生物災害08

 大蛇の熱波を受けても、破滅的な津波を受けようとも、そこは藻と海藻に覆われていた。緑色の大岩がごろごろと転がり、地形は殆ど変わっていないように見える。それだけで此処に生い茂る藻と海藻の力が窺い知れた。

 あの破滅的攻撃に耐え抜き、岩さえ守り抜くほど強い藻と海藻だ。もしもこの下に潜り込めるなら、それはそれで安全な場所と言えるだろう。

 とはいえ此処には継実達が潜り込めるような隙間はない。いや、岩も覆い尽くし、地面にがっちりと張り付いている事を思えば、小動物すら岩の下に潜り込めないだろう。精々体長一ミリ前後の土壌生物なら、藻の間を掻き分けて行けるかも知れないぐらいか。


「こ、此処って、あのヤドカリと会った場所ですよね? 此処が、安全な場所……なのでしょうか……?」


 それぐらいはこの世界で暮らして二ヶ月程度のミドリも分かっているようで、だからこそ彼女は困惑したように尋ねてきた。


「ええ、そうね。間違いないわ」


「で、でも、隠れられるような場所なんてなさそうですよ。あたし達どころか虫すら入り込めそうな隙間もないですし」


 隠れ場所などないと断言するミドリ。彼女の索敵能力を用いれば、此処ら一帯の地形を把握するなど造作もない。生物なら隠れている事もあるが、地形にその心配はなく、ミドリがないと断言するからにはその通りなのだろう。

 もしも隙間があったら、それでも良いかと継実は考えていたが……あくまでそれは『プランA』、幸運だった時のものだ。不運だった時のためのプランBは最初から用意し、むしろこっちが本命である。


「探すんだよ。何処かに絶対ある筈だから」


「さ、探すって、だから隙間は」


「隙間を探すんじゃない。。何か、怪しいものがないかを」


 継実の答えに、ミドリは一瞬キョトンとした顔を浮かべた。

 継実達がこの島で始めて出会った生物である、巨大ヤドカリ。

 あのヤドカリは、今思えば奇妙な存在だった。他の生物達が軒並み姿を消した中、堂々と地上を闊歩している。しかも遅いなりに一生懸命逃げている訳ではなく、のんびり食事までしていた。森で出会ったネズミ達が大急ぎで逃げ、蛾の幼虫が成長具合も無視して蛹になる中、あまりにも能天気が過ぎる。

 一匹だけしか目撃していないので、もしかしたら単なる間抜けな個体だったのかも知れない。けれどもそうでなかったとしたら? つまり逆に考えてみれば……奴は大蛇という災禍から助かる事を確信していた可能性があるのだ。

 勿論これだけだと、という可能性もある。けれども継実達は森のネズミ達が海沿いを、ヤドカリが棲んでいる海岸を目指している姿を目撃した。藻に覆われている所為で隠れる場所などないにも関わらず、だ。しかも継実達が襲い掛かっても進路を殆ど変えようとしない個体までいた事から、彼等は淡い希望ではなくなんらかの『確信』を抱いていたに違いない。

 その確信が、継実達にも使えるものかは分からないが……試してみる価値はある筈だ。

 そうした理由から継実はこの岩礁地帯を訪れたのである。モモはそれを察してくれたが、ミドリはまだあまり分かっていない様子。とはいえ大蛇は今この時も刻々と接近しており、何時また気紛れな『災害』で何もかも破壊していくか分かったものではない。長々と説明している暇はなく、継実は要点だけをミドリに伝えた。


「わ、分かりました。怪しいものを探せば良いんですね!」


 どれだけ理解したかは兎も角、ミドリは目を閉じ、周りの様子を探り始めた。しかしながらうんうん唸るばかりで、中々何処が怪しいという答えも出ず。

 場所が悪いのか、それとも皆必死に隠れているからか。原因は兎も角、ミドリだけでは安全な場所を見付け出すのは中々難しそうだ。


「モモ、何処か生き物の臭いがする場所はない?」


「待って。今探してみる。あと継実、頼んだわよ」


 継実にそう話すやくんくんと鼻を鳴らし、モモは周囲の様子を調べる。犬である彼女の嗅覚は非常に有能だが、一千度近い熱波の中では大抵の臭い物質など分解されてしまうだろう。モモとてそれぐらいは察している。

 そこで継実の出番だ。継実は能力で周辺の物質を解析。まだ熱によって分解されていない、臭い物質らしきものを確認する。

 継実にはそれがなんという物質かは分かっても、どんな物質なのかはよく分からない。だから分解されていない物質を確保したら、壊れないように『保持』しながらモモの傍へと持っていく。モモはそれらを吸い込み、嗅覚で解析し……


「! 継実、今のネズミの臭いよ!」


 『当たり』を見付けたら、モモが教えてくれる。

 なんの臭いか分かればこっちのものだ。


「ミドリ! あっちの方から臭いがしてるみたい。近付いてみるから、しばらくその周辺を見てて」


「はい! 任せてください!」


 継実がモモとミドリを背負って運び、ミドリは継実が指し示した方角に意識を向ける。その間も継実は臭い物質を捉えてはモモに送り、臭いを解析してもらう。


「良いわ……どんどん濃いのが来てる……間違いない、こっちに生き物がいる筈よ!」


 確信した様子のモモの言葉。継実はどんどん歩みを速めていき、臭い物質のある方を目指す。


「! 見付けました! 北西の方角十五メートルで何かが一瞬動きました!」


 そしてついにミドリも『何か』を捉えた。

 家族二人からの確かな情報。継実には何も感じる事など出来ないが、家族の言葉から確信を得る。二人を連れる継実の足はますます加速していき、大きな岩礁を乗り越えて――――

 ミドリが指し示した場所に着いた時、継実達は全員がその目を見開いた。


「……貝、だ」


 ぽそりと、継実は思わず独りごちる。

 周りを岩に囲まれた、窪んだ砂地……だったと思われる場所。一千度の熱波によって赤熱し、沸点の低いものが溶け出しているのか赤い液体がちらほら見受けられた。幅は数メートルと狭いが、長さは数百メートルにも渡って続いている。

 しかしそんな異様な景色は、そこらにごろごろと転がる『貝』と比べれば些末なものだろう。

 砂場には無数の貝が落ちていた。種類に統一感はない。二枚貝も巻き貝も、何処から流れ着いたのかアンモナイト的な貝殻まで少数ながら見られる。大きさも、僅か数センチ程度という七年前でも普通に見られたサイズから、十メートル近い超巨大型まで幅広く存在していた。

 あまりにも無秩序に存在する貝。しかし継実はそれらの貝が、どれも中身のない『死骸』だと見抜く。見た目が綺麗なものもあるにはあるが、大半は割れていたり、穴が開いていたり、半分しか残ってなかったり。貝にとって致命的な損傷が見られるのだ。恐らく天敵に襲われるなどして死んだ後、波などにより貝殻だけが運ばれてきたのだろう。

 これだけなら不思議な景色の一つで終わるところ。されど継実はこの景色に『生存のチャンス』を見出す。


「っ!」


「ひゃあっ!? え、つ、継実さん!?」


 無言のまま継実は岩場から飛び降り、近くにあった二枚貝の一つに近付く。それは大きさ五メートルほどの二枚貝だったが、特徴である二枚一対の貝殻のうち片側のしかないもの。どう見ても死んでいる個体だ。貝殻は内側を下に向けていて、お茶碗をひっくり返したような状態となっている。

 そんな貝に近付いた継実は、おもむろに掴んで中を覗き込もうとする。当然、死んでいるのだからなんの抵抗もない

 筈なのに。


「んっ……ぐ……!」


 継実がどれだけ力を込めても、二枚貝が持ち上がる事はない。腰を据えて踏ん張ってもみたが、やはりビクともしなかった。

 大きさ五メートルほどの貝なのだから、それなりの質量はあるだろう。しかしミュータントとなった継実の力は『それなり』どころではない。例えこの貝殻が一千トン超えの質量を有していても、継実の力ならば難なく持ち上げられる筈。

 それが出来ないという事が一つの『証明』。故に継実はより一層力を込めていき――――

 僅かに貝殻が浮いた瞬間、


「ぐぇっ!」


「ぎゃんっ!」


「ぶにゅ!?」


 継実が突き飛ばされた事で、モモとミドリも地面に転がる。誰もが呻きを上げる中で、継実は謝るよりも先にその視線を自分が持ち上げようとした貝殻へと向けた。

 『それ』が見えたのは、時間にしてほんの僅かな事。七年前の継実なら間違いなく捉えきれなかった刹那の出来事……しかし今の継実は確かに目にした。

 貝殻の下に隠れる、無数の鳥の姿を。


「(コイツらだ。私を突き飛ばしたのは……!)」


 派手な色合いのその鳥が、なんという種類なのかは分からない。どんな能力で突き飛ばされたのかもさっぱりだ。だが、そんな事は些末な話。大事なのはただ一つの事実のみ。

 この貝殻の下に居たのが、今まで姿を眩ませていたニューギニア島の動物達という点だ。


「ぐっ……見付けた! 安全地帯!」


「ええ! 私にも見えたわ!」


「え。えっ、ど、どういう事ですか?」


 継実の声に呼応し、モモも同意する。ただ一人見えていなかったであろうミドリだけが、訳が分からないとばかりに困惑していた。

 難しい話ではない。

 ニューギニア島の動物達にとって、この大蛇の襲撃はある種の『定期的』なイベントなのだろう。大蛇が来る度に多くの個体が死に、生き延びたモノだけが子孫を残してきた。その生き延びたモノ達は、決して強いモノではない。あの大蛇からしたら、トラもアリも大差ないのだから。

 生き延びたのは、頑強なモノ。或いはその頑強なモノの中に逃げ込んだモノ。

 頑強なモノとはつまり貝だ。貝はミュータントとなる前から、防御力によって生存競争に勝ち抜いてきた生き物。ミュータントになってその性質が更に強化され、また大蛇という強力な『淘汰圧』によって更に頑強となったのだろう。それこそ生半可な攻撃では傷一つ付かないほどに。

 そしてその亡骸である貝殻に逃げ込んだモノ達。それがニューギニア島に生きている動物達の祖先なのだ。

 だから彼等は大蛇が来ると、大急ぎで海沿いに転がる貝殻の下に逃げ込む。祖先がそうやって生き延びてきたという事実を、彼等の遺伝子が覚えているのだ。そしてそれ以外の、森の中で普通に ― ガの蛹のような苦し紛れでなく ― 生き延びようとするモノが皆無という事は……これが大蛇が訪れた時に使える、唯一の生存方法だという事。

 兎にも角にも、探さねばならない。自分達が使える貝殻を。


「貝の下! あそこに動物が居たって事は、そこが安全地帯なの! だからミドリ、貝殻の下を見て!」


「――――あ、は、はい! わ、分かりました!」


 時間がなく少々雑な説明になってしまったが、貝殻の下が安全地帯だと伝われば十分。ミドリは明るい顔と共にこくこくと頷き、海岸に転がる貝殻を凝視した。

 だが、一時希望に満ちた顔が困惑と恐怖で引き攣るまでに、五秒と掛からない。


「だ、駄目です! ! さっきの奴も含めて!」


 返ってきた答えに、継実もその表情を引き攣らせた。

 貝殻がみんな空っぽな筈がない。少なくとも継実が今し方ひっくり返そうとした貝殻の下には、無数の小鳥達が居たのだ。テレポートしたならそうなるのも頷けるし、継実が使えるのだから他の動物に出来る訳がないとは言わないが、大蛇が迫る現状でわざわざ貝殻から逃げ出す理由がない。

 普通に考えるなら、貝殻の下に潜んでいる生物達は、自然とミドリの索敵をもすり抜ける隠密状態になっているという事。

 なんらおかしな話ではないだろう。『災禍』が過ぎ去るまでじっとし、体力の消耗を抑えるため息も潜めているとすれば、それは天敵から隠れている状態と全く変わらない。そしてじっとしてさえいればミドリの目を欺ける生物種なんて幾らでも存在する。彼女の『目』は継実など遠く及ばない索敵能力を持つが、この世の全てを見通す『超能力』ではないのだから。


「(不味い……これだと貝殻の下にヤバいのが潜んでいても、ひっくり返すまで分からない……!)」


 先程ひっくり返そうとした貝殻の中身が小鳥で幸運だった。もしも大型肉食獣……例えばワニだったなら、両手両足を失ってもおかしくなかっただろう。例え隠れているのが小さな虫やネズミでも、何千何万という数に襲われれば一堪りもない。

 貝殻の下に何がいるか分からなければ、空の貝殻が見付かるまでこの危険なギャンブルを繰り返す必要がある。貝殻が集まっているのが此処だけとは限らない……今思えば森で出会ったネズミ達は何処かで『あぶれた』個体だったのか……が、島中の生き物が隠れ場所を探し求めているのだ。最悪を考えれば開いている貝殻なんてもう殆ど残っていない、いや、そもそも最悪ゼロという可能性すらある。

 分の悪いどころか、そもそも勝ち目のない賭けかも知れない。けれども貝の下に逃げ込まなければ、大蛇が巻き起こす災禍に巻き込まれて確実に命を落とす。


「(考えろ……! 何処かに、なんか良い方法がある筈! 完璧に安全じゃなくて良い、ちゃんと勝ち目のある賭けであれば……!)」


 思考を目まぐるしく巡らせる中、ずどんという音と震動が遥か彼方より響く。大蛇が何かしたのかとも思ったが、震動が来たのは大蛇とは反対側だ。

 大蛇は直接的な行動を起こした訳ではない。とはいえ身震い一つで巨大噴火クラスのエネルギーを撒き散らす化け物だ。視線一つで巨大地震を引き起こしても、もう驚かない。

 そう、継実はそう考えていた。気にするほどの事ではないと。

 だが、『そいつ』は違った。


「! あっ、あそこに……」


 ミドリがふと声を出しながら、何処かを指差す。けれどもその声は途中で萎み、やっぱり今のはなしだと悲痛な面持ちが語る。

 それでも継実は殆ど無意識にミドリが示した方角に目を向けた。最早ミドリの言葉には条件反射的に従ってしまう。

 お陰で継実は見逃さずに済んだ――――姿

 ミドリが指差そうとしたのは、この中で唯一動くものを見付けたから。声が萎んだのは、確実に先客がいる貝殻を指し示したって仕方ないと考えたからだろう。

 そして継実が満面の笑みを浮かべたのは、それが『起死回生』の一手だったからだ。


「ミドリ! アンタもう、ほんとに最高!」


「へ? いや、継実さん? あれ動いているから既に他の動物が」


「それが良い!」


 ミドリの言葉を遮って、継実は一人猛然と駆ける!

 動く貝殻は継実の接近に気付いたのか、ぴたりと止まる。だが継実はそんな事など構いやしない。そのまま一気に接近し、貝殻の下側に向けて粒子ビームを撃とうとした。

 だが、貝殻の『主』はそれを許さず。

 大きさ四メートルはあろうかという貝殻の下から巨大なハサミを出すや、肉薄した継実に襲い掛かってきたのだ。突然の攻撃だが、されど継実にとってこれは想定通り。軽やかに身を翻して離れ、この一撃を躱す。

 貝殻の『主』と向き合う継実。遅れてモモとミドリもやってきたが、二人は驚愕したような顔を浮かべた。ミドリに至っては、ちょっと口許が引き攣っている。


「……あの、継実さん? もしかしてもしかすると……」


「ええ、そのもしかしてだよ」


「ああ、やっぱり……」


 そのやっぱりは『分の悪い賭け』に出る事か、それとも継実が考えている事の野蛮さ故か。訊けば恐らく「両方」と答えるだろう。

 だが、もうこれしか手はない。あったとしても知らないし、恐らくこれが最も現実的だ。

 だから継実は躊躇わない。


「アンタからすれば災難だけど、私達も死にたくないからね……その貝殻さっさとよこしな!」


 目の前の生物から生きる術を奪う事も。

 相手もまた継実の覚悟を察したのだろう。背負う貝殻を少し浮かせ、その中身が露出する。

 跳び出した二つの複眼。巨大な二本のハサミ。長く伸びた触角と、それが伸びている甲殻質の身体。

 全てがあの時見たものと瓜二つ……というほど似てはいないし、そもそも貝殻の大きさが倍近く違う。恐らく継実達が少し前に出会ったのとは別個体だろう。だが向こうからすればそんな事はどうでも良い話。大人しくやられるつもりはないというだけ。

 だから奴は継実達と向き合う。

 継実達を返り討ちにした種族・巨大ヤドカリが、継実達の前で臨戦態勢を見せるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る