生物災害10

「な、に……あれ……」


 普段ならばミドリ辺りが呟く台詞。それを誰よりも先に漏らしたのは、継実だった。

 それは『巨人』だった。二本の腕を持ち、二本の足で立ち、身体のてっぺんに頭があって、背ビレや尾がないから。されど血色の悪い白くてぱっつんぱつんに張った肌、体節を持った構造、そして目玉のない頭にあるのは内側にずらりと歯が並んだ筒のような口……どれもこれも人間とは似ても似付かない。身の丈四百メートルを超えているであろう巨躯はニューギニア島の大地を踏み締めて立っていたが、存在感が大き過ぎて現実味がまるで感じられない。

 中途半端に人間に似ていて、だけど明らかな異形。

 都市伝説の『ヒトガタ』というのが本当にいたら、多分、こんな姿なのだろうと継実は思った。


「(なんなのコレ!? こんな、こんな生き物知らない!)」


 継実だって地球上の全生物を知り尽くしている訳ではない。だが、これは明らかに何かがおかしい。自分達が知る生物とは、根本的に何かが違うと察する。

 その察しは連鎖反応的に継実の脳で様々な情報と結び付く。

 思い起こされる七年前の記憶。かつての人類文明を滅ぼし、継実の両親を奪ったモノがいたではないか。そいつは自分が強くなったから、圧倒的な力を持つミュータントになったから、もう怖がらなくて良くなった。そして強いミュータントにみんな殺されて、食べられて、生存競争の敗者となり絶滅してしまったと無意識に思い込んでいた。

 けれどもよく考えてみれば、そんなのはただ安心したくて、ご都合主義的に考えていただけ。奴等だってなんらおかしくない。認めてしまえば、継実は自分が見ているものの正体に気付けた。

 この巨人は『怪物』だ。かつて人類文明を滅茶苦茶にした、ムスペルと同じ存在。

 唯一違うところがあるとすれば――――コイツは、継実達と同じミュータントであるという点だけだろうが。


「か、怪物の……ミュータント……!?」


 史上最悪の存在が此処に現れてしまったのだと、継実は何秒も巨人を見続けてようやく答えに辿り着く。

 巨人……仮に『ヒトガタ』としよう……は、継実達など見ていない。そもそも目が付いてないので視線も何もないのだが、顔の向きから何処に意識が向いているかはなんとなくだが察せられる。

 ヒトガタが見ていたのは、大蛇だ。

 その大蛇は大海原で立ち止まっていた。ただしぼんやりしている訳ではない。じっと、こちらはちゃんと継実達にも視認出来る瞳で一点を見つめている。視線を追えば、ニューギニア島の上に陣取るヒトガタがいた。

 両者は見つめ合っていた。

 ……いっそ同種同士であったなら、地球史上最も(部外者が)危険なラブストーリーでも始まったかも知れない。それでもラブがあるのだから、少なくとも異性を気遣う程度の優しさはあるだろう。その優しさのおこぼれを、継実のようなちっぽけな『虫けら』でも分けてもらえたかも知れない。

 しかし異種にそんなものは期待出来ない。全くないとは限らないが、希望とするにはあまりに儚い。

 何より――――二匹の闘志がどんどん高まっていくところを見れば、どんな楽天家でもそんな期待など抱けるものか。

 何故両者はこの場に集ったのか、何故威嚇すらせずに闘志を燃やすのか。継実達には理由すら分からない。それでもたった一つだけ、確かな事がある。

 今から此処は地獄と化す。

 


「フォオオオオオオオオオオオンッ!」


 ヒトガタが甲高い、見た目の割に美しい声で鳴いた。

 次の瞬間、その姿が消える。

 そして継実の背筋には、今まで感じた事もないような悪寒が走った。


「――――ッ!?」


「継実ぃ!」


 恐怖で身体が強張る。一体何年ぶりかも分からない経験で動けなくなった継実を、モモが急いで抱き寄せる。ミドリも共に抱き合い、我に返った継実も家族二人を抱き締めた。今まで継実達を攻撃していたヤドカリも、大慌てで自分の背負う貝殻に身を隠す。

 直後、破滅的な暴風が吹き荒れる!

 風の強さは凄まじく、継実ですら、あと一瞬対処が遅ければ遥か彼方に吹っ飛ばされていたと確信するものだった。しかし一体何がこんな風を引き起こしたのか? そもそもヒトガタは何処に行った?

 疑問の答えは、大海原から放たれた閃光が教えてくれた。

 閃光の見えた方に視線を向ければ、ヒトガタが大蛇の顔面を殴り付けている姿を目の当たりにする。光は、大蛇を殴ったヒトガタの拳から放たれていた。

 今の暴風は、ヒトガタが大蛇の下まで駆け付けた際の『風』だったのだ。ただ走るだけで、継実達を吹き飛ばしかけるほどの驚異的パワー。

 そのパワーを生み出す身体を捻り、ヒトガタは大蛇を殴った訳だが、では拳から放たれた光はなんなのか? 何かビームを打ったのか? そんな継実の疑問に答えるのは、ヒトガタではなく大蛇の方。

 殴られてもぴんぴんしていた大蛇は、長大な身体を鞭のようにしならせてヒトガタを打つ! ヒトガタの身体が大きく吹き飛ばされる瞬間、大蛇の身体を打ち付けた場所で閃光が迸った。

 昔ならばその光の正体など見ても分からなかっただろう。いや、見たら恐らく。あの光はただの閃光ではない……強烈な打撃のエネルギーが、相手を打った瞬間熱と光に変換されたもの。超高出力の光は周りの原子を崩壊させ、大量のガンマ線や中性子線、即ち放射線を放出させている。

 あれは『核爆発』の光なのだ。しかも人類が作り上げたどんな爆弾よりも高出力・高密度の。

 そんな攻撃を受けても、ヒトガタも大蛇もダメージなどないと言わんばかり。いや、実際ダメージそのものは殆どないのだろう。でなければ殴り飛ばされたヒトガタが反撃として大蛇の尾を掴み、ぶん投げようとするものの大蛇が踏ん張って堪えるなんて光景を見れる筈がない。

 奴等にとって先の攻防も挨拶代わりのようなものなのだ。

 しかし、継実達にとってはどうか?


「っきゃあああああああっ!?」


「うぐぁっ!?」


 海からやってきた爆風と熱が継実達を襲う! 継実達はどうにか踏ん張れたが、もしも此処にあったのが七年前に栄華を誇っていた人類文明の都市ならば、今頃跡形もなく吹き飛んでいただろう。

 ただ殴っただけでこの衝撃……いや、それは正確な表現ではない。

 ヒトガタの拳は島の外側へ向けて放たれたもの。大蛇の尾っぽも島から見れば真横に向けて放ったもの。どちらも島に向けて攻撃していない。今し方の爆風と熱は、余波の中のほんの一部に過ぎないのだ。

 ただ掠めただけで、油断すれば命を奪われかねない破滅を振りまく。なら、もしもその攻撃が、例えヒトガタか大蛇が受け止めたとしても……島がある方に向けて放たれたなら?


「継実! 不味いわ! 早くあのヤドカリを仕留めないと、何時死んでもおかしくないわよこんなの!」


 モモは状況を理解し、そう訴える。

 この状況で生き残るには、ヤドカリが背負う貝殻を奪うしかない。その貝殻の中に身を潜め、災いが過ぎ去るのをじっと待つのが唯一の生存方法。

 最初からそういう方針だった。それだけが今、生き残れる術だと信じていたから。

 しかし、継実は気付いてしまった。

 此処でヤドカリに戦いを挑んでも、勝ち目なんてこれっぽっちもないのだと。


「……無理」


「何よ無理って。もう手がないって言いたいの? どうしてそんな事言えるのよ」


「だって、あのヤドカリの能力じゃ勝てる訳がない……」


 眉を顰めながら尋ねてくるモモに、継実はそう答える。モモは一層怪訝そうな表情を浮かべた。普通ならばそれは『朗報』なのだ。相手の能力が分かれば、対策を立てやすくなるのだから。

 だが。


「ヤドカリの能力は多分、事なんだから……!」


 真に絶望的な力は、明かされてからも希望など与えない。

 恐らくヤドカリは直近に触れた貝の能力を、自分の能力として使える。運動方向の制御も、貝殻の変形も、拡散レーザーも重力変化も、全てヤドカリではなく貝が持っていた能力なのだ。貝殻にハサミで触れるのは、能力を切り換えるための予備動作なのだろう。

 勿論それだけなら「ふーん」で終わる話だ。通常ならばヤドカリは、自分が背負った貝殻の能力しか使えない。実質能力は一つ ― とは限らないが ― だけになり、その能力にさえ対策を見出せば良いのだから。

 だが、この海岸では話が違う。

 。何処もかしこも貝殻だらけであり、しかもその種類は千差万別だ。ヤドカリはちょっと手を伸ばすだけで、その能力を自由に切り換えられる。

 質の悪い事に、継実達には此処に転がる貝殻から『種』を同定する事など出来ない。この海岸に何種類の貝が転がっているのかなんて分からないし、同じ形をしているが大きさの違う貝殻が「大人と子供」なのか「AとBという種」なのかなんて分からないのだ。つまりヤドカリが何かの貝殻に触れた時、どんな攻撃が飛んでくるのか、予測すら出来ないという事。

 此処は完全なるヤドカリのテリトリー。こんな場所で戦っても、勝ち目なんてないのだ。


「そ、そんな……あ、で、でも、能力の切り替えに時間が掛かるなら、その隙を突けば……」


「……向こうもそんな事なんて重々承知してるでしょ。自分の弱点も知らないような奴が生き残れるほど、甘い環境じゃないんだから」


 ミドリの意見も、モモによって否定される。継実としても同意見だ。そんな分かりやすい弱点で倒せる相手なら、とっくに絶滅しているだろう。

 自分達は相手のフィールドで戦いを仕掛けてしまった。そしてヒトガタと大蛇の戦いはもう始まり、最早この島が地獄と化し、貝殻の下に隠れなければ助からない状況となるのは間近。


「……ごめんなさい」


 だから継実は謝罪の言葉を呟き、

 すぱーんっ、と小気味良い音が継実の頭から鳴った。

 ……痛くはない。が、継実はその目を大きく見開き、反射的に顔を上げる。

 隣に目を向ければ、頭を叩いたであろう手を構えているモモが呆れ顔でこちらを見ていた。


「なんというか、久しぶりね。うじうじしてるの。七年ぶり?」


「だ、だってこんな――――」


「こんなも何もない! ほら、なんも案がないならとりあえず突っ込むわよ」


 継実の気持ちなどお構いなし。それどころかモモは今にも再突撃しようとばかりに前傾姿勢を取る。

 何故モモは諦めない?

 継実の気持ちは、正直かなり『絶望』に傾いていた。ヒトガタと大蛇の戦いが始まったのに拘わらず、まだヤドカリの倒し方すら閃いていない。これでどうして生き延びられると思えるのか。

 絶望するのが普通だ。


「(……いや、普通じゃないか)」


 脳裏を過ぎった自分の考えを、継実は自分自身の言葉で否定した。

 モモは絶望になんて飲まれていない。

 確かに大蛇の気配を感じた時、彼女は一瞬『達観』していた。けれどもあれは例えるなら迫り来る拳を前にして、避ける方法が思い付かなくてぼんやりしていたようなもの。一度我を取り戻してからは、もう絶望なんてしていない。

 そうだ。生物は。したって何も良い事がないのだから。

 足掻くのは希望があるからではなく、死にたくないからだ。希望とは結局のところ可能性に過ぎず、あろうがなかろうが、何かをやるという選択肢は変わらない。希望があるならどれだけか細くてもそれを掴もうとし、なければがむしゃらに暴れるのみ。

 希望がない。そんなで生きる気力を失うのは、人間だけだ。


「……人間味なんて、もう何年も前になくしたと思ってたんだけどなぁー」


「ミドリの所為じゃない? あの子、ほんと人間っぽいし」


「え!? なんであたしの所為!? というかなんの話ですか!?」


 いきなりお前の所為だと言われて、ミドリはおどおどし始める。それがやっぱり『人間味』があって、継実はくすくすと笑ってしまう。

 お陰で挫けかけていた気持ちも元通り。再び、継実はヤドカリと向き合う事が出来た。


「おっ。元気になったみたいじゃん」


「ミドリのお陰でね」


「いや、もうさっきからなんですか? なんであたし褒められたり貶されたりしてるんですか?」


「あ、そうそう。話してて気付いたんだけど」


「えっ。あたしの疑問は無視?」


 さらっと問いが流されてしまい、いよいよミドリは不満げ。不機嫌そうに眉を顰める。これは後で説明してあげないとそのままふて腐れそうだなと、継実は可愛らしい家族の反応に笑みを零す。

 ――――その不機嫌さを直すためにも、ここは生き延びなければならない。いいや、絶対に死んでなるものか。死んだら、説明を聞いた時のミドリの反応が見られないではないか。

 生きていくのに大した理由なんていらない。諦める必要なんかもない。足掻いて足掻いて足掻きまくって、それで死んだらそれまでというだけの事。


「つー訳で、私らは負けらんない訳だ。そっちもだろうけど」


 立ち直った継実は、ヤドカリに向けて改めて宣戦布告をする。

 ヤドカリは、ゆっくりと貝殻の下から顔を覗かせた。無機質な甲殻類の顔から表情なんて窺い知れない。けれども継実は本能的に、二つの感情を色濃く感じる。

 憤怒と、それ以上の『苛立ち』。

 ヤドカリは継実達の存在を、明らかに鬱陶しく感じていた。そして野生の獣は多少の鬱陶しさなら無視しても、本気で苛立てば容赦などしない。

 ヤドカリは近くの貝殻に手を当てる。どんな能力を繰り出すつもりか、見当も付かないが……最早怯む理由なし。


「第二ラウンドの始まりだぁ!」


 絶望から戻ってきた継実は、誰よりも早く再突撃を仕掛けるのだった。

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