生物災害02
散策気分で海沿いを歩いていた継実達は、やがて岩礁地帯に辿り着いた。
岩礁地帯といっても岩の持つ、黒い色合いは殆ど見られない。岩の表面は緑やら赤やらの藻、或いは海藻に覆われているからだ。今も燦々と降り注いでいる常夏の日差しを浴びたそれらは、分厚い層を形成するほどに生育している。海辺だというのに、まるで草原のような景色だ。
一応地形的には大きな岩がごろごろと転がる場所なので、頻繁に波が打ち付け、大きな飛沫を上げていた。しかし飛び散る潮水は海藻や藻に吸われ、潮だまりにはならない。何処も全体的に湿っているが、肝心の水場が何処にもないという、なんとも奇妙な領域。
かつての地球では恐らく見られなかった景色に、継実はほんのちょっと感動を覚えた。これもまた旅をしなければ見る事の出来なかった風景。そうしたものに気持ちを揺れ動かされるのが人間というものである。
「あ。ここの藻、他より明らかに低くなってる。多分食べ跡ね。近くに動物がいるかも」
「へぇー。小さい動物なら今日の夕飯ですかねー」
ちなみに人外二匹は、花よりも団子の方が大事なようで。
実際自然で生きていくならそれが正しい考え。継実は人間的感情を頭の隅へと寄せてから、岩場の藻を眺めているモモ達の会話に加わる。
「それ、最近の食べ跡? かなり藻が育ってるように見えるけど」
「ちょーっと古いわね。傷跡が塞がってるし。でも臭いはするわ。つい最近も、此処を何かが通ってる」
「藻を食べてるって事は、草食動物ですよね? 獲物にするなら丁度良いと思います!」
「雑食かも知れないけどねー」
モモの意地悪なツッコミで、ミドリは少し身動ぎ。とはいえ果物や種子のような栄養価の高いものなら兎も角、藻のような ― 食べ辛い上に毒があるかも知れず消化も難しい ― 代物を食べる生き物は、ほぼ草食動物で間違いないだろう。
フィリピンの時は植物の毒を溜め込むような生き物ばかりで、草食動物や昆虫を獲物とするのは避けなければならなかった。ニューギニア島の生物がそうなっていないとも限らない。が、そうなっているとも限らない。要するに、調べてみなければ分からないという事だ。
初めての土地では調査が大事である。どんな生物が暮らし、何が食べられるものなのか。それを知らなければ生きていけない。尤も難しい事は何もなく、見付け次第捕まえてみれば良いだけ。
という訳なので、まずは動物を見付けたいのだが……
「ミドリ。この辺りに、なんか生き物いる?」
「え? ああ、そういえば全然見てませんね。今も近くに気配がありませんし」
尋ねてみるとミドリはそう答える。ミドリ的には怖い生き物が全然いない状況なので、内心安堵しているのだろうか。答える口振りは、何時も以上におっとりしていた。
対してモモは、その『異常さ』に気付いたのだろう。今まで暢気に楽しんでいた顔が、少しだけ引き締まる。
継実はミドリほどの索敵能力を持たない。だから単に見逃しているだけという可能性もあったが、ミドリの言葉で自分の感覚を信じる事にした。
この岩礁地帯はあまりにも静か過ぎる。鳴き声や争いのような生物的音はなく、波が岩場に叩き付けられる音や、水飛沫が落ちる音しか聞こえてこない。ミドリでも完璧に全てを見通せる訳ではないし、ミュータントの能力なら音を抑えるぐらい簡単だが、二つが合わさればやはり生き物がいないのだと考えるのが合理的。
もしも本当に生き物の姿がないのだとすれば、それは極めて異常な事のように継実には思えた。
何故なら岩場を埋め尽くすほど藻や海藻が生えているから。それはつまり大量の植物資源がある状態にも拘わらず、それを食べる生き物が存在しないという事だ。仮に此処に生えている藻が猛毒を持っていたとしても、そんなのは生物がいない理由とはならない。むしろ誰も手を付けられない資源なのだから、これを利用出来れば繁栄は確定的だ。僅か七年で地球の生態系を一新したミュータントの適応・進化速度ならば、こんなにたくさんの藻を野放しにするなどあり得ない。
何故植物だらけの環境で生き物がいないのか。もしやミュータントといえども生半可な種では生存も許されないような、恐るべき存在が潜んでいる可能性も――――
「あ。あっちになんか居ますね。動いてないから見落としてました」
「ずこーっ!」
等と色々考えていたが、ミドリの一言で呆気なく前提が崩壊した。単にこの辺りの生き物は隠れるのが上手なだけだったらしい。
モモはそこまで真面目に考えていなかったようで「なーんだ」で済ませたが、真剣に思い詰めていた継実は一人ずっこけてしまった。岩に叩き付けたところで傷むような柔な皮膚ではないが、継実の顔は赤く染まる。
「? 継実さん、どうしましたか?」
「……なんでもない。それより、どんな感じの奴が見付かったの?」
誤魔化すように継実が問うと、ミドリは海辺の方をじっと見つめながらしばし黙考する。
「なんか、存在感は小さいんですけど、身体はあたし達より大きいと思います。あと、凄く遅いです」
やがて返ってきたのは、そんな答え。
自分達より大きいという特徴は少々気になるが、存在感の小ささや遅さは、獲物として考えれば良いものだろう。
何より、継実達はニューギニア島の生物について殆ど何も知らない。リスクばかりを恐れて探りを入れなければ、何も分からず終いだ。
「……良し、行ってみよう。何処らへんに居るの?」
「あの岩の向こう側です。あそこに大きな窪みがあって、その中に居ますね」
ミドリが指差した先には大岩が一つ。周りの雰囲気から、確かに窪みがあるようだ。
継実とモモは視線を合わせた後、息と足並みを揃えてゆっくりと大岩に近付く。ミドリが数歩後ろから見守る中、継実は恐る恐る岩を登り、向こう側を覗き込んで――――
そこに陣取る巨大な巻き貝の姿を見下ろした。
巻き貝の大きさは幅が三メートル、高さは二メートルほどだろうか。確かに継実達よりもとても大きい。表面には藻がびっしりと付いており緑一色に染まっているが、大きくて不格好な凹凸と、螺旋を描くような溝から間違いなく巻き貝の殻だと分かる。そして動きはのろりのろりと、音速超えなど当たり前なミュータントとしてはあまりにも鈍いもの。
そんな貝の下側から見えるのは二本のハサミ。
軟体質の身体ではない。むしろ甲殻に覆われた、頑強そうな見た目のハサミである。ハサミの大きさはざっと五十センチはあり、まるで鈍器のような太さからその力強さが窺い知れる。しかしそのハサミで破壊的な行為をしているかといえばそんな事はなく、ちまちまと、岩に生い茂る藻を切り取っては貝の内側へと運んでいた。
上から見ただけで分かる。これは貝ではなく――――
「ヤドカリか」
「ヤドカリね」
継実とモモは同じ答えに辿り着き、二人揃ってその名を呼んだ。ミドリは「やどかり?」と呟きながら首を傾げ、とてとてと継実達の傍に来て一緒に大岩の影からヤドカリを覗き込む。
大好物の貝だと思って笑顔を浮かべたのは一瞬。その貝の下から出てくる甲殻的なハサミに気付くと、びくりと身体を震わせながら継実の後ろに隠れた。
「ひぇっ!? え、なんですかアレ……」
「ヤドカリはエビとかカニの仲間だよ。死んだ貝の殻を利用して身を守ってるの。まぁ、七年前はあんな巨大な奴、いなかったけどね」
「はぁ……まぁ、他の生物の遺骸を利用して身を守るというのは、宇宙でも珍しくない生態ですけど……あたしもある意味似たような種族ですし」
継実が説明するとちょっとは興味が湧いたのか、身を乗り出すようにしてミドリはヤドカリをまじまじと見る。
ヤドカリは、恐らく継実達の存在に気付いてはいるだろう。しかし慌てて逃げる事もなければ、殻に引き籠もる事もしない。継実達の事を全く脅威だと思っていないようだ。恐れ怯えて逃げ惑え、なんて物騒な事は言わない。しかしこうも堂々とされると、継実的に思う事がない訳でもなかった。
それでいて好都合でもある。
継実達は藻を食べられないが、藻を食べる動物は獲物に出来るのだから。
「……ヤドカリって、美味しいらしいよ」
「えっ。た、食べるんですか!?」
「地域によっては普通に食べるらしいわよ。結構美味しいみたいね」
「それに人間が好んで食べていたタラバガニって奴は、ヤドカリの仲間らしいし。だから多分コイツも美味い」
「そ、そう、なのですか?」
半信半疑気味に首を傾げるミドリ。実際には、そんな事はない。美味しいヤドカリは美味しいが、美味しくないヤドカリは普通に美味しくない。確かに種が近ければ味も似るものだが、それは絶対的な保証ではないのだから。
されど目の前のヤドカリが美味しいかどうかは、食べてみるまで分からない。
元より腐った肉でも普通に食べられるぐらいには継実も慣れたのだ。余程のものでなければ食べられるし、楽しむ事だって出来る。今や継実達は味覚もまた野性的な逞しさに満ち溢れていた。
それに少なくとも継実の目には、このヤドカリには毒がないように見える。今後出会う動物が食べられるものとは限らない以上、少ないチャンスを逃すのは愚行というもの。
ニューギニア島初の獲物。これは是非とも味わう必要があるだろう。
「……掛かれぇ!」
「よっしゃあっ!」
「えっ!? いきなり突撃!?」
継実の号令と共に、きっと継実と同じ考えに至っていたモモも走り出す。ミドリだけがあたふたして出遅れたが、元より彼女は非戦闘員。遠くで援護してくれれば良い。
継実とモモが向かうはヤドカリの正面と後方。動きの遅いこの生き物を挟み撃ちにするのは造作もなく、簡単に継実達は自分達の有利ポジションを取れた。このまま挨拶代わりの粒子ビームを撃ち込んでやると継実は手に力を込め、モモは渾身の電撃を解き放つために静電気を溜めていき、
ヤドカリは誰よりも早く、攻撃の手を打った。
貝殻を高速で回転し始めたのである。しかもその回転している貝殻をヤドカリがハサミで掴むと、まるで陶芸家が
「ぽぐぇっ!?」
あまりにも予想外な『能力』を目にして呆けた継実は、顔面に伸びてきた貝殻の攻撃を受けてしまう。
ヤドカリに触られてぐにゃぐにゃと伸びてある筈なのに、ぶつかった貝殻はとても硬い。念のために粒子スクリーンを展開していたのだが、これをぶち抜き、継実の頭に『直撃』した。受けたダメージは頭蓋骨にヒビが入った程度。継実にとってはすぐに再生出来る程度の傷だが、粒子スクリーンで防いでもこの威力なのだ。もしも嘗めきって生身で挑んでいたら、今頃頭がクラッカーのように弾けてあの世行きだっただろう。
「コイツやったわねばっ!?」
継実が攻撃されたのを見てモモが電撃を撃とうとするも、先に動き出したヤドカリの方が早い。継実を殴り飛ばした巻き貝の先端はぐにゃぐにゃ蠢きながらモモの方へと向かい、そのモモの顔面を殴る。
物理的衝撃に滅法強いモモの体毛だが、ヤドカリの一撃を受け止める事は出来ず。何十メートルも吹っ飛ばされ、進路上にあった大岩と激突。岩が砕ける事はなかったが、それはミュータントと化した藻が岩を包み込んでいるからで、衝突の威力が弱かった事を意味しない。岩に叩き付けられたモモは、ぐたりと地面に倒れてしまう。
残り一人であるミドリは……大岩の影に隠れていたので、ヤドカリのターゲットにはならず。
継実とモモをぶっ飛ばして、幾分スッキリしたのだろうか。ヤドカリはのそのそと歩きながら、この場を立ち去ろうとする。尤もその歩みは酷く遅く、姿が遠くなるまで数分と掛かる始末。
「……あー、死ぬかと思った」
その間敵意がない事を示すためずっと動けなかった継実は、起き上がった時には疲れたようにぼやいた。
「継実さん!? 大丈夫ですか!?」
「まぁね。ある程度はこうなる事も覚悟していたし」
「え? 分かって、いたのですか?」
「だってアイツ、私達が見ていても逃げなかったでしょ? 」
戸惑うミドリに対し、継実は自分の考えを話す。
継実達が大岩からじっと覗き見ている間、ヤドカリは慌ても騒ぎもせず、食事を続けていた。
ただのヤドカリなら、食事に夢中で大岩の傍に隠れている継実達に気付かなかったとも考えられただろう。或いは所詮甲殻類の脳みそでは、肉薄した外敵すら認識出来ないという事もあり得たかも知れない。しかしあのヤドカリはミュータント。数キロ彼方の脅威を察知し、高度な知性を持つ超常の生命体だ。継実達の存在は察知し、三人の実力もそれなりに把握していた筈。
即ち、全て分かった上で無視していたという事。
恐らくヤドカリには、最初から継実達を撃退出来るだけの自信があったのだろう。その考えを読んだからこそ継実は粒子スクリーンを展開し、守りを固めていたのだが……こうも一方的にやられるのはちょっと想定外。
「殻がデカいだけで中身なんてそこまで大きくないと思うから、力もその程度だと踏んでたんだけどなぁ」
わっはっは。予想通りな部分と予想外が程々に噛み合って、継実は快活に笑う。
勿論ちょっと危ない事をしたなとは、継実と思っている。必要な賭けではあったが、少しばかり警戒心が足りなかったか。今回は幸運にも助かったが、次回もそうなるとは限らない。一層気を引き締めねばならないだろう。
と、継実なりには反省している。しかしながらミドリには、無茶をしたのに悪びれていないとでも思われたのかも知れない。
ぷくーっとミドリは頬を膨らませ、潤んだ目からして割とお怒りな様子。
「もぉー! 継実さんはもっと自分の身体を大切にしてくださーい!」
「あ、はい。ごめんなさい」
心配された継実は、ミドリからのお説教に素直に謝る事しか出来なかった。
「ただいまー。駄目だったわねー」
「あ。モモさんお帰りなさい」
ちなみに同じく無茶をした筈のモモだが、ミドリはこちらには怒らず。継実に怒りをぶつけてスッキリしたのか、はたまたモモは日頃継実ほどの無茶をしてないからか……多分後者だと継実自身思うので、不公平だと不満は漏らさなかったが。
さて。なんやかんや全員無事で済んだヤドカリ狩りだが、獲物を仕留められなかった以上失敗ではある。
「ところで継実、これからどうする?」
モモが投げ掛けてきた質問は、それを踏まえてのものだ。
選べる今後の方針は主に二つ。ヤドカリ狩りを続けるか、諦めて別の獲物を探すか。
ヤドカリ狩りを続けるなら、立ち去ったヤドカリを追えば良いだろう。しかし今のところ、あのヤドカリの仕留め方は特に思い付いていない。苦戦は免れないだろうし、あのぐにゃぐにゃ伸びる殻の一撃は脅威だ。正直、割に合わない獲物だろう。
ならば諦めて別の獲物にするのが賢明である、が、しかし……
「……ミドリ。あのヤドカリ以外に生き物っていそう?」
「え? そうですね……うーん……」
尋ねてみれば、ミドリは顔を顰めてしまう。どうやらヤドカリ以外の生き物が見付からないらしい。
ヤドカリが圧倒的強者故に、他の生き物を全部追い払っているのか。それとも他の理由があるのか。なんにせよ、ヤドカリ以外の生き物がいない以上、この岩礁地帯で別の獲物を見付ける事は不可能だ。そうなると場所を変えるしかないだろう。
つまり。
「やっぱ、この森に入らないと駄目かぁ」
ぼやきながら継実は、岩礁地帯のすぐ隣にある環境――――熱帯雨林に目を向ける。
初めて此処ニューギニア島に辿り着いた時に見たのと、同じような熱帯雨林。あの時違和感を感じたが、今ならその正体が分かる。岩礁地帯を歩いた事でヒントを得たのだから。
いや、或いは答えと言うべきか。何しろ違和感の原因が、此処と変わりない。
熱帯雨林は海岸と同じく不気味なほど静まり返っている。
生命の気配が、全くないがために……
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