用性なんて皆無だけどね……!)」


 トンネル効果を操れる事と、それが現実的かは別問題。流石に確率そのものを歪めるような計算は、粒子の動きから挙動を予測するのとは訳が違う。難易度も違うから意識を相当集中させなければならないし、時間だってかなり掛かる。

 ましてや自分の意思という、規則を無視した粒子の動きが混ざるともう計算にならない。だからトンネル効果を『生物』に使おうとすれば、相手が全く動いていない状態が何十秒と続かねばならない。

 これから戦おうという生物が、そんなぼんやりと立ち尽くしてくれるものか? あり得ない。いくら守りが得意な奴だって、普通は相手の動きに合わせて歩き回る。動き回られたら最初から計算はやり直し。こんなもの、使える訳がないのだ……普通なら。

 けれどもヤドカリは、兎にも角にも防御を重視してくれた。

 何をしてもまずは守りを固める。それがヤドカリの最も得意とする事だから。攻撃されたら止まり、怪しい行動を目にしたら止まり、トラブルが起きれば止まり。あらゆる状況でまずは立ち止まり、守りを固まる。堅実で、隙が一切ない立ち回りだった。

 だから、継実の付け入る隙が出来た。


「ギ!? ギッ――――」


 ヤドカリはようやく我に返ったのか、暴れようとする。だが無駄だ。最早粒子の動きは完全に把握しているし、今更この動きは止まらない。運動方向操作を使ったとしても構うものか。トンネル効果により

 最後に渾身の力を込めれば、これで終わり。

 貝殻をすり抜けたヤドカリの身体が、継実の手により投げ捨てられるのだった。

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