生物災害03

 熱帯雨林の中を進む継実達。その足が地面を踏み付け、草を掻き分ける度に、ざふざふと小気味いい音が鳴る。

 生い茂る樹木の葉により日光が遮られ、地上は夜よりも暗い。しかし粒子操作で粒子そのものが見える継実には、どれだけ暗くとも森の中は丸見えだ。細い木々が風で揺れる姿も見えている。木々はその度にぎしぎしと鳴らしていて、森中から音色が聞こえてきた。

 ミュータントとなって代謝が活発になった影響か、樹木は新しい葉をどんどん伸ばす傍ら、古い葉を次々に落としていく。地面に落ちる時、先に落ちていた葉と重なってカサカサという音を奏でた。森の至る所から、カサカサ、カサカサと、優しい葉の音色が響く。水分を吸われているだろう地面は呼吸するように上下し、空気の漏れ出る音がひっそりと聞こえてくる。じゅわじゅわと、水気の失せていく音だって鳴らしていた。

 確かに森の中は様々な音に溢れている。植物が生えているのだから、命がいない訳がない。

 だが、聞こえてこない。植物の葉を齧る音も、落ち葉を踏み鳴らす音も、幹に爪を立てた時の乾いた音も、乗った枝がしなる音も……

 動物達が鳴らす音は一つも聞こえてこなかった。


「……駄目です。動物の姿は何処にもありません」


 それだけならただ隠れているだけかも知れなかったが、ミドリの索敵にも引っ掛からないとなれば、やはりそうとしか思えない。

 森の中はすっかり空になっていた。残っているのは『賑わい』である木々や草花など、動けないものばかり。海辺に居たヤドカリのように大きな生き物が見付からないだけなら個体数の関係もあるだろうが、小バエやハチなどの小さな虫まで見られないのはどうした事か。葉の上を歩き回るイモムシの気配もないし、地面をちょこまかと歩くアリの姿すら見えない有り様だ。

 流石にこれは何かがおかしい。熱帯雨林の状態に最初から違和感を持っていた継実は、その感覚がより一層強くなる。ミドリとしても、森の中に全く生き物がいないという状況は流石に安心よりも不気味さを強く感じるのだろう。海岸線の岩礁地帯とは違い、かなり不安げに辺りを見回している。しかしその動きも、全く見付けられなければ不安を掻き立てるだけ。

 『人間』達は森の異様さに、得体の知れぬ恐怖を感じ始めていた。


「ふむ。だけど元々寂しい場所だった、という訳じゃなさそうね」


 そして人間よりも本能的感覚に優れるモモは、更に一歩進んだ情報を得ていた。


「どういう事?」


「臭いがあんのよ。獣臭さもあるし、糞の臭いだってある。というかさっき糞見付けたし。大きさと形からして多分シカね。間違いなくつい最近まで動物がいたわ」


「……最近って、何時頃?」


「さぁて。流石にそれは元の臭いの強さが分かんないとハッキリとは言えないけど」


 でも凄く最近でしょうね――――そう言いながらモモは、足下の地面を軽く足踏み。

 すると地面は、くっちゃくっちゃと、水音を鳴らした。

 地面がかなり水を吸っているのだ。水溜まりが出来るほどではないが、恐らく軽くでも土を握り締めれば水がじゃばじゃばと滴り落ちるだろう。湿地帯なら兎も角、熱帯雨林の土壌が普段からこのような状態の筈がない。恐らくごく最近大雨が降ったのだ。

 それ自体は何もおかしな事ではない。熱帯雨林という名前の通り、暖かで周りが海に囲まれたこの地域は非常に雨が多いのが特徴である。一度に降る雨の量も、しとしとではなくざーざーとした土砂降り。雨後に地面がぐちゃぐちゃになる事など珍しくもあるまい。

 そうした珍しくない情報でも、森の出来事を知る上でかなり重要なヒントとなるものだ。具体的には、雨が降った時間が重要である。

 確かに森の中は葉に遮られて暗く、直射日光は届かないが……代わりに貪欲なミュータント植物が生い茂っている。植物は地面から栄養を吸い取る際、水も一緒に吸い上げるもの。いや、水と共に栄養素を取り込むという方が正確だろう。だから土壌の栄養を得るために、植物達は大量の水を日夜吸っている筈だ。更に光合成にも水が必要 ― 光合成は水に含まれる水素と空気中の二酸化炭素を合成して炭水化物を得る反応だ ― であるから、セルロースやリグニンなどの炭水化物を主成分としている植物体が成長する際にも水は大量に消費される。

 驚異的成長速度と繁殖力を持つミュータント化植物は、大量の水を消費・吸収しているのだ。だから土壌の水分なんて、あっという間に『喰い尽くす』筈である。その水がまだ土にたっぷり残っているからには、雨が降ったのは本当にごく最近の事なのだろう。恐らく継実達が島を訪れるほんの何時間か前か、精々植物の光合成が行われていない夜間。いずれにせよ半日経ったかどうかだ。

 そして大雨が降れば、古い臭いは流されて消えてしまう。

 臭いがあるからには居た筈なのだ。雨が降ってからしばらくは。ならば森から動物達の姿が消えたのは雨後となる。

 つまり継実達が訪れる、ほんの数時間前の出来事だ。


「す、数時間って……何が、あったのでしょうか……?」


 そう継実が教えたところ、ミドリは凍えるように震えながら尋ねてきた。何か異変が起きて動物達が逃げ出した――――ミドリは先の話をそう解釈したらしい。

 しかし継実達の解釈は『逆』だ。


「まだ何も起きてないわよ。起きるとしたらこれからね」


「こ、これから?」


「ミュータントがみんないなくなるような出来事だよ。何かあったら、多分森の中とかもうぐっちゃぐちゃだろうね」


 隕石衝突クラスの鉄拳を繰り出し、都市を一つ焼き尽くすビームやら電撃やら火焔放射やらを通常攻撃として繰り出すのがミュータント。そのミュータントが全員揃って逃げ出すほどの『イベント』となれば、森どころか地形、或いは島の一つ二つは消えているだろう。

 それほどの恐ろしい出来事がかも知れない。ミドリの顔がすっかり青ざめて、ぶるぶると震えてしまうのは仕方ない事だ。

 そんなミドリを見た継実とモモは、ニカッと爽やかに笑う。次いでミドリの傍により、力強く彼女に抱き付いた。


「もー、そんなに怖がらなくて良いわよ。まだ悪い事が起きると決まった訳じゃないんだし」


「へぁ? そ、そうなのですか?」


「そうそう。案外良い事かもよ? サケの遡上みたいな」


 動物達が一斉に移動するのは、何も悪い事だけが理由ではない。

 例えばサケやカゲロウなど、一定周期で大量発生する生物が何処かに現れるという可能性もある。この場合、多くの生き物がその場所に集結するだろう。大量発生した生物を餌にする生物、食べ残しを漁る生物、それらを襲う頂点捕食者……みんなが集まるから自分も向かうというのは、自然な事なのだ。草食動物もいないのは気になるが、大量発生するのが植物プランクトンや水草のようなものなのかも知れない。

 それに殆ど全ての生物が一斉に移動するという事は、件の『イベント』は周期的なものである可能性が高い。『イベント』の兆候を察知してすぐに移動するという生態がなければ、鈍い奴や疑り深い奴が残っている筈だからだ。島の外からやってきた継実やモモが『イベント』の兆候、つまりなんらかの ― 森が静かなどの『結果』以外の ― 異常さを感じ取れないのもこの考えを裏付ける。周期的なイベントが毎度毎度壊滅的被害をもたらすものなら、やっぱり今頃島など残っていないだろう。


「だから、まぁ危険がないとは限らないけど、そんなにビビらなくても良いと思うわ。むしろおこぼれがあるかも」


「そ、そうですね……はぁ」


 モモの話を聞いて安堵したのか、ミドリはため息を一つ吐く。

 ……確かに、そこまで心配する必要はないと継実も思う。

 けれども何故だろうか。無性に、胸の奥底がむずむずとするのだ。

 危機感といえるものは感じていない。なんの根拠もない。野性的な直感に優れるモモの平静ぶりからして、本当に自分達が感じとれるような兆候はない筈なのだ。けれども継実は何か、胸の内側が疼いているような気がした。

 恐らくそれは、自分の体質を理解している『理性』からの警告。

 ――――何かと面倒事に巻き込まれるサガを忘れるな、と。


「(なんというか、私ら肝心なところで予測を当てた事がないからなー)」


 不治の病トラブル体質が脳裏をちらつき、継実は自嘲気味に笑う。

 そんなあるかないかも分からない体質はとりあえず無視するにしても、警戒を弛めるにはまだ早いだろう。何しろ継実達はこの島に上陸してまだ半日も経っていないのだ。植生も、生物も、それらの強さも、何もかもろくに知らない。

 無知同然の知識でこの地の出来事を理解しようなんて、傲慢が過ぎるというもの。可能性を考えるのは大事だが、それを信じるのはまだ早計である。適度な危機感を抱いたまま、何時も通り周りを警戒して生きていく方が良い……


「ん? あ、継実さん! モモさん! あっちに生き物の気配! 小動物です!」


 等と一人気持ちを引き締めていたところ、ミドリからそのような報告が上がる。

 継実達はミドリが指差した先に目を向けた。勿論暗くてよく見えない。しかし粒子操作の応用で粒子の動きを捉えれば、ミドリが場所を特定してくれたお陰で力を集中出来た甲斐もあり、その姿が浮かび上がる。

 ネズミだ。

 体長は三十センチ。見た目と大きさから判断するにドブネズミのようだ。彼等は七年前から世界中に分布しているキング・オブ・ザ・ゼネラリスト。この島でも未だに子孫を繋いでいたらしい。

 そんな彼等は数匹の群れを作り、全員が同じ方角……継実達がつい先程まで居た海へと向かって駆けている。

 それだけならさして気にするような事ではない。しかしネズミ達の誰もが、人間にも分かるぐらい鬼気迫る表情を浮かべているなら。そしてそんなネズミ達の背後に姿となれば……流石に、気にしないでいられるほど継実は図太くない。

 何が彼等をあそこまで駆り立てるのか。原因に見当も付かず、継実の背筋をぞわぞわとした悪寒が走っていく。

 が、それはそれ。これはこれ。


「――――今日の昼ご飯は久しぶりのネズミだぁ!」


 弱くてそこそこ栄養価のある獲物と出会えた事の方が、今日はまだ何も食べていない継実達には重要なのだ。


「久しぶりに食べ応えがありそうね。行くわよ!」


「おー!」


 走りながら出した継実の号令に合わせ、モモとミドリも駆け出す。

 いきなり現れた見知らぬ襲撃者にネズミ達は大驚き。しかも行く手を遮るように継実達が現れた事で、身を翻して逃げる個体と、僅かに道を逸れる事で躱そうとする個体が出てしまった。判断が遅れた個体はどちらを追えば良いのかと迷い、足が鈍る。

 狙うはそんな判断の遅れたモノ達。彼等に狙いを定めればどうなるかは、継実にだって予想可能だ。

 予測不能な未来は一先ず置いておいて、継実達は予測可能な未来から対処していくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る